0229

多宝山
赤安山、五頭山


【日時】 2002年4月6日(土)〜7日(日) 各日帰り
【メンバー】 てくてく会開催
4月6日 とんとん、ある×、えび太、黒ヒョウ、さくら、すみれ、ひょう、ナデシコ、ま〜く、まるいぬ、むーむー、桃パパ、タイガー、 ジャスミン、トモ、シマ、ほっきょくクマ、ひまわり、JO、Akira 合計20名、
4月7日 とんとん、ある×、うすゆき、えび太、えんじぇるん、がよちゃん、黒ヒョウ、さくら、すみれ、ひょう、ま〜く、まるいぬ、むーむー、らら、 ヒロタン、ジャスミン、トモ、シマ、ほっきょくクマ、JO、Akira 合計21名
【天候】 6日:晴 7日:曇り

【山域】 弥彦・角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 多宝山・たほうざん・633.8m・一等三角点本点・新潟県
【コース】 登り:銅山道 下り:宝川右岸尾根
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 なし
【温泉】 馬下保養センター 400円(石鹸のみ)

【山域】 五頭山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 赤安山・あかやすやま・582m・なし・新潟県
 五頭山・ごずさん・912.5m・三等三角点・新潟県
【コース】 登り:少年自然の家より 下り:どんぐりの森
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/出湯
【ガイド】 なし
【温泉】 宝珠温泉赤松荘 500円(貸しタオル付き)

【時間記録】
4月6日(土) 7:00 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、R.402、田の浦 経由)=9:23 林道開ノ木平線ゲート発―10:01 鎖場―10:37 明神沢立坑―10:52 弥彦スカイライン―11:30 大平園地〜12:55 発―13:20 多宝山〜13:28 発―13:52 尾根取り付き―14:21 三角点ピーク―14:56 林道―15:09 ゲート=(田ノ浦、R.402、間瀬峠、岩室、R.460、矢代田、石油の里、五泉、馬下)=18:30 馬下保養センター  (馬下保養センター泊)
4月7日(日) 6:40 馬下保養センター発=(草水、R.290、五頭スキー場、少年自然の家 経由)=7:30 赤安山登山口〜7:45 発―8:57 赤安山―9:49 八合目―10:14 五ノ峰〜10:43 一ノ峰―10:58 五頭山〜11:13 発―11:24 一ノ峰〜12:30 発―12:42 三ノ峰―13:16 長助清水―13:36 五合目―14:04 五頭スキー場=(R.290、宝珠温泉赤松荘、R.49 経由)17:00 新潟着

 弥彦山は、越後平野の日本海際に、角田山や国上山と共にひとつの山塊を作る山である。山頂は、越後一宮として名高い弥彦神社の奥の院の置かれた弥彦山と、一等三角点の置かれた多宝山のふたつのピークに分かれている。
 弥彦山の山頂部には、弥彦スカイラインが通じているが、この道路の開削によって、日本海から通じていた山道は、寸断されたり、工事用土砂による土石流のために、荒廃してしまったという。地図にも記載されている田ノ浦からの道は、かつて銅山があったことから間瀬銅山道と呼ばれるが、最近歩く者が多くなって、道もしっかりしてきている。

 五頭連峰は、新潟平野の縁に連なる飯豊連峰の前衛の山である。新潟市に近いことから、日帰り登山の山として親しまれている。連峰中央部の五頭山は、各方面から登山道が開かれ、最も親しまれている山になっている。五頭山は、五つの峰が並んでいることからいつむりと呼ばれていたのが、ごずに変化したという。信仰の山でもあり、それぞれの峰に石仏が祭られている。
 五頭山の登山道の一つに、少年自然の家から赤安山を経て、出湯コースの八合目に合わさるコースがある。この赤安山登山口は、山葵山経由の松平山コースの登山口にも近く、五頭山から松平山への周遊コースとしても利用価値は高い。このコースは地図にも破線が記載されているが、利用者は少ない。

 とんとん主催のてくてく会では、昨年に続いて、雪割草のお花見山行と残雪山行を会わせて開催することになった。昨年は、一日目に八枚川登山口から弥彦山に登り裏参道を経由して西生寺に下り、一面に広がる雪割草とカタクリのお花畑を堪能することができた。さらに二日目は大蔵山から菅名岳に縦走し、残雪の山を楽しんだ。
 今年は、また違うコースや山を考える必要があり、頭を悩ますことになった。昨年、雪割草が終わってからであったが、田ノ浦からの銅山道を歩いて多宝山に登り、雪割草の葉が沢山あることを見て、また他の山野草も多いことから、次回のコースに使おうと思っていた。このコースについては、お勧めの自信があったが、今年は桜の開花がかつて無いほど早く、雪割草も3月初旬から咲き始める状態で、4月に入ってからのお花見山行では、雪割草は終わってしまっているだろうと諦め状態になっていた。
 二日目の残雪山行についても、当初は宝珠山から菱ヶ岳への縦走とアナウンスしたものの、参加者が20名にも及び、前日の宴会のために早起きは難しいということで、時間が足りなさそうであった。一週間前に五頭山塊の雪の量の偵察がてらに登った赤安山経由の五頭山コースに急遽変更することにした。下山は、どんぐりの森経由として変化を持たせることにした。もっとも、これは赤安山登山口に車数台分のスペースしかないためでもあるのだが。20名程の団体となると、山行以外にも頭を悩ますことが多い。
 先日の弥彦山塊縦走と同じく、新潟駅でじゃすみんをピックアップし、角田浜からシーサイドラインを走り、田ノ浦に向かった。青空のもとに穏やかな海が広がっていた。集合場所の田ノ浦の駐車場には一番に到着したので、トーコー白石の先に続く林道開ノ木平線の様子を見てくることにした。ゲート前にはすでに、何台もの車が停められていた。このコースも結構知られているようであった。路肩の草むらに車を置くことができるので、ゲートから歩き出すことにして、ひとまず駐車場に戻った。ぽつりぽつりと参加者も集まってくると、燕三条駅でまーくとJOさんをピックアップしたとんとんも無事に到着した。大人数の割にはトラブルも無く、参加者全員が集まってくれたので、さっそくゲートに移動した。
 ゲート前の車はさらに多くなっていたが、路肩の草むらに車をつっこんで、なんとか駐車することができた。出発準備の間にも他のグループが到着してきた。ゲート前に集合したものの、初対面の人も多く、他のグループの登山者も脇に立っていたりするので、全員がいるのかどうか判り難かった。20人もの団体となると、全員がいるのかどうかも判りにくい。全員いると信じることにして歩き出した。
 林道は、すぐ先で左にカーブするが、沢沿いに直進する山道があり、これが登山道である。登山道脇には、ニリンソウの群落が広がっていた。イチリンソウかと思っていたが、葉の付き方で区別できるようである。さらにタチツボスミレ、イカリソウ、ミヤマキケマンの花が現れて目を楽しませてくれた。女性陣は、さっそくおしゃべりに興じて、ノロノロ歩きになってしまい、高齢者グループにも引き離される状態となり、前途多難な歩き出しになった。
 幅の広い道は堰堤で終わり、その先からは山道になる。堰堤を越すとそのまま左岸沿いに踏み跡が続いているが、すぐにあやふやな道になる。引き込まれかけたが、ここは、堰堤上流部の河原に下りて、右岸に渡ると山道が続いている。先回もここで少し迷ってしまった。しばらくは右岸沿いの道が続く。沢沿いではあるが、明るい感じの谷間で、気持ちよく歩くことができた。振り返ると、我々のグループだけで人の列が長く続いていた。静かな山歩きは、今日のところは諦めるしかない。登山道脇に雪割草の花が咲いているのに出会った。今回は諦めかけていた雪割草だけに、始めは一輪でも咲いているのに一同喜んだ。右手から滝が落ちてくるのを見ると、左岸に渡ってから、鎖やロープが固定されている急な斜面の登りになる。足がかりも充分あって危険は少ないが、山歩きに慣れていない人もいたので、ロープの持ち方などに注意の声を掛ける必要があった。滝の落ち口の上に出たところでひと休みになった。
 沢から離れてじぐざぐの登りが始まるが、その登山道脇には、雪割草の群落が広がっていた。ここの雪割草は、青やピンクの色の濃いものが多かった。カメラを構えての撮影会になって、歩きは遅くなったが、これが目当てであっただけに仕方のないことである。銅山道のうちでは、この付近が雪割草見物のハイライトになった。この一帯は北斜面のために、花の時期は遅いのかもしれない。谷を巻くトラバース道になると、エンレイソウやキクザキイチゲの花も多く見られるようになった。
 登山道脇の崖に穴が開いている明神沢立坑を過ぎると、尾根沿いの急な登りになる。ひと息入れて、もうひと頑張りすると、弥彦スカイラインに飛び出すことができた。眼下には登山口の田ノ浦の海岸線が広がり、海の向こうに佐渡島を眺めることができた。遠く埼玉、千葉、山形、福島県からの参加者もいたが、山からの海の眺めが珍しいようであった。先日の弥彦山塊縦走では、展望レストランでラーメンを食べたが、今回は展望タワーの売店が開いていることから、アイスクリームの買い食いに走ってしまった。お店が開いていると、つい散財してしまうようである。風は冷たかったが、アイスクリームは美味しかった。お土産も売っているよといったが、さすがに弥彦土産を買う物はいなかった。丁度良いトイレ休憩になった。
 弥彦スカイラインから大平園地への遊歩道を登っていくと、越後平野の向こうに白い山々が連なっているのを眺めることができた。巻機山から中ノ岳、越後駒ヶ岳、守門岳、粟ヶ岳、白山、菅名岳、五頭山、二王子岳に飯豊連峰。春にしては、遠望が利いており、遠く燧ヶ岳も見分けることができた。新潟の春ならではの山岳展望であった。足を止めて、しばし風景に眺め入った。
 20人もの団体のため、多宝山の山頂だと、他のグループがいると窮屈になる可能性があったので、大平園地で昼の大休止をとることにした。芝生が広がっており、ハイキングのお弁当を広げるには良い広場である。初対面の人もいるため、胸に名前を張って、車座になり宴会を始めた。酒にワインに、おつまみもふんだんな賑やかな宴会になった。
 お酒も入ったところで、恒例の記念写真になった。「高頭仁兵衛翁寿像」の台座に並んでの記念撮影になった。高頭仁兵衛は、三島郡の豪農で日本山岳会発足時のパトロンで、日本山岳会の会長も務めた人である。一応説明してみたが、知っていたのは、ある×のみであった。今の中高年登山ブームにあって日本山岳会はするべきことがあると思うのだが、中高年登山愛好家には全く無縁の組織になっている。
 腹も膨れたところで、多宝山に向かって出発した。車道を渡って少し登った所でザックをデポしていくことにした。空身になったとはいえ、アルコールの回った足には、最後の登りはきつく感じられた。多宝山の山頂手前からカタクリの花も現れて、春の花も勢揃いになった。予想に反して、多宝山の山頂には、数名の登山者しかいなかった。再び記念写真を撮った。
 下山は、弥彦スカイラインに戻って、稜線の取り付きまでは車道歩きをした。カーブ地点から宝川右岸沿いの尾根に続く道に入った。昨年は、このカーブ地点にプレハブの建物があって、奧に入りにくかったが、今回は撤去されていた。尾根沿いにはっきりした山道が続いているが、登山道以外は歩いたことのないような人もいて、進むスピードは遅くなった。尾根は三つの小ピークを連ねて、次第に高度を下げていく。各ピークの上には、踏み跡が分かれるので、磁石を合わせて良く方向を確かめる必要がある。
 二つ目のピーク付近で、三人連れのおばさんグループが登山道に座り込んで、昼のお弁当を広げているのに出会った。このような所に人がいるとは予想していなかったのだが、むこうも20人の団体が歩いてきたのには驚いたようである。この道はどこに続いているのかと聞かれて、さらに驚かされることになった。「三角点ピークを越えて田ノ浦海岸へ」と答えたが、通じたかどうか。雪割草見物に入ってきたのだろうか。この尾根には、予想していた以上に雪割草が多かった。木立が邪魔をして、一面に広がる雪割草というような写真は撮れなかったが、株は大きく、青やピンクの色の濃いものが多かった。この尾根の雪割草がシーズン最後の花になるようであった。
 三つ目のピークには四等三角点(点名「弥彦」)が置かれている。点の記には、この三角点へのアプローチは、弥彦スカイラインから尾根沿いに至るとあって、田ノ浦方面から登ってくるとは書かれていない。三角点ピークの少し先で尾根が二つに分かれる。右手の道の方が新しそうであり、林道開ノ木平線に下り立つことはできそうであった。この道はまだ歩いて確かめていなかったので、先回と同じく、左の踏み跡に進むことにした。
 始めは残置テープもあり明瞭な踏み跡が続いているが、途中で、道ははっきりしなくなる。傾斜は少しきついものの、注意しながら下れば問題はない程度である。ただ、ヤブコギは初めての人もいて、後ろのペースを確認しながら下る必要があった。ゲート付近の車が見えるようになった所で、露岩が現れて尾根沿いの通過は難しくなり、右の方にトラバース気味に下っていくと、無事に林道に飛び出すことができた。先回と全く同じ所であった。一人で歩いている時は、気楽であったが、20人もの団体を先導してのヤブコギはいささか緊張した。
 土曜日だけの参加者とは別れて、五泉で夕食と買い物を済ませた後、馬下保養センターに泊まった。この宿は、宿泊費は一人あたり1000円程度で済むので、山の集まりで利用しやすい。その代わり、翌朝起きられるかが問題になる。温泉に入った後に宴会の開始になった。宴会だけに参加の人も加わって、20名もの人間に膨れあがった。ビールの他にワインや日本酒の酒の消費量も多く、翌日には13本の空き瓶をかたづけることになった。管理人からの注意を受けながらも、宴会のお開きになったのは12時過ぎであった。飲み会は嫌いではないが、山の話が少なかったのは残念であった。
 6時30分に出発と予定していたので、5時には起きる必要があった。お湯を沸かして朝食をとり、後かたづけを済ませると、出発の時間になっていた。天気予報では、雨の覚悟もしていたのだが、幸い雲が多い程度で済んでいた。
 日帰り参加者集合地点の宝珠山の草水登山口に寄った後に、五頭山スキー場跡に向かった。どんぐりの森経由で下山する予定にして、ここに余分な車を置いて、3台の車で、赤安山登山口に向かった。昨晩は注がれるままに飲んだりして酒もかなり入って、朝になっても酔いが抜けていない気分であった。
 五頭山は、新潟周辺でもっとも一般的な山であるが、赤安山経由のコースは、誰も歩いていないようであった。登山口は杉林の中であるが、歩き出すとすぐに雑木林の斜面になる。急斜面を登山道はジグザグを繰り返しながら上に向かって続いている。飲み疲れのためか、列も長く延び、時々追いつくのを待つ必要があった。このペースでは、菱ヶ岳縦走は無理だったようであった。尾根の上に出ると、傾斜も少し緩やかになり、周囲に目をやる余裕も出てきた。松手山の山頂は雲で覆われ、めざす五頭山はまだ見えないが、同じく雲の中のようであった。同じ山に一週開けて連続して登ることはめったにないが、雪解けの早さに驚かされた。512mピークを越すと赤安山から五ノ峰の眺めが目に入ってくるが、赤安山付近からは雪は無くなっていた。イワウチワに彩られた尾根歩きを続けていくと、赤安山の山頂に到着した。一週前の雪原がうそのように姿を消していた。
 五ノ峰はまだ遠く、もうひと頑張りする必要があった。残雪も現れるようになり、傾斜のある雪原を直登して、雪の感触を楽しんだ。出湯コースが通っている尾根の下の鞍部でひと休みしてから、このコース一番の急登に挑んだ。雪解けも進んで、先週よりは傾斜も緩くなったような感じがした。急とはいっても、ストックがあれば充分で、足を滑らせたところで、危険は無い登りであった。
 出湯コースに合流すると、はっきりしたトレースが続いていた。登り着いた五ノ峰は、完全に地面が露出していた。新潟平野は見下ろせたものの、めざす五頭山の山頂はガスに隠されていた。ここから先は、ガスの中に入ってしまい、トレース頼りの歩きになった。先週、五頭山塊の雪の状態をみるつもりでこのコースを歩いているからよいものの、その記憶が無かったなら、適当なところで引き返すことになったかもしれない。三ノ峰に上がると、避難小屋を掘り出している最中であった。風は冷たく、休み場所を探しながらの歩きになった。一ノ峰とニノ峰との間の鞍部が比較的風も弱いことから、ここで昼の休憩をとることにした。飲んでしまうと歩くのはおっくうになることは必至のため、まずは五頭山の山頂を踏んでくることにした。
 一ノ峰から前一ノ峰にかけては、菱ヶ岳や五頭山の眺めが素晴らしい所であるが、ガスが流れて乳白色の風景が広がっているだけであった。前一ノ峰から雪稜を下り、菱ヶ岳への縦走路を右に分けて、五頭山に向かった。といっても、全く視界は閉ざされ、先週の記憶で歩いているため、ここが分岐と教えても、聞いた人には判らないようであった。先週は、五頭山の山頂にかけては、雪庇の張り出した稜線が続いていたのだが、雪もすっかり落ちて、雪稜も丸味を帯びていた。
 傾斜が緩くなり、左手の木立の切れ具合から、ここが五頭山の山頂と判断して一同に告げたが、どうも半信半疑のようであった。一週前に登っていなければ、私にも判らなかったであろう。少し離れると白く霞む状態であったが、とにかくということで登頂の記念写真を撮った。
 一ノ峰から下った鞍部に戻り、昼の大休止にした。スコップを二本持ってきていたので、円形の溝を掘って、テーブルと座席を作った。再び、賑やかな宴会が始まった。食べ物も回されてきたが、雪のテーブルが回れば良いという声も上がっていた。さすがにそれは少し難しい注文である。飲んで騒いでいる間に、ガスが上がって、五頭山の山頂が姿を現していた。再び五頭山に登るとも限らない遠来の人もいるので、展望が開けたことはうれしかった。雪の上に座っていると、体も冷えてきたので、下山を開始することにした。
 ニノ峰に登り返すと、菱ヶ岳や松平山も姿を現していた。ようやく心の目も必要でなくなった。三ノ峰からは、どんぐりの森をめざして下ることにした。幅広の尾根を下っていくと、次第に雪も少なくなっていった。五頭スキー場が右手の谷向こうに近づいてくると、夏道の下りになった。山頂の宴会での酔いが回って少し遅れた人も出たが、無事にどんぐりの森のキャンプ場におり、車道歩きわずかで、朝停めておいた車に戻った。車の回収後、宝珠温泉で入浴をしてから解散とした。
 二日間の山歩きの引率は、大人数であったため疲れたが、いろいろ得るところも多かった。雪割草のお花見と残雪歩きの目的は充分に果たし、新潟の山の魅力を味わってもらえたものと思っている。

山行目次に戻る
表紙に戻る