0222

猿倉岳


【日時】 2002年3月10日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 猿倉岳・さるくらだけ・679m・なし(651.2m・四等三角点)・新潟県
【コース】 あまやち会館下より
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金
【ガイド】 皆川さんの情報、新潟のハイキング(新潟日報事業社)
【温泉】 あまやち会館 500円(沸かし湯)

【時間記録】 6:30 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.17、横枕、虫倉、南平、種苧原)=8:30 あまやち会館下〜8:48 発―9:33 山道入口―9:48 稜線分岐―10:20 猿倉岳〜10:45 発―11:03 稜線分岐―11:09 山道分岐―11:43 あまやち会館下=(種苧原、半蔵金、北荷頃、R.351、川崎北、R.17、中之島見附IC、北陸自動車道 経由)=14:30 新潟着

 長岡の東には、鋸山を盟主とする、東山連峰と呼ばれる稜線が連なっている。この東山連峰の範囲は定かではないが、一般には、北の森立峠から、八方台、鋸山、花立峠、萱峠を経て猿倉岳あたりまでと考えられているようである。この中では、一等三角点の置かれた鋸山(764.9m)が、ハイキングの山として親しまれている。これに対し、南部の中心地ともいえる猿倉岳は、稜線部を車道が通過しているため、登山の対象からは外れた感がある。しかし、豪雪地にあるため、冬から春にかけては手応えのある雪山登山を楽しむことができる。
 土曜日に川内山塊の大方山に登り、大展望を楽しむことができた。足にも筋肉痛が出て、それよりも緊張感のためか疲れた感じが残った。家でおとなしくしていれば良いものをと思うが、それでも日曜日に登る山を考えてしまう。さすがに難しそうな山には登る気にはなれず、のんびり歩くような山を考えた。以前皆川さんからいただいた資料に、長岡東山連峰の萱峠の資料があったことを思い出した。種苧原のあまやち会館から歩くように書いてあった。林道歩きで猿倉山に登ることができそうで、そう危ないところはなさそうであった。
 日曜日は、幸いにして、快晴の朝になった。雨であったら家で寝ていたと思うが、山に出かけることになった。登山口の種苧原までどういくのか、頭をひねることになった。一番道路の格が高いのは、国道352号線であるが、はるばると小出まで回り込む必要がある。その他の県道では、どの道が冬季閉鎖になっているか判らなかった。バス路線の走っている県道ということで、長岡東バイパスから虫倉、南平を経て種苧原に入ることにした。虫倉までは、金倉山登山のために訪れたことのある道であった。
 長岡付近は、最近の温暖化現象の影響か、田圃にも雪は見られなかったが、東山連峰背後の虫倉あたりまで入ると、道路脇に雪の壁が続くようになった。この一帯は、日本でも有数の豪雪地といえるのではないだろうか。山間の棚田や養鯉池は厚い雪の下になって、独特の景観を見せている。最近流行のスノーシューのコースというと、玉原高原や戦場ヶ原、裏磐梯が有名だが、この山古志一帯も、スノーシュー歩きのための面白いコースを設定できると思うのだが。
 国道352号線は、長岡の栖吉と種苧原を結ぶ国道であるが、東山連峰にはばまれて、中断されている。そのため、冬季は雪に埋もれたままになっている。種苧原から国道352号線に進むと、左にあまやち会館が分かれる坂の下で除雪終点になっていた。一旦、あまやち会館の駐車場まで進んでみたが、高台にあるため、戻って除雪終点部に車を置いて歩き出すことにした。
 前日の大方山ではワカンを履いたが、猿倉山では修理から戻ってきたスノーシューの黒龍を履くことにした。このスノーシューは、ちょうつがい部の強度が弱いという致命的な欠陥を持っているが、登り下りのバランスは良いので、愛用している。雪の上に進むと、ワカンの跡が続いているのに気がついた。丸い踏み跡から、木のワカンを履いた地元の人間が歩いた跡のようであった。
 地図にある雨谷池は、雪に埋もれていて、平坦な上面からその範囲を伺えるにすぎなかった。すぐ先で道路は二分し、左に進んだ。雪に埋もれているといっても、国道歩きであるからして、コースは明白だと思ったが、意外に辿るのは難しかった。あまやち会館周辺には遊歩道が整備されているため、道が複雑に分岐しているらしいことも、コースを難しくしていた。進んでいくにつれ、左に谷間が開けてその縁を歩くようになり、はっきりした道を辿るようになった。谷向こうには、猿倉岳から萱峠に至る稜線が横に長く広がっていた。地図では判りにくいのだが、間に谷が入り込んでいるために、大きく北側に大きく回り込む必要があった。スノーシューを履いているために、平地の歩きはそれほど苦にはならなかったが、ワカンでは途中でいやになったかもしれない。
 ワカンの跡は、途中で小高い稜線部に上がっていった。植林地の見回りであったかと思い、そのまま雪に埋もれた車道を進んだ。その先で、雪の斜面が右から左の谷間に向かって落ち込み、トラバースは難しい箇所が現れた。稜線の上に登り直し、稜線伝いに527m小ピークに向かって進むことになった。ワカンの跡が、稜線伝いに続いているのに出会った。どうやら、ワカンの跡は、萱峠方面に続いているようで、この先は、この踏み跡に従うことにした。
 猿倉岳方面に向かって林道から分かれる破線が地図に記載されている稜線の基部に到着すると、ワカンの跡も、ここで林道から分かれて登り始めた。雪に覆われて判りにくかったが、幅のある山道が続いているようであった。弱い尾根に上がると、そのまま直上する登りが続いた。急坂ではあったが、ワカンの跡があるため、スノーシューでも登るのは難しくはなかった。
 杉の古木の脇を過ぎ、左にトラバース気味に登ると、稜線に上がることができた。下の林道からは、思ったよりも短い時間の登りであった。稜線部は、幅が広く、一面の雪原が広がっていた。ワカンの跡は、途中から萱峠の方に向かい、猿倉岳方面には歩いた形跡はまったくなかった。
 登り着いてすぐ先に、展望台と山小屋風の建物があった。下からも見えていた建物であった。後であまやち会館のパンフレットを見ると、萱峠展望台とのことであった。稜線に入り込んだ谷を右に巻くと、猿倉岳への登りになった。林道から分かれて稜線伝いに進むと、猿倉岳の最高点に到着した。少し先には、地図にも規制されているアンテナが頭をのぞかせていた。猿倉岳の三角点は、最高点手前の林道脇に置かれている。また点名も「萱峠」で、地図に示されている萱峠の位置とは違っている。山頂が神社の所有地となって、三角点が別な場所に置かれているというのは良くある事だが、猿倉岳の三角点が最高点部に置かれていない理由は判らない。主に平地に置かれる四等三角点のために、ピークの上を選ばずに安直に林道脇に埋設されたのであろうか。
 猿倉岳山頂からは、展望が広がっていた。西には、金倉山、大峰山、南蛮山、東には守門岳、鳥屋ヶ峰、権現堂山の眺めが広がっていた。北側には、東山連峰の稜線が連なっていたが、重なって鋸山は判り難かった。萱峠付近は夏は牧場になっているとのことだが、一面の雪原になっているのが目を引いた。遠くの守門岳は雲に覆われ、前線の通過により午後から雨という天気予報は当たりそうであった。
 風当たりの弱い東側斜面を選んで、種苧原の集落を見下ろしながら腰を下ろした。すぐ下に見えるのだが、ずいぶんと大回りして登ってきている。猿倉岳は、すぐそばを林道が通過しており、夏では登山の対象にはならない山である。しかし、雪のおかげで、スノーシュー歩きにたっぷりと浸ることができたし、誰にも踏まれていない雪原を歩いての登頂の喜びは大きかった。林道が付けられたからといって、時には登山道が設けられたからといって、山の価値が無くなったようにいう者がいるが、そうであっても山の魅力を十分引き出すようなコース設定をするのが山の愛好家の努めではないだろうか。山を楽しもうという気があれば、裏山でも冬山気分を味わうことができる。周囲の展望を楽しみながらこう考えた。
 ビールをあけると、気持ちの良さそうな雪原の広がる萱峠にも気が引かれたものの、足を延ばすのはおっくうになり、そのまま下山することにした。次の機会には、萱峠を目標にして登ってこよう。少し課題を残しておいた方が、再訪の理由になる。
 分岐に戻り下降を始めると、杉の古木の下で、山スキーで登ってくる二人連れに出会った。急斜面の登りに苦労しているようであった。雪原の広がる萱峠でのスキー遊びが目的なのかもしれない。
 下山後、あまやち会館で風呂に入った。この名前は、雨谷池とかけば意味は分かるのだが、頭の中で過ち会館と自動変換してしまう。温泉ではないようだが、大きな浴槽であった。風呂の中で、老人に「どこからきたね」と声を掛けられた。「新潟から」と答えたが、入浴客は地元の人間ばかりで、一目で余所者と見破られたようである。「国道352号線がトンネルで繋がれば長岡まで出やすくなるのだが」、と話し続けていた。
 帰りは、半蔵金に峠越えをして、栃尾方面から長岡に出て帰宅した。高速に乗ると、激しい雨風が吹き始めた。

山行目次に戻る
表紙に戻る