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飯士山、坂戸山、六万騎山


【日時】 2002年9月28日(土) 日帰り
【メンバー】 とんとん、えび太、Akira
【天候】 雨後曇り

【山域】 谷川連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 飯士山・いいじさん・1111.8m・三等三角点・新潟県
【コース】 岩原スキー場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/越後湯沢
【ガイド】 新潟ファミリー登山(新潟日報事業社)、新潟県の山(山と渓谷社)、越後の山旅(富士波出版)

【山域】 巻機山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 坂戸山・さかどやま・633.9m・二等三角点・新潟県
【コース】 坂戸駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/六日町
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報社)、新潟県ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 六万騎山・ろくまんきやま・321.0m・四等三角点・新潟県
【コース】 地蔵堂駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/五日町
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報社)
【温泉】 こまみの湯 500円

【時間記録】
9月25日(金) 6:30 新潟発=(関越道、湯沢IC、茂倉新道登山口、湯沢、R.17 経由)=21:30 元橋登山口
9月26日(土) 5:30 元橋登山口発=(R.17、湯沢、茂倉新道登山口、湯沢 経由)=6:50 第2ペアリフト乗り場〜6:58 発―7:27 第3ペアリフト終点―7:58 南峰分岐―8:10 奧添地分岐―8:16 飯士山〜8:57 発―9:01 奧添地分岐―9:12 ゲレンデ上―9:50 第2ペアリフト乗り場=(R.17、六日町 経由)=10:50 坂戸駐車場〜10:58 発―11:08 寺ヶ鼻コース分岐―11:44 坂戸山〜12:12 発―12:22 寺ヶ鼻コース分岐―12:46 坂戸駐車場= (R.291 経由)=13:05 地蔵堂駐車場〜13:14 発―13:54 六万騎山〜13:42 発―14:03 南登山口―14:08 地蔵堂駐車場=(浦佐、虫野、小出IC、関越道 経由)=17:30 新潟着  

 飯士山は、不幸な山である。古くは上田富士とも呼ばれ、1000mを越える標高を持った、大きく裾野を広げた独立峰である。この山の麓は、古くからレジャー開発が進められていたが、特にバブルの時代には東京都湯沢村とも揶揄された湯沢町の背後にあるため、四方からスキー場やゴルフ場の浸食が進んだ。この山には7つもの登山道が設けられているが、スキー場に侵食された山というイメージが強いためか、登山者は多くない。しかし、鋭く尖った山頂からの眺めは、鳥瞰という言葉に相応しいものであり、谷川連峰の展望台として、もっと登られても良い山である。
 坂戸山は、巻機山から金城山を経て西に延びてきた尾根が、魚野川に落ち込む所にある山である。上杉長尾の山城が置かれた史跡の山として知られている。地元では、健康登山の山として親しまれているが、新潟県の登山ガイドに取り上げられることが少ないのは不思議である。
 六万騎山は、八海山から猿倉山を経て西に延びる尾根が、魚沼川に落ち込むところにある山である。この山にはかつて山城が置かれていた。登山口の看板によれば「六万騎城は、六万騎山の頂上標高321mにあり、上田長尾氏の武将福島大炊督の居城であった。本丸、出丸、諾丸の配置や全山の様相から兵六万収容可能と推定され、その名に相応しい名城であった。南北朝時代には両党の死闘が繰り返された所であり、長尾氏入国以来、坂戸城の守りのためには無くてはならぬ要塞であった。」と説明されている。
 この週末は、谷川連峰縦走を計画し、金曜日の晩に、湯沢ICでトントン、えび太と落ち合った。土日の天気予報は、曇り時々雨というものであった。山行を中止するか迷ったが、金曜日の夕方は青空が広がっていたため、中止の決定は出せないまま現地集合になった。この時もまだ空には星が輝き、翌日が雨になるとは思えない状態であった。まずは、縦走後の下山口の茂倉新道登山口に移動し、私の車を置いて、平標山登山口の元橋に向かった。
 元橋の駐車場には、車は一台もいなかった。平標は人気のある山で、天気予報が少々悪くとも、登山者がいないとは思えなかったが、到着するのはもう少ししてからになるようであった。風が出始めており、トイレ脇の風当たりの弱い所にえび太のテントを張った。軽く飲んだ後、早めに寝ることにした。
 寝る時には、小雨が降り出していた。一旦は止んだものの、明け方から激しい降りになった。起床予定の4時過ぎには、テントから水がしみこみ始めていた。「縦走は中止だね」というと、二人とも同じ事を考えていたようで、すぐに「そうだね」という湿った返事が返ってきた。もう一眠りしていたかったのだが、シェラフが濡れ始めており、テントを撤収することになった。駐車場には二台の車が到着しており、雨に打たれていた。この人達はどうするのだろうか。
 朝一番の仕事は、茂倉新道登山口に置いた車の回収になった。茂倉新道登山口の広場は、水溜まりが出来はじめていた。ここは関越トンネルを掘った時の土砂置き場だったというが、水はけが悪いようである。引き返す時、登山者を乗せたワゴンとすれ違った。この雨の中、茂倉新道の登りは辛そうである。湯沢の道路ステーションの休憩所に移動して、この後どうするか考えることにした。まずは、朝食を食べた。二日間の食料として、おにぎりやパンをしこたま買い込んであった。
 朝方の激しい雨の時には、往復30分はかからないであろう秋葉山に登って、ともあれ登山成立にしようかと思っていたのだが、しだいに雨も小降りになってきた。二人に聞くと、飯士山には登っていないという。岩原コースなら、二度も登って様子も判っているので、地図や資料が無くとも大丈夫であった。飯士山に登ることにして、休憩所の軒下で雨具を着込み、登山靴も履いてしまった。
 岩原スキー場に向い、飯士山の中腹の第2ペアリフト乗り場に車を停めた。幸い、雨も止んでいた。飯士山に始めて登ったのは、週末に雨の予報が出た土曜日であったが、晴れ間が広がり、山頂からは展望を楽しむことができた。二回目は、石原夫妻を迎えて、湯沢側の袖弁橋から登り岩原スキー場に下山する予定を立てたものの、朝方の激しい雨のために、岩原スキー場からの往復に変更を余儀なくされた。この時も歩き出すと同時に雨が止んでくれ、山頂でゆっくりと腰をおろして休むことができた。飯士山には、雨の予報が出た時ばかり登っているのだが、なぜかいつも歩き出せば雨は止んでくれるので、不幸中の幸いといった運の良い山といえる。
 緩やかに登っていくゲレンデの上には、尖った飯士山の山頂が頭をのぞかせていた。すぐ近くのように見えて、山頂まではひと登りと感じるのだが、歩き出すと、その考えの甘さに気が付くことになる。ゲレンデの直登は、見た目よりも傾斜があり、リフトの終点も、なかなか近づいてこない。展望が開けているため、距離感が失われているようであった。ペースが早くなりすぎているようで、心臓が苦しくなってきた。
 リフト終点まで上がってひと息ついた。リフト二本分の歩きは、なかなかハードであった。振り返ると、湯沢の町の眺めが眼下に広がり、荒沢山や足拍子岳が鋭い山頂を見せていた。谷川連峰の稜線は厚い雲に覆われ、新潟県側に雲が流れ込んでいた。
 リフト終点から山道が始まった。なかなかの急登が続くのだが、山道になると、苦しさも感じなくなった。本来の歩きに戻ったようである。里にも秋が近づき、周囲の灌木にも紅葉が混じるようになってきた。冗談を言い合いながらの登りになった。登山道の途中には滑りやすい急斜面もあり、ロープの助けを借りながら登りになった。鋸コースを左から合わせると、飯士山の山頂も、目の前に近づいてきた。下山予定の奧添地方面の尾根の分岐を過ぎれば、最後の登りになった。
 飯士山の山頂には、新しい山頂標識が立てられていた。登ってきた途中の分岐の標識も新しいものであった。登山口の標識が無いのが不思議である。最短距離でゲレンデを突っ切って尾根沿いの登山道に乗っているが、本来の登山口は別の所にあるのだろうか。
 振り返れば、谷川連峰方面の眺めが広がっていた。谷川連峰の主稜線部は大荒れのようで、縦走の中止は正しい決定だったと自分に言い聞かせた。三角点広場を過ぎて少し進んだ所は、石仏が置かれた広場になり、ここからは、魚沼平野の下流部の眺めが広がっていた。雲が薄いベールのように広がり、その上に魚沼丘陵が浮かんでいた。巻機山の山頂は厚い雲で覆われていたが、金城山は、はっきりと見ることができ、その尾根の末端部に坂戸山が小さいながらまとまった山頂を見せていた。
 雨も止んでおり、腰を下ろしてゆっくり休むことができた。二回目の朝食になった。共同食料として買ったカットメロンとパインも食べてしまう必要があった。休んでいるうちに、下山すれば日帰り温泉も開いているかという時間になったが、山頂からの眺めでひときわ目立つ坂戸山を続いて登ろうかという話になった。そうと決まれば、下山を急ぐことにした。
 滑りやすい急坂をロープの助けもかりながら下り、奧添地の標識に従って、東に延びる枝尾根に進んだ。以前よりも刈り払いがしっかりしており、登山道らしくなっていた。ゲレンデ上部に下りてからは、スキー初心者用の迂回コ−スを少し辿った後に、ゲレンデのダウンヒルが始まった。途中でとんとんが用をするというので、先に下った。もういいだろうと振り返ると、姿が見えなくなっていた。車を置いてきた第2ペアリフト乗り場へは、右にトラバースしながら下る必要があるのだが、まっすぐ下ってしまったようである。車のところでしばらく待ったが現れないので、携帯電話で連絡をとると、ゲレンデの下の方にいるという。車で迎えにいくことになった。展望の開けているゲレンデで迷子になるとは、思ってもいなかった。ゲレンデ歩きは、スキーで滑ったことがないと、意外に難しものである。
 相談通りに、続いて坂戸山に向かうことになった。湯沢の町に入るところで、えび太の車は変な道に入り、はぐれてしまった。はなれてしまった時は、登山口手前の坂戸橋で落ち合おうと話をしていたので、そのまま国道に出て六日町に向かった。坂戸橋に到着したが、えび太の車はいなかった。しばらく待って、登山口に行ってしまったかと思い車を動かすと、えび太の車が現れた。高速道を使ったとのことであったが、なぜか、こちらの方が速かったようである。
 薬師堂前の坂戸山の駐車場には、雨交じりの日にもかかわらず4台の車が停められていた。地元で親しまれている山ならではのことである。坂戸山の登山道はいろいろあるが、今回は、軽く薬師尾根の往復ということにした。薬師堂の脇から尾根に上がると、広い登山道が続いている。路肩には石仏も置かれて、目を楽しませてくれる。登山道は、土嚢を敷き詰めて整備されており、ここはクッションも利いて、足への負担も軽かった。尾根が痩せて傾斜が増すようになると、階段登りが続くようになった。大股での登りが続き、足が辛くなってきた。下ってくる登山者にも出会ったが、みな傘を持っただけの軽装であった。体力作りには確かに良いコースである。
 坂戸山の山頂に到着した時は小雨が降っていた。お堂は閉まっていたので、杉の木の下で腰を下ろして、昼食にした。ひと休みすると雨も上がって、周囲の展望が広がった。坂戸山は、低山に違いないが、眼下に雲海が広がるのを見ると、標高以上の高山に思えてきた。飯士山が、鋭い山頂を見せていた。山をひとつずつ眺めていき、六万騎山の名前を挙げると、えび太が登ってみたいという。20分ほどで登れる山なので、三山目の山として六万騎山に登ることにした。
 階段の下りは速く、あっという間に登山道に戻ることができた。途中、登ってくる登山者に数組出会った。昼食後の腹ごなしの運動といったところか。
 六万騎山の登山口は、坂戸山からも遠くはなく、一本道なので、今回は移動中にはぐれることもなかった。
 先回六万騎山に登ったのは、1999年2月27日であった。苗場神楽峰への山スキーが荒天のために中止になり、新潟への帰り道に、ワカンでのラッセルで登った山である。遊歩道の様子は判らなかったので、改めて歩く必要があった。
 登山口には六万騎山遊歩道案内図が掲げられている。地蔵堂からは、0.5km25分、南の登山口からは0.7km30分と書かれている。両登山口の間がどれ程離れているのか判らないが、それ程は遠くないはずなので、車回しはしないで登ることにした。
 尾根沿いにしっかりした道が続いていた。ここも階段状に整備されており、足がますます疲れてきた。六万騎山は、国道や関越道から、雪崩防止柵が目立つ山である。登る途中からは、何段にも重なった柵を見下ろすことができた。登山道周囲には、緑の濃い雑木林が広がり、山歩きを楽しむことができた。山頂手前付近は土塁を回り込むように登山道が続いていた。先回は、急斜面に行き当たり、ラッセルをして登るのに苦労したが、この土塁がその正体のようである。山頂一帯は桜が植えられて、公園風に整備されていた。その先の僅かな高まりが、六万騎山の山頂であった。広場になった山頂には、六万騎山城趾の石碑と三角点が置かれ、ベンチも設けられていた。坂戸山を振り返り見ると、その向こうに飯士山が山頂をのぞかせていた。魚沼平野は、実りの時を迎えた水田で黄色く染まっていた。ブランド品ともいえる魚沼コシヒカリの産地ならではの眺めである。
 下りは、南登山口へと回ることにした。山頂のすぐ先で右に曲がると、登山道は、右手の谷に向かってのじぐざぐの下りを始めた。カエデの大木もあり、秋には紅葉がきれいそうであった。しばらく下ると尾根沿いの歩きになり、最後は県道脇の登山口にとびだした。ここから地蔵堂登山口までは、5分ほどの歩きであった。
 これで今日の山も終わりということで、小出の温泉に向かった。
 谷川縦走の中止は残念であったが、雨の日にはそれなりの楽しみ方がある。雨の振り方によって、一山登ったら、後は温泉へというのでも良いし、興のおもむくままに二山、三山と登山を続けても良いのが、里山歩きの楽しいところである。

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