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赤田城跡、大日山、金山、物見山・二田城趾


【日時】 2002年5月18日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
赤田城跡・あかだじょうせき・164m・なし・新潟県
【コース】 登り:東福院コース 下り:北方口コース
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/塚野山
【ガイド】 新潟ファミリーハイキング(新潟日報事業社)、ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
大日山・だいにちやま・251m・なし(241.1m・四等三角点)・新潟県
【コース】 曾地からの林道の南肩の登山口
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/塚野山
【ガイド】 なし

【山域】 東頸城丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
金山・かなやま・251m・なし・新潟県
【コース】 福蔵院からの林道
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/西山
【ガイド】 なし

【山域】 西山丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
物見山・ものみやま・280m・なし・新潟県
二田城趾・にたじょうし・295.9m・三等三角点・新潟県
【コース】 西山縦断林道
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/西山
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:00 新潟発=(R.116、西山、赤田北方 経由)=9:50 東福院駐車場〜10:00 発―10:09 東福院―10:14 大手口分岐―10:34 赤田城跡〜10:40 発―10:51 林道―11:00 東福院駐車場=(曾地 経由)=11:41 大日山登山口―11:50 大日山―11:58 三角点ピーク〜12:06 発―12:12 大日山―12:19 大日山登山口=(曾地、西山、R.116、福蔵院 経由)=13:40 金山=(福蔵院、坂田、金山口、西山縦断林道 経由)=14:04 物見山登山口―14:08 物見山―14:11 物見山登山口=14:10 二田城趾登山口―14:22 二田城趾―14:26 二田城趾登山口=(西山縦断林道、金山口、R.166 経由)=16:30 新潟着

 赤田城跡は、刈羽村の赤田にある禅寺の東福院の裏手にある山城である。上杉謙信の四家老の一人の斉藤下野守昌信の居城跡であり、今でも曲輪や空堀が残されている。山頂へは、良く整備された遊歩道が通じている。
 大日山は、長岡市と西山町を結ぶ国道八号線の赤田トンネルの上にある曾地峠の南に位置するピークである。曾地からの林道が山頂近くまで上がっており、南の肩から登山道が通じている。
 金山は、長岡と西山を結ぶ県道柏崎・高浜・堀之内線の地蔵トンネル、あるいは北陸道の新地蔵トンネルの南にあるピークであり、西山丘陵と峰続きになっている。地図上では、福蔵院から破線が記されているが、現在ではこの道は林道になっている。
 二田城は、上杉謙信時代は、梅津氏が居城し、三島谷城とも呼ばれたという。山頂直下を西山縦断林道が通過しており、短時間で登ることができる。物見山は、二田城趾の南の稜線沿いにあるピークである。

 土曜日は雨の予報が出ていた。雨の中でも歩けるハイキングコースを考え、東頸城丘陵の赤田城跡に出かけることにした。高速代の節約のため、国道を走った。以前にも、この一帯の山としては、八萬部山や高内山を訪れており、走り慣れている道である。いずれにせよ、国上山まで行くことを考えれば、もうひと走りという感じである。
 道路地図を見ながら国道から別れて赤田北方に近づくと、赤田城趾遊歩道の標識が現れた。トイレを備えた駐車場があり、赤田城趾北方口の標識と案内図が立てられていた。周遊コースとして歩けるため、車をこの駐車場に置いて、まずは東福院に向かった。東福院の入口には、古めかしい山門があり、中に入ると苔むした庭が広がり、池にはアヤメが美しく咲いていた。池の間の石橋を渡ると本堂があり、法事があるのか人が出入りしていた。
 東福院の門を出ると、南側の尾根に遊歩道が続いていた。疑木の丸太で段々が作られ、間には砂利がまかれた遊歩道が全コースにわたって続いていた。知名度の割には、充分過ぎる程の整備であるが、これも原発でうるおう刈羽村ならではかとも余計な気を回してしまう。緩やかにトラバース気味に登っていくと、大手口からの遊歩道を合わせ、左に曲がって尾根沿いの登りになった。雨は降り続いているものの、傘をさしておれば、気になるほどではなかった。登るに連れて、大きな木が増えてきて、緑が濃くなった。雨に濡れて、余計に緑の色が冴えているようであった。谷間からは霧が上がってきて、木立を乳白色に染めていた。雨の日に思い切って山に出かけてみれば、晴れた時とは違った楽しさを味わうことができる。シャガ、ホウチャクソウやヤマツツジの花も楽しむことができた。
 山頂近くで遊歩道からの分かれ、ひと登りすると本丸跡に到着した。山頂は、草地の広場になり、あずまやも置かれていた。「斎藤下野守朝信城趾」と刻まれた石碑が立てられていた。山頂から少し下った所は、展望が開けて見晴台になっていた。刈羽原発や日本海の眺めが広がっているはずであったが、雨に霞んで見えなかった。
 下りは、整備された遊歩道に助けられて、一気に高度を下げることができた。あっけなく舗装された林道に飛び出し、左に下っていくと、駐車場に戻ることができた。
 赤田城跡に続いて、大日山をめざした。地図によれば、国道8号線の赤田トンネル手前から道が記載されていたので、行ってみると、ゲートのある車道が分かれていたものの、地図と磁石を確認してみると、これは曾地峠に至る旧道のようであった。地図にある道は見あたらなかった。一旦曾地の集落に戻り、そこからの道を進んでみることにした。谷間から山に向かっていくと、ガスがただようになって、周囲の地形が確認できなくなり、道路の曲がり具合で、現在位置を推測するしか無かった。山頂近くだなと思ったところで、左に林道が分かれ、その入口に大日山登山口の標識が立てられていた。雨の中とあってはヤブコギは辛く、偵察だけかなと思っていただけに、登山道の存在はうれしかった。
 林道に入るとすぐに登山道の標識が現れ、左手の尾根沿いに道が続いていた。登山道といっても、歩く者は少ないのか、草に覆われ気味であった。ひと登りで大日山の山頂に到着した。縁が盛り上がって、中央部が平らに削られたような地形であった。石の祠が広場のかたわらに置かれていた。
 大日山の三角点は、この山頂から少し北に離れた所に置かれている。踏み跡が先に続いていたので、三角点ピークまで行ってみることにした。滑りやすい斜面を下って、先のピークに進んだ。左右の草むらに入っていく踏み跡が見られることから、この道は山菜採りが付けたものなのかもしれない。先が大きな下りになったことから、目的のピークに到着したことを知った。草むらの中の三角点探しが始まった。諦め掛けたところで、三角点を見つけることができた。地図では左よりにあるように書かれているが、中央部に埋められていた。すっきりした気分で引き返すことができた。
 大日山に続いて、北陸道西山IC近くの金山をめざすことにした。北陸自動車道で長岡方面から柏崎を目指すとき、新地蔵トンネルを通過するが、トンネルを出た時に左側に見える丘陵地に金山はある。高速道の上を通過するように破線が記されていることから、現在でも道があるように思えた。
 登山口の福蔵院脇の路肩に車を停めて歩き出した。福蔵院の東よりの脇から未舗装の車道が東に向かって続いていた。墓地の間を抜けていくと、高速道の上に出て、渡った先にも車道が続いている様子であった。戻って、車を乗り入れることにした。
 一車線幅の道が続き、急なつづら折りも交えながら、高度が上がっていった。車のすれ違いが困難な所もあり、対向車がこないことを祈った。送電線の下を通過すると、ピークの上に出た。杉林の中に石の祠が置かれていた。由来を示すような文字は見あたらなかった。
 なんとか車の方向転換をして、山を下った。林道脇には、杭の列が続いており、天然ガスのパイプが埋められているようであった。地図をみると、林道先の妙法寺峠の東には油田(あぶらでん)という地名もあるが、天然ガスと関係があるのだろうか。
 大日山は、山歩きが不発に終わったため、西山にある物見山と二田城址にも寄っていくことにした。地蔵トンネル手前で西山縦断林道に進んだ。工事中で通り抜けできないとの看板があったが、行けるところまで進むことにした。道路が稜線部の左手から右手に変わる鞍部を目標にして車を走らせた。物見山の下に到着してみると、南西のピークに物見山の標識が立ち、道が付けられていた。地図では、北東のピークをさしているように見えたので、意外であった。ひと登りで物見山の頂上に到着した。狭い山頂には、石の祠が置かれていた。
 二田城址を目指して、林道をさらに進んだ。南の肩部に登り口があった。遊歩道として整備され、石の段々が設けられていた。山頂付近は、かなりの急斜面になっていた。三角点が置かれた山頂は、周囲の展望が開けているようであったが、あいにくと雲に閉ざされていた。
 小木ノ城跡に抜けて帰ろうと思って車を走らせると、八石山手前で、通行止めになっており、引き返すことになった。以前小木ノ城跡を訪れた時は、南下しようとしたが、通行止めで引き返したが、今回も縦断道を通り抜けできなかった。
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