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弥彦角田山塊縦走1


【日時】 2002年3月23日(土) 日帰り
【メンバー】 テクテク会(とんとん、ジャスミン、スミレ、むーむー、黒ひょう、えび太、Akira)
【天候】 曇り時々雨、雪

【山域】 弥彦角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 国上山・くがみやま・313.2m・三等三角点・新潟県
 剣ヶ峰・けんがみね・292m・なし・新潟県
 黒滝城跡・くろたきじょうせき・246m・なし・新潟県
 雨乞山・あまごいやま・318m・なし・新潟県
 弥彦山・やひこやま・634m・無し・新潟県
 多宝山・たほうざん・633.8m・一等三角点本点・新潟県
【コース】 国上山西参道から縦走路を経て間瀬峠
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/三条、弥彦/寺泊、弥彦
【ガイド】 新ハイキング533号2000年3月
【温泉】 てまりの湯 500円、タオル付き

【時間記録】 6:00 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、経由)=7:20 上・下堤〜7:34 発―7:58 国上寺―8:25 国上山〜8:30 発―9:19 林道黒滝要害線終点―9:38 剣ヶ峰〜9:43 発―9:57 黒滝城跡入口〜10:17 発―10:41 城川林道〜10:50 発―11:11 猿ヶ馬場―11:35 雨乞山―11:40 発―11:52 八枚川分岐―12:21 能登見平―12:31 妻戸山分岐―12:50 弥彦山〜12:55 発―13:12 展望レストラン〜13:48 発―14:22 多宝山―14:30 間瀬道分岐―14:37 大滝沢左岸尾根分岐―15:09 石瀬峠―15:28 間瀬峠=(往路を戻る)=18:30 新潟着

 日本海に沿って並ぶ国上山、弥彦山、角田山の三山は、新潟周辺で最も親しまれているハイキングの山である。これらの三山の中間には剣ヶ峰や樋曽山といった低い峰が入って、南は大河津分水から、北は蒲原平野まで、直線距離にして18kmの稜線が連なっている。
 角田山は、新潟市周辺の人間なら、登山愛好家ならずとも二度三度と訪れたことがあるに違いない山であるが、これらの三山縦走となると、経験者はまれである。これは、一日で歩き通すには、相当な健脚でなければならないこと。一般登山道のある所以外の区間でも山道を使うことができるが、情報は少なく、事前に偵察を行う必要があること。縦走路といっても、確定したものではなく、地図をみて自分でコースを決める必要があること。車を登山口と下山口にセットする必要があり、同行者を募る必要があること等が揚げられる。いずれにせよ、この山塊における登山経験に加えて、縦走のための偵察がかかせないという難しさがある。
 地元の人間が歩いていないにもかかわらず、この三山縦走は、カタクリや雪割草といった春の花を楽しむことのできるコースとして、全国的にも知られるようになっている。たとえば2002年春の新ハイキングの山行計画を見ると、3月29日〜30日と4月1日〜2日に三山縦走、3月30日に樋曽山〜角田山といった三グループが貸し切りバスでやってくるという。20〜30人の団体で歩かれては、花にも影響が出て、か細い山道が荒れてしまうと思うのだが、これも中高年の登山ブームの現れともいえようか。
 縦走を一日で済ませるには、かなり難しく、ひたすら歩き続ける体力勝負となる。一般には、テント泊1泊2日で行うか、車道が横断している中間部の間瀬峠で切って、日帰りを2日続けることになる。今回は、一日目を国上山〜弥彦山〜間瀬峠、二日目を間瀬峠〜樋曽山〜角田山というプランにした。少し余裕のある日程のため、南から北へとできるだけ長い距離を歩くこと、車道歩きはなるべく少なくして、稜線を辿ることに留意してコースを決めた。
 三山縦走を念頭においてコースを考えると、国上寺〜国上山、間瀬峠〜樋曽山〜五ヶ峠、五ヶ峠〜角田山といった区間しか歩いておらず、偵察も兼ねて、次のような山行を事前に行った。
 2001年12月23日 石瀬峠〜多宝山
 2002年1月5日 角田山(宮ノ平コース)
 2002年1月27日 国上山西参道
 2002年3月3日 黒滝城跡、剣ヶ峰〜猿ヶ馬場〜雨乞山
 直前にとんとんから、八枚川右岸尾根経由の雨乞山と弥彦山への登山コースの新設を教えてもらい、ほぼルートは完全に把握したと思ったが、国上山からの下りで、道がないと思って必要の無いヤブコギをするというミスを犯すことになった。とにかく、三山縦走には、充分な事前調査が必要であることは確かである。
 一人では行うことのできない三山縦走のため、まずえび太に話ももちかけ、日にちを決定した。テクテク会で参加者を募ると、両日、7名ずつの参加者が集まった。あまり大人数になると、行動にも余分な時間がかかるため、丁度良い人数といえる。
 一日目は、8時間程の長丁場になる予定であったため、間瀬峠の弥彦スカイラインのゲート前に7時集合とした。ジャスミンを新潟駅でピックアップし、弥彦に向かう途中、本降りの雨になった。寒気が入り込んで雨の予報が出ていた。集合場所の間瀬峠に到着すると、幸い雨は上がっていた。7時が近づいても、えび太が到着しなかった。いつもだと必ず時間前に到着するはずなので、どこかで迷っているはずに思えた。携帯は通じなかったので、かたわらにある電話ボックスからえび太の携帯にかけると、猿ヶ馬場の方のゲート前にいるとのことであった。間瀬峠に来ると時間の無駄になるため、てまりの湯で待つように指示した。携帯電話のおかげで連絡がとれることは有り難いが、毎回誰かが集合時に迷子になるようである。集合場所に至るまでの道順や登山コースの予習が足りないようである。
 えび太と途中で合流して、国上山の西の山麓にある、上堤・下堤の脇の路肩に車を停めた。車から出るのも躊躇されるような激しい雨が降り始めた。普通の山であったら、山行は中止するところであったが、慣れ親しんだ弥彦山ということで、車の中で雨具を着込んで出発の準備を整えた。
 傘をさしながらの出発になった。古びた民家やお寺の建物の間を抜けていく西参道は、ふるさと散歩道といった感じで、国上寺の駐車場から歩き出すのでは味わえない風情がある。もっとも、大雨の中の歩きで、周囲の風景を楽しむ余裕は無かったかもしれない。
 旧西参道の標識を見て山道を登っていくと、良寛月見坂の看板があり、その先で一旦車道に出る。本覚院と宝珠院の間を抜けていく石段を登っていくと、じきに五合庵に到着する。良寛ゆかりの五合庵、さらにその先には酒呑童子の伝説の残る鏡井戸があり、国上寺の境内までは案内板を読みながらの観光モードになった。
 国上寺の境内から、国上山への登りが始まる。一般には、山腹の駐車場から国上寺までは歩いてすぐの距離にあるが、麓からでもたいした距離ではないので、西参道を歩くことを勧める。国上山から稚児道を通って駐車場に戻った後、あさひ山展望台から千眼堂吊り橋を渡ると、五合庵に近道で戻ることができる。このコースなら、国上山を標高300mの山として楽しむことができる。
 丸太の段々で整備された歩きにくい登りをひと頑張りすると、尾根の上に出て、傾斜も緩やかになる。登山道の周囲にはカタクリの花が広がっていたが、雨ですぼんだままになっていた。灌木で囲まれた尾根を登っていくと、一人の登山者とすれ違った。この日は、弥彦山の展望レストランまで、誰にも会うことにない歩きが続いた。
 小雨の降る中、国上山の山頂に到着した。日本海の眺めも雨雲に隠されていた。国上山は、標高が低く、駐車場から簡単に登れることから馬鹿にしてなのか、今回のメンバーの中でも登っていない人がいるようである。とはいっても、三山縦走の一山目ということで、一同、記念写真に興じていた。
 雨雲で視界が閉ざされているため、国上山山頂からの下降が難しいものになった。実際には、蛇崩れ方面から山道が通じていたのだが、藪をこいで尾根にのることばかり考えていたため、先回の偵察山行でも山道をみおとしていた。山頂で高度計を会わせ、磁石の方向を決めて、剣ヶ峰へと進んだ。
 一旦蛇崩れ方面に登山道を下ってから、かすかな踏み跡があるのを見て、藪に突入した。ヤブコギに慣れていない者がほとんどで、足元の不確かな急斜面を下るのに苦労していた。足元を見ると、一面に雪割草が広がっていた。色も濃いものが多いようであった。雨の為にあたりは薄暗く、花が広がっていないのが残念であった。数枚の写真を撮ってみたが、すべてブレてピンボケになっていた。足元一面に咲いているため、踏んづけてしまった花も多かったことと思うが、歩くだけで精一杯であったので、勘弁してもらおう。
 北西に向かって磁石を切っていたが、鞍部に出るはずの190m標高になっても稜線が現れなかった。ガスの切れ間から剣ヶ峰の山頂を確認すると、西にずれているようであった。一旦少し登り返し、北にトラバースした。弱い尾根に乗ったところで、皆には雪割草見物をしてもらい、稜線の方向を懸命にさぐった。再び下降を開始すると、すぐ先で、山道が右上から下ってきているのに出会った。
 国上山から林道黒滝要害線終点に通じるこの山道は、しっかりして迷う心配のない道であった。余計なヤブコギをしたが、雪割草の群落に会えたということで、一同喜んでいたので、良しとしよう。自分自身は反省しなければならないが。
 稜線通しに小さなピークを越えていくと、林道黒滝要害線の終点に出た。時間の余裕の無い縦走者は、ここからは、林道歩きで城川沿いの林道まで下ってしまうことが多いようであるが、剣ヶ峰にもしっかりと登っていくことにした。杉の植林地の中を緩やかに登っていくと、林道は下方に遠ざかっていった。杉林を抜けて雑木林が広がるようになると、剣ヶ峰の頂上に到着した。剣ヶ峰の山頂部は、遠くから見たピラミッド型の山頂とは異なり、雑木林に囲まれた広場になっている。斜面の縁にはカタクリのお花畑が広がっていた。雨粒を付けた花や葉は、みずみずしい色を見せていた。
 剣ヶ峰からは、216mピーク―を越して城川峠に降り立つというコースも考えられる。このコースをとれば雪割草を楽しめるはずであったが、雨のために花は開いていないはずであった。今回は、黒滝城跡との鞍部から林道経由のコースをとることにした。黒滝城跡からの下りは、雨のために滑りやすい泥斜面になっており、後ろから尻餅をつく悲鳴が聞こえてきた。やはり、新潟の山歩きには、スパイク付き長靴が一番適しているのかもしれない。
 黒滝城跡との鞍部まで下りると、幸い雨が止んでくれた。荷物を置いて、黒滝城跡の山頂にも寄っていくことにした。遊歩道として整備されている段々を登っていくと、山頂に到着した。石の祠の脇に立つ標柱の脇に並んで記念写真を撮った。山頂からの眺めでは、国上山は少し遠く、弥彦山はまだ遠くにあった。その手前の雨乞山が、次の目標に手頃であった。
 雨が止んで薄日もさすようになり、傘もザックに仕舞い込み、コシノコバイモ、ヤマザクラ、ネコノメソウ、キクザキイチゲなどの花を眺めながらの、のんびりとした歩きになった。林道黒滝要害線の車道歩きは、縦走途中の一息つくことのできる区間になった。城川林道に出たところで、行動食をとって、休憩とした。雨のために、休みもほとんど取らないままに、ここまで歩いてきたので、疲れてお腹も空いた。
 城川林道から猿ヶ馬場へのコースが、縦走時の一番の問題になる。一般登山では、この間をわざわざ歩くことは無い。事前の偵察で、林道黒滝要害線の反対側に堰堤が何本もかかる沢が流れ込んできており、これに沿って登っていけば、短時間で猿ヶ馬場に上がれることを確かめてあった。
 林道分岐から城川峠方面に少し進むと、荒れた林道が北に向かって分かれている。この林道を進んでいくと、右手に堰堤が現れ、その先で林道は終点になる。沢に沿って杉林の中を進んでいくと、左上に向かう尾根に出会う。この尾根を登ると杉林の中の台地に出るので、右に曲がって進んでいくと、枯れ草の原に出る。この枯れ草には、イバラが混じっていて中央突破はできないので、右手に回り込んで、沢沿いに登っていくと、猿ヶ馬場の車道に飛び出す。
 猿ヶ馬場にある弥彦スカイラインのゲートは、3月一杯は冬季閉鎖で閉まっている。ゲート手前から、脇の灌木帯に入ると、尾根上に向かう踏み跡が分かれる。ひと登りすると尾根の上に出て、剣ヶ峰からさすがに遠くなってきた国上山の眺めが広がった。ここには越後三山縦走の看板があり、皆それぞれ記念写真を撮っていた。この越後三山縦走の標識は、少し前までは弥彦山周辺で見かけたものだが、しだいに無くなってきたようで、雨乞山への登りの途中でもう一カ所見つけることができただけであった。一カ所笹が茂って足元が隠される所があったが、灌木帯の中にしっかりした踏み跡が続いており、ヤブコギというほどのことはなかった。
 雨乞山への登りは、短いながら急登が続き、足も重くなった。一旦山頂への保守道に出会って、さらに灌木の中を行くと、雨乞山の中継基地の脇に飛びだした。山頂手前の林の中にもカタクリが広がって咲いていた。雨乞山の山頂は、建物の脇の灌木帯に入り込んだところであるので登ったものの、ついてきたのはえび太だけで、他のものは、広場で休んでいた。
 雨乞山から保守道を少し下ると、弥彦山の眺めが大きく広がる。ここでガードレールを跨ぎ越して、稜線伝いの山道に入った。直前に、とんとんから、八枚川登山口から、雨乞山との鞍部を経由して弥彦山に登ったという話を聞いた。分岐からは雨乞山を示す表示が出ていたという。当初の予定では、弥彦スカイラインを歩いて、西生寺からの裏参道を使って登るつもりであったが、稜線通しに歩けるならその方が望ましい。
 緩やかな稜線を行き、小さなピークに上がると、「八枚川7分、弥彦山60分、雨乞山15分」という標識が掛けられた分岐に出た。この先は、小さなこぶを越すところもあるが、緩い登りが続いた。雨乞山に立ったことが悪かったのか、再び空が暗くなって、アラレが降り出した。海沿いの稜線は風当たりも強く、アラレが顔に当たって痛いため、うつむいて顔半分を手で隠しながらの歩きになった。急ぎたくとも、足は重くなって、ゆっくりした歩きになっていた。
 昼になって、休憩場所が気に掛かるようになった。あらかじめ、昼食は1時頃に遅くなっても弥彦の山頂でと案内してあったが、この嵐の中では、戸外で休むことは難しかった。鞍部の展望レストランで休み、暖かいラーメンを食べようという話になった。それからは、ただひたすらにラーメンを目標にしての登りになった。
 八枚川の源頭部を巻いていく登山道は、晴れていれば、緩やかな稜線歩きが長く続いて楽しい道であろうが、風を避けて腰を下ろす場所も無く、長く感じられる道であった。能登見平で裏参道に合流し、登りをひと頑張りすると、ようやく八枚川登山口から妻戸尾根を上がってきた登山道と合流した。ここからは、弥彦山の山頂までは、僅かな距離であったが、最後の力を振り絞る必要があった。
 ようやく到着した弥彦山の山頂には、他の登山者は誰もいなかった。アラレはいつしか雪に変わり、大河津分水や国上山の眺めは、おぼろになっていた。記念写真をひと通り撮るなり、一路ラーメンをめざして山を下った。
 心配事は、レストランが開いているかどうかであった。弥彦スカイラインの開通は4月1日からのため、まだ閉まっている可能性もあった。遠くから眺めると、レストラン周辺に人影は無く、建物も暗く見えた。到着して中を覗くと、うれしいことに営業を行っていた。中は暖かく暖房が入っていた。全員が、ラーメンを頼んだ。私は、生ビールの誘惑にうち勝てなかったが、他の皆は、ビールを飲まずにお茶を飲んでいた。この会の山行としては、極めて希有なことであった。アルコールをとらないとは、皆の疲労もかなりのものになっているようであった。お昼に用意したおにぎりも食べて、すっかり満腹状態になった。レストランには、数組の登山客と、ロープウェイで上がってきた団体の客が入って、まずまずの賑わいであった。
 体も温まったところで、再び歩き出すことにした。ロープウェイの山頂駅前から坂を下り道路を横断すると、国見平の園地への登りになる。短い登りであるが、息が上がって、ビールを飲んだことを後悔するはめになった。再び弥彦スカイラインを横断すると、多宝山への登りとなる。この日最後の登りであるが、足は重く、スローギヤーでの登りになった。
 多宝山の山頂に到着して、最後の記念写真を撮った。ようやくこの日最後のピークを踏むことができた。ここから石瀬峠までの道は、1月20日にも皆で歩いているので、気分的にも楽になったようである。滑って尻餅をつかないように注意が必要であったが、皆のズボンはすでに泥だらけになって、そう気にする者もいなくなっていた。このコースでは、間瀬道との分岐に注意である。昔の林道跡なのか、幅広の道が水場を経由してスカイライン続いているので、その手前で、石瀬峠への稜線伝いの道に入らなければならない。完全に初回であったら、間違い易いところだと思う。
 石瀬峠への登山道の周囲は、雑木林が広がっているが、どうしてなのか、花はほとんど見あたらなかった。表参道のように、人が多く入って、杉の植林地が広がっているならともかく、雑木林の中なのに花が少ないことは不思議であった。
 石瀬峠の脇にはスカイラインが接している。この先は、岩室温泉への遊歩道を辿り、牧場経由で間瀬峠に出るというルートも考えられるが、偵察を行っていなかったことから、車道歩きで間瀬峠に出ることにした。一日厳しい歩きが続いたので、最後は気楽な歩きで締めくくることにした。
 最後に弥彦ウカイラインのゲートを乗り越すと、朝おいていった車に再会することができた。国上山の登山口に戻る途中、雷鳴が轟くと同時に、空の底が抜けたかのように、雹が降り出して、一瞬のうちに道路は真っ白に覆われた。タイヤの交換が済んだいなかったから良いようなものの、ノーマルタイヤであったら徐行運転が必要になるとこであった。車の回収を終え、てまりの湯で温泉に入った後に解散とした。
 三山縦走の前半は、天気が悪かったことも影響しているとは思うが、アップダウンも大きく距離も長く、なかなかハードなコースであった。一般登山コースとしては、健脚向きに分類されると思う。

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