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頼母木山、北股岳


【日時】 2002年7月20日(土)〜21日(日) テント泊1泊2日
【メンバー】 テクテク会(とんとん、えび太、ホッキョククマ、Akira)
【天候】 20日:曇り時々晴 21日:雨

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 頼母木山・たもぎやま・1730m・なし・新潟、山形県
 地神山・じがみやま・1849.6m・二等三角点・新潟、山形県
 扇ノ地神・おうぎのじがみ・1889m・なし・新潟県、山形県
 門内岳・もんないだけ・1887m・なし・新潟県、山形県
 北股岳・きたまただけ・2024.9m三等三角点・新潟県、山形県 
【コース】 登り:丸森尾根 下り:梶川尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/長者原、飯豊山、えぶり差岳
【ガイド】 飯豊・朝日連峰を歩く(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭文社)
【温泉】 梅花皮荘 500円

【時間記録】
19日(金) 8:00 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、玉川 経由)=10:00 飯豊山荘  (テント泊)
20日(土) 4:45 飯豊山荘発―6:48 水場〜6:56 発―8:49 丸森峰〜9:05 発―9:58 地神北峰〜10:17 発―10:53 頼母木山〜11:02 発―11:12 頼母木小屋  (テント泊)
21日(日) 5:28 頼母木小屋発―5:47 頼母木山―6:12 地神北峰―6:30 地神山―7:11 扇ノ地神〜7:16 発―7:34 門内岳―8:19 北股岳〜8:29 発―9:10 門内岳―9:35 扇ノ地神〜9:45 発―10:21 梶川峰―10:58 五郎清水〜11:07 発―11:36 滝見場―12:09 湯沢峰〜12:30 発―13:40 飯豊山荘=(往路を戻る)=17:30 新潟着

 北股岳は、飯豊連峰第3位の標高を持つ山であり、縦走路の他に石転び雪渓や湯ノ平からの登山道がこの山に上がってきており、飯豊連峰北部の要所になっている。飯豊の主稜線は、北股岳から北に向かって次第に高度を下げながら、門内岳、扇ノ地神、地神山、頼母木山、大石山と続き、杁差岳で最後の盛り上がりを見せて終わっている。
 今年の海の日の連休も飯豊に出かけることになった。山の記録を振り返ってみると、これで5年連続の飯豊通いとなる。海の日の連休は、梅雨明けを待ちかねた登山者が繰り出して、山は大賑わいとなる。わざわざ遠くの山に出かけて大混雑にあうよりは、花の盛りの飯豊に出かけた方が楽しめる。山小屋はともかく、山自体は、北アルプス方面とは違って、大混雑というわけではない。テント泊で出かけるにはうってつけの山である。
 昨年に続いて、とんとん一行と飯豊に出かけることになった。昨年は、飯豊本山と大日岳に登ったので、今年は北股岳が目標になった。丸森尾根を登り、梶川尾根を下る計画を立てたが、そのついでに、頼母木山まで足を延ばすことにした。頼母木山は、昨年の杁差岳登山の際に、頼母木小屋に泊まりながら、翌日の強風のためにそのまま下山してしまい、登らず仕舞いになっている。
 7月に入って、毎週のように台風が日本に上陸した。太平洋高気圧の勢力が弱いようである。梅雨明けも遅れて、週末の天気予報は、曇り時々雨というものであった。山行が危ぶまれたが、幸い、金曜日の夕方は青空が広がり、山歩きの期待が膨らんだ。
 集合は、飯豊山荘の駐車場に朝4時ということにした。夜中に家を出るのは辛いので、前夜に登山口に入るつもりであったが、とんとん一行も前夜発にするという。飯豊山荘前に到着して駐車場をみまわすと、まだ到着していないようであった。雨も降りそうもなかったので、テントを張って寝た。目を覚まして支度を始めていると、とんとん一行が現れた。前夜の11時頃に到着したが、そのまま寝てしまったとのことである。
 観光バスから20名ほどの中高年の団体が下りてきて、出発の準備を始めていた。女性の方が多い集団であった。20台程の車が停められていたが、駐車場には余裕があった。
 今回の参加者は4名であったので、テントはひとつで済み、食事も凝らなかったため、分担する共同装備もそれほど多くはなかった。装備の分担や朝食のために、出発は、予定の4時30分を僅かに過ぎてしまった。
 丸森尾根の登り口は、飯豊山荘の玄関前にある。林道歩きなどの準備運動無しに、いきなりの急登が始まる。丸森尾根を登るのは、1992年6月20日以来ということになる。この時は、北股岳に登って梶川尾根を下るという日帰り山行であった。今回は、ほぼ同じコースを二日に分けて歩くことになった。しかし、テント泊の荷物が多くなるので、どちらが楽かとは、簡単にはいえない。まずは、丸森尾根を重荷を背負って登りきれるかが問題であった。夏山でテント泊縦走を予定しているので、まずはその予行演習という意味もあった。
 歩き出しは、少しゆっくり目に足を運んだ。木の根を足がかりにするような急登が続いたが、とんとんもバテることなく後についてきた。お喋りが止むと赤信号だが、快調に口も動いていた。昨晩は星が出ていたが、雲がたれこめる朝になった。雨粒が落ちてきて、またかと思ったが、幸いすぐに止んでくれた。気温が上がり、蒸した状態になった。汗がしたたり落ちた。ズボンの中で熱気がこもり、裾をまくり上げて半ズボン状態にして歩き続けた。痩せ尾根の所々で展望が開け、足を止めて眺めを楽しんだ。かなり登った後でも、玉川沿いの林道が足元に見えていた。
 ゆっくり歩いたつもりであったが、30分程前に出発していった団体に追いついてしまった。列も伸びきっており、追い抜かせてもらった時は、その長い列の脇を一気に通り過ぎたため、体力に赤信号がともった。「急行が行きます」と声をかけられても、テント泊の荷物とあっては、準急程度といったところである。この時が、この日で一番辛い登りになった。さらにその先で、おばさん二人連れを追い抜くことになった。
 順調に登りを続けて、水場に到着した。コースタイム通りで、ペース配分の予想が付けやすくなった。コップを持って水場に急いだ。水場までの距離として、標識には30なにがしと書かれていたが、肝心の単位が読めなかった。すぐ近くにあり、30秒のようであった。コップに水を汲み数杯飲み干した。美味しかったが、期待した程は冷たくなかった。草付きからしみ出すような水で、気温の上昇と共に暖まってしまったようである。二人連れと団体が到着したのと入れ違いに出発した。
 水場からは、再び急な登りが始まった。尾根の途中でガレ場も現れ、足元に注意をする必要があったが、周囲の展望を楽しむことができた。雲が切れ始め、玉川左岸の県境稜線と、その向こうに広がる朝日連峰の姿を眺めることもできた。苦しい登りが続いたが、稜線も次第に近づいてきた。天気の回復がなによりの励ましになった。
 丸森峰に上がると、周囲の展望が一気に広がった。目の前に地神山を中心として飯豊の稜線が横に長く広がっていた。緑の山肌と谷を埋める残雪が美しいコントラストを見せていた。飯豊ならではの風景であった。杁差岳 も姿を現し、山頂の小屋も見分けることができた。稜線まではすぐそこの距離のように見えるが、コースタイムを見ると、1時間近くはかかるようで、もうひと頑張りする必要があった。ここまで登れば急ぐ必要はないということで、眺めを楽しみながら腰を下ろした。雲が流れて、青空も広がるようになった。天気予報は外れたようだが、晴になったというなら、文句は出ない。
 おばさん二人連れが到着したのを期に、腰を上げることにした。このおばさん達は、頼母木小屋に泊まり、杁差岳に登り、明日は北股岳に登って梶川尾根を下るという。なかなかの健脚のようであったが、丸森尾根の急登にはまいったといっていた。
 丸森峰からは、トラバース気味に緩やかに登っていく道になった。周囲には、チングルマ、ヨツバシオガマ、ハクサンコザクラ、コバイケイソウ、ミヤマキンポウゲが咲くお花畑が広がっていた。振り返ると、途中で追い越した団体も丸森峰に到着したのが見えた。
 最後に急な登りを終えると縦走路との合流点になる地神北峰に到着した。北には頼母木山と杁差岳の眺め。南には地神山から扇ノ地神のつらなりを眺めることができた。二王子岳は目の前にあり、日本海の海岸線や粟島。新潟東港の火力発電所も見分けることができた。東北きっての深山の飯豊の山頂から海が見えるというのもちょっと不思議な感じがする。一同眺めに見入ってお喋りもひと休みとなり、静かな時が過ぎていった。
 登りにさんざん汗を流したというのに、風が強く、体が冷えてきたので歩き出すことにした。流れる雲を見ると、黒雲もあって、天気は下り坂のようであった。頼母木小屋か門内小屋のどちらに向かうか迷うことになった。翌日荒天になった時のことを考えると、門内小屋に泊まった方が、北股岳の登頂は確実になる。昨年の杁差岳山行の時の縦走路をつなげるために頼母木小屋に泊まりたかった。もうひとつの理由は、頼母木小屋には水が引いてあるので、昼食用に準備してあったソウメンを冷やすのに都合が良いという点があった。昨年の頼母木小屋に泊まった翌日の強風のもとでの下山を思い出さないわけではなかったが、頼母木小屋に向かうことにした。
 地神北峰からは急な下りになり、頼母木山へは緩やかな登りになる。登山道の周囲にはニッコウキスゲやイイデリンドウのお花畑が広がっていた。ひと登りした頼母木山の山頂ではお地蔵様が出迎えてくれた。頼母木山からは、鉾立峰を従えた杁差岳が重厚な姿を見せていた。杁差岳の眺めは、頼母木山付近からが一番見応えがあるのではないだろうか。ニッコウキスゲの咲く草原を下っていくと、頼母木小屋に到着した。
 思ってもいなかったことに、期待していた水が出ていなかった。管理人は、パイプの修理に出かけていた。昼前ということで、まだテントは他に張られていなかった。一番良さそうな所を選んでテントを張った。団体の他に到着する登山者も多く、小屋は満杯状態になった。団体は、ひと休みの後に、杁差岳往復に出かけていった。帰るのは、5時頃になろうか。戻ってきた時に、場所取りでトラブルが起きそうであった。
 風が冷たいので、暖かいソーメンでも良いだろうということになって、煮たままで食べることにした。これはこれで、なかなか美味しかった。ガスが上がってきて杁差岳も見えなくなっていった。午後は、のんびりとお喋りですごし、5時には夕食の支度を始めた。今回の夕食のメニューは、回鍋肉、ドライカレー、卵スープ、ミニトマトであった。キャベツ半個は回鍋肉4人前には多かったので、余った分は卵スープに入れて煮たが、結構美味しかった。赤ワインを持ってきたが、ドライカレーを食べた後で飲んだら、舌が変わっておかしな味になったという。こちらはビールだったので、問題はなかった。
 食事の支度の最中、小屋の中からは怒鳴り声のようなものが聞こえていた。寝る場所がなくなって、喧嘩になっていたのかもしれない。食事を終えて休んでいると、テントの入口をよろめいて通り過ぎ、テントにぶつかっていった者がいた。通路は避けてあり、三つ並んだテントの間を通る必要はない。不審に思って外に出てみると、誰もいなかった。連れらしき者が小屋から出てきて笹に覆われた崖を覗き、そこに落ちていた酔っぱらいを助け上げた。べろべろに酔っており、ズボンの前も濡れていた。なだめすかして小屋に連れ戻していたが、小屋の中がどのような状態になったかは想像もしたくない。海の日がらみの連休は、飯豊の避難小屋には泊まるべきではない。
 7時過ぎには眠りについたが、杁差岳往復で遅くなった団体が、小屋の外で宴会を8時過ぎまで行っていたのがうるさかった。いつしか眠りについて、12時過ぎにトイレで外に出てみると、雲は高くなり杁差岳は黒々としたシルエットを見せていた。小国と中条あたりであろうか、町の灯りが見えていた。晴れていれば、日本海にうかぶイカ釣り船の灯りも眺めることができるのだが、目をこらしても闇が広がっているだけであった。夜中にテントの外に出るのは生理現象ではあるのだが、そのついでに眺める夜空はテント泊ならではの楽しみである。その後、雨がぱらついたがすぐ止んだ。隣のテントが3時頃から起き出したため、目が覚めてしまった。天気予報通りに、雨が降り出し、雷も鳴る騒ぎになった。雷が通り過ぎるのを待つことした。
 朝食をとり、出発の準備をしていると、雷は遠ざかっていった。雨は小降りになったが、雨具を着込んでの出発になった。雨が小止みになったところで、テントを撤収し、出発することにした。頼母木小屋に泊まると荒天になるというジンクスができてしまったかどうかは、次の回にかかっているようである。
 風は吹いていたものの、稜線歩きに支障のない程度であった。展望もガスに閉ざされているため、黙々と歩き続けた。頼母木山を越し、地神北峰への登り返しも、ひと登りという感じであった。地神山から扇ノ地神の間は、登山道をハイ松がかぶり気味になった。この区間は、歩く者が少ないようである。
 時折、誰からか、ガスが切れてきて明るくなってきたという声が上がった。その都度期待は裏切られて、結局ガスは晴れはしなかった。足元を見続けた後に、空に目をやると、明るく感じるのが原因のようであった。北股岳や二ツ峰の眺めが美しいところであるが、展望は次の機会を期待するしかなかった。
 梶川尾根が合わさる扇ノ地神にザックを置き、空身で北股岳を往復することにした。扇ノ地神からは、再び登山道が良くなり、体も軽くなったことから、快調に歩くことができた。二重山稜の間に広がる池を見下ろすと、門内岳の避難小屋に到着した。再び雨足が強くなり、軒下に入り込んでひと息つくことになった。
 門内岳の避難小屋の周辺には、美しいお花畑が広がっていた。門内岳の避難小屋のすぐ上が門内岳の山頂である。この山頂に立つのは2000年5月5日以来ということになる。くさいぐら尾根を登り、北股岳から梶川尾根を下る途中であったが、この時は、峡彩ランタン会の冬山合宿の偵察を兼ねていたので、門内岳から北股岳に向かって、磁石の方向を切りながらルートを確認した。今回のところの興味は、この山頂から分かれる胎内尾根であるが、展望が利かないため、偵察の目的は果たせなかった。
 お花畑の広がるギルダ原を足早に進んだ。ニッコウキスゲの群落が谷に向かって広がり、その先はガスに霞んでいた。ヨツバシオガマ、チシマギキョウ、ハクサンフウロの花が風に揺れていた。小ピークを巻くようにして登り下りの後、ひと登りで北股岳の山頂に到着した。途中で、何組ものグループにすれ違ったが、この山頂でも、会話から新潟から来たと思われるグループが休んでいた。
 風が冷たかったので、記念写真をひと通り撮った後、早々に下山に移った。扇ノ地神に戻り、重いザックを再び背負い、梶川尾根の下りにとりかかった。チングルマやミヤマクルマバナの花の咲くお花畑を緩やかに下っていくと、梶川峰の標識に出会った。左に踏み跡があったので、三角点への道と思って入ってみたが、ハイ松の中に終わっていた。地図を確認すると、登山道の右手にあるようであった。歩き出すと、標識のすぐ先で、登山道の右脇に三角点が埋まっていた。梶川峰は、明確なピークではなく、尾根の張り出しにしかすぎないので、標柱の場所については疑問が残る。
 梶川峰を過ぎると、急降下が始まった。登山道が2m程の深さで溝状に削られており、灌木帯との縁を通るのに、転落しないように気をつかう必要があった。高度を下げるにつれ、暑さが増して、蒸れてきた。足元に気を使う下りが続いて、体力を消耗した。
 五郎清水に到着し、冷たい水を飲もうと、コーップを持って出かけた。右手に坂を下ったが、水場はそうとう下のようで引き返した。水は余分に持っていたので、水場は諦めて下山にうつることにして、直進する道に進んだ。急坂で、ロープも掛けられていた。後ろから声が掛かり、これが水場への道であることを教えられた。下りの際には、本来の登山道と水場への道を間違え易いので、要注意である。
 雨は降ったり止んだりであったが、蒸し暑さのあまり、雨具の上を脱ぐことにした。濡れるのが、雨か汗かの違いでしかない。五郎清水から先も、長く感じられる下りが続いた。滝見場を過ぎると、ようやく湯沢峰への登り返しになった。長い下りが続いていたので、登り坂がかえって足休めに感じられた。湯沢峰への登りは、息が切れてひと休みと思う頃に頂上に到着した。
 ここまで下れば、あとひと頑張りということで、昼の休憩にすることにした。本来なら、北股岳の山頂でと思っていたビールの栓を抜いた。長い下りの後のビールは、腹にしみいった。
 湯沢峰からは、最後の頑張り所となった。特に、飯豊山荘の屋根が見えてからは、痩せ尾根の急降下になるため、足元にも注意を払う必要があった。駐車場を目前にした所で、一枚岩の下りが現れた。雨で滑りやすくなっていたため、ロープを掴んでも、おっかなびっくりの下りになった。
 林道に下り立って、長かった梶川尾根の下りも終了した。湯の沢の河原に下りて登山靴を洗った。飯豊の山行は、いつも下山が苦しいように感じられる。
 下山の途中から心は温泉モードに入っており、後かたづけの後、梅花皮荘に向かって車を急がせた。

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