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白山、別山


【日時】 2002年7月27日(土)〜281日(日) テント泊1泊2日
【メンバー】 単独行
【天候】 27日:晴 28日:晴

【山域】 白山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 御前峰・ごぜんがみね・2702.2m・一等三角点本点・石川、岐阜県
 大汝峰・おおなんじみね・2684m・なし・石川、岐阜県
 別山・べっさん・2399.4m・二等三角点・石川、岐阜県
【コース】 登り:砂防新道 下り:チブリ尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 金沢/越前勝山、白山/加賀市ノ瀬、白山、越前勝山
【ガイド】 アルペンガイド「白山と北陸の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「白山」(昭文社)
【温泉】 白山天望の湯 650円

【時間記録】
7月26日(金) 17:00 新潟発=(北陸道、金沢西IC、R.157、白峰、白山公園線 経由)=22:00 市ノ瀬  (テント泊)
7月27日(土) 5:00 市ノ瀬=5:20 別当出合〜5:23 発―5:56 中販場〜6:08 発―7:09 甚之助避難小屋〜7:14 発―7:32 南竜分岐〜7:37 発―7:49 エコーライン分岐―8:02 南竜ヶ馬場〜9:14 発―9:58 アルプス展望台―10:41 平瀬道分岐―10:56 室堂〜11:05 発―11:35 御前峰〜11:56 発―12:28 血の池分岐―12:34 十字路―12:52 大汝峰〜13:00 発―13:11 十字路―13:15 血の池分岐―14:06 室堂〜14:15 発―14:26 弥陀ヶ原分岐―14:58 エコーライン分岐―15:15 南竜ヶ馬場  (テント泊)
7月28日(日) 4:54 南竜ヶ馬場発―5:14 赤谷徒渉点―5:53 油坂ノ頭―7:17 別山分岐―7:27 別山〜7:30 発―7:40 別山分岐―7:44 御舎利山〜7:59 発―8:51 チブリ尾根避難小屋〜8:56 発―10:01 水飲み場標識〜10:15 発―10:51 猿壁堰堤―11:15 市ノ瀬=(往路を戻る)=17:20 新潟着

 白山は、富士山、立山と並んで古来日本の三名山とうたわれ、霊峰としてあまねく知られている。白山火山帯の主峰である白山は、御前峰(2702m)、大汝峰(2684m)、別山(2399m)の三峰から成り立ち、手取川(石川)、九頭竜川(福井)、長良川(岐阜)、庄川(富山)の四大水系の分水嶺を形成している。最高峰の御前峰の頂上に祀られた「白山奥宮」は、全国各地に分布する三千余の白山神社の総根元社である。
 白山に日本百名山巡りとして登ったのは、1993年8月5日のことであった。立山、剣岳、大日三山を2泊3日で歩いた後、まだ休みが残っているということで、登山口が比較的近い大白川ダムより日帰りで登った。直前の剱岳の印象が強かったためか、日帰りの駆け足山行によるものか、花は多いという感じは残ったものの、一山かせいだという以上の特別な思いは残らなかった。白山が気になるようになったのは、その後、北アルプスの山に登って、夕暮れ時に雲海の上に浮かび、夕日にシルットとなって浮かぶ姿を眺めてからであった。さらに、白山周辺部に位置する、人形山、大門山、笈ヶ岳、取立山、経ヶ岳、大日ヶ岳、野伏ヶ岳などに登ることによって、その中心部である白山をじっくりと味わってみたいという気持ちが高まってきた。
 一週前の飯豊山行は、梅雨が明けきらず、雨の中の山行になり、お花畑を充分に楽しむことはできなかった。ようやく梅雨もあけて、この週末は、快晴の山が期待できた。金曜日に、仕事場を早退できる用事が入り、遠出をするにも時間的な余裕が出そうであった。北アルプスよりも遠く、なかなか行く機会の生まれない白山に出かけることにした。
 新潟から金沢までの高速道の運転は、長く感じられた。昨年、夏の医局旅行で、白山スーパー林道を通っているので、鶴来あたりは様子が分かっていた。手取湖沿いの道から、市ノ瀬への道に入った。一部道幅が狭い所もあったが、思ったよりも良い道が続いた。
 市ノ瀬に到着すると、点滅棒を持った整理員がおり、別当出合への道は、交通規制がかかって通れないことを低姿勢で説明してきた。この週末の交通規制のことは当然知っていた、というよりは、それに伴って運行されるシャトルバスが目当てであった。下山は別山からチブリ尾根を経由するつもりであったので、仮に通行可能であったとしても、市ノ瀬の駐車場に車を停める必要があった。市ノ瀬到着が11時であったので、少し急げば、10時の規制開始時前に通過することもできたかもしれない。シャトルバスは、朝5時が始発というのも、登山のためには都合が良かった。通常の路線バスでは、このような早い時間にはバスを走らせてはくれない。
 ビジターセンター奧の駐車場は混み合っているようだったので、少し戻った所のキャンプ場兼駐車場に入ることにした。草地の広場になっており、テントを張って寝ることができた。静かな夜を過ごしたが、明け方から到着する車も多くなった。4時に起きて、車を奧の駐車場に移動させた。整理員が一台一台車の停める場所を指示していた。急いで出発の準備を整え、バス停の列にザックを並べた。トイレに行くと、大の方は、長い行列ができていた。後ろに並んだ登山者から、私の70リットルザックを見て、「大きな荷物ですね」と声が掛かった。見ると、皆日帰り荷物の軽装であった。別当出合いから御前峰までのコースタイムを考えると、始発のバスを持つ者は、日帰り登山が充分可能であった。室堂泊であったなら、そう早出をする必要はないことになる。バス停の列は長く伸びていたが、4台目のバスに乗ることができた。6台程のバスがピストン輸送を行うようであった。
 幸い座ることができたが、膝に載せたザックが重たかった。つづら折りの道が続き、高度も一気に上がった。別当出合までは思ったよりも遠く、20分を要した。バスの料金は400円であった。
 別当出合は、休憩所が設けられ、広場には大勢の登山者が出発の準備をしていた。広場の奧に白山登山道の見取り図のレリーフが置かれ、その左手から観光新道が始まっていた。今回は、まず南竜ヶ馬場に入ってテントを張り、身軽になって御前ヶ峰を目指す予定であったので、砂防新道に進んだ。右奧に向かって坂を下っていき、別当谷を吊り橋で渡ると、尾根沿いの登りが始まった。歩き始めは登山者も多かった。ザックは重かったが足は快調で、次々に追い抜いていった。道は良く整備されており、急斜面はジグザグを切ってあるため、それ程苦にはならなかった。見晴らしのあまり利かない道であったが、その分、高度を上げるのに専念できた。薄曇りの空が広がっていたが、朝から気温が高くなっており、すぐに汗だくの登りになった。
 谷奧に砂防工事の現場を眺めることができるようになると、最初の目標地点の中飯場に到着した。トイレと水場が設けられていた。このコースは随所に水場が設けられているため、水は多くは持つ必要は無かった。中飯場から先で林道を横切って登りを続けていくと、谷奧の砂防工事の現場は眼下に遠ざかっていった。登山道脇には、白いセンジュガンピの花も現れ、花の期待が膨らんだ。
 太陽が昇るに連れて、薄曇りの空も晴れわたり、暑い日差しが照りつけるようになった。甚之助避難小屋の前の広場では、大勢の登山者が休みをとっていた。ここにも水場が設けられており、美味しく飲んだが、トイレの前にあり、漂ってくる臭いがすこし気になった。
 甚之助避難小屋からひと登りすると、南竜分岐に出た。登山道の周囲には、ハクサンフウロ、イブキトラノオ、カライトソウ、シモツケソウのお花畑が広がり、谷向こうには別山がその姿を現した。眺めを楽しみながらひと休みした。砂防新道を左に見送り、トラバース気味に進んでいくと、眼下に台地が広がって、南竜ヶ馬場の山荘が目に飛び込んだきた。南竜ヶ馬場は、御前峰と別山との間の鞍部で、湿原が広がり、思っていた以上に開放的な所であった。尾根の張り出し部を越えると、緩やかな下りに転じた。左にエコーラインの道を分けて、花を眺めながらのんびり歩いていくと、南竜荘に到着した。
 まずは、テン場の受付をした。一人400円であった。沢を渡り、別山へ続く道を右に分けて少し登った所が、キャンプ場になっていた。貸しテントやキャビン、炊事棟、トイレが並んでいる大規模なキャンプ場であった。振り返ると、南竜荘の背後に、御前峰への山の斜面が広がっていた。まだ朝のうちでもあり、キャンプ場はがら空きであったので、良さそうな所を選んでテントを張った。今年のテント泊はこれが5回目になるが、ソロテントの出番はこれが最初で、いよいよ夏山シーズンの開幕ということになる。
 食事をとってひと休みをした後、軽装で御前峰に出かけることにした。どのようなコースをとるか迷ったが、展望歩道を登り、エコーラインを下ることにした。展望歩道は、キャンプ場下の沢を渡った所から始まっていた。山姥谷に沿って湿原が広がり、その中の木道歩きしばらくが続いた。谷がせばまり、沢の源頭部を横断すると、ひと登りで尾根の上に出た。オオシラビソの林の中の登りが始まった。展望の開けたところから振り返ると、南竜ヶ馬場は眼下に、その向こうに別山が招くかのように山頂を見せていた。樹林帯を抜けると、周囲はお花畑となり、展望が広がった。右手には崩壊地が荒々しい三方崩山が姿を見せていた。その手前に長く横たわる尾根が、先回登りに使った大倉尾根のようであった。遠く雲海の上に浮かぶのは、御嶽山、乗鞍岳、槍・穂高連峰に始まる北アルプス連峰のようであった。お花畑には、カライトソウ、シモツケソウ、イワオウギ、ハクサンフウロ、タカネマツムシソウの花を見ることができた。
 展望やら花を見るために足が止まってしまったが、すぐ先で、アルプス展望台に出た。展望盤が置かれており、練習問題の正解合わせになったが、自分自身の山岳同定は誤っていなかったことを確認することができた。写真を撮りながら登っていくと、ミヤマクロユリの群落が現れた。ミヤマダイジモンジソウ、ミヤマリンドウ、モミジカラマツといった花が次から次に現れてきた。白山に咲いている花を丹念に撮影していけば、それだけで高山植物の図鑑が完成しそうであった。
 大倉尾根の合流点が近づくと、ハイマツの広がる台地に出た。ロープで仕切られた登山道の続く先に、御前峰の山頂がドーム状の山頂を見せていた。ハイマツの縁には、イワギキョウが花を開いていた。展望歩道は、数人とすれ違っただけであったが、大倉尾根を上がってきた平瀬道に合流すると、登山者も多くなった。残雪の縁に広がったハクサンコザクラの花を眺めながらトラバース気味に進んでいくと、室堂に到着した。
 室堂には、大勢の登山者が休んでいたが、広場が大きいのと、日差しを避けて軒下に集まっているため、混雑しているという印象はなかった。先回白山を訪れてから室堂の建物は改築されているので、中をのぞいてみると、郵便局が店を開いていた。切手など買いたいものがあったが、持ち帰ることを考えると、買い控えるしかなかった。後で考えたら、郵送すれば良かったのであった。カウンターは、宿泊客の受付で混み合っていた。広場の先の、祈祷殿を覗いてみると、お札を始め、登山記念グッズを売っていた。あれこれと散財することになったが、少しは御利益があるかもしれない。
 御前峰までの急登は、行き交う登山者で賑わっていた。登るにつれ、室堂の建物の赤い屋根が眼下に遠ざかっていった。そう長い登りではないが、息が切れてきた。登りに疲れて座り込んでいる登山者も多かった。右から回り込むように山頂に到着した。山頂の最高点手前には、白山比眸神社奧社が置かれていた。まずは、お参りのために手を合わせた。丁度昼時ということで、山頂は賑わっていた。少し先に進んだところの大汝峰と池の眺めの良い所で腰を下ろした。待ちかねたビールの栓を開けた。日差しはきつく、ビールは腹にしみいった。あまりの暑さにズボンの裾をまくり上げて半ズボン状態にしていたが、日焼けのため臑がピリピリ痛んできたので、再びズボンの裾を下ろした。
 ひと休みの後、池めぐりコースに進んだ。ガレ場を下っていくと、剣ヶ峰の下の油ヶ池と紺屋池の縁に出た。残雪が池の縁を彩っていた。翠ヶ池を眺めながら緩やかに登っていき、血ノ池を回り込むと、大汝峰への分岐に出た。先回は天気も悪かったことから登っていなかったので、大汝峰に寄っていくことにした。
 ハイマツの中を抜けていくと、大汝峰へのガレ場の登りが始まった。踏み跡が乱れているところもあり、コースを注意深く見定める必要があった。急登ではあったが、思ったよりも短い時間で大汝峰の山頂に到着した。大汝峰の山頂は、広い台地状で、石垣の中に大汝峰神社のお堂が置かれていた。大汝峰からは、御前峰の眺めを楽しむことができたが、ガスが上がってきて、北に続く縦走路の先を眺めることはできなくなっていた。大汝峰下部のガレ場を注意深く下り、あいかわらず残雪に覆われた千蛇ヶ池を眺めた後、お花畑コースに進んだ。大きく回り込んでいく道は、少々遠く感じられた。
 室堂に戻ったところで、水を飲んで元気を取り戻した。ひと休みの後、下山に移った。岩がゴロゴロした五葉坂を下っていくと、登ってくる登山者と多くすれ違った。山では登り優先であるが、登ってくる者は草臥れて足が止まる寸前となり、下り優先の状態になった。坂を下った所のエコーラインとの分岐付近では、大勢の登山者が休んでいた。日差しがきつく、室堂までの登りは大変そうであった。エコーラインに進むと、阿弥陀ヶ原の中に続く木道歩きになった。木道が終わると、山の斜面のつづら折りの下りになった。良く整備された登山道で、花を眺めながら気楽に歩くことができた。
 南竜ヶ馬場に戻ると、キャンプ場はテントで埋まっていた。キャンプ場でもビールを売っており、持ってきた二本目を飲み終えた後、もう一本買ってしまった。夕食はハム入りチキンライス、コーンスープ、ミニトマトのメニューであった。食事を終えてすることもなくうとうとしていると、すごい星空だという声が聞こえてきた。テントから頭を出すと、空一面に銀砂を振りまいたような星空が広がっていた。夜遅くまでテント場では宴会が続いていたが、広いためかそれほどうるさいという感じはしなかった。夜中にトイレのために外へ出ると、月が出て、星は光を失っていた。月明かりで、ヘッドランプを付ける必要も無いほどであった。
 テン場では、3時頃からごそごそし始める者がいて、目を覚ましてしまった。軽くパンをつまんでコーヒーを飲んで朝食とした。手早くテントを撤収して、薄明るくなったキャンプ場を後にした。
 木道が敷かれた湿原を抜けていくと、谷に向かっての下降が始まった。沢の源頭部を越すと、急な尾根の登りが始まった。油坂というようだが、細かくジグザグが切られており、見た目よりは快調に登ることができた。登るにつれて朝日に輝く御前峰の山頂が姿を現してきた。下山してくる5名程のグループとすれ違ったが、御来光を眺めにこの上の油坂ノ頭まで登ってきたとのことであった。
 油坂ノ頭に上がると、別山に続く縦走路の眺めが広がった。緩やかに起伏しながら続いていく縦走路の左側は切り落ちており、アルペン的な風景が広がっていた。谷には残雪が残り、草付きにはお花畑が広がっていた。この油坂ノ頭から別山の間は、今回歩いた中でも、展望や花を楽しむことのできる区間となった。天池を過ぎると、痩せ尾根の登りになった。左手はガレていたが、すぐに灌木帯の中の登りになり、危険というほどではなかった。尾根の左手を巻くようなお花畑のトラバース道になると、御舎利山の山頂が目の前に迫ってきた。
 御舎利山の山頂に直接上がるコースは植生復元のために立ち入り禁止となり、左手から回り込んで、南の肩部に上がるように登山道が付け替えられていた。荷物を置いて空身で別山に往復してくることにした。分岐のすぐ先に石室があった。稜線を辿っていくと、10分ほどで別山に到着した。ここにも祠が置かれていた。別山の山頂からは、御前峰の眺めを楽しむことができ、雲海の上には、北アルプスの山並みが浮かんでいた。三ノ峰方面から一団の登山者が登ってきたので、賑やかになる前に山頂を後にした。
 分岐に戻り、ザックを背負って、御舎利山の山頂に登った。チブリ尾根は、御舎利山の山頂から始まるので、このピークに登らないわけにはいかない。別山からの眺めでは、御舎利山が御前峰の前衛となって展望を一部遮っていたが、ここからは遮るもののない展望が広がっていた。太陽の光も強さを増し、空の青さが増してきた。眺めを楽しみながら、腰を下ろした。
 御舎利山からのチブリ尾根の下りは、急降下になった。重力に逆らって足元に力を入れる必要があり、汗が噴き出してきた。日差しを遮るものも無いため、暑さが堪えてきた。眼下には、チブリ尾根避難小屋の赤い屋根が見えていたが、そこまではかなりの距離がありそうであった。登りよりも辛い下りになった。樹林帯の中に入っても、蒸した感じでたいして涼しくはならなかった。下っていく途中、登りの登山者とすれ違ったが、この暑さの中、山頂をめざすのも大変そうであった。人ごとではなく、自分自身も、この尾根を無事に下ることができるか心配になってきた。
 チブリ尾根避難小屋に到着し、小屋の日陰に腰を下ろして休んだ。御前峰と別山の眺めは、ここでお別れになった。小屋の先で、池の脇を通り過ぎると、笹原の広がる尾根の下りになった。ガスがかかって展望は閉ざされるようになった。幸い涼しくなってきて、ほっとひと息つくことができた。下っていくと、ブナ林が広がるようになってきて、木陰の歩きが続くようになった。
 水飲み場標識に出て、コップを片手に、沢に水を汲みにいった。何杯も心ゆくまで水を飲んだ。その先は、何ヶ所かで枝沢が入り込んでおり、水場には不自由しない状態になった。水場から下では、ブナの木も、一層太いものが目立つようになってきた。トチノキの巨木も混じっていた。ここのブナ林は、坪田氏の「ブナの山旅」でも最高位にランクされている。別山の山頂を目指すとも思えないハイカーも入山していたが、このブナ林の見物を目的としていたのだろうか。
 堰堤が近づいてくると下りもようやく終わって、林道に飛び出した。ここが猿壁と呼ばれる地点のようであった。ここからは、強い日差しに絶えながらの林道歩きがしばらく続いた。市ノ瀬に戻ってみると、まだ昼前のためか、駐車場は車で埋まったままであった。
 夏山シーズンの真っ盛りであったが、コースの関係か、意外に静かな歩きを楽しむことができ、花の白山を堪能することができた。先回の山行は、日本百名山のピークハントにしかすぎなかったが、今回ようやく白山の魅力を味わうことができたと思う。白山周辺には、昔の登拝道の越前・加賀・美濃の禅定道が今も登山道として残されている。いずれもロングコースであるが、機会があったならば、歩いてみたいものである。

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