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平岩山、大朝日岳


【日時】 2002年6月8日(土)〜9日(日) 前夜発1泊2日
【メンバー】 単独行
【天候】 8日:晴 9日:雨

【山域】 朝日連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 北大玉山・きたおおたまやま・なし・1468m・山形県
 平岩山・ひらいわやま・三等三角点・1609.0m・山形県
 大朝日岳・おおあさひだけ・二等三角点・1870.3m・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/朝日岳/徳網、羽前葉山、朝日岳
【コース】 針生平大石橋より角楢小屋経由
【ガイド】 山と高原地図「朝日、出羽三山」(昭文社)
【温泉】 えちごせきかわ桂の関温泉ゆーむ 500円
        
【時間記録】
6月7日(金) 19:40 新潟発=(R.7、新発田、三日市、R.290、大島、R.113、小国、五味沢 経由)=22:30 大石橋駐車場  (テント泊)
6月8日(土) 4:16 大石橋駐車場発―4:45 祝瓶山分岐―5:25 角楢小屋―6:10 大玉沢―7:33 蛇引の清水〜7:51 発―8:20 尾根上(1240m)―8:54 祝瓶山分岐〜9:02 発―9:18 北大玉山〜9:26 発―9:56 平岩の清水―10:17 発―10:43 平岩山巻き道分岐―10:51 平岩山〜11:05 発―12:35 大朝日岳〜13:35 発―13:44 大朝日小屋  (避難小屋泊)
6月9日(日) 6:14 大朝日小屋発―6:25 大朝日岳―7:15 平岩山巻き道分岐―7:32 平岩清水―7:57 北大玉山―8:05 祝瓶山分岐〜8:10 発―8:30 尾根上(1240m)〜8:38 発―8:51 蛇引の清水―9:39 大玉沢〜9:49 発―10:23 角楢小屋―10:59 祝瓶山分岐―11:16 大石橋駐車場=(往路を戻る)=14:50 新潟着

 新潟県と山形県の県境一帯に広がる朝日連峰は、冬季は日本海からの季節風を強く受ける豪雪地にあるため、その標高以上の高山帯が広がっている。たおやかな稜線には、夏まで豊富な残雪が残り、高山植物のお花畑が広がり、山麓は見事なブナ林に覆われ、この山域の大きな魅力になっている。大朝日岳が朝日連峰の最高峰で、各方面からの登山道が開かれている。この登山道のうち、小国から入る針生平から平岩山を経由するコースは、距離は少々長めであるものの、静かな山歩きを楽しむことのできるコースである。
 6月の声を聞くと、飯豊や朝日連峰に心が引かれる。まだ歩いていないコースを緊張しながら歩くのも良いし、お馴染みのコースを、余裕を持って花を愛でながら歩くのも良い。飯豊連峰と比べて、朝日連峰に足を踏み入れた回数は少ない。主稜上のピークとしては、以東岳、寒江山、大朝日岳をそれぞれ日帰りで訪れた三回にしか過ぎない。まだ歩いていない針生平から平岩山経由で大朝日岳に登り、大朝日小屋に泊まるというのが、今回の目的であった。
 大朝日岳に至るまでの歩行時間も長いため、前夜に登山口に入っておくことにした。登山口の大石橋は、1994年10月15日に祝瓶山を訪れて以来の再訪ということになる。ワールドカップのイングランドとアルゼンチンの死闘をラジオで聞きながら車を走らせた。試合の決着がついたところで林道終点の駐車場に到着したが、すでに車が一台停まっていたため、数10メートル戻ったところの空き地にテントを張った。以前はこの空き地はなかったような気もするが、登山者の増加によって、新たに設けたものなのか。翌朝は朝が早いため、ビールを飲み干して早々に寝た。

 車の通過する音で目を覚ました。車を林道終点広場に移動させると、5台ほどに増えていた。出発していく姿を見ると、釣り客であった。早朝で食欲も無いため、バナナを食べて、コーヒーを飲んだだけで出発することにした。
 角楢小屋経由のコースには吊り橋が四本かかっており、これがこのコースの難所になっている。最初の大石橋は、川岸を少し進んだところにかかっていた。水辺ぎりぎりに続く登山道は、足場が悪かったが、増水によって削られてしまって新たに付けられたのかもしれない。大石橋は、板が二枚幅にかけられており、特に問題の無い吊り橋であった。もっとも、本来なら四枚幅なので、二枚幅分は空間になっており、てすりのワイヤーも片方しかつかめず、川に落ちる可能性はあるので油断はできない。
 見事なブナ林の中の、左岸沿いの歩きがしばらく続くと、祝瓶山は右という標識が現れた。そのすぐ先で道が二つに分かれ、左は木が横に置かれて侵入禁止、大朝日岳は右というもうひとつの標識が立っていた。右の道に入って、祝瓶山の分岐はどこかなと思いながら歩いていくと、白布橋を見下ろすところまでやってきてしまった。祝瓶山の入口を通り過ぎてしまったことを知って、荷物をおいて戻ってみた。結局、祝瓶山の標識の前で、山に向かう道が分かれていた。直角に分かれており、頭の高さまで上がった所に続いていた。この道が目に入らず、すぐ前方の二又道に目がいってしまうのが、錯覚の原因のようであった。
 白布橋は、アルミ板が渡されており、特に怖いと言うほどの吊り橋ではなかった。その先で沢を飛び石伝いに渡って進んでいくと、三番目の角楢橋に到着した。上から眺めると、足場の細い丸太が宙に浮いているように見えて、みるからに恐ろしげであった。左右に支柱のワイヤーが渡され、これが手がかりにもなったが、左右の幅が狭いために、ザックがひっかかって上にはいあがるのにひと苦労した。両手でワイヤーを握りしめ、おそるおそる足を踏み出した。途中で、足場の丸太は、足をのせるのがやっとという幅の細いものに変わった。丸太ではなく、ワイヤーが体重を支えているので、丸太の太さは関係ないのだが、不安感が募らされた。対岸に渡って、大きく一息ついた。
 吊り橋からひと登りで、角楢小屋の前の広場に到着した。三角屋根の小さな小屋の前には、登山靴が二足出されて登山者が中にいるようであった。この小屋の管理に携わっているインターネットの知り合いから、この小屋での宴会を招待されており、いずれまだ訪れなければならない。
この先も長いブナの森を抜けていく道が続いた。四番目の大玉沢にかかる橋は、角楢橋と同じ一本吊り橋であったが、足場の木の上面が平らに削られており、それ程の恐怖感はなかった。丸太と平板との違いか、あるいは吊り橋にも慣れてきてしまったのかもしれない。
 アプローチにかなりの時間がかかったが、ここからようやく急登の開始である。登山道の脇に咲いているヒメシャガを見ながらひと休みした。周囲の展望のない、急な登りではあったが、ここまでのブナの森の歩きが準備体操になったのか、足も順調に前に出た。飯豊や朝日連峰の登山道としては、歩きやすい道であった。汗がしたたり落ちる頃、傾斜が一旦ゆるむと、蛇引の清水に到着した。水場の入口には、木の板に書かれた標識がかけられていた。水の心配はなかったのだが、今回は一泊山行で時間に余裕もあることから、水場の確認を行っていくことにした。
 5分ほど下るとテント二張りほどの空き地があり、その先でようやく沢に到着した。石の積み重なった沢の下から、水が流れ出ていた。沢の水を汲んで喉をうるおした。量を考えて飲む水筒の水よりは、思いっきり飲む清水の方が美味しく感じる。登山道までの登り返しで、体力を消耗したが、冷たい水を飲んで元気を取り戻すことができた。
 再び急登が続いた。辛い登りであったが、稜線に出てからの眺めを楽しみに頑張り続けた。1240mで左から上がってきている尾根の上に出た。灌木の上からのぞくと、西朝日岳から袖朝日岳に至る稜線が残雪の白い筋を浮かべながら長く横たわっていた。目的地の大朝日岳はまだ遠かった。祝瓶山から北に延びてくる縦走路の合流点はまだ先であったが、なだらかな痩せ尾根が続いていた。左右がざれて落ち込んでいる痩せ尾根に立つと、左右の展望が広がった。目の前に大玉山が大きく、その肩越しに祝瓶山が鋭い三角形の山頂をのぞかせていた。魅力的な稜線で、明日は祝瓶山経由で下山しようと思った。
 最後の急登僅かで、縦走路に飛び出した。ひと休みの後、縦走を北に向かうと、ひと登りで、北玉山1319mの山頂に到着した。地図には山名の記載のない山であるが、ピラミッド型をして周囲の展望が開け、なかなか良いピークであった。丸味を帯びた大玉山と鋭角的な山頂を持つ祝瓶山のコントラストが面白かった。行方には平岩山が横に広がり、大朝日岳も少し近づいてきていた。
 稜線を辿っていくと、残雪の消えたあとの草原にシラネアオイやハクサンチドリの花が咲いているのに出会うことができた。平岩山への登りの途中で、平岩清水の標識が現れた。灌木帯の中の水平な道を辿っていくと雪渓の下に出て、水が流れていた。ここの水は雪解け水でつめたく、とりわけ美味しかった。
 冷たい水で元気を取り戻し、平岩山への登りを頑張った。山頂手前で、迂回路が左に分かれた。道型ははっきりしているものの、笹がかぶり気味であった。ここからは、ひと登りで平岩山の山頂に到着した。山頂一帯はハイ松帯となり、ヒナウスユキソウとイワカガミのお花畑がその中に広がっていた。平岩山の三角点は、大朝日岳に向かう縦走路から南東に少し進んだところにあった。御影森山から葉山に至る稜線が長く続いていた。
 大朝日岳を眺めながらひと休みした。昼食にしても良い時間ではあったが、大朝日岳の山頂まで頑張ることにした。鞍部からは、標高差340mの登り。途中に突起が二つあり、三部構成の登りと考えていいようである。
 平岩山から下ると、迂回路が左から合わさってきた。平岩山から大朝日岳にかけての稜線は幅広で、ハイ松が所々に広がる砂礫地になっていた。視界が悪い時にはルートを見失いやすそうで、道標として立てられている金属標柱頼りの歩きになりそうであった。天気予報では、前線が通過して夕方から崩れると言っていた。快晴に誘われるままに登ってきたが、下山のことが心配になってきた。迂回路の入口のハイ松に赤布をつけておくことにした。
 大朝日岳へは、足が止まりそうな登りが続いた。砂礫地の中を、ジグザグを切りながら登り続けた。それでも青い空が次第に近づいてきた。足は止まりそうになり、ビールを思って最後の力を振り絞った。木製の山頂標識が近づいてきて、ようやく大朝日岳の山頂に到着した。1993年9月25日に続いて二回目の登頂であった。飯豊本山の五回に比べて少ないといえる。「飯豊は深く、朝日は遠い」という言葉があるようだが、新潟からだと朝日連峰はアプローチに時間がかかるというイメージがある。しかし、小国から入るこのコースは、歩きの時間は少し長めであるが、交通の便は良いので、もっと利用者が多くても良いと思う。
 12時半となって、遅い昼食になった。大朝日小屋を見下ろす山頂の肩に移動して、腰を下ろした。凍らして持ってきたビールはまだ冷たく、お待ちかねのビールは腹にしみいった。誰もいない山頂を独り占めにした。中岳から西朝日岳に至る稜線は豊富な残雪に覆われ、金玉水も雪の下のようであった。以東岳は遠くにぼんやりと見えていた。
 青空が広がっているものの、少し遠くは霞んで、飯豊連峰や鳥海山は見えない状態であった。天気が崩れる予兆のような感じがした。大朝日岳から平岩山にかけての稜線は、ハイ松もまばらな砂礫地で、強風が吹き荒れそうな地形であった。強風に飛ばされそうになりながら歩いた昨年の杁差岳のことをつい思い出してしまう。今回は稜線歩きも長く、あのような強風が吹いたら小屋に停滞するしかなくなる。このまま下山しようかとも思ったが、疲れは足にもきていた。軽装なら下山はできただろうが、一泊の装備では歩けそうもなかった。せめて稜線からはずれて蛇引の清水の泊まり場までとも思ったが、雨の降る中をツエルトでひと晩越すというのもゾットしなかった。いかんせん、今晩宿泊予定の避難小屋を眼下に見下ろす状態であった。運を天にまかすことにして、避難小屋に泊まることにした。
 ビール一本で眠くなってきた。タオルを顔に掛けてしばらく横になった。誰も登ってこない静かな山頂であった。日本百名山を独り占め。単独行ならでは贅沢なひと時であった。起き出して双眼鏡を取り出して眺めていると、小朝日岳の山頂に人影が見えて、こちらに歩いてくるようであった。中岳からも二人連れが下ってくるのが見えた。大朝日岳めざして人が集まってくるようなので、小屋に入ることにした。
 大朝日岳からは、僅かな下りで大朝日小屋に到着した。小屋の周りにはミネザクラが咲いていた。大朝日小屋は、1999年に立て替えられているので、この小屋は初めて見ることになる。二階建てで、中は板張りで、きれいであった。ザックが入口に置いてあったが、水汲みに行ったのか、まだだれも入っていなかったので、二階の片隅に陣取った。
 ひと息いれてから水汲みに出かけた。中岳との鞍部に下ると、金玉水の標識が立っていたが、残雪の下のようであった。中岳に向かって登山道をひと登りすると、雪渓の下から雪解け水が流れ出していた。コップに汲んで飲んでみると、冷たく美味しい水であった。登山道の脇に腰をおろして、大朝日岳を眺めながら、しばらくぼんやりしていた。
 夕暮れが近づくにつれ、小屋には次第に登山者が集まってきた。結局、20名近くの泊まり客になったようである。五時になったのを期に夕食の準備を始めた。ハムともやし入りラーメンにおむすび。二本目のビールを開けた。二階は単独行や二人連れで静かであったが、一階に陣取った団体はうるさく騒いでいた。早々と寝袋に潜り込んで、ラジオでワールドカップの対戦結果を聞いていた。
 8時前に眠ってしまったが、風の音に目が覚めた。まだ10時前であった。トイレのついでに外に出てみると、雲が早く流れているものの、雨は降っていなかった。寝付いて、再び目を覚ましたのは、2時過ぎであった。今度は、暴風状態になっていた。寝しなは寝袋の中に入ると暑いくらいのものであったのが、襟元を合わせないと寒いくらいに気温が下がっていた。寒冷前線の通過によるものか。風の状態が気になって眠ることはできなくなった。
4時過ぎに、他の登山者は朝食の用意を始めたが、小屋がゆれるような風が続いていた。無理して寝袋の中に入っていたが、明るくなってきては、起き出すしかなかった。小屋の窓から外をのぞくと、ガスが流れて視界は20〜30メートルといったところであった。コーヒーを飲みながら、風の弱まるのを待った。太陽も昇れば、風も弱まるだろうし、気温も上がって、体温を奪われるのも少しは楽になる。下山のコースタイムを考えて、昼まで待ってもいいと思っていたのだが、6時前には、出発していく登山者が現れ始めた。
 出発する決心をし、防寒対策に、下着を長袖Tシャツに着替えて、山シャツの上に雨具を着込んだ。地図を見る面を上にしてビニール袋に入れ、あらかじめ大朝日岳の山頂から下る方向に磁石の向きを合わせた。歩く準備を全て整えてから、小屋を後にした。風の強さは幸い、時折足がもつれる程度であった。大朝日岳の山頂に一気に登り、平岩岳に向かっての足を速めた。金属標柱が頼りの下りであったが、三本分は見えるのが助かった。下るに連れて風も弱まり、鞍部近くになると、一瞬平岩山の眺めが開けた。
 迂回路の分岐を探しながらの歩きになった。登りに転じたので、迂回路はと探したが、見つからなかった。もうひと登りすると、迂回路が現れて、昨日付けた赤布も見つけることができた。この一本の赤布のおかげで、安心して迂回路に進むことができた。次第に風も弱まり、近づいてきた北玉山の山頂も姿を現し、この先は安心して歩くことができるようになった。振り返る大朝日岳の山頂は、あいかわらず雲に覆われていた。
 角楢小屋への分岐に到着する頃には、周囲の花にも目をやる余裕もでてきた。ヒメサユリが咲き始めていた。一週後には、花を楽しめるようになっていそうであった。祝瓶山への縦走は、後の課題ということで、下山に移った。楽しみは欲張ることはない。
 帰りの吊り橋は、行きの時ほどは怖くなくなっていた。ブナ林を眺めながら、駐車場まで戻った。
 針生平から大朝日岳に至るコースは、少し長めであるものの、コースは良く整備されているので、もっと利用されても良いコースである。ガイドブックで取り上げられることが少ないのは不思議である。朝日連峰への定番コースとして、これからも利用する機会も多いと思う。


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