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窓明山、坪入山、高幽山、梵天岳、丸山岳


【日時】 2002年5月3日(金)〜5日(日) 二泊三日
【メンバー】 宇都宮グループ(室井、白石、石岡、田辺、池田、蜂須賀、岡本)
【天候】 3日:晴 4日:曇り時々雨 29日:ガス小雨

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
巽沢山・たつみざわやま・1162.1m・三等三角点・福島県
家向山・いえむかいやま・1526m・なし・福島県
窓明山・まどあけやま・1842.3m・三等三角点・福島県
坪入山・つぼいりやま・1774.2m・三等三角点・福島県
高幽山・たかゆうやま・1746.9m・二等三角点・福島県
梵天岳・ぼんてんだけ・1770m・なし・福島県
丸山岳・まるやまだけ・1819.9m・二等三角点・福島県
【コース】 保太橋窓明山登山口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐、小林/檜枝岐、内川、高幽山、会津朝日岳
【ガイド】 新ハイキング01年5月号
【温泉】 たかつえ温泉白樺の湯 500円

【時間記録】
5月2日(木) 19:30 新潟発=(磐越道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由 経由)=23:00 会津高原高畑スキー場 (テント泊)
3日(金) 7:45 保太橋登山口発―9:08 巽沢山〜9:18 発―11:00 家向山〜11:10 発―13:24 窓明山〜13:53 発―15:13 坪入山〜15:28 発―16:12 1712ピーク手前鞍部 (テント泊)
4日(土) 5:08 1712ピーク手前鞍部発―6:56 高幽山〜7:11 発―8:24 梵天岳〜8:41 発―10:17 丸山岳〜11:18 発―13:08 梵天岳〜13:10 発―14:04 高幽山―15:35 1712ピーク手前鞍部 (テント泊)
5日(日) 7:45 1712ピーク手前鞍部発―8:42 坪入山〜8:47 発―10:33 窓明山〜10:43 発―12:02 家向山〜13:45 発―14:26 巽沢山〜14:40 発―15:26 保太橋登山口=(R.352、上ノ原、R.121、湯野上、R.118、芦ノ牧温泉、会津本郷、会津坂下、R.49、会津坂下IC、磐越道、)=20:50 新潟着

 会津駒ヶ岳から三岩岳、窓明山、坪入岳、高幽山、丸山岳を経て会津朝日岳に至る稜線は、南会津アルプスとも呼ばれる南北30kmの長大な稜線を形作っている。両端部の会津駒ヶ岳、三岩岳、窓明山、会津朝日岳は、登山道が開かれて、日帰り登山の山として親しまれているが、中央部の稜線は、藪に覆われている。かつて、この南会津アルプスに縦走路を通そうとする計画があり、昭和五十三年に会津朝日岳から丸山岳まで道が切り開かれたというが、現在では密藪に戻っている。丸山岳は、その草原状の山頂が、「天上の楽園」と紹介され、藪山愛好家の垂涎の的になっている。
 会津丸山岳の名を知ったのはいつの頃だったのだろうか。会津駒ヶ岳、会津朝日岳、三岩岳から窓明山といった南会津アルプスに属する登山道のある山を登っていくうちに、稜線の先にある坪入山や会津丸山岳といった秘峰の名前を知るようになった。登山道は無いというが、いつの日か歩いてみたいものと憧れの気持ちを持つようになった。会津丸山岳に雪の無い時期に登るには、沢登りでアプローチするしかなく、私には無理そうであったが、憧れの気持ちは逆に高まった。
 会津の難しい山を一緒に歩かせてもらっている室井さんと、一昨年の五月連休に山毛欅沢山から坪入山を経て窓明山まで歩き、次は会津丸山岳を目指そうと約束をした。昨年は、清水峠から巻機山への縦走を行ってしまったが、今年の五月の連休はいよいよ丸山岳をめざすことになった。一般に行われる会津朝日岳からの縦走は、日数の余裕が無いことと、会津朝日岳への登りに難しい所があるため、窓明山からの往復コースをとることになった。今年は、異常な雪解けの早さで、結局、この安全策が幸いすることになった。
 早朝発はなにかと忙しないので、前夜発にし、窓明山登山口の少し手前の会津高原高畑スキー場の駐車場でテントを張って寝た。一昨年は、スキー場には雪が残っていたのだが、今年は雪は全く無くなっていた。
 保太橋脇の窓明山登山口で、宇都宮グループの到着を待った。到着後、三日間の駐車を行うため、保太橋を渡った先の空き地に車を置いた。泊まりの山行となると、忘れ物がないように、出発の準備にも手間がかかる。今回の山行は、二泊三日の日程で、二日目は丸山岳へ空身で往復の予定であった。となると、一日目さえ重荷に耐えれば良いということで、酒には不自由しない山行をもくろんで、日本酒の四合瓶を二本買い込み、ビールも4本持った。当日の朝に引き受けた共同食料も詰め込むと、軽量化にはほど遠い重荷になった。
 国道脇の山肌からは雪は消え去って、新緑が朝日に輝いていた。窓明山の登りは、急坂の階段登りで始まる。ザックの重みにあえぎながら、一歩ずつ足を前に出し続けた。このコースは三度目とはいっても、これまでの二回は下山に使っており、登るのは今回が初めてであった。ゆっくりと登り続け、巽沢山に到着してひと息いれた。一昨年では、このあたりまで残雪で覆われていたのだが、雪は全くなく、登山道脇の藪に三角点が頭をのぞかせていた。家向山への登りが始まるあたりのブナ林から、ようやく残雪が現れた。ブナの新芽が吹き出していた。いつもより休みを多くとりながらの、忍耐の登りが続いた。雪原の登りが続くようになると、ようやく家向山の分岐に到着した。三岩岳から窓明山にかけての稜線の眺めが広がっていた。窓明山の頂上付近は、さすがに真っ白に雪に覆われていた。家向山の山頂は、登山道から少し奧に外れた所にある。先を急ぐ必要があるため、ひと休みした後、窓明山に向かって出発した。
 家向山から窓明山にかけては、一旦大きな下りになる。帰りの登りが思いやられるところではあるが、夏道も出ており、急坂を一気に下った。鞍部からしばらくは、夏道の歩きが続いた。再び残雪が現れると、気持ちの良いブナ林が周囲に広がるようになった。ここで、宇都宮からやってきたTさんが体調不良とのことで引き返すことになった。雪の上の足跡もしっかり残っており、天気も良いので、引き返すのには問題は無いはずであった。会津丸山岳は、機会に恵まれないとなかなか登れない山であるので、登山の断念は残念なことではあるが、厳しい歩きが三日間続くとなると、体調は万全でならなければならない。総勢7名となって登山を続けることになった。
 ブナ林がいつしか消えると、オオシラビソが点在する大雪原の登りになった。一昨年の窓明山からの下降は、雪原を駆け下りたのが嘘のような、遅々とした登りになった。昼を回って腹も空いたが、窓明山の山頂まで登り着かないことには、昼食にもありつけない。最後は、列は伸びて、バラバラになって窓明山の山頂に到着した。快晴のもと、白い稜線が三岩岳に向かって続き、下方には新緑に彩られた山が広がっていた。ここまでの登りで、水の消費も1リットルを越していた。ザックの重さに晴天の日差しが加わって、水の消費が多くなったようであった。水を作る用意はしてきたので、今晩は水作りに精を出す必要がありそうであった。
 窓明山からの下りは、山頂部の雪原から尾根に進むとヤブコギが始まった。ただ、尾根もほどほどに痩せて人の踏み跡がついており、歩くのはそう問題ではなかった。1775mの肩から北西に向きを変えると、藪は濃くなった。下りは重力の助けもかりて藪をかき分けているから良いものの、帰りのことを思うと気が重くなった。再び幅広の雪堤に戻ってほっとひと息ついた。緩やかに下っていった先に、坪入山が頭を持ち上げていた。標高差150m程であるので、ひと頑張りで山頂には到着できそうであった。気に掛かるのは、今日のテン場をどこにするかということであった。室井さんの当初の計画では高幽山付近まで進むことになっていたが、時間的にも体力的にも難しそうであった。坪入山に到着したところで考えようということになった。登る途中足を止めて振り返ると、窓明山の山頂部には黒々した木立が広がっていた。
 坪入山の到着は三時を回っていた。谷奥に姿を見せている会津丸山岳は、まだ遠かった。明日ピストンをするにしても、もう少し前進しておく必要があった。幕営地を探しながら、歩けるところまでということで、先に進むことになった。
 坪入山の西隣りの1754mピークの間は、吊り尾根状となって、70〜80mの高低差がある。1754mピークの斜面は谷に向かって切れ落ち、木も生えておらず、雪崩が起きそうな真っ白な斜面となっている。歩くコースは、南北の谷を分ける細い雪稜を辿ることになる。まずは、坪入山から急斜面を下った。鞍部付近の痩せたところでは、先頭の室井さんが深目につけた踏み跡を辿って慎重に通過した。雪もほどほどに柔らかく、踏み跡も深く付いているので、そう危険なことはなかった。登りに転じてからは、雪稜の登りを、一歩ずつ頑張った。今回は雪の状態も良く、つぼ足で通過できたが、条件によってはアイゼンが必要になる所であろう。ともあれ、窓明山から会津丸山岳の間では、ここが一番の難所であった。
 1754mピークに登り着いたところで、体力も限界近くなっていた。下りが始まったあたりからテン場を探しながら歩く状態になった。結局、1712ピーク手前の鞍部にテントを張ることになった。テント二張りで、男性四名と女性三名が分かれて寝ることのできる余裕のある幕営となった。室井さんの大テントに集まって夕食会を始めた。まずは、イカの一夜干しを焼いて、飲み会のスタート。お酒もつまみも充分にあった。夕食を終えて、後は雪を融かしての水作りになった。第一日目は水の消費量も多かったことから、二日目も一人あたり2リットルの充分な水を用意することにした。雪を融かし、コーヒーフィルターで濾過し、デリオスという浄水器で漉して、できあがり。テントの中での暇つぶしもかねて、水作りは夜遅くまで続いた。酒も充分ということで、お茶やコーヒーを何倍も飲んで水分を補給した。
 夜中には星が出ていたのだが、テントを打つ雨音で目を覚ました。天気予報では、二日目に天気が崩れるということだったので、ある程度は覚悟していた。外に出てみると、どんよりとした空のもと、意外に遠くの山まで見えていた。会津丸山岳を目指すのには問題はなさそうであった。朝食は、途中でパンをかじるということで、出発の準備を済ますなり、お茶も飲まずに出発した。いつもはのんびりスタートの室井さんとしては異例のことではあった。雨は止んでいたが、雨具を着込んでの出発になった。
 トラバース気味にピークを巻いた後に、長い下りが始まった。テン場は随所にあったが、重荷を背負っての登り返しのことを考えると、昨晩の幕営地は丁度良い位置であったようである。鞍部からは、高幽山に向かっての長い登りが続いた。雪堤も安定しており、割れて藪に追いやられる場所は僅かであった。山頂に登り着いたかと思ったが、そこは1692mピークで、山頂はさらにその奧で、最後には急登が待ちかまえていた。つらい登りの途中の慰めは、周囲の展望であった。振り返ると、燧ヶ岳の双耳峰が朝日に輝き、平ヶ岳や荒沢岳、越後駒ヶ岳を眺めることができた。左手には、未丈ヶ岳が大きく見え、予想外に近いことに驚かされた。先週登った日向倉山も未丈ヶ岳の左の峰続きに見分けることができた。日も照るようになって、サングラスを置いてきたことを後悔するようになった。
 高幽山の山頂に到着して、ようやく三分の一を終えたというところか。ようやく朝食のパンを食べる食欲もわいてきた。高幽山の下りはそれほど長くはなく、梵天岳への登りが始まった。鞍部の雪原を歩いていくと、梵天岳から下ってきた5名グループに出会った。会津朝日岳からの縦走となれば実力のあるグループのはずだが、こちらがにこやかに発した「おはようございます」という挨拶にも返事を返さなかった。先行していたため単独行と思われ、日帰り用サブザックの軽装だったため、うさんくさい者と思われたのだろうか。後ろにいた室井さんが聞き出したところ、会津朝日岳から丸山岳の間はヤブコギの連続だったとのことであった。どういった山岳会に所属しているのか知らないが、疲れていて、挨拶を返す余裕が無かったということにしておこう。
 急登を終えると梵天岳に到着した。標高の1765mは、縦走路の通っている東の肩に記載されているが、最高点は、縦走路から僅かに西に外れたところにある。ここまで来た以上は、最高点を踏まないわけにはいかない。荷物をおいて往復してくることにした。梵天岳の最高点からは、北沢源頭部の谷越しに、会津丸山岳を目の前に眺めることができた。ようやく会津丸山岳を射程距離内に捕らえることができた。しかし、縦走路は、東に大きく迂回してから会津丸山岳の山頂に続いている。もうひと頑張りが必要であった。時間はまだ早いのであせる必要はない。1723mピークへの途中、稜線は藪が出ており、一段下の雪堤を伝ったが、崩れそうなところもあり、枝を掴みながら慎重に通過した。1723mピークから二つ小さなピークを越えると、会津丸山岳への登りが始まった。新潟県側に雨雲がわいてきたと思ったら、雨が降り出してきた。この日の天気は、晴から雨へとめまぐるしく変化した。
 疲れて歩きの速度も遅くなってしまった人も出て、バラバラの登りになった。傾斜が緩むと、左に方向を変えて、緩やかな幅広の雪稜の登りになった。近づいた最高点の東側には、巨大な雪庇が張り出していた。会津丸山岳の山頂は、雪原となって、どこが最高点か判らなかった。稜線が左に曲がって下降していくのを見て、山頂に到着したことを知った。丸山岳に相応しい、なだらかな山頂であった。天上の楽園と称えられた草原は、雪の下に隠されていた。山頂に到着したのと同時に雨が降り出した。後に続いていた仲間も、雨具を着るために足が止まっていた。全員が山頂に到着するにはしばらく時間がかかりそうなため、山頂南側のオオシラビソの木陰に潜り込んで待つことにした。
 全員の到着と同時に雨も上がって周囲の展望が広がった。おいそれとは登頂できない山頂であるだけに、山頂からの展望を楽しむことができたのはうれしかった。会津朝日岳に至る稜線は、黒々と藪が出ていた。会津朝日岳の避難小屋に一日目は泊まったとして、次の日の一日で、会津丸山岳までヤブコギでやってくるのは、かなり大変そうであった。特に縦走の大荷物を背負っていたのでは、困難さは倍増する。雪がついていれば、会津丸山岳から窓明山へ引き返すよりは、会津朝日岳に向かった方が、余程近そうではあった。雪解けが異常に早い今年にあっては、安全策をとって、窓明山からの往復コースをとったのは正解であった。目の前には未丈ヶ岳が横に広がり、毛猛山塊が近づいていた。
 風当たりの弱い一段下がったところに腰をおろして昼食をとった。ここまで5時間かかったが、帰りも同じくらいの時間がかかりそうであった。長い帰り道にそなえて腹ごしらえを行う必要があった。登頂の祝杯は、ビールを回し飲みする程度で押さえておく必要があった。
 記念写真を撮った後に下山にうつった。下りは楽であったものの、登りにかかるととたんにペースが遅くなるようになった。人のスピードに合わせるだけの余裕もなくなり、列は伸びるようになった。梵天岳まで戻ったところで、この先はさほど危険なところは無いため、私と白石さんとで先行して戻り、お茶の準備をして待つということになった。二人での歩きになってペースは上がったが、最後の登りは、数回休んで息を整える必要があった。最後に小ピークを回り込んでテントが目に入った時はうれしかった。
 戻る途中、お腹も空き、体も冷えてきて、暖かいものが食べたいねということになった。白石さんがうどんを持ってきていたので、煮込んで待つことにした。私の二日目のおつまみとして栃尾の油揚げを持ってきていたので、一緒に入れた。本来は火であぶってショウガ醤油で食べるつもりであったのだが、この状態ではきつねうどんの方が美味しかったであろう。味見を兼ねて暖かいうどんを食べると人心地がついた。遅れて到着した人にも、着替えを済ませしだい、うどんを食べてもらった。うどんも少なくなったので、私の持っていたインスタントのソバを入れて、煮なおした。うどんとソバが混じってしまったが、山の食べ物とあっては気にする者はいない。最後に室井さんが遅れた人に付き添って到着したのは1時間遅れであった。私と白石さんは、往復10時間30分の行動時間であったので、一日の限界近く行動したことになる。
 登頂を果たして、酒も充分にある楽しい宴会になった。お喋りのかたわら、翌日の水作りにはげんだ。
 朝方から雨がテントをたたくようになった。夜が明けてから外に出てみると、ガスが出て視界は閉ざされていた。今日は下山するだけということで、朝食をゆっくりと食べ、テントを撤収すると、出発は8時近くまで遅くなってしまった。テントを撤収すると、テントの下と周りの雪原の間には、30センチほどの段差ができていた。テントの下は太陽や雨にさらされなかったものが、周囲では雪解けが急速に進行したようであった。
 ガスの中の出発になった。酒や食料を消費してザックは軽くなっていたが、足は重かった。ガスの中で、1754mピークからの下降点を慎重に見極める必要があった。雨で足元が滑るのが心配で、慎重に足を運んだ。鞍部付近の痩せ尾根は、一層細くなって、一段下をトラバースする必要があった。坪入山への急登では、尾根の頂部ではなく、藪との間のチムニー状の窪地を登る形になって、難しくはなっていなかった。坪入山の山頂に戻り、難所を通過したことでホットした。
 坪入山の山頂には、テントが張られていた。朝方、我々のテン場を二人連れが会津丸山岳方面に向かって通過していったという。このガスの中では、コースを見極めるのに時間が取られ、会津丸山岳への往復はかなり厳しいように思えた。
 続く難所は、窓明山山頂へのヤブコギであった。雪原を進み、ひと登りしたところで、藪が現れた。尾根通しから右にそれ、オオシラビソの林の中をトラバースしながら進むと、伝い歩くことのできる残雪が現れた。残雪を利用して登っていき、最後に少し藪をこぐと、1775mの肩付近に飛び出すことができた。室井さんの好判断であった。ここから窓明山への山頂へは、藪が出ているといっても、踏み跡ができており、歩くのに大きな支障にはならなかった。
 窓明山の山頂に到着し、後は問題の無い歩きと思ったのだが、落とし穴が待ちかまえていた。窓明山から下っていくと一面の雪原が広がるようになった。霧の中にぼんやりとオオシラビソの樹影が浮かび上がるが、距離感は失われていた。右手の谷に引きずり込まれないように、左よりにコースを変えながら下りを続けた。前方の斜面の傾斜が増したことからコースを外れていることに気づいた。コースを修正しなければならないが、右か左か、判断がつかなかった。石岡さんがGPSを持ってきており、取り出して確認してみると、本来のコースは右方向という結論が出た。雪原をトラバースしていくと、すぐに夏道に出会うことができた。思わぬところで、GPSの威力を知ることになった。本来は、窓明山の山頂で磁石を切って、標高を確認しながら慎重に下るべきであった。
 ブナ林の中を下っていくと、ガスが切れて、家向山が姿を現した。振り返ると三岩岳から窓明山の稜線部だけに雲がかかっていた。窓明山の山頂に向かっての急登が最後の難関になった。家向山の稜線部に登り着いたところで昼の大休止になった。後は下るだけということで、最後までとっておいたビールを分け合って飲んだ。皆が休んでいる間に、家向山の山頂を往復してくることにした。家向山から窓明山方面を振り返ると、稜線部からガスが消え始めており、坪入山の山頂も姿を現していた。
 家向山から下っていくと、新緑が濃くなっていった。コブシやツツジ等が満開の状態になって、登りの時と比べても、一気に芽吹きが進んだ感じであった。緑に包まれ、残雪の山の緊張感からもようやく解放された。
 下山後、たかつえ温泉で入浴してから別れた。このメンバーに再び会うのは、困難な藪山でということになるだろう。三日間の山行で疲れもたまったが、それよりも山歩きに十分満足し、飽和状態のため、休みを一日残して家に帰ることになった。



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