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九才坂峠、目指岳


【日時】 2002年5月19日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 会越国境
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
九才坂峠・くさいざかとうげ・560m・なし・新潟県、福島県
目指岳・めさしだけ・650.3m・三等三角点・新潟県、福島県
【コース】 土井より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/野沢/安座
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)、LATERNE vol.6
【温泉】 津川高原保養センター 500円

【時間記録】 6:30 新潟発=(R.49、合川、七名 経由)=8:30 土井〜8:43 発―9:50 九才坂峠―10:08 590mピーク―10:28 目指岳〜10:58 発―11:15 590mピーク―11:25 九才坂峠―12:10 土井=(七名、中山、両郷、R.49 経由)=16:10 新潟着

 新潟と福島との県境のうち、只見川から南の県境線は、古惣座山、土倉山、黒森山、目指山、大倉山、木地夜鷹山、高陽山といったピークを連ねて南下した後、西に向きを変えて、御神楽岳から浅草岳へと続いている。この県境線を越える峠道が幾つも開かれているが、その一つに九才坂峠があり、新潟県側の土井と福島県側の水沢を結んでいる。目指岳は、この九才坂峠の北に隣り合うピークである。
 峠は、登るのではなく、通り過ぎなければその真価を味わえないと思う。しかし、悲しいかな、帰りの足の便のことを考えなければならない日帰り登山者としては、一方の登山口から峠までを往復するしかない。九才坂峠もどちらから登るか迷った。新潟県側のコースは沢沿いであるが、会津からは尾根通しで、こちらの方が道ははっきりしているように思えた。しかし、新潟県人として、新潟県側から登ることにした。
 土井の集落は県境近くの山奥であるが、蛇脱山や古道山登山のために近くまで行っており、様子は判っていた。九才坂峠への入り方は、地図を見ると、二通りあるようであった。ひとつは土井の集落からのもので、もう一つは東小出川に出て、戸屋山を越して中山に抜けるコースである。新しい地図では、東小出川沿いにも車道が記載されている。まず、東小出川沿いに車を走らせてみたが、山道のようなものは見あたらなかった。土井の集落から歩き出すことにした。
 土井に到着してみると、路肩駐車になるため、少し戻った空き地に車を停めた。集落の中で、九才坂峠の登り口を探したが良く判らなかった。左下に延びていく車道を進んでいくと、田圃の奥の杉林との境に、看板が立てられているのが見えた。畦道を進んでいくと、九才坂峠から目指岳一帯の自然環境保全地域の案内板であった。これが、九才坂峠への途中で現れる唯一の標識であった。
 杉林との境界の道を行くと、沢に突き当たって、右に曲がった。ここで、東小出川からの道が合わさるはずであったが、そのようなものは見あたらなかった。谷沿いに進むと、ヘアピン状に方向を変えた。一瞬、東小出川への道に迷い込んだのかと思ったが、これは枝沢を巻いたもので、じきにカーブして東に向かうようになった。地図に書かれている以上に、道が枝沢の奥に入り込んでいるようであった。
 沢の上流部に向かってしっかりした山道が続き、ようやく歩きも軌道にのった感じになった。始めは深かった沢も次第に浅くなってきて、山道は沢に下りたった。前日は雨だったため、長靴を履いており、飛び石伝いに難なく渡ることができた。ここからは、沢岸を伝い歩くような登りになった。水はそれほど深くはないが、登山靴だと、足を濡らさないように注意が必要なので、このコースは長靴が最適ということになる。
 右岸沿いの道になると、左手の沢に沿っての登りになった。沢には所々で滝がかかり、残雪も見られるようになった。その先も沢を歩くような所も出てきたが、流れは次第に細くなっていった。峠までのハイキングコースというには、一人だと心細くなるような道であった。左右の沢に滝がかかる二俣に出ると、ここからはブナ林の中のつづら折りの登りが始まった。緑の色が濃く、森林浴といった感じの美しい林であった。
 九才坂峠は、木立に覆われて、山道が下っていくので峠と判るような、気取りのない場所であった。余所で見かけるような峠の名前を記した標識は無かった。登り口にあった自然保護地域の看板と石の祠があり、杉の木の裏手に新潟県全縦走調査のプレートが打ち付けられていた。
 地図をもう一度確認の上、目指岳に向かった。尾根は、ブナやナラの雑木林が生え、その下には笹が茂っていた。幸い、腰の高さ以下で、歩くのには支障は無かった。笹原を歩いていくと、踏み跡があるように思えたが、尾根が痩せると、はっきりした踏み跡が現れた。
 590mピークに行き当たったところで、踏み跡が消えてしまった。谷越しに聳えるのが目指岳のようであった。緑に彩られた斜面の所々にスラブをきわだたせていた。頂上付近はかなりの急斜面であった。木立に邪魔されて鞍部を見ることができないのが、コースとりを難しくしていた。良く見ると、一旦左に向かってかすかな踏み跡が下っていた。少し下ると、右に方向を変えて、尾根通しにのった。灌木がかぶさっていて、足元が見づらかった。鞍部に下ると、再びはっきりした踏み跡が続くようになった。
 傾斜が増してきて、枝を掴んで体を持ち上げるような登りが続いた。泥混じりの斜面は滑りやすく、灌木の藪の中でなかったら、転落の恐れがあるところなので、ここでは藪を有り難く感じた。山頂手前で周囲の展望が開けると、笠倉山を従えた御神楽岳が残雪を抱いた姿を見せていた。
 目指岳の山頂は小広場となり、三角点の周りに航空測量の表示板が残されていた。以前の報告を見ると、目指岳へは、はっきりした道があるようには書かれていないことから、この測量のために作業班が入って藪払いをしたのだろうか。安座の地形図が新しく発行されたばかりであるが、地形図を新しくする際には、測量し直されるのだろうか。また、同じ安座に収められている他の山にも測量隊が入って、刈り払いが行われたのだろうか。他の山の攻略法のためにいろいろの考えが浮かんできた。
 昼には少し早かったが、ビール片手に腰をおろした。福島県側には、西会津の盆地部をすぐそこのように見下ろすことができた。その手前にそぎ取られたような山頂を見せるのが、竜ヶ岳のようであった。県境線の北側には、黒森山がドーム型の山頂を見せ、その向こうには土埋山がピラミダルな山頂を空に突き上げていた。雪を抱いた飯豊連峰は、稜線部を雲の中に隠していた。南に見えるピークが大倉岳であろうか。お山大将といった気分になる山頂であった。
 下山は、急坂を枝を掴みながら一気に下れば、590mピークへの登り返しとなり、ここはコースから外れないように注意が必要であった。九才坂峠付近では、笹原の中に踏み跡が消えてしまうため、右寄りにコースを変えるように注意する必要があった。もっとも直進したところで、会津側の峠道に飛び出すので、そう心配することはない。
 九才坂峠に到着すると、十名ほどのグループが休んでいるのに出会った。入れ違いに、目指岳に向かって出発していった。ザックを置いた完全な空身なのが、人ごとながら気に掛かった。道が判らなかったら戻ってくれば良い、宴会は峠で、という話し声も聞こえてきた。時間を手帳に書いていて気が付いたが、すでに11時半になっていた。私が単独で行動して往復1時間10分かかっている。大人数となると、藪の通過には時間がかかる。これから一般道を外れるという時に、山の装備を入れたザックを置いていってしまうというのも問題である。目の前のピークならともかく、これから40分も先のピークである。お昼も食べずに、水も飲まず、頑張って目指岳を登ったのか、590mピークあたりで引き返したのか。気になるグループであった。
 峠からは、再び一人だけの静かな山歩きが続いた。日差しも谷の奧まで届くようになって、雰囲気も明るくなっていた。途中の山道の脇には、エンレイソウが群落を作り、花は終わって実をつけていた。ユリ科の植物が長い幹を延ばし、花芽を先に付けていたが、ヒメサユリであったのだろうか。初夏も近づいてきた。
 下山後、東小出川からの戸屋山への道は、徒渉があり、対岸に山道は見あたらなかったことから、中山側からの道を偵察してから家路についた。
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