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会津駒ヶ岳・中門岳、帝釈山・田代山
山椒山、長卸山


【日時】 2002年7月6日(土)〜7日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 6日:曇り 7日:晴

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 会津駒ヶ岳・あいづこまがたけ・2132.4m・一等三角点本点・福島県
 中門岳・ちゅうもんだけ・2060m・なし・福島県
【コース】 滝沢口
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐/檜枝岐、会津駒ヶ岳
【ガイド】 アルペンガイド「尾瀬、南会津の山」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津、鬼怒の山50(随想舎)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 帝釈山・たいしゃくさん・2059.6m・二等三角点・福島県
 田代山・たしろさん・1926m・なし・福島県
【コース】 馬返峠コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳/帝釈山
【ガイド】 アルペンガイド「尾瀬、南会津の山」(山と渓谷社)
【温泉】 燧の湯 500円(ボディーシャンプーのみ)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 山椒山・さんしょやま・1088m・なし・福島県
 トヤノ山・とやのさん・1135m・なし・福島県
【コース】 登り:北登山口 下り:テントサイト口
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐/檜枝岐
【ガイド】 南会津、鬼怒の山50(随想舎)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 長卸山・ながおろしやま・1068m・なし・福島県
【コース】 登り:熊野神社口 下り:広瀬の湯口
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐/檜枝岐
【ガイド】 なし
【温泉】 木賊温泉 広瀬の湯 300円(石鹸)、岩ノ湯 200円(なし、混浴)

【時間記録】
7月5日(金) 21:00 新潟発=(磐越道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由 経由)
7月6日(土) =0:10 檜枝岐  テント泊
4:30 林道終点登山口〜4:55 発―5:55 水場―6:48 展望台〜6:52 発―7:12 駒ノ小屋―7:23 巻き道分岐―7:28 会津駒ヶ岳〜7:42 発―7:52 巻き道分岐―8:27 中門岳〜9:00 発―9:29 巻き道分岐―9:33 巻き道分岐―9:40 駒ノ小屋―9:51 展望台―10:22 水場―11:00 林道終点登山口=(林道川俣・檜枝岐線)=12:25 馬返峠〜12:30 発―13:10 帝釈山〜13:15 発―14:07 田代山避難小屋―14:19 田代山〜14:39 発―15:03 田代山避難小屋―16:10 帝釈山〜16:20 発―16:48 馬返峠=(林道川俣・檜枝岐線、檜枝岐、R.352、上ノ原、R.121、会津田島 経由)=20:00 滝原  (テント泊)
7月7日(日) 4:30 滝原=(R.352、穴原 経由)=5:45 宮里大橋〜6:04 発―6:21 高野川分岐―6:48 前山―6:57 山椒山―7:24 トヤノ山〜7:32 発―7:44 トトロ山―8:08 下山口―8:19 宮里大橋=8:31 熊野神社登山口―8:55 熊野神社―9:22 長卸山〜9:51 発―10:10 広瀬の湯登山口―10:20 熊野神社登山口=(穴原、R.352、上ノ原、R.121、湯野上、R.118、芦ノ牧温泉、会津本郷、会津坂下、R.49、会津坂下IC、磐越道 経由)=15:30 新潟着

 会津駒ヶ岳は、山頂に広がる湿原とそこに咲く花のために、全国に数ある駒ヶ岳の中でもトップクラスの人気のある山になって、日本百名山にも選ばれている。山名は、黒馬として現れる雪形に由来しているという。中門岳は、会津駒ヶ岳から北に延びる稜線の先に位置する山である。山頂標識にも、「この一帯を中門岳という」と書かれているように、明瞭な山頂を持つピークではない。会津駒ヶ岳から中門岳に至る稜線は、湿原が広がり、池塘が空を映し、高山植物に彩られて、会津駒ヶ岳の最大の見所になっている。
 田代山と帝釈山は、福島県と栃木県の県境を形作る帝釈山脈にある山である。二つの山をセットにして登ることが多いが、それぞれの山の雰囲気は大きく異なっている。田代山は、山頂部に広大な湿原を持ち、帝釈山は、帝釈山地の最高峰としてオオシラビソに囲まれた深山であるといった異なった特徴を持っている。これまでは、湯の花温泉から林道を辿り、猿倉登山口からまず田代山に登り、そこから帝釈山を往復するというのが普通であった。最近、檜枝岐から川俣にぬける林道を使い、馬返峠から帝釈山に登る登山道が新しく整備され、帝釈山には1時間ほどで登ることができるようになった。
 木賊温泉は、南会津を代表する鄙びた温泉場として人気が高い。山椒山は、木賊温泉を流れる西根川右岸にある山である。山椒山とトヤノ山を結ぶ周遊コースが開けれており、ブナやミズナラの大木を眺めながらの山歩きを楽しむことができる。
 長卸山は、木賊温泉を挟んで山椒山と向かい合う山である。温泉街からも、そのピラミッド型をした山頂を良く眺めることができる。寛政12年の雪解けによる長卸山の大崩壊をきっかけに、その後、文化6年山頂に石の祠を建て嵐(たけ)祭と称して御神酒を揚げる習わしが、今でも残っている信仰の山である。市販のガイドブックには紹介されていないが、6月始めに山開きが行われている山である。

 梅雨も末期が近づき、天気図が特に気になるようになってきた。土曜日は、台風が朝鮮半島に上陸し、前線が東北北部に延びてくるという。北の天気は悪そうで、南下が正解のようであった。各地の天気予報をみていくと、会津方面は曇りで、登山には支障は無さそうであった。会津駒ヶ岳とセットと考えられる中門岳に登っていないことを思い出して、会津の山巡りに出かけることにした。会津駒ヶ岳以外の計画は、考えていなかったので、二万五千分の一地図の「日光」に属する地図の全てと会津に関するガイドブックを持って出かけることにした。
 檜枝岐方面は、5月の会津丸山岳以来ということになる。先回は、会津高原高畑スキー場の畑をつぶして作った駐車場でテントを張って寝たので、今回もと思って車を走らせた。いざ到着してみると、数ヶ所で白布にライトを当てて、虫を集めていた。電源に照明装置を用意したもので、子供の虫取りとは規模が違っていた。オオクワガタでも集めているのだろうか。煌々と照らされて、とても寝ていられる雰囲気ではなかった。
 野宿のあてが外れたが、檜枝岐の手前で、新しいスノーシェッドと旧道が平行して走っていることを思い出した。スノーシェッドの脇の出口から旧道に出ると、舗装道路と広い路肩帯がそのままになっており、車を停めてテントを張ることができた。国道脇であったが、誰にも邪魔されず静かに寝ることができた。朝になってから名前を確認すると、下大戸沢スノーシェッドとあった。
 翌朝、檜枝岐の集落で、まずバスの時刻表を確認した。会津駒ヶ岳からキリンテに下山しようと思ったのだが。驚いたことに、キリンテを通る便は、日に6本であった。バスの時刻を気にしながらの歩きは面倒になって、林道終点から往復することにした。林道終点の駐車スペースはそう広くないため、麓にも駐車場が設けられている。早朝でもあり、夏山最盛期というわけでもないので、駐車場は空いているはずであった。つづら折りの山道を登っていくと、林道終点の広場に到着した。林道終点といっても、ゲートが設けられ、工事用の林道が先に延びているようであった。すでに何台もの車が停まっており、少し手前の路肩に駐車した。
 まずは朝食を食べて、出発の準備をした。曇り空といっても、雲は薄く、まずまずの登山日和であった。林道脇の木の階段から登り出すことになるが、脇のポストに登山届けを書いて入れた。尾根沿いの道であるが、かなり急な登りで始まる。体調を確かめるため、とりあえずスピードを上げてから、楽に歩け続けることができるところまで下げていった。
 会津駒ヶ岳は、これが三回目の登山になった。最初は、1992年5月30日で、途中からは完全な残雪歩きになった。登山開始二年目で残雪の山の経験も浅く、いまにして思うと、少々無謀な登山であったかもしれない。二回目は、1998年5月30日で、三岩岳への縦走開始のピークとして登った。初めての藪山縦走で、アルコール類をしこたま持ち、テント泊の重荷に苦労した山行であった。三度目ともなると、コースに不安はなく、荷物も軽いので、気楽に登ることができた。
 歩き出してすぐにおばさん二人連れを追い抜いてからは、誰にも合わない静かな歩きが続いた。最近では、日本百名山は混雑がひどくてうんざりといった経験をすることが多いが、早朝発なら静かな山歩きを楽しむことができる。山が混んでと文句をいうのは、まだ努力が足りない証拠か。一旦傾斜が緩み、周囲のブナ林を楽しむ余裕が出てくる。尾根をからみながらの登りが続いた。水場の標識が出てひと休みというところであるが、疲れも出ていなかったのでそのまま通過した。気温は次第に上がって、汗がしたたり落ちるようになった。台風のせいで、南風が吹き込んでいるようであった。
 周囲のブナ林が美しいといっても、登る身にとっては、見晴らしの利かない単調な登りと感じてしまう。ブナ林を楽しむには、急斜面ではなかなかその余裕は無い。所々で、サンカヨウやミツバオウレンの花を見ては、登りの途中の気を紛らわせた。
 山頂まであと僅かな所で小湿原が現れると、ここには木道が敷かれて、ベンチが置かれている。ようやく会津駒ヶ岳の展望が広がった。会津駒ヶ岳には、まだ残雪の筋が引かれ、駒ノ小屋もすぐそこに見ることができた。登りの苦労が報われる瞬間である。湿原には、ハクサンコザクラやイワイチョウの花を見ることができた。ここからは、カメラを構えながらの、のんびりモードになってしまった。
 駒ノ小屋への最後の登りは、雪解け後の草付きとなり、ハクサンコザクラが咲いていた。写真を撮ろうとしたが、ハクサンコザクラは、風に揺れてうまく撮れなかった。木の階段登りが続き、足が重くなった。駒ノ小屋手前のベンチに人影はなかった。駒ノ大池は半ばが残雪に埋もれていた。駒ヶ岳への山頂にかけては、一部残雪上の登りになった。靴底がすり減った古いトレッキングシューズを履いてきたため、足元が滑りやすく、危なっかしい登りになった。
 稜線歩きの途中からは、女峰山から大真名子山、小真名子山、太郎山、男体山といった日光連山、ドーム状の山頂を突き上げた日光白根山。大きく裾野を広げ、二つ耳をそばだたせた燧ヶ岳を眺めることができた。展望を楽しむため、しばしば足が止まった。中門岳への巻き道を左に分けて、会津駒ヶ岳の山頂をめざすと、ひと登りで会津駒ヶ岳の山頂に到着した。
 これが三度目の山頂で、ようやく周囲の展望を眺めることができた。日本百名山を登り終えたといって、どれほど山のことが判っているものやら。これからも日本百名山の再訪も多いであろう。丸太を三本立てて並べた山頂標識は以前にもあったと思うが、新しい展望図が設けられていた。この展望図は、木の板に絵柄が書き込まれているので、少し古びると読めなくなりそうであった。黒岩山、孫兵衛山、台倉高山といった、名前を見つけて、以前苦労して登った思い出を新たにした。看板の中では、景鶴山だけが登っていない山であった。ベンチに腰を下ろし、朝食をとった。登りの途中は、汗がしたあtり落ちる暑さであったが、山頂を吹き抜ける風は冷たく、山シャツを来た。
 誰も登ってこない山頂を後にして、中門岳に向かった。会津駒ヶ岳の山頂からは、急な下りになったが、その先は残雪に覆われた幅広の稜線歩きになった。草原と残雪のコントラストが美しかった。
 右手には、大戸沢岳を経て三岩岳へ続く稜線が緩やかな起伏を見せていた。この稜線も、ヤブコギで苦労した思い出がある。ガイドブック「南会津・鬼怒の山50」の会津駒ヶ岳を分担執筆した白石さんとの初めての山行であった。その後、白石さんや室井さんにお世話になって、この一帯の山を登ってきたが、ひとつの転換期となった山行であった。
 三岩岳の奧には、坪入山から高幽山を経て会津丸山岳に至る稜線、左手には平ヶ岳、正面左手には中ノ岳から越後駒ヶ岳を眺めながらの稜線歩きが続いた。稜線には湿原が広がり、池塘が点在していた。残雪を横断しながらの、なだらかに起伏する稜線歩きが続いた。前方に少し高いピークが現れ、そこが山頂かと思ったら、手前で池の畔に出て、中門岳の標識が立っていた。標識には、「中門岳 この一帯を云う」と書かれていた。大きな池で、水面に映る平ヶ岳が、さざ波に揺れていた。周辺の草原には、ハクサンコザクラが群落となって咲いていた。
 木道はさらに先に続いていたので、歩いてみた。少し先のピークに上がったところで、木道はループを描いて、その先は行き止まりになっていた。山頂標識のある池の畔に戻り、腰を下ろした。時間は早かったが、この美しさを称えて、ビールを飲むことにした。ビールを飲み終え、ほんやりと池を眺めていると、ようやく他の登山者も到着するようになった。静けさが破られ、腰を上げる決心もついた。黄金色に輝く秋も美しいことであろう。また来る機会もあろうか。
 戻る途中では、何人もの登山者にすれ違った。中には、軽アイゼンを履いているものがいたが、余程雪には慣れていないのか。山頂直下の巻き道を通って、駒ノ小屋に下った。小屋の下のベンチは休んでいる登山者で埋まり、賑やかになっていた。
 下りはとばして、昼前には登山口に戻ることができた。檜枝岐の集落に戻り、新しくできた帝釈山の登山道の情報を集めるため、中土合の休憩所に向かった。置いてあった檜枝岐温泉のパンフレットには、帝釈山の登山道が紹介されており、登り1時間とあったので、昼から登ることにした。まずは腹ごしらえということで、大盛りのザルソバ山菜付きを食べた。1000円の贅沢な昼食になったが、名物とあってはしかたがないか。実のところ、つなぎを使わないソバ粉100%の裁ちソバはあまり好きではない。ふのりをつなぎに使った小千谷ソバが一番好きなのだが。
 燧の湯の脇から始まる林道川俣・檜枝岐線に進み、登山口の馬返峠までは40分ほどかかる。林道は、途中から未舗装に変わるが、路面の状態はそれほど悪くはない。ただ、林道を横断して硬質ゴムの板が埋め込まれているので、その都度スピードを緩める必要がある。
 馬返峠は、1998年9月13日に台倉高山を登るために訪れて以来ということになる。その当時すでに帝釈山への登山道は開かれていた。最近になってこの登山道のことも知られるようになってきたようである。峠には、10台ほどの車が停められて、中には、毎日旅行社のマイクロバス二台も混じっていた。登山口には、山開きの横断幕がかかり、明日の7日に山開きが行われるようである。そのために少々無理でも、午後から登ることにしたのだが。再び、登山の準備を整えた。
 帝釈山への登山道は、オオシラビソの中に続いていた。展望も利かず、短時間で登ることができるのが売りの安直コースかと思ったら、林床をオサバグサの群落が埋め尽くしており、これには驚いた。花の時期は遅いようであったが、この群落を知ったことだけでも、来たかいがあったものである。6月下旬頃が最盛期であろうか。花の写真を撮りにまたこようか。
 下山途中の団体に道を譲られて、三十人ほどの脇を一気に抜けると息がきれたが、幸いそのすぐ先が山頂であった。帝釈山の山頂は狭く、数人が腰を下ろすのがやっとであった。これが二度目の登頂であったが、先回の記憶はあまり残っていない。日光方面や、燧ヶ岳、午前中に登った会津駒ヶ岳の展望を楽しむことができた。登山口で少し前に出発していった夫婦連れが田代山に向かって出発していくのを見て、深く考えずに、自分も田代山に向かって歩き出してしまった。帝釈山からの急な下りを続けていく間、往復の時間の計算をした。なんとか5時までには下山できそうであった。
 帝釈山の山頂からは、岩を跨ぎ越しながらの急な下りが続いた。田代山の山頂は雲に覆われていたが、そこまではかなりの距離があった。オオシラビソの林の中の暗い感じの道であるが、ここでもオサバグサの大群落が広がっていた。道はぬかるんで、ズボンの裾は泥だらけになってしまった。途中で行き会う登山者も多かった。
 田代山に向かっての登りを頑張ると、田代山の避難小屋の脇に出た。この小屋は1988年に新しくなったようで、先回登ったのは1992年であったので、見るのはこれが初めてということになる。小屋の前を抜けて湿原に出ると、木道に大勢の登山者が休んでいた。ここらに休んでいるとあっては、帝釈山から登ってきた人達のようであった。湿原にはガスが流れて、見通しが利かなかった。
 木道を辿って、湿原の先に進んだ。湿原には、タテヤマリンドウ、ヒメシャクナゲ、コバイケイソウの花が咲き、ワタスゲの白い毛玉が風に揺れていた。ニッコウキスゲは、咲き始めで、所々に開いていた。田代山の山頂は、広大な湿原が広がった台地で、どこが山頂といったわけではない。猿倉登山口、木賊温泉、避難小屋へと延びる木道の合わさる三叉路に田代山の山頂標識が立てられていた。三叉路脇の休憩用テラスでは、中高年グループが腰を下ろし、かしましくおしゃべりをしていた。
 少し離れた木道の上に腰を下ろした。ガスによって、目の前の池も半ばまでしか見えなかった。喉も渇いたので、山頂でのビールを楽しむことにした。時折ガスが切れて、三岩方面の眺めを眺めることができた。三叉路で休んでいた登山者も、下山を始めた。通りすがりに、ビールを見て、「いいものを飲んでいますね」といって通り過ぎていった。どうやら、この人達は、山頂ではアルコールを飲まない不幸な人達のようであった。しかし、しらふで、よくあれだけ声高に大騒ぎをしているものだ。
 一人だけになったところで、山頂標識の写真を撮り、引き返すことにした。花の写真を撮りながら歩いたが、タテヤマリンドウは、蕾を閉じ始めていた。
 帝釈山への登り返しは、結構辛いものになった。山頂で休んでいると、歩き始めに出会った夫婦連れも帝釈山から戻ってきて、先に下山していった。これで、山頂部に残っているのは、自分だけになったようである。下りは、たいして時間もかからないことから、夕暮れの風景を楽しんでいくことにした。ガスが山腹に広がってきたが、山の頂上部は、その上に姿を現していた。燧ヶ岳が、逆光の中にシルエットを浮かべていた。帝釈山からの下りは、30分もかからず、5時前に峠に戻ることができた。
 檜枝岐に戻り、一番近い温泉ということで、燧の湯に入った。最近改築されて、新しい施設に入るのはこれが初めてであったが、洗い場が8個しかなく、並んで待つ必要があった。露天風呂が売りのようであるが、尾瀬のハイキング客が大勢寄ることを考えると、改築の意味が無いように思われた。
 会津田島に戻り、コンビニで買い物をした。野宿のしやすい場所を考えた。荒海山の登山口にあたる八総鉱山へ通じる林道なら、夜間は車は入らないはずであった。翌日、高土山に登るにも都合が良い。林道に入って、路肩に車を停めてテントを張った。その晩は静かに眠ることができた。
 朝方、テントにあたる雨音で目を覚ました。外にでると、にわか雨のようであった。テントをたたんだものの、周辺の木立は濡れていた。高土山の登山道は、送電線の巡視路を辿るものだが、入口をのぞくと草が倒れ込んでいた。ズボンが濡れるのも面倒なので、計画変更とした。木賊温泉脇の山椒山に登ることにしたが、これは、温泉が目当てでもあった。
 昨日走った道を再び引き返すことになった。木賊温泉は、共同浴場がいまも残り、湯の花温泉と並ぶ南会津を代表する昔ながらの温泉地である。山間の静かな温泉場を考えていたのだが、到着してみると、路肩駐車の車が列をつくり、釣り竿を担いだ釣り人で賑わっていた。渓流釣りの大会の日にあたってしまったようである。西根川にかかる宮里大橋を渡った先で車を停めた。振り返ると、温泉街の上に三角形の山頂を突き上げる山が、目に入った。地図を見ると、これが長卸山であった。ホームページで検索していた時に、舘岩村で山開きをしていることを知って、頭に入れておいた山である。橋の上で、釣りの監視かなにかをしている地元のおじいさんに聞いてみると、登山道は、広瀬の湯の前から始まることを教えてくれた。山椒山の後に長卸山にも登ることにした。
 山椒山へは、橋を渡った先のT字路を左に進む。右に行けば、大宮市立少年自然の家であるが、そちらに下山してくることになる。川沿いの林道を下流に向かって歩いていくと、右手に山椒山への登山道入口が現れた。林道の切り開きは、この登山道に続いているので、間違うことはない。カラマツと杉の植林地をジグザグに登っていくと、尾根沿いの道に変わった。高野川への分岐を過ぎ、中腹コースを右に分けると、急な登りになり、ひと頑張りで前山に到着した。前山の山頂部は、赤松で囲まれた広場になっていた。
 山椒山に向かっては、なだらかな稜線歩きになった。山椒山の頂上は、木立に囲まれて展望もなく、山頂の標識がなければ、そのまま通り過ぎてしまうようなところであった。ここまでの登山道は、急なところにはロープが張ってあり、良く整備された登山道であったが、特に面白いという道では無かった。
 山椒山からは、一旦大きく下り、トヤノ山との鞍部から、ブナやミズナラの大木が現れるようになった。登り着いたトヤノ山は、ブナの木に囲まれて、山椒山の山頂よりも好ましい感じであった。
 トヤノ山からは、北西に落ち込む尾根を辿ることになる。ブナ林を下っていくと、岩が所々露出した細尾根の通過になった。小ピークに出ると、歩いてきた前山から山椒山に至る稜線の眺めが広がった。ここには、トトロ山という標識が掛かっていたが、学校のハイキングコースとして整備されているようなので、昔からの名前なのかどうかは怪しいように思う。滑らないように足元に注意する必要のある、急な下りが始まった。おかげで一気に高度を落とし、林道に飛び出した。登山口脇の松林付近はテント場になっていた。炊事棟の脇を抜けていき、車道を右折すると、歩き始めの宮里大橋に戻ることができた。
 登山の格好そのままで車を動かし、広瀬の湯の前に移動すると、登山口の標識があった。しかし地図を見ると、山頂まではかなりの急斜面が続きそうであった。山開きの案内では、神社脇から登るはずだったので、国道方面に戻って、別の登山口を探すことにした。まずは、歩いて戻る時の参考にするため、車の距離メーターを0にセットした。新屋敷を過ぎ、西に林道が分かれる所の入口に熊野神社と長卸山登山口の標識が立てられていた。林道は進入禁止とあったので、路肩に車を停めて、歩き出すことにした。広瀬の湯からここまでは1kmであったので、歩いて戻るのもそう苦になる距離ではなかった。
 未舗装の林道を歩いていくと、西根川にかかる橋があり、その先に赤い鳥居とお堂が現れた。これが、熊野神社のようであった。登山道の標識に従って左に入ると、石段が現れた。息を切らせて石段の上に登ると、ここにもお堂が建てられていた。こちらが本堂なのか。ここからは、尾根沿いの山道が始まった。しっかりした道で、傾斜もほどほどで歩きやすい道であった。この尾根も美しいブナ林が広がっていた。途中で展望が開けると、木賊温泉と山椒山を眺めることができた。長卸山の山頂が近づくと、急な登りが始まった。木賊温泉からの道を左から合わせると、すぐ先で長卸山の山頂に到着した。山頂は、ブナ林で囲まれていたが、西の木立が切り開かれて、三ツ岩山が頭をのぞかせていた。広場の中央には、小さな石の祠が祀られていた。
 わざわざこの山を目的にくるほどの山ではないかもしれない。しかし、集落背後にそびえる里山の魅力を持った山である。木賊温泉が目的であっても、この山に登ってひと汗かいてからの入浴の方が、気持ちが良くなるであろう。
 長卸山の山頂からは、南西の三角点に向かって道が続いていた。この道経由でも下山できるようであったが、車の回収の問題もあり、広瀬の湯に下ることにした。山頂手前の分岐に戻り、木賊温泉の標識に従って下った。ブナ林に目を配る余裕もない、一気の下りになった。あっという間に畑の脇に下り立ち、車道に出ると、広瀬ノ湯の前であった。
 自動販売機で買ったジュースを片手に、車道歩きを続けると、10分ほどで車に戻ることができた。
 いよいよ温泉巡りということで、まずは広瀬ノ湯に入った。ここは、男女別の公衆浴場で、登山後に体を洗うのに良かった。続く岩の湯は、木賊温泉の名物とも言える露天風呂である。坂を下っていくと、川の脇に小屋がけがあり、露天風呂が設けられている。男女混浴ではあるが、あまりに開放的すぎて、昼間は、女性の入浴は難しいであろう。浴槽は二つあり、上流の方が熱かった。
 温泉に入ってさっぱりし、釣り人も姿を消して静かになった温泉を後にした。

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