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月山、水晶山、舞鶴山
千歳山、盃山、経塚山、尾幡山


【日時】 2002年8月17日(土)〜18日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 17日:曇り 18日:曇り

【山域】 出羽山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
姥ヶ岳・うばがだけ・1670m・なし・山形県
月山・がっさん・1984m・なし(1979.5m・一等三角点補点)・山形県
【コース】 姥沢コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/月山/月山
【ガイド】 アルペンガイド「鳥海・飯豊・朝日」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「朝日、出羽三山」(昭文社)

【山域】 二口山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
水晶山・すいしょうやま・667.9m・三等三角点・山形県
【コース】 川原子コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/楯岡/天童
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)

【山域】 二口山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
舞鶴山・まいづるやま・241.8m・三等三角点・山形県
【コース】 舞鶴公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/楯岡/天童
【ガイド】 山形百山(無明舎)
【温泉】 天童最上川温泉ゆぴあ 200円

【山域】 蔵王連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
千歳山・ちとせやま・471.1m・四等三角点・山形県
【コース】 千歳山公園より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/山形/山形南部
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)

【山域】 蔵王連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
盃山・さかずきやま・280m・なし・山形県
【コース】 孝道山東北別院駐車場より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/山形/山形北部
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)

【山域】 白鷹丘陵周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
経塚山・きょうづかやま・398m・なし・山形県
【コース】 経塚山登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 仙台/上山/上山
【ガイド】 分県登山ガイド「山形県の山」(山と渓谷社)、山形百山(無明舎)

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
尾幡山・おばたやま・646.4m・三等三角点・山形県
【コース】 ふるさと林道小坂線登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/玉庭/玉庭
【ガイド】 なし
【温泉】 フォレストいいで 300円

【時間記録】
8月16日(金) 7:20 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、手ノ子、長井、R.287、大江、宮内、R.112、月山IC 経由)=23:00 大井沢登山口 (テント泊)
8月17日(土) 5:00 大井沢登山口発=(月山IC、志津 経由)=6:30 姥沢登山口〜7:55 リフト山麓駅=8:10 リフト上駅―8:17 姥ヶ岳牛首分岐―8:34 姥ヶ岳―8:52 湯殿山分岐―9:15 牛首分岐―9:44 鍛冶小屋―9:54 月山〜10:32 発―10:42 鍛冶小屋―11:04 牛首分岐―11:27 姥沢小屋分岐―11:41 姥ヶ岳牛首分岐―11:49 リフト上駅=12:05 リフト山麓駅=(志津、月山IC、R.112、寒河江、天童、R.13、久野木、R.48 経由)=13:55 水晶山登山口〜14:08 発―14:31 見晴らし台―14:43 水晶山〜14:53 発―15:00 見晴らし台―15:17 水晶山登山口=(R.48、久野木、R.13 経由)=15:54 舞鶴公園駐車場―16:06 舞鶴山―16:18 舞鶴公園駐車場=(天童最上川温泉、山形、R.286 経由)=19:30 笹谷峠  (車中泊)
8月18日(日) 5:00 笹谷峠発=(R.286 経由)=5:45 千歳公園〜5:50 発―6:16 千歳山―6:35 千歳公園=7:06 孝道山東北別院駐車場―7:12 盃山―7:18 孝道山東北別院駐車場=(R.13、上山 経由)=8:10 経塚山登山口―8:12 分岐―8:16 岩部ダム分岐―8:29 経塚山―8:40 分岐―8:41 経塚山登山口=(R.13、赤湯、R.113、手ノ子、白川ダム 経由)=11:04 尾幡山登山口―11:56 尾幡山〜12:07 発―12:36 尾幡山登山口=(九才坂峠、叶水、玉川、玉川口、R.113、大島、R.290、三日市、〆切、聖籠IC、R.7 経由)=16:00 新潟着

 月山は、羽黒山、湯殿山と合わせて、出羽三山と呼ばれ、古くからの信仰の山である。なだらかな山頂を持ち、日本海近くの豪雪地にあることから、夏遅くまで残雪を抱き、高山植物が豊富なことから人気の高い山になっている。
 水晶山は、天童と東根の市境界上にある里山である。山頂には水晶山神社が置かれ、登山道は良く整備されている。
 舞鶴山は、天童の町中に聳える山である。全山が山城になっており、天童氏が南北朝以来この地を支配していたが、天正十二年、最上義光によって攻められ落城した。
 千歳山は、山形県庁の脇にたたずむ三角形をした山である。阿古耶姫と千歳山の松の精との悲恋物語の伝説が残されると共に、山形市内の健康登山の山として親しまれている。
 盃山は、馬見ヶ崎川を挟んで千歳山と向かい合う山である。この山も健康登山の山として親しまれているが、中腹の神社駐車場まで車で入ると、僅かな登りで山頂に達することができる。
 経塚山は、温泉で有名な上山の西に位置する里山である。経塚山自然休養林として、遊歩道が整備されている。
 尾幡山は、飯豊連峰の東山麓に広がる白川ダムの東岸に位置する山である。飯豊連峰の登山口の一つである大日杉あるいは栂峰を訪問した帰りに利用することの多い温泉施設のフォレストいいでは、この山の麓にある。源流の森として、立派な遊歩道が整備されているが、利用者が少ないためか、荒れ始めている。

 この週末は、台風が日本の南の海上から接近中で、曇りの予報が出ていた。天気はあまりぱっとしないようだが、台風がからむと、天気予報が完全に外れて、晴天が訪れるということもある。それを期待して、山形方面の山に出かけることにした。
 朝日連峰は、新潟からだと、飯豊連峰より遙かに遠い。小国から長井、大江と走り、大頭森山の下の大井沢トンネルを抜けて五井沢へと思ったのだが、トンネル手前で県道が不通になっていおり、R.112から月山ICへと回ることになった。
 障子ヶ岳登山口まで入ったものの、車が一台停まっており、テントを張る適当な場所が無かったため、林道を引き返して途中の路肩にテントを張って寝た。翌朝起きてみると、山の斜面は田圃際までガスに覆われていた。この様子では、稜線に上がっても展望は期待できそうもなかった。先日のガスに祟られた黒部源流の山旅の後遺症か、弱気になって、他の山に計画変更することにした。気の向かない時には無理はしない方がよい。
 国道に出ると、そこには、月山の姥沢登山口への林道入り口があった。月山に登ったのは、1991年に月山八合からで、かなり以前の事である。もう一つの代表的登山口の姥沢口から歩いていないのが、気に掛かっていたので、この機会に登ることにした。少々ガスがかかっていても、登山道は良く整備されているはずなので、のんびり歩くことができるであろう。いずれは肘折温泉からと思っていたので、その前に、普通のコースを歩いておく必要があった。
 国道から姥沢の駐車場までは、月山の大きさを実感させるように、結構距離があった。時間も早かったこともあり、入り口の環境整備協力費徴収のゲート前の広場に車を停めることができた。リフトの始発は8時ということなので、もうひと眠りすることにした。8時前には、車の前を歩いていく登山者も多くなったので出発することにした。目の前の姥沢ロッジが見え隠れする状態であった。ガスは濃いものの、水分は含んでいないので助かった。
 ゲートで200円を支払った。同じ信仰の山として、加賀の白山とつい比べてしまう。加賀の白山は、麓の駐車場からして大勢の人間を整理に雇い、途中の登山道の整備も完璧である。相当な金銭が注ぎ込まれていると思われるが、全国の白山神社からの上納金が潤沢に集まっているのではないだろうか。それに比べると、このせこさは、信仰の山として考えた時、月山は東北のローカルな山でしかないといことか。駐車場は無料ということで、諦めて、協力させて頂くことにした。
 坂を少し登っていくと、リフト乗り場に到着した。8時前であったが、すでにリフトは動いており、始発を待っている登山者はいなかった。そうと知っていれば、もう少し早く出発したものを。20分近くもかかる長いリフトであった。周囲に広がるブナ林を眺めながら、うつらうつらとしながら運ばれていった。おかげで、リフトを下りると、そこは樹林限界を越して、お花畑となった草原が広がっていた。
 木道が敷かれた登山道が続いた。ひと登りした所に、牛首へのトラバース道との分岐があった。まずは、姥ヶ岳を通っていくことにした。日頃登山をしていない家族連れも多く、この登りで早くも草臥れて足が止まってしまっているものもいた。登山道の周囲には、ニッコウキスゲやヨツバシオガマのお花畑が広がっていた。夏の盛りも過ぎていたため、花も終わりかと思っていたが、雪田の雪消えとの関係で、花の時期がずれているようであった。
 姥ヶ岳の頂上が近づく頃には、ガスですっぽり覆われてしまうようになった。周囲の花を楽しみながらの歩きになった。風がそれほど強くないのが、花の撮影のために有り難かった。エゾシオガマ、オヤマリンドウ、イワショウブ、シロバナトウウチソウ、ミヤマリンドウ、ハクサンフウロ、ウメバチソウ、キンコウカ、ウゴアザミ、ナンブタカネアザミ、ウサギギク、タテヤマウツボグサといった花が次から次に現れた。リフトでのお気軽登山で、これだけの花が見られるのは、予想以上であった。
 緩やかに下っていくと、迂回路と合流する牛首に到着した。二つのコースが合わさり、登山者も多くなった。ここから、急な登りが始まった。岩が転がる急斜面で、ここを登るのに苦労している人が多かった。小屋が見えて山頂かと思ったが、ここは鍛冶小屋で、山頂は稜線歩きをもう少し続けた先であった。小屋の先には、松尾芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」の碑が置かれていた。立ち入りロープが張られた幅広の稜線を歩いていくと、ガスの切れ間からピラミッド型に盛り上がった月山の山頂が目に入ってきた。
 石垣の間に立つ石の鳥居を通り抜けると、月山神社本宮に到着である。山頂は神社の境内となり、祈祷料を支払う必要がある。500円を払うと、紙の人型とお札がわたされた。受付の神官が祝詞をあげ、それが終わると、人型で体をさすって、そばにある水瓶に投げ入れて厄を落とすという仕組みであった。山頂に進むと、お宮の中では、神主が祈祷を行っていた。そこを過ぎると、御神酒が振る舞われ、その先が売店となって出口になった。信仰の山に登った以上は、この500円の出費は仕方がないか。リフト代に、環境整備費、いろいろお金のかかる山ではある。
 石垣を回り込んで、月山八合目登山口方向に進み、高みに向かう踏み跡を辿ると、一等三角点を見つけることができた。通過不能の奧社から稜線を少し下った位置であった。神社周辺は賑わっていたが、この三角点まで来る者はいなかった。
 一休みの後に下山に移ると、時間の関係か、大勢の登山者が登ってくるのに出会った。地元の中学二年生の学校登山の団体もいた。運動靴に普通の服装の者も目立ち、急坂の途中で大勢が休んでいた。牛首からトラバース道に進むと、人も少なくなって静かな歩きになった。雪田がまだ残っており、その縁にはヒナザクラの群落が広がっていた。
 リフトに乗ってお気軽に下山すると、麓の駐車場は満杯状態になっていた。
 時間も早いことから、天童の水晶山に登ることにした。登山口までの移動に時間が思ったよりもかかってしまった。天童ゴルフ場を目指していき、その入口を通り過ぎると、一車線幅の舗装された林道になった。杉林の中をつづら折りに登っていくと、遊歩道が林道を横断するように続いているのが目に入った。林道は、あずまやのおかれた広場で終点になった。車の熱にアブが寄ってきて乱舞する状態になったが、中で腹ごしらえをしている間に、どこかに去っていってしまった。
 杉林の中に、砂利を敷いた遊歩道が続いていた。歩き出してみると、虫が多く、虫除けスプレーを体に吹きかける必要があった。夏の低山歩きは、それなりの難しさがある。登山道が山の斜面に突き当たると、七曲り坂の登りが始まった。蒸し暑く、汗がしたたり落ちてきた。右手の尾根に上がると、雑木林の美しい笹平に出た。
 緩やかに登っていくと、水晶山神社に到着した。水晶山神社は、木のお堂で、裏に回ると、石段があり、その上の広場に小岩峰を背景にして石の祠が置かれていた。こちらが奥の院といったところか。小岩峰の背後に登り越すと、小広場があり、三角点と山頂標識が置かれていた。登頂ということで、腰をおろして休んだ。面白山が目の前に広がっているはずであったが、稜線部はガスで隠されていた。
 登山道は良く整備されている山であるが、夏草が茂っている所もあり、夏の盛りに登る者はいないようであった。虫を払いながら、下山の足を速めた。
 山はこれでお仕舞いのつもりで、天童温泉の公衆浴場を探しに車を走らせた。町内の案内図でもないかと思ってうろうろしているうちに、舞鶴公園に迷い込んだ。テレビで見たことのある人間将棋の会場となる広場の駐車場に車を停めた。舞鶴公園は、舞鶴山を中心としており、山頂まで遊歩道が続いているようであった。すでに着替えてサンダル履きであったが、「山形百山」にも取り上げられていることから、敬意を表して登っていくことにした。
 駐車場から愛宕神社の標識に従い、山頂方向への道に進んだ。展望台や記念碑の脇を通り過ぎていくと、山道に変わり、ひと登りで山頂の台地の上に出た。草地の中に三角点を見つけることができた。広場の奧に、愛宕神社のお堂があった。
「愛宕神社
 天正十二年十月十日(一五八四)舞鶴山上の天童城は、最上義光によって攻略され、城主天童頼久は仙台領にに逃れた。義光は直ちに城趾の山頂に愛宕神社を造営し、社領一三七O石を寄進し、祭神として勝軍地蔵を安置した。社殿全体(慶長八年再建)市指定文化財」との説明があった。
 社殿の前には石段が下方に続いており、山の麓から登ってくる参道があるようであった。駐車場付近の賑わいとはうって変わった、人影の無い静かな山頂であった。
 天童温泉はあきらめて、日帰り温泉施設らしき、天童最上温泉ゆぴあを目指した。最近できたような立派な施設であったが、200円と格安であった。混んでいたが、施設も大きいため、落ち着いて汗を流すことができた。
 翌日の食料を買い込み、山形市内で夕食をとってから、翌日の雁戸山のために、笹谷峠に上がった。途中から濃霧の中に入り、フォグランプを付けてのノロノロ運転になった。笹谷峠の駐車場に車を停めた。さすがにというべきか、他に車は無かった。霧は水分をたっぷりと含んでいたため、テントを張ることはあきらめて、車の中で寝ることにした。霧に包まれた峠の一夜は、少々不気味な感じがした。
 朝起きてみると、あいかわらず濃い霧に覆われていた。車の窓ガラスも雨粒に覆われている状態で、雨具を着ないと歩けそうもなかった。展望は、とうてい期待できなかった。あっさりと雁戸山は諦めて、低山歩きに変更することにした。
 まずは、山形市内に戻って、千歳山に登ることにした。県庁前から山裾を伝う道路に入り、千歳公園を目指した。公園に向かう途中、首にタオルを巻いただけのウォーキング姿の人を多く見かけるようになった。
 登山口の空き地にはすでに車が入っていたので、路肩に車を停めた。山頂まで大して時間もかからないことから手ぶらで登ることにした。しっかりした登山道が付けられていた。行き交う登山者も、6時という早朝にもかかわらず多かった。もっとも、早朝登山の常連ばかりのようなので、昼にでも登ってみれば、誰もいないのかもしれない。赤松林の中の登りが続いて、展望は利かなかったが、尾根上の露岩帯に出ると、山形市内の展望が広がった。
 思ったよりも急斜面の登りが続いて、汗がしたたり落ちてきた。朝飯前の登りであったが、低山といってそうあなどる訳にはいかない。登り着いた千歳山の山頂は、木立に覆われていた。木製の展望台も建てられていたが、そこに登ってもそれ程の見晴らしは得られなかった。
 阿古耶の松跡という石碑が置かれていた。これは、平安の昔、阿古耶姫は千歳山の松の精と契りを結んだが、松の木は切り倒されてしまい、阿古耶姫も後を追ったという悲恋物語によるものである。山形市内には、あこや町や松山という町名があるのも、この伝説に基づくものであろうか。
 お腹も空いてきたので、すなおに来た道を戻ることにした。
 ひと休みの後、盃山に向かった。県庁脇を通り過ぎて、馬見ヶ崎川を渡ると、プール施設のためか、大きな駐車場が整備されていた。駐車場を上流部に回り込むと、孝道山東北別院という大きな標識が置かれていた。車道をひと登りすると、大きな駐車場に出た。
 本堂の右手の山道を登っていくと、ひと登りで古峰神社の置かれた山頂に到着した。ここからは、山形市街地が見えるものの、少し木立に邪魔されていた。
 今回は、事前に地図を用意していなかったため、ガイドブックの記載たよりの登山になっていた。盃山の山頂について、家に戻ってから地図をみていくと、三角点は尾根を少し下った所に置かれていることが気が付いた。「神社の祭られた盃山山頂」と書いておいて、三角点の標高256mと書くのは間違いであろう。地図では三角点の位置に山名が記載されているため、ちょっとすっきりしない登山になった。
 新潟への帰り道に山に寄っていくことにして、次は上山の経塚山に向かうことにした。国道番号が変更になったためか、ガイドブックの概念図の国道番号が違っており、少しまごついた。R.458から荒町川沿いの県道に入った。人家を通り過ぎた所で、右手に未舗装の林道が分かれた。山裾を巻くように進んでいくと終点の広場に到着した。経塚山自然休養林ということで、案内標識が立てられていた。
 登山道を少し進んだところで、右に水場経由の道が分かれた。トラバース気味に進んでいくと、沢の源頭部に出て、水場になっていた。その先で岩部ダムからの道に合わさり、ここは左折。緩やかに登っていくと、経塚山の山頂に到着した。あずまやが置かれ、周囲の展望はそれほど開けてはいなかった。斉藤茂吉の「ひむがしの蔵王の山は見つれども きのうもけふも雲さだめなき」の碑が置かれていた。しかし、こういった歌碑の文字というのは、どうしてこうも読みにくいのであろうか。教養が無いと言われればそれまでなのだが。結局、ガイドブックあたりに活字にされているものと照らし合わせてみなければ読めない。中国で見た漢字の碑が、明朝体の活字そのままであるのと大違いである。
 石碑の並ぶ尾根を下っていくと、あっさりと駐車場に戻ることができた。
 続いて虚空蔵山へと思ったのだが、不動尊先の登山道が良くわからず、国道から回ってと思ったが、これも住宅地の中で道が判らなくなって断念することになった。
 新潟へ少し近づいたところで、手ノ子の奧の白川ダムの湖畔にある尾幡山に登っていくことにした。この山は、栂峰に登った帰りに「フォレストいいで」で入浴した際に、源流の森のパンフレットがあり、そこに尾幡山への遊歩道が記載されていたことから、登山道があるということを知った。この山だけをめざすだけでは少々遠すぎるため、課題のままに残されていた。
 白川ダム記念館の三叉路を玉庭方面に向かって直進し、「フォレストいいで」への入口を過ぎると、左手に林道小坂線の入口が現れた。少し登った所の駐車場脇に、源流の森と尾幡山遊歩道の案内図が置かれていた。二度ほど大きなカーブを交えながら林道を進んでいくと、同じ案内図の置かれた尾幡山遊歩道の入口に到着した。駐車場は特に無かったので、路肩に寄せて車を停めた。
 ブナやミズナラの雑木林の中の登りが始まった。幅3m程のしっかりした道が付けられていた。尾根沿いに登っていくと、急に草が被るようになって登山道が判らなくなった。おかしいと思って引き返すと、登山道が右にほぼ直角に方向を変えていた。この屈曲点の入口は、少し下り気味で草が被っていたため、尾根をそのまま直進してしまったものである。
 山の斜面をトラバース気味に進んでいくと、つづら折りの登りになった。左方向に緩やかに登っていくと、あずまやが建てられていた。このあずまやは、案内図によれば、「狐の嫁休み」と呼ばれるようである。途中、「安部定任の路」が分かれたはずなのだが、その分岐も見落としていた。しっかりした道が開かれているわりに、迷い易いコースである。このコースは、「狐の嫁入りの路」とのことなので、狐にばかされているのだろうか。
 登りを続けていくと、再びあずまやが現れた。このあずまやは、「茶屋場」と呼ばれるようであった。前方からは、「安部定任の路」が合わさってきた。沢を木の橋で渡ると、稜線上に向かっての登りになった。僅かな登りで、稜線に上がることができ、山頂までもう少しと思ったが、意外にこの先は長かった。アルミ製の梯子が固定された急斜面も現れた。これが「鼻こくりの坂」と呼ばれる地点のようであった。最後は緩やかに登っていくと、尾幡山の山頂に到着した。ここまでの遊歩道の整備とはうらはらに、山頂広場は、夏草で覆われていた。三角点探しが大変かなと思ったが、山頂標識の奧に埋められていた。
 山頂の広場では、腰も下ろせないため、少し戻った登山道脇でひと休みした。この山の遊歩道も、ダムの助成金が下りて遊歩道を整備したものの、宣伝もしないため、当然登る者はおらず、藪がはびこり始めているといった状態のようである。近くには良い温泉もあることから、紹介に努めれば、登山者も多くなって、地域の振興に少しは役立つと思うのだが、もったいないことである。インターネットで、尾幡山を検索してみたものの、一件も引っかからなかった。
 下りは、道も良く整備されていることから、あっさりと山を下ることができた。
 未報告の山を一山登ったことに満足して家路についた。

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