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桑ノ木山、ネコブ山
白尾山、荷鞍山、アヤメ平
赤崩山、日向倉山


【日時】 2002年4月27日(土)〜29日(月) 各日帰り
【メンバー】 27日 単独行
28日 宇都宮グループ(室井、田辺、蜂須賀、岡本)
29日 単独行
【天候】 27日:晴 28日:晴 29日:晴

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
カヨウ・かよう・987.4m・三等三角点・新潟県
桑ノ木山・くわのきやま・1495.7m・三等三角点・新潟県
裏銅倉・うらどうくら・1774.3m・三等三角点・新潟県
ネコブ山・ねこぶやま・1790m・なし・新潟県
【コース】 十字峡導水パイプより(カヨウツルネ)
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/兎岳
【ガイド】 横山拓さんのHP、LATERNE8巻
【温泉】 しゃくなげい湖露天風呂 200円

【山域】 尾瀬
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
白尾山・しらおさん・2003m・なし・群馬県
荷鞍山・にぐらやま・2024.0m・二等三角点・群馬県
アヤメ平・あやめだいら・1960m・なし・群馬県
【コース】 富士見下より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/燧ヶ岳、藤原/三平峠、至仏山
【ガイド】 なし
【温泉】 寄居山温泉センター 500円

【山域】 奥只見
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
赤崩山・あかくずれやま・1164.8m・三等三角点・新潟県
日向倉山・ひなたぐらやま・1430.7m・三等三角点・新潟県
【コース】 石抱橋より
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/奥只見
【ガイド】 なし
【温泉】 ゆーぱーく薬師 600円

【時間記録】
4月26日(金) 20:30 新潟発=(関越道、六日町IC、五十ヶ沢 経由)=23:00 三国川ダム (テント泊)
27日(土) 4:55 十字峡発―5:03 五十沢第一発電所導水管下〜5:08 発―5:25 導水管上〜5:30 発―6:47 カヨウ〜6:52 発―8:23 桑ノ木山〜8:33 発―8:33 鞍部―10:07 ネコブ山〜11:08 発―11:49 鞍部―12:10 桑ノ木山〜12:15 発―13:13 カヨウ〜13:18 発―14:17 導水管上―14:29 導水管下―14:42 十字峡=(五十ヶ沢、六日町IC、関越道、沼田IC、R.120、鎌田、R.401、戸倉 経由)=19:00 富士見下 (テント泊)
28日(日) 7:57 富士見下発―10:18 富士見峠〜10:35 発―11:02 アンテナピーク―11:18 荷鞍山分岐―11:25 白尾山〜11:30 発―11:38 荷鞍山分岐―12:15 荷鞍山〜12:50 発―13:26 荷鞍山分岐―13:55 富士見峠―14:35 アヤメ平―15:19 登山道―16:12 富士見下=(戸倉、R.401、鎌田、R.120、沼田IC、関越道、小出IC、R.352、シルバーライン、銀山平、シルバーライン 経由)=20:30 大湯公園 (テント泊)
29日(月) 5:00 大湯公園発=(シルバーライン、銀山平 経由)=6:00 石抱橋〜6:23 発―6:37 尾根取り付き―7:43 赤崩山―9:15 日向倉山〜9:45 発―10:56 赤崩山―11:41 尾根取り付き―11:52 石抱橋=(銀山平、シルバーライン、小出IC、関越道 経由)=15:30 新潟着

 桑ノ木山とネコブ山は、巻機山から丹後山を経て中ノ岳に至る稜線の途中にある下津川山から、十字峡に向かって延びる尾根上にある山である。桑ノ木山は、広い台地状の山頂を持った山であり、また、ネコブ山は、肩を張ったような山頂を持つ重量感のある山である。縦走路から外れており、この山をめざすのは、藪山をめざす篤志家くらいのものであったが、2002年4月号の岳人の特集「マイナー12名山」に取り上げられ、いちやく注目をあびることになった。

 鳩待峠からアヤメ平、富士見峠、白尾山、皿伏山に至る東西に延びる稜線は、尾瀬ヶ原の南の縁を形作っている。白尾山の南に隣り合う山が、荷鞍山である。南のピークと合わせて、馬が荷物を運ぶ際の鞍に似ていることから名前が付けられているようである。
 荷鞍山は、ほとんど注目されることのない山であるが、尾瀬ヶ原の形成にかかわっている山である。新生代に尾瀬周辺の火山活動が活発になり、景鶴山、アヤメ平、皿伏山、荷鞍山の盾状火山が形成され、尾瀬ヶ原や尾瀬沼の盆地ができたという。その後、燧ヶ岳が噴火し、溶岩や火山灰によって只見川がせき止められて尾瀬ヶ原の元となる古尾瀬ヶ原湖が形成され、さらに、噴火末期には沼尻川もせき止められて尾瀬沼が作られた。その後、高層湿原化が進んで現在の尾瀬ヶ原が形成されたという。

 奥只見の銀山平の北側の北ノ又川左岸に沿って、赤崩山から日向倉山に至る稜線が連なっている。この稜線は、日向倉山で北に向きを変えて、未丈ヶ岳を経て毛猛山塊へと続いている。赤崩山から日向倉山にかけての稜線は、幅の広い雪原となっており、残雪期ならば、越後駒ヶ岳や中ノ岳、荒沢岳を眺めながらの稜線漫遊を楽しむことができる。また、日向倉山の山頂は、周囲の展望が開けており、未丈ヶ岳から毛猛山塊への稜線を一望でき、さらに会津朝日岳から丸山岳、会津駒ヶ岳にかけての稜線も眺めることができる。

 今年の五月連休は、後半に会津丸山岳の計画が入っていたが、前半は予定がなかなか決まらなかった。室井さんが、尾瀬の荷鞍山にいくというので、参加させてもらうことにしたが、その前後の予定を考える必要があった。今年は雪解けが異常に早いため、雪の多そうな山ということで、越後三山周辺のネコブ山と奥只見の日向倉山を考えた。
 ネコブ山は早朝発を予定したので、前夜に登山口の十字峡に入っておくことにした。十字峡は1992年10月5日に中ノ岳から丹後山へ日帰り登山をして以来ということになるが、ダムサイト周辺の道路や戸外施設の整備が進んでいた。除雪区間がどうなっているのか心配であったが、十字峡まで車で入ることができた。釣り客のものかテントが並んでおり、うるさそうなため、少し戻った路肩の広場にテントを張って寝た。
 快晴の朝になった。ダムサイトの山肌は新緑がまぶしく、困ったことに雪は見あたらなかった。かなり高度を上げないと、残雪は現れそうになかった。今回の山行は、横山さんと大木さんの記録を参考にしたが、桑ノ木山へは五十沢第一発電所の導水管上からのカヨウツルネと、下津川林道奧の蛇崩沢右岸尾根に踏み跡が続いているようである。残雪が期待できないのならば、尾根沿いのカヨウツルネの方が確実のように思えた。
 十字峡登山センターの駐車場先で車道に鎖が掛けられていたため、ここから歩き出すことになった。十字峡トンネルを抜けると、五十沢第一発電所の導水パイプの下に出た。見上げるような急斜面にパイプが立ち上がっており、その脇に階段が設けられていた。普通の山登りでは経験しないような急な登りが続いた。途中で、階段が付け代わるテラスで息を整えた。パイプ上部には発電用の建物があり、背後は小広場になっていた。息が上がって、思わず座り込んでひと休みした。下山時に導水管の説明を読むと、落差178.1mとあるので、階段登りがそれだけ続いたことになる。20分の階段登りは、山には慣れているとはいっても、辛かった。眼下に、青い湖面と十字峡登山センターの駐車場を見下ろすことができた。阿寺山が正面に向かい合っていたが、緑の色が勝っており、雪の白さは1509mの山頂部で見られるのみであった。
 広場の背後は、削られて崖になっており、尾根に乗るには、右手の岩場を登る必要があった。短い岩場であるが、足場が少ない所が一ヶ所あり、慎重に通過した。尾根には、はっきりした踏み跡が続いており、ヤブコギの心配は無くなった。尾根の途中には、数歩の長さであるが、両脇が切り落ちた露岩の上を越すところもあって、足元に注意を払わなければならない所も現れた。木の枝を掴みながらの急な登りが続いた。
 900m標高に達すると、広尾根となり、残雪が現れた。新緑のブナ林が広がって、心がなごんだ。この先で尾根に上がると、三角点の置かれたカヨウに出た。三角点の周りは刈り払われて、枝が散らばっていた。尾根の左に張り出した雪堤に出ると、中ノ岳が高く聳えていた。中腹の日向山の雨量観測施設も見分けることができた。
 カヨウからしばらくはブナの木の生えた尾根を登っていくと、1100m付近から雪堤歩きが続くようになった。傾斜も緩やかになり、気持ちの良い歩きが始まった。細くなった雪稜を通過する所もあったが、雪もほどほどに柔らかく歩きやすかった。アイゼンは持ってきていたが、結局使わずに済んだ。振り返ると、八海山が朝日に輝き、その右手の中ノ岳は、まだ見上げる位置にあった。上方に台地の縁が見え始め、どうやらそこが桑ノ木山のようであった。
 傾斜が緩んで桑ノ木山の端に到着したが、最高点に到着するまでには、しばらくの雪原歩きが必要であった。南の展望が開けると、ネコブ山が初めてその姿を現し、思わず歓声を上げたくなった。単独行でなかったら、後続の者に「すごいぞ、早く上がってこい」とどなるところであったろう。ネコブ山は、雪原の先に、肩を張った台形の非凡な姿を見せていた。この見え方は、前天狗に到着した時に初めてその姿を現すニペソス山に似た感じがする。これだけの眺めが紹介されていないのは、やはりマイナー名山に相応しいというべきか。ネコブ山に至る稜線も良く確認することができた。一部藪が出ているが、雪堤を伝うことができそうであった。左の肩の奧にあるのは下津川山のようであった。
 桑ノ木山の最高点一帯は、野球のグランドのような雪原となり、雪解けの進んだ笹藪の中に三角点を見つけることができた。振り返ると、一段下がった台地の向こうに、八海山と中ノ岳が大きな姿を見せ、越後駒ヶ岳は、三角形の山頂だけをのぞかせていた。.この桑ノ木山の広大な山頂もユニークなものであり、ほとんど話題にならないのが不思議である。
 ひと休みの後にネコブ山に向かって歩き出した。南に広がる1518mの台地は藪が出始めており、左を巻いて鞍部に下った。岩場記号のあるネコブ山への取り付き部は雪が落ちて藪が出ており、西の斜面を伝ってから尾根に上がった。短い区間であったが、ツゲやシャクナゲの密生した藪が現れた。結局、ヤブコギらしいヤブコギはここだけであった。山頂に向かって、ひと続きの雪堤が続いていた。空に向かって登っていくうちに、やがて傾斜も緩み、ネコブ山の北の肩の裏銅倉に到着した。ここには三等三角点(点名泥倉)が置かれているが、一面の雪原が広がっており、最高点付近は雪庇が怖くて近寄れなかった。大きな雪庇を張り出した雪原の向こうに、雪の落ちた小岩場が見え、そこが最高点のようであった。一面の雪原に距離感が無くなっていたのか、疲れが足にきたのか、小岩場はなかなか近づいてこなかった。
 ネコブ山最高点の小岩峰は、雪原の中から、黒く突き出ていた。太陽に暖められた岩に腰を下ろした。周囲には360度の大展望が広がっていた。まず目に入るのはピラミダスな下津川山であった。そこに至る稜線も、誘うがごとくに一望できた。2時間ほどの距離とのことであるが、そこまで足を延ばすには、超健脚のレベルとなり、今日中に引き返すことはできなくなる。下津川山の右手には巻機山へと続く稜線、また左手には越後沢岳から丹後山、兎岳、中ノ岳へと稜線が続いていた。桑ノ木山は、下方となり、八海山や中ノ岳も遠くなっていた。大兜山が人を寄せ付けない岩壁を巡らし、山頂だけを白くしていた。五月の連休で、各地の山は混み合っているはずなのに、これだけの展望が独り占めとは。暖かい日差しに包まれ、ビール片手に腰を下ろす、至福のひと時であった。
 雪道の下りは早い。足元にも気を使わないほどほどの雪の堅さで、快調に歩き続けることができた。桑ノ木山でネコブ山の眺めに別れをつげた。ネコブ山は、一期一会の山になるのだろうか。他にも登りたい未知の山は残っている。しかし、この山は他の人に紹介してみたくなる山である。いつかの再訪の時まで、山頂標識などの無い変わらぬ姿を保ち続けていて欲しいものである。
 八海山と中ノ岳を眺めながらの下りを続けていくと、雪も少なくなって、緑が濃くなってきた。カヨウツルネの下りでは、踏み跡が判りにくい所もあり、コースを外さないように注意が必要になった。最後に疲れた足をなだめながら階段を下ると、ようやく登山も終了した。
 下山後の温泉は、ダム下にある露天風呂に入った。石鹸・シャンプー禁止であったのは、登山の後では少々辛かった。
 翌日の荷鞍山のために、関越道に戻り、尾瀬の登山口の大清水に向かった。沼田のコンビニで食料を買い込んだ。
 戸倉に到着してみると、付近の山からは雪は全くなくなっていた。翌朝の待ち合わせは大清水であったが、時間も早かったので、富士見下の様子を見ておくことにした。富士見下は、かつては大清水と並んで、尾瀬の主要な入山口であった。鳩待峠や沼山峠が利用されるようになって、最近では歩く者も少なくなっているようであった。戸倉スキー場の先は、舗装されているとはいっても、林道状の道になった。富士見下の駐車場に到着してみると、人気は無かった。大清水の駐車場に入っても混雑しているように思えたので、ここで野宿を決め込んでテントを張った。聞こえるのは沢音だけの夜を過ごした。
 翌朝の5時過ぎに、大清水に移動すると、驚いたことに開放されていた駐車場はほぼ満杯状態であった。五月の連休中には、尾瀬沼方面にはかなりの登山者が入るようであった。大清水の湿原はミズバショウが花の盛りであったため、待ち合わせの時間まで、カメラ片手に木道を歩いて花の写真を撮った。
 室井さんが到着したところで、山行計画を再検討することになった。当初の予定では、大清水から西に延びる尾根を使って荷鞍山に登り、白尾山から沼田街道に下るというものであった。残雪歩きが前提であったが、この状態では、かなりのヤブコギが予想された。相談のすえ、富士見峠まで一般コースで登り、白尾山から荷鞍山を往復しようという計画に変更になった。
 富士見下に逆戻りになった。富士見下の駐車場の少し先で林道に鎖がかかっていたので、ゲート脇の広場に車を置いて歩き出した。富士見下には、車は一台も見あたらなかった。十二曲がりのつづら折りを登っていくうちに雪が現れた。林道は除雪されており、このまま富士見峠まで歩けるかと思ったが、道の真ん中に除雪車が止められており、その後は雪道になった。傾斜が緩くなりブナ林が広がる谷間に出ると、ここが田代原と呼ばれる台地であった。右手に馬洗淵と呼ばれる雪に半ば埋まった池を見下ろしながら林道は大きくカーブを描きながら続いていた。前方にアヤメ平の雪原の縁が見えるものの、富士見峠はまだ遠そうであった。右手の谷越しには荷鞍山が意外な近さに見えていた。もっとも、白尾山はまだ遠いので、荷鞍山は近くて遠い山であった。
 山腹を巻いていく長い道が続いた。左上には、アヤメ平から大きな雪庇が張り出していたが、その先端はすでに崩れ落ちて雪崩の心配は無くなっていた。林道歩きがいいかげんいやになった頃、富士見小屋に到着した。小屋は、まだ閉鎖されていた。ここまでの道は、子供の頃に何度か通っているが、全く記憶に残っていない。40年近くになろうとするので無理はないことではあるが。富士見小屋周辺は、オオシラビソが点在する一面の雪原が広がり、晴天の元に我々のグループだけというは、贅沢ながらももったいない感じがした。
 ひと休みの後、白尾山に向かった。オオシラビソの林を抜けていくと、燧ヶ岳が姿を現した。アンテナの立つ1956mピークに出ると、西に至仏山が真っ白な姿を現した。荷鞍山のすっきりした三角形の山頂もようやく近づいてきた。荷鞍山の背後には、日光白根山、四郎岳、燕巣山が並んでいた。荷鞍山への下降点は白尾山手前の肩であるが、その前に白尾山の山頂を踏んでくることにした。ひと登りした白尾山の山頂からは、皿伏山越しに燧ヶ岳が一際大きな姿を見せていた。
 尾根の分岐に戻り、荷鞍山へ向かった。急斜面を下った後、しばらく尾根歩きをすると、荷鞍山への急な登りが始まった。インターネットのホームページで、白尾山から荷鞍山にかけては、道が切られていると読んだことがある。残雪歩きのために、道があるのかどうか判らなかったのだが、鞍部近くで大きな岩を回り込むところで雪解けが進んでおり、道が付けられていることを確認できた。急斜面になると、木の枝が煩わしくなって、開けた雪面を辿って登る状態になった。
 辿り着いた荷鞍山の山頂は、雪が消えて、藪が出ていた。僅かな切り開きがあり、三角点が頭を出していた。傍らの木には、荷鞍山の山名プレートが掛けられていた。きれいな円錐形の山頂を持つ山なので、周囲の展望を期待したのだが、藪で囲まれていた。それでも南方向は視界が開けて、1975mピークに至る稜線を良く眺めることができた。白尾山からの道が山頂に上がってきていたが、1975mピークへの尾根沿いにも道が切り開かれているのが目にとまった。後で地図を検討してみると、この道は、戸倉スキー場か、富士見下あたりに続いているように思えた。興味が引かれる道であった。
 山頂での昼食の後、白尾山に引き返した。荷鞍山からの下りは早かったものの、白尾山への登り返しは足が重くなった。富士見小屋に戻った後、アヤメ平経由で下山することにした。富士見小屋のすぐ西側にも雪原が広がっていたが、これは小田代と呼ばれる湿原のようであった。オオシラビソの林を抜けていくと、大雪原が広がった。雪原の中にアヤメ平の標識が立っているのに出会い、現在地を確認することができた。大雪原の向こうに燧ヶ岳と至仏山が頭をのぞかせている風景は、夏の湿原との組み合わせとは違った美しさを見せていた。今回の目的地は荷鞍山で、当初の計画ではアヤメ平は訪れる予定ではなかったので、思わぬ得をした感じになった。
 アヤメ平は、かつては尾瀬の中でも山頂の楽園と呼ばれる人気スポットであったが、登山者によって湿原が踏み荒らされて、その修復作業の実験場と化してしまった。最後にアヤメ平を訪れたのは、30年ほど前であったろうか。その頃は、ムシロが敷かれて、痛々しい姿を見せていた。今では湿原は、緑を取り戻したのだろうか。傷跡は全て雪の下となって、アヤメ平は静かに広がっていた。
 アヤメ平からは、南に延びる尾根を下り、1786m手前の鞍部から林道に向かって下降することにした。アヤメ平の南の縁は雪庇が張り出した崖になっていたが、尾根の張り出し部は、急斜面であるが、つぼ足で下降できる斜度であった。尾根を快調に下り、鞍部で林道への下降点を探した。傾斜の緩い斜面が見つかったので、雑木林の中を下っていくと林道に下り立つことができた。このコースは、アヤメ平の下を延々とトラバースする林道歩きよりは早いし、雪崩の心配も少なそうなので、アヤメ平への積雪期のコースとして使えそうであった。
 夕方も近づいていたので、田代原や十二曲がりをショーットカットしながら、下りを急いだ。行きに見たフキノトウを採って帰ろうという声があったが、他に入山者がいたようで取り尽くされていた。
 戸倉の日帰り入浴の料金は高そうであったため、鎌田まで戻ったところで日帰り温泉に入り、解散となった。一週間と経たないうちにこのメンバーとは、会津丸山岳山行のために再会ということになる。
 二日続けての山歩きで疲れも出てきたが、翌日も天気が良さそうなため、もうひと頑張りすることにした。雪の多そうな所ということで、奥只見の日向倉山を目指すことにした。
 再び関越道にのって小出に引き返した。翌日の食料やら夜食を買い込み、銀山平に向かった。シルバーラインの途中にある、未丈ヶ岳の登山口の泣沢の状態を確かめた。出口の扉を開けると、雪の壁が前に立ちはだかっていた。ゼンマイ採りのシーズンには除雪されるはずであるが、それはいつになるのやら。少し考えるところがあるのだが、時期が問題になる。
 銀山平に到着して、船着き場の駐車場や石抱橋周辺を偵察してみると、釣り人の車で賑わっていた。4月21日で釣りの解禁になったようである。さすがに奥只見ということで、道路脇にも雪の山が築かれていた。ただ、車を下りると冷え込みも厳しく、テントで寝るのも辛そうであった。一旦山を下りて、大湯温泉の公園の駐車場で夜を過ごすことにした。公園には、連休中とあって他の車もいたが、広い公園の片隅で静かに寝ることができた。
 翌朝、再び銀山平を目指した。銀山平に戻った所で、登山コースの状態を確認した。長岡の皆川さんの冬にスノーシューを使って登った記録によれば、トンネル出口から西側に進んで二本目の尾根を登っている。地図の傾斜を見ても、このコースが良さそうに思えた。トンネル出口から眺めると、尾根からは雪がほとんど落ちているのが見えた。稜線部付近には雪が残っているものの、ヤブコギが大変そうであった。北又川の対岸の道路をゆっくりと車を走らせながら、尾根の雪の付き具合を偵察した。最悪の場合、枝折峠への車道歩きで高度をかせいでから稜線に移ろうかとも思った。石抱橋から東へ二本目の尾根に、雪堤が筋となって残っているのが目に入った。尾根の傾斜も問題は無さそうであったので、この尾根を登ることに決めた。
 車道の除雪は石抱橋を渡った先のトイレの前までであった。石抱橋周辺は釣り客の車で賑わっていた。鉄砲を持ったハンターが、北又川上流部に向かう登山者に、クマを追い払うので、少し遅れて出発してくれと話していた。話を聞くと、今年は雪解けが早いためか、クマが出没しているとのことであった。出発の準備をしている間にも、スキーを履いた登山者が枝折峠の方へ出発していった。
 石抱橋から下流の北又川の河畔は、広河原になっていた。釣り客の邪魔にならないように川端を歩いて、二番目の尾根をめざした。尾根の末端部は雪が無くなっており、藪尾根に取り付いた。ほどほどに痩せた尾根で、踏み跡とまではいかないまでも、人が歩いたような気配があり、枝をかき分けながら快調に高度を上げることができた。ヤブコギもじきに開放され、東斜面に残された雪堤の歩きが始まった。快晴のもとの残雪歩きとなり、周囲の風景にも目をやる余裕が出てきた。藪にはタムシバの花も咲き、背後には荒沢岳の眺めが広がった。もっとも、この眺めは稜線部に出てからのお楽しみということでとっておくことにした。途中で尾根が合流するので、要所には赤布を付けながら登った。
 最後に雪庇が落ちた跡なのか、少し傾斜を増した雪原を登ると、赤崩山の西の肩の稜線部に登り着いた。背後を振り返ると、予想していた以上に素晴らしい展望が広がっていた。荒沢岳は、三角形の山頂の両脇に岩稜を長く延ばし、目の前に屏風のように立ちはだかっていた。前ぐらの岩場も見分けることができた。2000年10月7日〜9日に越後駒ヶ岳から荒沢岳へ縦走した際の日没ぎりぎりの下降が思い出された。懐電で転び転び下ったのはあの尾根かと、苦しかった下山も今は懐かしい思い出になっていた。荒沢岳の右手には、真っ白な雪を抱いた中ノ岳と駒ヶ岳が並んで聳えていた。その眺めには、しばし見入ってしまった。
 ブナ林の斜面をひと登りすると赤崩山の山頂に到着した。赤崩山の山頂からは、新たに日向倉山から未丈ヶ岳、毛猛山塊の眺めが広がった。日向倉山は、まだ遠いといっても、充分行って帰って来られる距離にあった。赤崩山の先で藪が出ていたので、雪を伝って巻くと、その先で稜線が痩せて、トラバース気味の下りになった。昨晩の冷え込みのせいか雪も堅いため、アイゼンを付けることにした。ネコブ山、荷鞍山と、二日続けてザックのお荷物になっていたアイゼンのようやく出番になった。三日のうちでは、一番標高が低い山でアイゼンが必要になるとは、不思議なものである。アイゼンを付けるのは、冬の間も雪山に登っていたのだが、今回が今年最初になった。はき慣れないアイゼン歩行は、始めはぎこちなく、トラバース部を慎重に越した後は、足元にも気を払う必要のない気楽な雪原歩きになった。
 緩やかに起伏する幅広の稜線が続き、ブナの木が所々に点在していた。快晴の青空が広がっていた。1277標高点で、稜線は左に向きを変え、日向倉山の山頂へ向かう尾根が始まった。尾根の下部は雪が割れており、左側の藪に追いやられた。幸いヤブコギもすぐに開放されて雪の上に戻ると、山頂めざしての快調な登りが続いた。山頂付近は藪が出ていたので右に回り込むと、日向倉山の山頂に到着した。
 日向倉山の山頂は雪原になり、四方に幅広の尾根が下っていた。まず目が引きつけられたのは、未丈ヶ岳に至る稜線であった。途中で1376mの小ピークが三角形の頭を持ち上げているが、なだらかな稜線が未丈ヶ岳の山頂に向かって延びていた。途中で僅かな起伏が入るといっても両ピークの標高差は120mしかなく、雪もしっかり付いているので、あと2時間といったところか。未丈ヶ岳への残雪期のコースとしては、奥只見丸山スキー場から1376mピークに至る尾根が良く使われているようだが、日向倉山経由の方が楽のように思える。登りに用いる尾根を探すのに手間取ったので、今日は無理としても、いつか歩いてみたい稜線である。未丈ヶ岳の先には毛猛山塊が険しい姿を見せていた。
 次に目がいくのは、会津駒ヶ岳から丸山岳、会津朝日岳に至る稜線であった。連休後半は、会津丸山岳をめざすことになる。長大な稜線が横に広がり、どれが会津丸山岳のピークか判断が付かなかった。結局、会津丸山岳を登り終えた後、地図とパノラマ写真を比べて、ようやく各ピークを同定することができた。高幽山から会津丸山岳に至る稜線では、未丈ヶ岳と並んで、この日向倉山の山頂も良く見分けることができ、思わぬ再会になった。
 最高点部に現れていた藪の中を探すと、三角点を見つけることができた。大パノラマを眺めながら昼食をとった後、下山に移った。日向倉山からの急な下りも、アイゼンを付けているぶんには、安心して歩けた。越後駒ヶ岳を正面に見ながらの帰り道の雪原歩きは楽しかったが、強烈な日差しに、顔の日焼けが気になるようになった。
 昼に下山したが、山行三日目とあっては、これで丁度良い歩きであった。小出に戻って温泉に入り、新潟への家路についた。

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