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ダイグラ尾根から飯豊本山、北股岳


【日時】 2002年9月14日(土)〜15日(日) 1泊2日 避難小屋泊まり
【メンバー】 単独行(二日目 T)
【天候】 14日:曇り 15日:曇り時々雨

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
飯豊本山・いいでほんざん・2105.1m・一等三角点本点・福島県
御西岳・おにしだけ・2012.5m・三等三角点・福島県、山形県
烏帽子岳・えぼしだけ・2017.8m・三等三角点・新潟県、山形県 
梅花皮岳・かいらぎだけ・2000m・なし・新潟県、山形県
北股岳・きたまただけ・2024.9m・三等三角点・新潟県、山形県 
門内岳・もんないだけ・1887m・なし・新潟県、山形県
【コース】 登り:ダイグラ尾根 下り:梶川尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/長者原、飯豊山
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)
【温泉】 フォレストいいで 300円

【時間記録】
9月16日(金) 20:30 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、玉川 経由)=23:00 飯豊山荘 (車中泊)
9月17日(土) 4:55 飯豊山荘発―5:15 温身平―5:26 林道終点―5:46 桧山沢吊り橋―7:00 種蒔の池―7:13 水場入口―8:12 休場の峰〜8:27 発―9:12 千本峰〜9:19 発―11:21 宝珠山〜11:40 発―11:54 宝珠山南峰―13:48 飯豊本山〜14:01 発―14:59 御西岳―15:09 御西小屋 (御西小屋泊)
9月18日(日) 5:21 御西小屋発―6:02 天狗の庭―6:29 御手洗の池〜6:34 発―7:27 烏帽子岳〜7:32 発―7:51 梅花皮岳―8:08 梅花皮小屋〜8:24 発―8:50 北股岳〜9:00 発―9:53 門内岳〜10:16 発―10:42 扇ノ地神―11:10 梶川峰〜11:15 発―11:50 五郎清水〜12:00 発―12:23 滝見場〜12:35 発―13:08 湯沢峰〜13:13 発―14:30 飯豊山荘=(玉川、R.113、手ノ子、白川ダム、大日杉、白川ダム、手ノ子、R.113、大島、R.290、三日市、新発田、R.7 経由)=20:10 新潟着
 ダイグラ尾根は、飯豊の盟主である飯豊本山に直接突き上げる尾根である。ダイグラは、大の字に、グラは山冠に品と書き、岩峰を示している。この尾根は、切歯(きりは)尾根とも呼ばれ、鋸歯状にアップダウンを連ねていることから名前が付けられている。山形県側からの代表的な登山口の飯豊山荘からは、丸森尾根、梶川尾根、石転雪渓、このダイグラ尾根、といった四本の登山道が開かれているが、ダイグラ尾根はもっとも難路であることから、もっぱら下山に使われている。
 飯豊の登山道は全て歩きたいと思っているが、ダイグラ尾根をまだ歩いていなかった。夏の間は、暑さが堪えそうであったため、秋風が吹き出してからと思っていた。この三連休は、長期予報では、曇り時々晴というものであったので、ダイグラ尾根に出かけることにした。ダイグラ尾根を登り、御西小屋泊とし、翌日は北股岳を越して梶川尾根を下山すれば、一泊二日で、飯豊の中心部を周遊することができるはずであった。
 直前に、メールでTさんが、金曜日から二泊三日の行程で飯豊に出かけることを知った。ダイグラ尾根の登りに人を誘うわけにもいかず、Tさんには、第一日目を大日杉から切合か本山小屋まで歩いてもらい、二日目に飯豊本山を越して大日岳を往復し、御西小屋泊で私と合流。三日目は、一緒に縦走路を北上して梶川尾根から下山。下山後は、大日杉へ私の車で送るという案を立てて連絡した。御西小屋での合流のために、なにがなんでもダイグラ尾根を登りきる必要が出てきて、登山のモチベーションも高まった。
 金曜日になってみると、朝から小雨が降りだした。山に入ったTさんのことが心配になったが、切合くらいまでならなんとかなるはずであった。晩になっても小雨は止まないなか、山への出発になった。人との約束が無かったなら、あっさりと予定変更になったはずであった。土曜日は曇り、日曜日は曇り時々晴という天気予報を信じることにした。
 飯豊山荘の駐車場は、連休初日ということもあってか、20台以上の車が停められていた。夏山シーズンも終わったことも考えると、予想外に人出であった。
 翌朝、暗いうちに歩き出した。といっても、空が明るくなってきた頃を見計らったため、出発は5時近くになってしまった。夜明けがずいぶんと遅くなっていることからも、秋を実感できた。
 梶川尾根の湯ノ沢にかかる橋が工事中で、歩行者用の仮橋が架けられていた。橋が無くなって、自動車は通行不能になっていたが、橋向こうに一台の車が停められていた。橋が壊されて帰れなくなった車かと思ったが、良く考えれば、緊急用に関係者が車をデポしておいたもののようであった。冬までには橋も新しく造り替えられて、あの車も下山できるのであろう。
 ブナ林の中に続く林道歩きの途中で、ヘッドランプもいらなくなった。山歩きの始まりとして、次第にその姿をはっきりさせていくブナ林の歩きが好きである。林道歩きで、この日の体調も確かめることができる。ダイグラ尾根途中でのビバークや、小屋に入るのが遅くなった時のことを考えて、テントを持っていくことにした。ビールは一本のみで、食料は少な目にしたが、テント泊装備一式でザックはそうは軽くならなかった。途中での水の消費量も多いだろうと思い、水3Lにペットボトルのお茶1本、ジュース1パックと、水物は減らすわけにはいかなかった。
 ブナ林を眺めながら歩いていくと、離山歩道という標識があり、山道が続いていた。地図にある534mピークへ道が有るのだろうか。それとも山麓をぐるりと回る遊歩道なのだろうか。機会をみて確かめる必要がある。温身平で石転沢への道を分けると、くさいぐら尾根の取り付きとなる。2000年5月の苦労した山行を思い出しながら眺めながら歩いていくと、尾根に向かってはっきりした踏み跡が続いていた。途中でこの踏み跡は消えてしまうことになるが、どのような目的でこの踏み跡は付けられているのだろうか。
 ダムの堰堤で林道は終わった。「飯豊山系砂防100基記念ダム」という石碑が置かれていた。広大な飯豊山塊であっても、100の砂防ダムというのは決して少ない数ではない。現在、胎内尾根の末端部を貫いて、工事用のトンネルが開かれており、胎内川にダムができるという。必要な工事であるなら仕方がないが、長野県知事の田中さんにみてもらおうか。
 沢沿いの山道を歩いていくと、桧山沢吊り橋に到着した。春先には、橋が落ちて通行不能になることが多いようだが、意外にしっかりした吊り橋がかかっていた。
 吊り橋を渡ると、いよいよダイグラ尾根の登りが始まった。尾根の上に出るまでは、岩も露出した斜面の急斜面の登りが続いた。尾根上からは、急登が続いたが、飯豊ならこれくらいは覚悟をしなければならない。最初の目標地点の休場ノ峰までは、標高差840mの急登が続く。樹木で覆われた、見晴らしの利かない尾根の登りが続いた。
 傾斜が緩むと、登山道左手に小さな池が出た。これが種蒔きの池で、ほとりには、稲科の植物が、実を付けて頭をたれていた。新編会津風土記では、種蒔山付近において「この辺り自然に実る稲を生ず」と書かれているようだが、このような眺めが、飯豊信仰の米の豊作祈願と結びついたものであろう。
 その先で水場の標識が現れたが、水は充分持っていたため、そのまま通過した。再び傾斜は増し、黙々とした登りが続いた。
 休場の峰で、ここまでの登りの苦労が報われるように展望が一気に広がった。岩の転がる小広場で、まさに一休みするのにもってこいの山頂であった。天気予報がはずれたのか、青空が広がっていた。尾根の行く先には、宝珠山が円錐状の山頂を高く突き上げていた。飯豊本山から御西岳に至る稜線は、その背後にあった。その間には、大小の岩峰が、容易には近づけまいとするように、何段にも重なっていた。振り返ると、あいの峰から鍋倉山にかけての稜線が目の前に横たわり、倉手山や大境山、さらに遠くに朝日連峰を眺めることができた。ダイグラ尾根に平行に走るくさいぐら尾根の登っていく先には烏帽子岳や北股岳が頭を並べていた。梶川尾根の向こうには、えぶり差岳も頭をのぞかせていた。この先に登山道が続いていなければ、ここまでの日帰り山行でも充分楽しめたかもしれない。ここまでは、登山地図のコースタイムよりも短く、順調な歩きであった。とにかく、第一ステージは無事に終了した。
 第二ステージは、宝珠山迄の切歯尾根の核心部とも言える、岩峰の連続区間である。岩峰から下降し、しばらく登ってから振り返ると、越してきた岩峰が高く聳えているといったように、標高がなかなか上がらない道であった。倒木をくぐると、薄暗い木立の中に千本峰の標柱が立っていた。
 その先の、地図では、登山道が西に大きくカーブする所で、岩場の下りが現れた。岩場を注意深く途中まで下りたが、コースが良く判らなかった。登山コースでもない所を下って事故でも起こしてはと思い、一旦戻って、他にコースは無いか確かめたが、やはり岩場を通過するしかないようであった。岩場の左手に沿って下りていくと、下の岩棚との間が2mくらいの段差になっていた。岩の中間点にも足場があり、左手で木の根を掴み、右手は岩をホールドすれば下りられそうであった。慎重に足を下ろしていくと、最後は30センチ程たりなくて、岩に背中をずりながらすべり落ちての軟着陸になった。勢いあまって前方に飛び出せば、灌木を突き抜けて崖から転落という可能性もあったので、補助ロープをたらすべきであったかと反省した。なんとか下りられたが、他の登山者はどうやって下りているのだろうという疑問がわいてきた。家に戻ってからガイドブックを読んでみると、下山時のガイドであるが、「鎖のかかった岩場を登って、千本峰を越える」とある。この岩場は、一般登山道であるならば、鎖がかかっていて当然と思われるのだが。
 岩場からは大きく下り、鞍部の草原のトラバースでひと息いれた。ウメバチソウやミヤマトリカブトの花を眺めてひと息ついた。その後は、難しい岩場の通過はなかったものの、足場を気にする必要のある岩の乗り越しが続き、体力を消耗していった。時間も思ったよりもかかり、楽勝気分は消えていった。
 1499mピークを巻くと、ようやく登りが続くようになって、歩いただけ高度が上がるようになった。ガスの中に入って展望が利かなくなった。ここまでの登りで大汗をかいていたので、水の消費量をおさえるという点では良かったのかもしれない。傾斜が緩むと、円錐状の宝珠山の山頂が、ガスの中から姿を現した。宝珠山への登りに体力を振り絞り、やっと山頂とおもったら、登山道は1810mの最高点を巻いてそのまま下っていってしまった。少し下った登山道に腰をおろして昼食にした。前方には、もう少し高い峰が聳え、そちらが宝珠山かと思ったが、下から見上げていたのは、確かにこのピークで、地図を見ても間違いは無さそうであった。しかし、登山地図では、岩場マークに囲まれた南の1830mピークを宝珠山として示しているようである。家で藤島玄氏の飯豊連峰大地図見ると、宝珠山は1811mとあった。
 少ししっくりしない気分で南の峰に登ると、山頂は岩稜となって、周囲の展望は良さそうなピークであった。岩に「宝珠山?」と書かれた赤いビニールテープを巻かれた石が置かれていた。これと同じ目印は、登ってくる途中でも見ており、山頂標識を立てるための作業用のもののようにも思えた。藤島玄氏の「越後の山旅」には、「宝珠山(1805m)も、一連の鋸歯峰のひとつで、最大な岩峰である。最高点は独標より南の峰で(約1830m)、なんの特徴も風情もない岩峰だが、眉の上に飯豊山神社、本山三角点の頂上部がのしかかるような厚さと重さで迫ってくる。」と書かれている。広義的には、二つのピークを合わせて宝珠山といっても良いのかもしれない。南峰まで辿り着いたものの、ガスのために、展望は無かった。
 これで第三ステージとなって、飯豊本山に向かっての最後の登りかと思ったら、小さなピークが間に挟まっていた。ようやく登りが続くようになり、尾根も広がって、最後の登りに入ったことを知った。標高差300mの登りが続くはずであった。ハイマツと岩が点在する中の砂礫地の登りに、力を振り絞った。足は止まらなかったものの、速度はゆっくりなものになっていた。ようやくガスの中から山頂のシルエットが浮かび、稜線部を歩く登山者の影を見て、山頂間近ということを知った。
 縦走路に飛び出すと、すぐ上が飯豊本山の山頂であった。休憩も入れてだが、9時間歩き続けての山頂であった。思っていた以上に長いコースであった。腰を下ろして、ガスの流れるダイグラ尾根を振り返った。この山頂から眺めて、いつか歩きたいと思っていた宝珠山を越してきた満足感が湧いてきた。夫婦連れと、女性の単独行が到着して、記念写真を撮っていた。
 飯豊本山の山頂は、一般に歩かれることの多い切合方面からだと、御秘所を越して御前坂を登ると、飯豊山神社に到着した段階で、登頂といった気分になり、後は、記念写真が目的で三角点ピークまで足を運ぶということになる。その点、ダイグラ尾根は、この三角点ピークをゴールとするもので、飯豊本山の登山には最も相応しいコースといえる。
 夫婦連れが、御西小屋への道を尋ねてきた。ガスで周囲が見えないため、不安を感じたようであった。秋田からやってきて、大日杉から歩き出したととのことで、飯豊は登山標識が少ないとこぼしていた。先導する形で、御西小屋を目指して歩き出した。草原は、少し色付き始めている状態であった。草紅葉が始まるのも、来週以降といったところか。ガスで見通しの利かないなか、ほぼ平らに進む御西岳付近の登山道を歩くのは、始めてだと不安を覚えるかもしれない。
 御西岳のことも忘れてはいないよということで、三角点に寄り道し、後から来た夫婦連れにも、ここが御西岳の山頂であることを教えてあげた。その先僅かで、御西小屋に到着した。
 小屋をのぞくと、一階には二組で、見るとTさんがいた。無事に合流できて、この日の予定は全て無事に完了した。ひと休みの後、とりあえず水を汲んでくることにした。水場の標識に従って草地を下っていくと、パイプから勢いよく水が出ていた。秋になると、稜線の泊まり場では水が心配事になってくるが、この御西小屋の水場は、枯れる心配はなさそうであった。Tさんは、切合小屋に問い合わせたところ、この連休には管理人が入っており、食事付きでの宿泊を勧められたため、本山小屋に泊まったとのことであった。一ノ王子の水場は、ちょろちょろで溜めるのに時間がかかる状態であったという。
 山の話をしているうちに、小屋には15人程の登山者が集まった。皆、5時前に夕食を終え、日暮れ頃には、シェラフに潜り込んで寝息を立てる者が多くなった。外に出てみると、ガスは消えて、山のシルエットが暗い空に浮かんでいた。新潟方面と会津方面の町の灯りが輝いているのを眺めることができた。風は冷たく、眺めもそこそこにして、シェラフに潜り込むことになった。
 翌朝は、小雨となって、天気予報にうらぎられた。幸い、風も無く、歩くのには支障のない状態であった。雨具を着込んで、明るくなってから小屋を出発した。今日一日、ガスの中の歩きかと観念したが、歩き始めてすぐにガスが上がってきて、飯豊本山から長く続くダイグラ尾根の眺めが目に飛び込んできた。振り返れば、稜線上に飛び出した御西小屋、行く先の烏帽子岳や北股岳も眺めることができた。草原のトラバース道を、心も軽く、気持ちよく歩くことができた。
 一旦は雨具の上を脱いだものの、御手洗の池で再び雨が降り出した。梅花皮小屋から来た登山者にもすれ違うようになった。ガスで見通しの利かない中、烏帽子岳への標高差140m程の登りは辛く感じられた。山頂に到着しても、眺めはなく、風は冷たいため、早々に歩き出すことになった。梅花皮岳は、それほどの登りも感じないうちに頂上に登ることができ、その後は十文字鞍部に向かっての大きな下りになった。
 突然といった感じで、梅花皮小屋がガスの中から姿を現した。まずは、水場で、水を補充しておくことにした。水場入口には、治二清水という標識が掲げられていた。ここの水場は登山道脇といって良いほど近く、水の量も豊富であった。ここには、登山道が四方から集まっているが、この水場の存在は、得難いものである。小屋の中をのぞくと、大学生なのか、若者グループが休んでいた。
 十文字鞍部から北股岳に向かっては、今日一番の標高差170m程の一気の登りになる。稜線部からどれだけ飛び出しているかが、名山の資格みたいなところもあるので、我慢して登りに耐えることにした。北股岳は、夏山開始の7月21日に登って以来の再訪であるが、今回もガスでなにも見えない山頂になった。鳥居をバックに記念写真を撮った後に下山に移った。
 北股岳から下ってギルダ原を歩いていると、ガスが上がって、展望が急に広がってきた。まずは、二ノ峰の鋭峰が目に飛び込んできた。カメラをかまえながら歩いているうちに、二王子岳や五頭山塊も遠くに見えるようになってきた。劇的な変化であった。草原は、黄色く染まり、秋の佇まいを見せていた。気象条件の違いか、本山あたりよりも紅葉が進んでいるようであった。
 門内岳の頂上で、展望を楽しみながらの休憩になった。振り返ると、北股岳の山頂も、姿を現していた。朝のひと時とこの山頂での眺めで、縦走の苦労も報われた。
 扇の地神で稜線歩きとも別れを告げ、梶川尾根の下りに取りかかった。飯豊の山行は、登りは体力の限界、下りは足の限界を感じさせる。梶川峰三角点までは、幅広尾根ののんびりした歩きであるが、そこから一気の下りが始める。登山道が大きく雨水で抉られており、足元に注意しながら下る必要がある。五郎清水でひと休みした後、再び急な下りが続いた。五郎清水では、登りの登山者に数組すれ違ったが、かなり疲れて足が止まっており、この先稜線まで上がって避難小屋に入れるのか心配な者もいた。
 滝見場にまで下りて、ひと息ついた。石転び雪渓は、ずたずたになり、消え残りが張り付いている状態であった。その上には北股岳の山頂がガスの切れ間から顔をのぞかせていた。先ほどまであの上にいたとは、少し不思議な感じであった。梅花皮大滝が四段になって落ちているのを眺めることができた。
 湯沢峰へ登り返して、最後の休みになった。目の前に、ダイグラ尾根の鋸歯状の岩峰の連なりを眺めることができた。飯豊本山は雲の中に隠れ、尾根がどこまで登っていくのか見分けることができなかった。最後の下りは、木の根や岩角を伝う急斜面の連続となり、飯豊山荘の屋根が見えたからといって、気を抜くことはできなかった。
 飯豊山荘に戻ると、路上駐車の車も並んでいる盛況であったが、飯豊への登山者の他に、周辺のブナ林の散策者もいるようであった。
 私はダイグラ尾根の登り、Tさんは大日杉から本山、大日岳、北股岳、飯豊山荘へという南部縦走を果たし、お互いに実り多い山行になった。ダイグラ尾根を登ってくる私を御西小屋で待つという、いささか無謀な計画にのってくれたTさんに感謝する。
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