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根子岳、四阿山


【日時】 2002年8月4日(日) 日帰り
【メンバー】 グループ(子田、田村、風間、長屋、岡本)
【天候】 晴

【山域】 上信国境中部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 根子岳・ねこだけ・2202m・なし(2127.9m・一等三角点本点)・長野県
 四阿山・あずまやさん・2354m・なし(2332.9m・二等三角点)・長野、群馬県
【コース】 登り:菅平牧場から根子岳 下り:中四阿経由
【地形図 20万/5万/2.5万】 長野/須坂/菅平、四阿山
【ガイド】 アルペンガイド「妙高・浅間・志賀」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「長野県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)
                          
【時間記録】 7:50 北軽井沢発=(大笹、R.403、菅平 経由)=9:20 菅平牧場〜9:33 発―11:00 根子岳〜11:20 発―11:31 一等三角点―11:44 根子岳〜11:49 発―13:09 中四阿分岐―13:22 四阿山〜13:55 発―14:05 中四阿分岐―14:32 中四阿―14:40 あずまや高原ホテル分岐―15:23 沢〜15:38 発―15:54 菅平牧場=(菅平、R.406、仁礼、須坂長野東IC、上信越自動車道、上越JCT、北陸自動車道 経由)=21:40 新潟着

 上州と信州との国境中部を代表する山としては浅間山と四阿山が挙げられる。四阿山は、古くから信仰の山として崇められてきて、その遺構が山中に残されている。かつては、根子岳、四阿山、浦倉山、奇妙山を外輪山とする富士山をしのぐ巨大な火山であったという。広大な裾野を持ち、菅平や嬬恋スキー場が開かれているが、自然は良く残されている。四阿山は日本百名山、根子岳は花の百名山に選ばれ、それぞれ人気の山になっている。
 毎年の医局旅行では、自由行動時間に山に登っているが、数名がついてくる状態になっている。今年の旅行先は北軽井沢になった。軽井沢と名が付くものの、長野県ではなく群馬県にあり、不当表示の疑いがある。登る山としては、浅間外輪山の黒班山や湯ノ丸山から烏帽子岳も考えられるが、これらのピークはすでに登っている。まだ登っていないピークとしては根子岳があった。四阿山には、日本百名山巡りとして1993年5月15日に登った。鳥居峠から登ったが、思ってもいなかった残雪歩きとなり、根子岳は断念することになった。根子岳は、一等三角点が置かれており、その理由からも登りたい山であった。コースは、今回は菅平牧場から登って、根子岳と四阿山を周遊することにした。
 登山の際にホテルに泊まりたくないのは、朝食が遅いことである。自分だけであったら、朝食を食べずに出発するところだが、人を誘っているとあってはそうもいかず、7時朝食開始で8時近くの出発になった。さらに、食料の買い出しで北軽井沢周辺をうろうろして、遅くなった。菅平へぬける道の途中で車一台がはぐれてしまい、菅平の到着時間は、予定より遅くなってしまった。菅平牧場の入口にはゲートがあり、一人200円を徴収された。少し強欲な感じがするが、そうと判ってこのコースを選んだのだから仕方がない。駐車場は、上下三段の広場に分かれていたが、すでに上の駐車場は満杯で、中断の駐車場に車を停めた。観光バスも停まっており、人気の山であることを改めて知ることになった。出発の準備を整えている間にも、30名ほどの中高年グループが出発していった。
 周遊コースであるのでどのように回るか迷うところだが、まずは根子岳をめざすことにした。歩いた感じでは、根子岳から鞍部に下った後の四阿山への登り返しが大変であったので、四阿山が第一の目標なら、四阿山を先に登った方が気が楽かもしれない。それに対して、根子岳を先に登って昼食をゆっくりと取り、四阿山到着を遅くすると山頂での混雑を避けることができるかもしれない。
 根子岳へは、牧場の柵に沿った真っ直ぐな道で始まった。周囲の見晴らしが良くて距離感が狂っているのか、楽なように見える道も結構急な登りのようである。太陽も高く昇っており、汗が噴き出てきた。先を行く団体を一気に追い越した後は、時折小グループと出会う静かな歩きが続くようになった。
 根子岳が田中澄江の「花の百名山」に選ばれていることは、山から帰ってから知ったが、思った以上の花に出会うことができた。タカネマツムシソウ、ツリガネニンジン、ヤナギラン、クルマユリ、ハクサンイチゲ、マルバダケブキ、ヤマホタルブクロ、オオバギボウシ、ミネウスユキソウ、タテヤマウツボグサ、ノアザミ、イブキジャコウソウ、トモエシオガマが、次から次に現れて目を楽しませてくれた。「花の百名山」で取り上げられているのは、ウメバチソウであるが、この花は、もう少し後の花である。
 牧場から離れると、美しいダケカンバの林が広がるようになった。木陰が嬉しかった。菅平を見下ろすようになったが、雲が多く遠望は利かなかった。根子岳頂上間近になって、足元がガレたきつい登りが始まった。登り着いたと思ったが、大抵の山ではそうであるように、山頂はもう少し先であった。
 根子岳の山頂には祠が置かれ、昼食をとる登山者で賑わっていた。浅間山を始めとする360度の展望が広がっているはずであったが、ガスに隠されていた。遅れている子田先生を待ちながらひと休みした。時折ガスの切れ間から四阿山の山頂が姿を現した。思ったよりも下りと登り返しがきついようであった。
 今回の目標に一等三角点巡りがあった。子田先生は、休んで待っているというので、三人で急いで行ってくることにした。その相談を聞いていた、隣で休んでいた夫婦連れが、「この山には別な山頂があるのですか」と聞いてきた。根子岳には一等三角点が置かれている。しかし、この祠のあるピークではなく、北西の峰の原方向に、標高差にして80mほど尾根を下った小根子岳と呼ばれる地点に置かれている。一等三角点マニアでなければ、小根子岳に寄らずとも、根子岳に登ったといえるであろう。「一等三角点とは」と説明を始めた子田先生残して、一等三角点めざして出発した。
 笹原の中の、登り返しがいやになるような急な下りが続いた。往復30分くらいと言い残してきたので、小走りで先を急いだ。ランニングの格好で走って登ってきたランナーとすれ違った。菅平周辺は、夏はスポーツの合宿の盛んな所であるが、駅伝か山岳マラソンの練習なのであろうか。前方に小ピークの見える鞍部に下り立った。登山道は、左手下を巻いていた。良く見ると、鞍部から踏み跡が続いていた。笹が被っていたが膝下で、歩くには問題はなかった。小ピークに登ると、ガレた小広場の中に、頭が赤く塗られた一等三角点を見つけることができた。振り返ると、根子岳の山頂が高く聳えていた。この一等三角点の点名は、「猫岳」という。「根子岳」とどちらの字が正しいのか知らないが、猫岳の方が、すなおな命名のような気がする。
 急いで根子岳の山頂に戻った。かなり急いだおかげで、往復25分で済んだ。ひと休みの後、人も少なくなった根子岳を後にした。
 根子岳からの下りでは、岩の間を抜けていく痩せ尾根がまず現れた。根子岳の火口壁とのことで、高度感のある眺めを味わうことができた。鞍部は、十ヶ原と呼ばれる笹原になっていた。休むには良い所だが、行く手には、四阿山が高く聳えているとあっては、ゆっくりとはしていられない。
 ここからは、これまでの道とは違って、ツガやシラビソの樹林帯の中の薄暗い道になった。急坂が続き、頑張りどころになった。ようやく急登が終わると、その先は草原が広がっていた。振り返ると、根子岳は遠ざかっていた。そのすぐ先で、下山予定の中四阿への分岐に出た。山頂直下で鳥居峠からの道を合わせると、新しい木の階段の登りが始まった。
 四阿山の山頂には、信州祠と上州祠が置かれている。山頂といっても岩尾根状で狭いため、登山者が多いと腰を下ろす所を見つけるのに苦労しそうであるが、時間も遅いためか、数人しか山頂にはいなかった。8月の第一日曜日の日本百名山としては、意外な静けさであった。さっそく待ちかねたビールの栓を抜いた。
 四阿山の山頂は、祠のある南峰と三角点の置かれている北峰に分かれている。北峰を通る登山道は、浦倉山を経てバラキ高原嬬恋スキー場に続いている。先回は鳥居峠からの往復であったので、北峰には登っていない。皆が休んでいる間に、北峰を往復した。
 下山は、中四阿への道に進んだ。山頂直下は、急な下りが続いた。中四阿手前の鞍部は、風の吹き上げが気持ちよかった。中四阿からは幅広の尾根になり、ここも花が多かった。日差しがきつく、暑さに耐えながらの下りになった。尾根の途中にあるはずの三角点は見つからないままに通過した。木々の間が芝地を敷き詰めたような疎林帯が広がるようになって、牧場の一画に到着したことを知った。登山道が右にトラバースするようになると、大明神沢の 徒渉点に出た。冷たい水を飲んで生き返った。しばらく遅れた子田先生と田村君を待ったが、到着しないうちに、雷が遠くで聞こえるようになった。雨にあたるのもいやなので、駐車場で待つことにした。左下に牧場の厩舎を見ると、林道に飛び出した。駐車場はどちらかと一瞬迷ったが、右が正解であった。
 牧場の売店で、さっそく牛乳を飲み、着替えをしていると、遅れた二人も到着した。さらにソフトクリームを食べてから牧帰路についた。北軽井沢に皆を送った後、月曜日に仕事があったため、ひと足早く帰宅することにした。菅平に戻る途中、雷混じりの豪雨に合い、一旦は止んだものの、柏崎付近で再び雷雨となり、高速道の上で怖い思いをした。

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