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雲ノ平、水晶岳、赤牛岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、北ノ俣岳


【日時】 2002年8月8日(木)〜11日(日) 4泊5日
【メンバー】 単独行
【天候】 8日:晴 9日:雨 10日:曇り 11日:曇り時々雨

【山域】 北アルプス中部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
雲ノ平・くものたいら・2550m・なし・富山県
祖父岳・じいだけ・2825m・なし・富山県
水晶岳・すいしょうだけ・2986m・なし(2977.7m・三等三角点・富山県
赤牛岳・あかうしだけ・2864.2m・三等三角点・富山県
鷲羽岳・わしばだけ・2924.2m・三等三角点・富山県、長野県
三俣蓮華岳・みつまたれんげだけ・2841.2m・三等三角点・富山県、長野県、岐阜県
黒部五郎岳・くろべごろうだけ・2839.6m・三等三角点・富山県、岐阜県
北ノ俣岳・きたのまただけ・2662m・なし・(2661.2m・三等三角点)・富山県、岐阜県
【コース】 折立より薬師沢経由、雲ノ平、北ノ俣岳経由周遊
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/有峰湖、槍ヶ岳/有峰湖、薬師岳、三俣蓮華岳
【ガイド】 「雲ノ平・双六岳を歩く」(山と渓谷社)、アルペンガイド「上高地・槍・穂高」(山と渓谷社)、山と高原地図「剱・立山」(昭文社)
【温泉】 亀谷温泉白樺ハイツ 600円
                          
【時間記録】
8月7日(水) 16:20 長岡発=(北陸自動車道、立山IC、有峰口、有峰林道 経由)=19:15 折立 (テント泊)
8日(木) 4:18 折立発―5:47 三角点〜5:52 発―6:55 五光岩ベンチ〜7:08 発―7:43 太郎平小屋〜7:55 発―9:03 第三 徒渉点―9:58 薬師沢小屋〜10:08 発―11:47 木道終点―12:13 アラスカ庭園〜12:25 発―12:53 奧日本庭園―13:02 アルプス庭分岐―13:12 祖母岳―13:26 アルプス庭分岐―13:38 雲ノ平山荘〜13:42 発―14:07 雲ノ平キャンプ場  (テント泊)
9日(金) 4:45 雲ノ平キャンプ場発―5:05 日本庭園分岐―5:25 祖父岳―5:52 岩苔乗越―6:02 ワリモ北分岐〜6:12 発―6:40 水晶小屋―7:14 水晶岳―8:01 温泉沢ノ頭―9:29 赤牛岳〜9:38 発―11:18 温泉沢ノ頭〜11:32 発―12:38 水晶岳―13:05 水晶小屋―13:32 ワリモ北分岐―13:38 岩苔乗越―14:12 祖父岳―14:27 日本庭園分岐―14:51 雲ノ平キャンプ場  (テント泊)
10日(土) 5:37 雲ノ平キャンプ場発―6:03 日本庭園分岐―6:28 祖父岳―6:55 岩苔乗越―7:18 ワリモ北分岐―7:40 ワリモ岳―8:15 鷲羽岳〜8:24 発―9:11 三俣山荘〜9:35 発―10:21 双六分岐〜10:24 発―10:45 三俣蓮華岳〜10:48 発―11:13 迂回路分岐―11:18 発―12:11 黒部五郎小舎  (テント泊)
11日(日) 5:21 黒部五郎小舎発―7:21 北ノ俣岳分岐―7:31 黒部五郎岳〜7:39 発―7:47 北ノ俣岳分岐―9:45 赤木岳―10:15 北ノ俣岳―10:23 神岡新道分岐〜10:38 発―11:38 太郎平小屋〜11:55 発―12:24 五光岩ベンチ―13:13 三角点〜13:21 発―14:09 折立=(往路を戻る)=19:40 新潟着

 雲ノ平は、黒部川の源流に位置する標高2500〜2600mの日本最高所の高原である。祖父岳によってできた溶岩台地によって作られ、黒部川とその支流の岩苔小谷によって周囲を囲まれる秘境である。雲ノ平は、森林と湿原、お花畑によって形作られるアラスカ庭園や日本庭園といった自然の造形美や、周囲をとりまく赤牛岳、水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、薬師岳といった黒部源流の山々の山岳展望が大きな魅力になっている。
 今年の夏休みは、雲ノ平に行くことにした。雲ノ平は、その名前自体が魅力的であり、想像が膨らむ。1994年8月17日〜19日に、日本百名山巡りとして、鷲羽岳、水晶岳、黒部五郎岳を目指した時は、三ツ俣山荘に泊まったので、次の日に少し足を延ばして雲ノ平山荘に泊まれば良かったものを、ピークハントに心せかるるままに、黒部五郎小屋に泊まって、笠ヶ岳登山のために戻ってしまった。雲ノ平を訪れるには、まとまった休暇が必要で、懸案のままになっていた。もう一つの目標は赤牛岳の登頂であった。200名山のピークハントといえば、それまでであるが、昨年の野口五郎岳からの展望で、目の前に、黒い山肌の水晶岳(黒岳)と赤の赤牛岳のコントラストを眺めて、登りたいという気持ちが高まった。赤牛岳から読売新道を通って下山と思ってはみたものの、立山を起点として薬師岳、雲ノ平、赤牛岳、読売新道といった周遊は、時間がかかるため、今回は諦めるしかなかった。雲ノ平から、赤牛岳を日帰り往復することにした。
 折立から太郎平、薬師沢を経由して雲ノ平に入り、黒部五郎、北ノ俣岳を回って帰る周遊コースを考えた。コースタイムはともかく、テント泊で歩くためのキャンプ指定地と有峰林道のゲートのオープン時間が問題になった。有峰林道のゲートが開くのは6時で、そこから折立までは1時間近くのドライブが必要で、歩き出しの時間は7時過ぎになってしまう。折立から雲ノ平までのコースタイムの合計は、11時間程である。1994年10月8日の薬師岳日帰り山行で、折立から太郎平までは、コースタイムの5時間は大幅に短縮できることは判っていた。しかし、縦走の大荷物となると、どこまで時間を短くできるものやら。太郎平を過ぎた次の目標地点の薬師沢小屋では、キャンプ禁止というのが痛かった。太郎平を過ぎたなら、一気に雲ノ平まで登るしかない。とりあえずの計画としては、第一日目は、太郎兵衛平キャンプ場に泊まって、余った時間で薬師岳に登ることにした。しかし、前日の水曜日に長岡で仕事が入っており、仕事が終わるのが4時頃と早いことと、新潟から長岡間の走行時間の30分を短縮でき、有峰林道のゲートが閉まる8時前に通過できる可能性もあった。その場合、早朝発ができ、一日目に雲ノ平に入ることも可能となりそうであった。出だしから予定が定かでないところがあったが、4泊5日、予備日を1日入れて、食料等の登山の準備を整えた。
 長岡での仕事が終わるなり、車を急いで走らせた。夕食もお預けで、休憩無しで走り通し、立山ICで高速を下りた。おかげで、有峰林道のゲートは余裕を持って通過することができた。薄暗くなった有峰湖畔を通り、登山口の折立には、前夜のうちに入ることができた。このおかげで、第一日目に雲ノ平まで入ることのできる可能性が生まれた。
 先回訪れた時は、折立周辺は、未舗装の道路から立つ砂埃のため工事現場といった感じで、キャンプ場といっても泊まりたくはならないような所であった。現在では、道路は舗装され、広い駐車場が設けられ、芝地が広がるキャンプ場に生まれ変わっていた。純粋なキャンプ客と、登山者のものと思われるテントが並んでいた。さっそくテントを張って、ビールを飲みながら、途中で買ってきたコンビニ弁当の夕食をとった。満天の星空が広がり、翌日の快晴が期待された。
 懐電歩きの予定で、3時過ぎには目を覚まし、まだ暗い4時過ぎに歩き出した。6月頃は、4時というとすでに明るくなっているが、8月になると、まだ暗いままである。日中の猛暑とはうらはらに、秋がしのびよっている。休憩所の前から登山道に入り、薬師岳遭難の慰霊碑の前を通り過ぎると、太郎坂と呼ばれる急な登りが始まった。地図上の等高線の密度は混み合っているが、登山道は細かくジグザグを切るようにつけられているので、歩いた感じではそれほどの急斜面とは思われない。ザックはずっしりと重いが、ゆっくりながら足を順調に前に出し続けることができた。ひと汗かくころにはヘッドランプもいらなくなった。
 第一の目標地点の三角点には、1時間30分の登りで到着することができた。コースタイムは2時間なので、順調なペースといってよい。もっとも、先回の薬師岳日帰り山行の時は、1時間5分で登っているので、それに比べると、ゆっくりペースである。このペースで歩き続けることができるなら、雲ノ平まで入れそうであった。三角点の回りは広場となり、休憩地点となっている。この三角点は、登山地図やガイドブックでも、コース上のチェックポイントになっている。ただ、三角点としか書かれておらず、この三等三角点の点名の「青淵」は無視されている。藪の中に埋もれている三角点ならともかく、皆が休憩ポイントにしている三角点なら、その名前で呼んであげる必要があると思うのだが。ガイドブックの著者の怠慢である。
 一旦僅かに下ってから登り返すと、樹林限界を超して周囲は草原となり、展望が広がるようになった。登山道が山の斜面を上がっていくのを一望できるようになった。振り返ると、鍬崎山が富山平野をバックに山頂を突き上げ、有峰湖も横に長く湖面を広げていた。登山道の左手には薬師岳が大きな山体を見せていたが、逆光の中に黒いシルエットになっていた。登山道は幅広の石畳状に整備されて歩きやすくなっていた。
 第二の目標地点の五光岩ベンチで、朝食をとりながらひと休みした。登山道に木道も現れて、さらに歩き易くなった。長く続く登山道の先には、太郎平小屋も見分けることができるようになった。展望は良いものの、木陰が無いため、太陽が高く昇った後では、暑さに苦労する道かもしれない。朝の涼しい時間帯なので、快適に歩くことができた。
 太郎平小屋の前の広場には、大学生の一団が休んでいるだけであった。泊まり客もすでに出発し、朝の静かなひと時になっていた。気になる到着時間は、まだ8時前であった。これでは、雲ノ平を目指さないわけにはいかない。ザックを下ろし、風景に目をやった。谷向こうには、雲ノ平の台地が広がっていた。黒部川によって削られた台地の縁は、急傾斜で落ち込んでいた。雲ノ平の登りは、かなりの覚悟がいりそうであった。薬師岳、水晶岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、北ノ俣岳といった山々が、雲ノ平をぐるりと取り巻いていた。
 小屋の後ろに回り、太郎山の方に少し進んだところから、薬師沢への道が分かれた。しばらくは、稜線の一段下をトラバースする木道歩きが続いたが、やがて、急な下りが始まった。薬師岳の山頂が見上げるように遠ざかっていった。急降下がひと段落して谷間に入ると、再び木道が現れた。薬師沢小屋までの間には、沢の徒渉が三回あるが、いずれも、簡単な木の橋が架けられていた。このコースは、増水すると、沢が渡れなくなるというが、この橋も流される危険性が高そうであった。沢沿いに緩やかに下っていと、所々で小さな草原に出て、ほっとひと息つくことができた。登山道の脇には随所に枝沢が流れ込み、喉をうるおすことができた。前方に雲ノ平へ続く壁が迫ってくると、広い笹原のカベッケヶ原に出た。薬師沢小屋も遠くはなさそうなので、もうひと頑張りした。
 薬師沢小屋は、黒部川を見下ろす崖の上に建てられていた。対岸に向かっては、吊り橋が架けられていた。黒部川も、ここまで上流になると、山で普通に見かけるような川幅になっていた。小屋の壁には、いろいろの注意書きが掲げられていた。特に高天原への大東新道は、雨天時は増水によって危険になり、崩壊部分もあるようで、ここで最新の情報を確認する必要があるようであった。また釣り人への注意も書かれており、黒部源流のイワナの保護に力を入れているようであった。
 ひと休みの後、吊り橋を渡って、いざ雲ノ平への登りと思ったら、いきなり梯子で河原に下りることになった。少し下流に進んだ所で、沢沿いの大東新道を左に分け、右に向かって登りが始まった。ます鉄梯子の登りが現れた。尾根の上に出ると、急な登りが続くようになった。これまでの良く整備された登山道とは違って、大きな石を跨ぎ越し、木の根を足がかりにするような道になった。大きく足を上げなければならないため、ザックの重荷がよけいに堪えた。2時間程はこの急登に耐える必要があるということで、持久戦に入った。気温も高くなっていたが、苔むした岩から冷気がただよってくるのが、少しの気休めになった。
 さすがに歩く速度はコースタイム通りにまで落ちたものの、数回休んだだけで、急登を登り終えることができ、ほっと一息ついた。このコースを下る時は、足を滑らさないように注意が必要であろう。
 傾斜が緩むと木道が現れ、その先で、雲ノ平での見所の一つのアラスカ庭園に到着した。草地の回りをシラビソの針葉樹が取り巻き、水晶岳の山頂が頭をのぞかせていた。その右に見えるのが祖父岳のようであった。登りの緊張感から解放され、のびのびとした気分になった。青い空に浮かぶ雲も、手が届くように近づいて見えた。もうコースタイムは気にする必要はなく、展望を楽しみながらの歩きになった。薬師岳の右手には剱岳、三俣蓮華岳の左に槍ヶ岳、黒部五郎の左手に笠ヶ岳など、一段遠くの日本百名山も姿を現していた。続いては、奥日本庭園が現れた。ハイマツと岩の取り合わせが、名前の由来のようであった。チングルマやハクサンイチゲのお花畑が広がっていたが、花は少し盛りを過ぎたような感じであった。分岐に出て、右に祖母岳・アルプス庭園への道が分かれた。ザックを分岐に置いて往復してくることにした。緩やかに登っていくと、雲ノ平小屋との水晶岳の眺めが広がった。登るにつれて周囲のパノラマが広がった。祖母岳の山頂で登山道は終点となり、ベンチが置かれていた。このベンチでただ風景と向かい合いながら時を過ごすのが、雲ノ平の過ごし方として相応しいような気もしたが、今日の歩きを終える必要があった。写真を撮って分岐に引き返した。
 その先で雲ノ平小屋に到着した。キャンプの受付をし、ビールを買い込んだ。幕営料は一人500円、ビール350ml缶500円、500ml缶700円であった。小屋から祖父岳の下のキャンプ場までは、木道歩きが少し長かった。キャンプ場には、すでに何張りものテントが並んでいた。静かそうな所を選んでテントを張った。結局この日は11張り、翌日は12張りのテントが並んだが、北アルプスのキャンプ場としては空いているほうであろう。雲ノ平は奥地にあるため、そうたやすくは入れないためか。
 折立から雲ノ平までは、休憩も入れて結局10時間かかった。6時にゲートが開くのを待っていたのでは、到着は5時になった勘定で、少々無理ということになる。やはり前夜のうちに折立に入れるかという点が、最大の要因であった。
 キャンプ場では、登山道の脇にホースで水を引いた水場が設けられていた。小屋の泊まり客が水汲みにきているので聞いてみると、小屋に引いている水の出が悪いため、洗面などの水は、ここで汲んでくるように言われたとのことであった。
 テントの中は暑いため、外にビニールシートを敷いて、夕食を調理して食べた。メニューは、ウィンナーとキャベツ、モヤシの炒め物。暮れなずむ黒部五郎を眺めながらのビールの味は最高であった。
 二日目の赤牛岳への往復で、長丁場である。4時前に起き出して、コーヒーとパンで軽く朝食をとった。明るくなるのを待って歩き出した。起きた時は、雲がたれ込めていたが、祖父岳の山頂は見えていたため、太陽が昇ればガスは晴れるだろうと楽観していた。
 ガレた登山道を登っていくと、キャンプ場はガスの中に見えなくなっていった。日本庭園分岐から先は、岩の転がる原を、山頂に向かって左にトラバースするようになった。白いガスの中に浮かぶ黄色いペンキマークが頼りの歩きであった。ガレ場を登っていくと、台地状の祖父岳の山頂に到着した。晴れた日なら展望の良い山頂なのであろうが、ガスが流れているだけであった。ケルンを頼りに方向を見定め、岩苔乗越への道に進んだ。緩やかに起伏稜線で、花も多かった。途中、大岩が登山道上に露出しており、通過の際に足場に気を使うところが一ヶ所あった。
 岩苔乗越は、右に黒部源流コースが分かれるが、水晶岳へはそのまま直進。砂礫地の急な登りが始まるが、それも長くはなく、じきにワリモ北分岐に登り着くことができた。右は鷲羽岳なので、水晶岳へは左に進む。吹き寄せるガスに雨粒が混じるようになり、ハイマツの陰で雨具を着込むことになった。太陽が昇ればガスも消えるだろうという期待もむなしいようであった。
 水晶小屋へは、お花畑の広がる草原の中を緩やかに登っていく道が続いた。小さな水晶小屋は、ガスに飲み込まれるかのように佇んでいた。分岐から水晶岳へ進むと、岩の間を抜けて登っていくようになった。ガスのために前方が見えないため、ガスの中からぼんやりと姿を現した岩峰を何度か山頂かと思い、その都度、がっかりした。水晶岳はこれが二度目の訪問であるが、8年前の記憶となると、まったく役にたたないものである。水晶岳の山頂に到着してみると、先客が一人岩の間にうずくまって休んでいた。ガスが流れるだけで展望もないため、帰りを期待することにして先に進んだ。
 水晶岳の北峰の下を通過すると、ガレ場の大下りになった。岩の上を伝い歩くような道のために、足跡は判りにくく、ペンキマークを見落とさないように注意が必要であった。次の目標は、温泉沢ノ頭であった。ピークの上に出て、ここがそうかと思ったが、標識が無かった。緩やかに下っていくと、左に高天原への道が分かれ、ここの標識に温泉沢ノ頭と書かれていた。高天原から見上げると、ここがピークに見えるのだろうか。温泉沢ノ頭の分岐と書くのが正しいと思うのだが。
 温泉沢ノ頭から赤牛岳へは2時間の行程であった。展望も得られないまま、緊張の歩きが続いた。途中には、いくつかの小ピークがはさまっている。登山道は、ピークを巻くように続いていたが、ピーク直下では、大岩の伝い歩きになり、足元に注意する必要があった。登山道は、稜線の東と西に、頻繁にコースを変えた。西風が強く、稜線の西側を歩く時は、雨粒に顔をそむけながらの歩きになった。東側を歩く時は、風も弱まり、お花畑に目をやる余裕も出た。アップダウンもそう大きくはなく、晴れていれば、展望を楽しみながらのプロムナードであったはずなのだが。
 赤牛岳が近づくにつれ、赤味を帯びた砂礫地が広がるようになった。地図でも、現在地がどこかは判らなくなり、歩いた時間からして、そろそろ赤牛岳かと想像した。ピークへの登りで、5、6名のグループに追いついた。ピークに登り着くと、右手に標識とケルンが置かれており、ここが赤牛岳の山頂であった。なにも見えない山頂であった。ひとまず、風当たりの弱い東側のハイマツの陰に入って腰を下ろして、食事とした。読売新道を下っていくグループと分かれて、来た道を戻ることにした。
 戻りの道となると、行きよりは緊張感も少し和らいできた。周囲に目をやる余裕も出てきて、雷鳥を見つけることができた。天気も回復してきて、温泉沢ノ頭に戻った時は、腰を下ろして、食事をとることもできるようになった。ガスの切れ目から見上げる水晶岳の山頂は、高く聳え、登り返しに力を振り絞らなければならなかった。
 水晶岳は南北二つに分かれた双耳峰である。南峰の方が少し高く、山頂標識はこのピークに置かれているが、三角点は北峰に置かれている。先回の訪問では、南峰に登って、疑うことも無く日本百名山を一山制覇と思っていたのだが、その後いろいろ調べていくうちに北峰が気になるようになった。今回の目的の一つに三角点の発見があった。登山道から分かれてひと登りで北峰の上に出た。見渡すと、三角点の置かれていそうな広場が10mほど先にあったが、そこまでは痩せた岩稜になっていた。上は通過できそうもなかったが、一段下がったところにトラバースする踏み跡が続いていた。岩を乗り越してこの踏み跡を進むと、小広場に三角点が置かれていた。水晶岳でゆっくりと休むなら、この北峰の方が良さそうであったが、次に再び来るのはいつになるのだろうか。
 水晶岳の南峰に戻ると、幸い誰もおらず、山頂の写真を撮ることができた。水晶岳から下っていくと、再び雨が降り出した。水晶岳をめざす多くの登山者にも出会うようになった。発電機の音が近づいてくると、水晶小屋の前に出た。小屋の前では、旅行会社の一団が、水晶岳へ向かって歩き出すところであった。今晩は、狭い水晶小屋は混み合いそうであった。
 雨は、いつしか本降りの状態に変わった。祖父岳の山頂からガスの中を下っていくと、ようやくキャンプ場に到着した。キャンプ場は、随所に小川ができていた。自分のテントはと見ると、テントの周りに池が出来はじめており、水抜きの溝を掘ることになった。
 一日の仕事の締めくくりに、小屋に行って幕営代を払って、ビールを買ってくる必要があった。豪雨に近い雨降りの中の往復は辛かった。幕営代だけなら、わざわざこの雨降りの中を出かけはしなかったのだが、ビールのためなら仕方がない。雨具の乾燥は諦めて、ズボンとTシャツだけでも、火を燃やして乾かすことにした。幸い、ガスは余分に持っていた。狭いテントの中で濡れた装備をかたずけて、人心地を取り戻した。疲れも出たためか、キャベツと焼き鳥缶詰をいれたラーメンを食べて体が温まると眠くなり、そのまま横になり、いつのまにか眠りに入ってしまった。
 雨の中の撤収は辛いと思っていたが、幸い朝になると雨は上がっていた。三日目は、鷲羽岳と三俣蓮華岳を越して黒部五郎岳までと、全行程の中で、歩行時間は一番少ない。のんびり起き出して、出発の準備を整えた。ザックを背負ってみると、ずっしりと肩に食い込む重さであった。食料や飲み物は減っているので、濡れたテントが重くなっているようであった。
 重い足取りでの登りが始まった。祖父岳の頂上に登ってほっと息いれた。この日の山頂も、周囲の展望は閉ざされていた。早くは歩けないが、ほぼコースタイム通りなので、この先も大丈夫そうであった。岩苔乗越からワリモ北分岐までの急坂も無事に登り終えたが、ここまで上がると、風が強くなり、雨具の上を着込むことになった。北アルプスらしい岩稜歩きが始まった。ワリモ岳の山頂直下を通り過ぎると、岩棚のトラバースが現れた。ロープが張ってあったが、濡れた岩の上で足を滑らさないように注意が必要であった。ガスの間からガレ場となった急斜面が現れた。一歩ずつ足を運んでようやく登頂と思ったら、山頂はまだもう少し先であった。
 鷲羽岳の山頂が近づく頃から、ガスが時折切れるようになった。鷲羽岳の山頂には、単独行が休んでおり、カメラを交換しての記念写真撮りになった。風を避けてハイマツの陰で休んでいるうちに、単独行も出発して、一人だけの山頂になった。鷲羽岳は、人気の日本百名山といっても、今頃は登頂してもその先の水晶岳を目指すのが普通であろうから、丁度お客のいない時間帯に入ったようである。
 ガレ場に足元を注意しながら下っていくと、ガスの切れ目から鷲羽池が姿を現した。前回は、まだ暗い中での早朝登山で、この池は見ていなかったので、再訪の価値があったということになる。足元に三俣山荘が見えたが、かなり下る必要があった。登ってくる登山者にもすれ違うようになった。これらの登山者が山頂に到着すると、再び山頂は賑わうようになるのであろう。
 かなり草臥れて三俣山荘に到着した。三俣山荘スカイレストランのメニューが目に入った。

お飲物           お食事             デザート
コーヒー    600円   ビーフカレー 1000円     ケーキ   500円
紅茶      500円   特製ラーメン 900円      ケーキセット  900円
ココア     600円   焼ソバ    700円      (コーヒーか紅茶付き)
カルピス    300円   うどん    900円      デニッシュパン  300円
ホットミルク  400円   カツ丼    1000円     ワイン(赤、白)
生ビール(大) 1200円  ざるそば   1200円     760ml   3000円
    (中) 1000円  ステーキセット 2500円    360ml   1800円
              ビーフシチューセット 2000円
              おでん    700円

 誘惑に打ち勝って、脇にあった無料の水を飲んだ。今でも、生ビールかケーキセットを賞味するべきであったかと後悔している。次回こそは、ステーキセット+生ビール(大)の豪華な食事といこうか。でも3700円の出費は痛いので、カツ丼+生ビール(大)の2200円がいいところか。お金さえ持っていれば、北アルプスでは食事には不自由しないようである。混雑は避けてテント泊まりとして、食事は食堂でというのが、かしこい方法か。小屋泊まりの料金を考えれば、ステーキセットも手が出ないわけではない。
 三俣小屋には、次から次に登山者が到着し、広場は賑わってきた。双六小屋方面からの登山者が到着する時間帯に入ったようである。黒部五郎小屋に向かって出発することにした。黒部五郎小屋へのルートは二通りあるが、せっかくなので、三俣蓮華岳を越していくことにした。
 三俣山荘のキャンプ場は、時間も早いので数張りしか並んでいなかった。ここも良さそうなキャンプ場である。いつか、ここでキャンプ場をするような山行計画をたてようか。お花畑の中を登っていくと、背後に鷲羽岳のピラミッド型の山頂がそそり立つようになった。双六岳への分岐からは、ガレ場の急な登りになった。
 登り着いた三俣蓮華岳の山頂は、右に三角点が置かれ、左に進んだ広場が、双六岳と黒部五郎岳との三叉路になっている。先回の山行では、双六岳から三俣小屋、黒部五郎小舎から双六岳へと二回この山頂を通過しているのだが、この山頂での記憶は無く、ガスの流れる山頂で黒部五郎岳への登山道を探すはめになった。
 三俣蓮華岳からは、大きな下りが始まった。迂回路との合流点からは、ほぼ水平な道になるが、やがて、一気の下りになる。登山道には大きな石が転がり、木の根も張り出しており、歩きづらい道である。今回は、登り返す必要はないので、下りも気は楽であった。
 黒部五郎岳との鞍部に広がる草原に下り立つと、黒部五郎小舎に到着である。キャンプ場は、小屋の前から左に曲がった、黒部五郎岳への稜線コースの登り口に広がっている。西に向かって開けているため風当たりが強く、風の弱い所を選んでテントを張る必要があった。テントを張り、濡れた雨具やセカンドザックを広げて干した。小屋にキャンプ場の受付をしにいくと、水の中にビールと一緒にリングが浮かんでいた。ビールは、350ml、550円。雲ノ平より50円高いのは意外であった。リンゴは300円で、思わず買ってしまった。ひさしぶりの果物であり、この季節にしては美味しいリンゴであった。
 のんびりした午後になった。昼食のラーメンを、ビール片手に食べた後は昼寝になった。3時前からごそごそし始める北アルプスのテン場では、昼寝をしないことにはやっていけない。
 3時過ぎに、カメラ片手に付近の花の写真を撮ろうかと思ってテントから出た。ヘリコプターが黒部五郎岳の上で旋回していると思ったら、小屋めがけて下りてきて、草原すれすれにホバリングし、ヘルメット姿の一名が飛び降りた。ヘリコプターはそのまま飛び去ったが、下り立った人は、小屋の前の広場で従業員と話を始めた。これは事件だとばかりに、脇で聞き耳を立てると、黒部五郎岳の登山道から転落し、頭から血を流して歩行不能になっている者がおり、通りがかった登山者が小屋に通報し、ヘリコプターの出動になったという。黒部五郎岳のカールは気流が悪くてヘリコプターが近づけなかったため、ここから歩いて救助に向かうという。再びヘリコプターが飛んできて、一名が下り立った。これが、山岳救助活動で有名な富山県警のお巡りさんであった。ヘリコプターは、「つるぎ」であろうか。ご苦労様ですと思いながら、黒部五郎岳に向かうお巡りさんを見送った。結局、日没まぎわになって風が止み、ヘリコプターが再度飛んできて、カールの方に下降していった。どうやら、ヘリで救助できたようであった。
 夕方、雲が上がって、周囲の展望が広がった。キャンプ場の正面には、折戸岳から笠ヶ岳に続く稜線が広がっていた。小屋の前の草原からは、薬師岳と雲ノ平を良く眺めることができた。展望を楽しみながらの夕暮れ時を過ごすことができた。
 夕食は、回鍋肉、すなわちキャベツと味付け肉の炒め物である。持ってきた半玉のキャベツは、貴重な野菜として、炒め物やラーメンの具として、大活躍であった。遅く到着する者もいて、20張りほどのテントが並んだ。しかし、騒ぐ者もおらず、日暮れとともに、皆寝てしまった。このキャンプ場に到着するには、最低でも二晩目になるため、皆疲れているようであった。
 4日目の朝も、ガスが流れる天候であった。黒部五郎岳からの展望は諦めるしかなさそうであった。前日に濡れたものを乾かしたおかげで、パッキングを済ませたザックの重さはそれ程ではなかった。黒部五郎岳へのコースは二通りあり、どちらにするか迷ったが、やはりカール経由でいくことにした。
 緩やかなトラバース気味の登りが続いた。草原に出て、見通しは利かないため、カールに入ったかと思ったが、その手前にも、いくつかの草原があるようであった。ガスが流れる中に雨粒も吹き付けられるようになり、またもや雨具を着込むことになった。黒場五郎岳のカールは、雪渓からの雪解け水が流れ、お花畑が広がる美しい所で、再訪を楽しむにしていたのだが、乳白色のカーテンの中に、岩の影がぼんやりと浮かぶ状態であった。
 カールの壁に取り付くと、急な登りが始まった。昨日の遭難騒ぎは、ここらで起こったのだろうかとつい考えてしまった。急ではあるが、危険というほどではない。長時間歩いた後で、注意力が散漫になり、体力も消耗して足元が覚束なくなったのが原因であろうか。ゆっくり目のペースで急坂を登りきり、カールの縁を辿っていくと、北ノ俣岳への分岐に出た。
 ザックを分岐に置いて、身軽になって黒部五郎岳の山頂をめざすことにした。ガレ場の急斜面をひと登りで黒部五郎岳の山頂に到着した。先回は、展望を思う存分に楽しむことができたのだが、今回は、山頂の石積みくらいしか写真にするものがなかった。登ってきた登山者も、自分自身の記念写真を撮るなり、早々に下山していった。この日も、ガスの中の歩きを覚悟する必要があるようであった。
 分岐に戻り、コースを良く確認した後、北ノ俣岳への道に進んだ。黒部五郎岳からは、大きな下りになった。足任せに一気に下ることができたが、ここを登るのは大変そうであった。次の目標は鞍部の中俣乗越であったが、その手前に2578mピークが入ることを忘れていたため、現在位置が混乱して、「ここはどこ」状態でガスの中をひたすら歩く状態になった。中俣乗越付近からは、逆コースの登山者とすれ違うようになり、コースの半分は歩いたと、ひと安心することができた。赤木岳には標識が立てられており、ようやく現在地を確認することができた。北ノ俣岳へは、緩やかな登りが続いた。
 北ノ俣岳の山頂は、砂礫地が広がって、風も強く、落ち着いて休むことはできない状態であった。そのまま進んで、少し下った神岡新道との分岐でザックを下ろした。食事を取りながら見ていると、神岡新道方面からも結構多くの登山者が入っているようであった。
 北ノ俣岳の北側は幅広の尾根となり、一面にチングルマの毛玉が広がっていた。時期を選べば、素晴らしいお花畑を楽しめそうであった。緩やかに下っていくと、登山道が雨で抉られて深い溝になり、工事関係者が、砂防工事のための測量を行っていた。しばらくは、溝の縁をおかなびっくりと歩いていたが、木道が現れて、急に歩きやすくなった。登山道の荒れ地化を防ぐには、少し自然感がそこなわれるが、木道しかないということなのか。おかげで、歩く速度は、平地なみに早くなった。
 太郎山のピークを越して、木道を下っていくと、太郎平小屋が目に入ってきた。今回の山行は、4泊5日で計画していた。初日に雲ノ平まで入ったため、今日は太郎兵衛キャンプ場に泊まり、明日薬師岳に登って下山すれば、ほぼ計画どおりということになる。しかし、連日のガスの中の歩きにいささかうんざりしてきていた。明日の天気が良くなるとは思えず、このまま下山してしまおうかという気持ちが起こっていた。太郎平小屋の前の広場に到着すると、登山者で大混雑になっていた。続々と折立方面から登山者が登ってきていた。お盆休みに入って、登山者が多くなっているようであった。これでは、今晩のキャンプ場は大混雑、明日の薬師岳は大渋滞になるに違いない。薬師岳は、前にも日帰りで登っているので、天気が悪い時にあえて登る必要もない。ということで、今日中の下山決定ということになった。
 もう一頑張りする必要があり、まずは腹ごしらえをすることになった。小屋からは、「何番さーん、ラーメンできました」という呼び声も聞こえてくる賑わいであった。お盆に載せたラーメンが、広場にいる登山者にわたされていた。登山初日の昼食に、わざわざラーメンを注文する必要はないと思うのだが。コンビニ弁当も持たない程の徹底した軽量化か。
 折立めざしての下山に移ると、登ってくる登山者の列が続いていた。すれ違いの際の「今日は」の挨拶も省略となった。ガスも晴れて、太陽の日差しにあぶられる状態になった。五光岩ベンチの下あたりで、特に疲れた登山者が目にとまった。三角点が近づくと、ようやく登ってくる登山者も途絶えた。太郎坂の下りを頑張っていると、雷雨が襲ってきた。雨具は途中で脱いでおり、ザックカバーだけがそのままになっていた。車に到着したら全部着替えるので、体が濡れるのはかまわない、ということで、豪雨の中をそのまま歩き続けた。
 雨にせき立てられるように足を速めたおかげで、順調なペースで折立に到着した。到着と同時に雨が止んだ。車にザックを放り入れ、着替えをしてさっぱりした。歩いている途中から、気分は温泉モードに入っていたため、さっそく車を動かして、亀谷温泉をめざした。白樺ハイツは、登山者を多く受け入れているようで、設備も整っており、登山の後に寄るには良い温泉であった。
 今回の山行は、初日だけが晴天で、後はガスの流れる稜線歩きに終始した。晴天の雲ノ平に遊ぶことができただけで満足するべきであろう。赤牛岳は、読売新道を歩く時に、その山頂からの眺めを楽しめばよい。「心残りの山」として、赤牛岳に少し心を残すことにしよう。


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