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高鼻山


【日時】 2002年5月26日(日) 日帰り
【メンバー】 峡彩ランタン会(岡本 明、上村幹雄、佐久間 剛、池田憲一、小島 宏、中静一博、星 政之、斉藤春美、小川浅江、大石イチ子、高橋 貞、香川竹代) 計12名
【天候】 晴

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 高鼻山・たかはなやま・817.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/須原
【コース】 松川林道終点より
【ガイド】 点の記

【時間記録】 6:30 新潟発=(関越道、堀之内IC、R.17、四日町、R.252、須原、松川林道)=8:50 林道終点広場〜9:12 発―9:54 三角点―10:46 稜線分岐〜10:52 発―11:00 高鼻山〜13:25 発―13:34 稜線分岐―14:11 三角点〜14:20 発―14:42 林道終点広場=(往路を戻る)=17:20 新潟着

 越後三山の北に位置する権現堂山塊では、一般登山道が整備されている下権現堂、上権現堂、唐松山の三つの山が良く知られているが、登山者にかえりみられないような山も多い。地図を見て気が付くのは、黒又川第一、第二ダムへの山越えの道が何本も記載されていることである。ゼンマイ採りが通う道のようであるが、現在でも登山に使えるかどうか興味が引かれる。高鼻山は、松川川の上流部から第二ダムへ通ずる山道の山越え部に位置する山である。
 峡彩ランタン会のハイキング山行のリーダーを引き受けることになった。歩行時間が短くて誰でも歩けて、一般に知られていない山。展望が良くて、宴会のできる山頂であること。そのような難しい注文に合う山はめったにないが、昨年の山行の中から考えて、高鼻山を選んだ。参加者の集まりが悪くて苦労した先回の大力山と違って、今回はすんなりと12名の参加者が集まった。ワールドカップ直前で、鳥屋野潟公園が使えないため、ランタンルーム集合となり、上村、小島、私の三台の車に便乗しての出発になった。個人であるならば、高速代の節約のために、栃尾経由にするところだが、高速を使って時間の短縮を計った。参加予定の木村さんは上条で待つという伝言があり、松川林道入口の須原を通り過ぎて、まずは上条をめざした。上条の交差点に着いてみると、誰も待っていなかった。はっきりしない伝言で、待っていてもしかたがないということで、高鼻山の登山口に進むことにした。細野から松川林道に入った。林道の入口には、冬季閉鎖という標識が残されておりひやりとしたが、問題なく先に進むことができた。渓谷沿いの山肌の緑は濃くなって、初夏を思わせる陽気になっていた。
 松川林道終点の広場に到着してみると、数台の車が停まっていた。こんなにも登山者がいるのかと驚いたら、皆、山菜採りで、一仕事終えて帰り支度をしていた。木村さんの代わりに、池田さんが待っていた。結局、木村さんがどうなったのかは、電話も通じず、判らないままに終わった。
 昨年気になっていた唐松山方面の切り跡を見に行くと、唐松山登山口という標柱が立てられていた。新しく唐松山への道が切り開かれたのかという去年の推測は当たっていたようであった。個人ならば、唐松山へ登るところであるが、団体行動であるため、別の機会にということになった。
 高鼻山への道は、地図では尾根の末端から始まるように書かれているが、実際には削られて崖状になっている。左手のあまいけ沢の方に草に覆われた林道を辿っていくと、尾根の北側から山道が始まっている。尾根の上に出るまでは、足元が滑りやすい急坂が続く。ストックを用意していない者が多く、池田さんが枝を切り出して杖を作ってあげていた。歩く速度もあがらず、今回は、山頂までにはそれなりの時間がかかりそうであった。傾斜が少し緩くなった尾根を辿っていくと、点名「小長崎」の四等三角点に到着した。緑の木立の上に唐松山のピークが頭をのぞかせていた。
 この先は緩急を交えた登りが続いた。左にコースが変わり、少し下ったあたりのブナ林は美しい新緑を見せていた。最後の急登を頑張ると、北へ続く稜線との分岐に到着した。
 分岐付近は灌木が刈り払われた広場になって、のびかげんのワラビが頭を出していた。それを見た先頭集団は、登山のことはそっちのけで、ワラビ採りに夢中になってしまった。後続は到着せず、先頭集団はワラビ採りをしながら、だらだらと山頂に向かっていった。しかたなく、山頂で、全員の到着を待つことにした。
 山の登頂には、順番があるものと思う。未踏峰のような大それたものではなくとも、日頃登るような山ではなく、おそらく生涯でただ一度登る山では、年長者あるいはその山への思いが一番強い者に、山頂へのトップをゆずるのが礼儀であろう。
 高鼻山の山頂に立つと、毛猛山塊の檜岳がまず出迎えてくれた。先回よりも遠望が利いており、山は残雪を残して、それぞれの存在を主張していた。守門岳、浅草岳、毛猛山塊、未丈ヶ岳、荒沢岳、越後駒ヶ岳と周囲をぐるりと山が取り巻いていた。遠く、燧ヶ岳の山頂も見えていた。唐松山への痩せ尾根に進んで、檜岳と黒又第二ダムの湖面の眺めを楽しんだ。
 展望をひととおり楽しんだ後は、宴会の開始になった。山頂の広場は、太陽を遮る木立がなかったが、時折雲が通り過ぎて、日がかげるので助かった。宴会もゆっくりと楽しんで下山にうつった。
 なごりの風景を楽しんでいると、山菜採りのために先に下山するという。これを承知したのは間違いであった。上村さんと佐久間さんとで山の話をしながら下っていったが、誰にも追いつかなかった。三角点まで下ったが、待っている者はいなかった。
 最後の急坂は、体を斜めにして、足で踏ん張りながら下る必要があり、連日の山歩きのためか、足にも疲れがでてきた。
 林道終点の広場に戻ると、林道付近で山菜採りも終えたようで、帰り支度をしていた。今回の山行リーダーの私は、下山時の状態を全く把握できないままに終わった。万が一事故でも起きた時に責任をとらされてはかなわない。これでは、リーダーは引き受けられない。今回は、山登りが目的であって、山菜採りではない。また、地図を用意していない者も多かったが、めったに人が登らない山だけに、自分がどこの山に登ったのか判っているのかどうか。人に知られていないような山を紹介する意味が無いようにも思えた。


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