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大方山


【日時】 2002年3月9日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大方山・だいほうやま・865.3m・三等三角点・新潟県
【コース】 名古津より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/室谷
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)
【温泉】 御神楽温泉 みかぐら荘 500円

【時間記録】 5:20 新潟発=(R.49、津川、上川 経由)=7:10 名古津〜7:28 発―7:47 鞍部―8:22 460m小ピーク―8:52 555m尾根屈曲点―10:23 大方山〜11:07 発―11:55 555m尾根屈曲点〜12:00 発―12:11 460m小ピーク―〜12:16 発―12:39 鞍部―12:50 名古津=(往路を戻る)=15:30 新潟着

 川内山塊の東の境界は、室谷川によって区切られている。室谷川の左岸には、中の又山にはじまり駒形山、太郎山、大戸沢山、船窪山、大方山、鍋倉山とピークを連ねた稜線が続いている。大方山は、登山道の無い山であるが、麓を室谷に至る県道が通過しており、川内山塊の山の中ではアプローチしやすい山である。
 昨年の4月14日〜15日に、峡彩ランタン会の会山行で、大戸沢山、舟窪山、大山に登った。晴天のもと、矢筈岳を始めとする川内山塊中心部の山をぞんぶんに眺めることができた。舟窪山からの下山途中で気になったのは、沢を挟んで並んで走る大方山の山頂から落ちる尾根であった。眺めると、難しい所もなさそうで、雪の状態の良い時なら、自分一人でも登れそうであった。この後、一週をおいて矢筈岳に登り、その後の雪解けとともに大方山は、忘れ去られることになった。
 今年は雪解けも早く、春山もすでに始まった感じがする。金曜日は寒が戻り、土曜日は移動性高気圧が日本列島をすっぽり覆うという天気予報が出た。雪もしまって、雪山に登るための絶好のコンディションになりそうであった。課題の一つであった大方山をめざすことにした。今回は雪稜をキックステップで登ることを想定して、スノーシューの代わりにワカンを使うことにした。雪が堅くしまっていた時のために、アイゼンとピッケルも携行することにした。どちらかというと使わないで済ませたいが、装備が足りずに登頂できなくては、後悔が残る。
 つい二週間前に登って途中で断念した小瀬ヶ沢山の取り付き付近もめっきり雪が少なくなっていた。それでも室谷が近づいてくると、路肩の雪もみるみる多くなってきた。道路をシャーベット状の雪がうっすらと覆い、道路は凍結していた。青空が広がり、真っ白な山の稜線がシルエットを刻み込んでいた。理想的な登山日和であった。
 名古津の集落への道路が分かれる手前の路肩に車を停めた。あるいはつぼ足でも歩けるかと思って杉林に足を踏み入れたが、やはりワカンを履かないと歩けない状態であった。内沢左岸の329mピークの右の鞍部をねらって、見通しの利かない杉林の中を登った。用水路が斜めに走り、津川寄りから歩き出さないと、渡るのに苦労しそうであった。
 狙い通りに、鞍部の少し北寄りに到着することができた。北に向きを変えると、雑木林の広がる尾根の登りが始まった。少し急な尾根であるが、ワカンのトップを雪にけり込みながら、登り続けた。息は苦しいものの、足が止まらないだけ、厳冬期のラッセルとは違ってきている。460mの尾根の分岐点は杉の生えた小ピークになっており、乗り越すのも大変なので、少しトラバースしてその左肩に上がった。その先は、傾斜が緩やかになり、横に広がった斜面の登りになった。
 木立の間隔も開いて、開放感のある雪原であった。木の枝には、雪玉が付いており、昨晩の雪のようであった。新雪も深さを増して、ワカンを履いた足が30センチ程は潜るようになった。雪の上には、木の枝の陰が複雑な模様を描いていた。ただ、舟窪山からの下りで見たような太いブナの木は見あたらないのは残念であった。
 北東に延びる尾根に上がってひと息ついた。ここまでは、問題の無いコースであったが、ここから山頂に向かっての登りが始める。ようやく姿を現した大方山の山頂をうかがうと、尾根は痩せたところはあるものの、木が並んでおり、そう難しくは無さそうであった。問題は、左奧に真っ白な姿を見せている山頂部であった。手前に向かって雪庇が張り出しているようであった。接近してみないと、通過が難しいのか容易なのかも判らない。幸運を祈って登り続けることにした。
 真っ青な空を背景にした大方山や鍋倉山は美しく、登りの足を止めてしばし眺め入ることになった。真っ白な新雪が太陽に輝き、サングラスを用意してきたのは正解であった。尾根の右は所々雪庇が崩れていたが、左を巻くことができて、順調に高度を上げていくことができた。720m付近からは尾根も広がり、林の中の登りになった。
 正面に大方山の山頂が迫ってきた所で、コースを考える必要が出てきた。向かって右寄りの尾根に乗ることにした。登るに連れて傾斜が増してきた。尾根の延長線は、雪庇は張り出していないものの、かなりの急勾配になりそうであった。コースを考えながら登っていくと、山頂に向かっていくカモシカの足跡に出会った。見ると、雪庇の下を左にトラバースして、山頂に上がっていた。これも山の神のお導きかと思って、カモシカの足跡に従うことにした。5m程トラバースすると、雪庇も低くなって、難なく越すことができた。下からでは見えづらかったのだが、カモシカは経験から判っていたのであろうか。カモシカの足跡を人間がいつも辿れるとは限らないが、今回は幸運であった。
 大方山の山頂は、平らな雪原になっていた。ザックを下ろす前に、周囲の展望に目を奪われてしまった。真っ先に飛び込んできたのは矢筈岳の眺めであった。昨年の登山の際の辛さが懐かしく思い出された。五剣谷山から銀太郎、銀次郎に至る稜線は横に大きく広がり、雪崩の跡なのか、早出川に向かって縦縞を刻んでいた。昨年登った舟窪山と大山は目の前にあった。割岩山や太郎山、青里岳といった秘峰もそれぞれ目で追うことができた。北には、鍋倉山が大きく、その右手には、真っ白な飯豊連峰が青空に浮かんでいた。南東には御神楽岳から日尊の倉山、狢ヶ森山といった会越国境の山々が連なっていた。開放感にあふれた山頂であった。
 矢筈岳に向かい合って腰を下ろした。語るべき友はいなくとも、見つめる山は幾つもあった。大勢で登って宴会で騒ぐのも楽しいが、これだけの大展望、山の眺めに静かに浸りたい。一人の山は気軽で、片手に持ったビールが無くなれば、下山の合図であった。
 山頂直下のトラバースさえ終えれば、後は快調な下りが続いた。といっても、気温が上がって新雪の表層全体が滑る状態になっており、何度も尻餅をついた。いつになく足の筋肉も痛くなり、スノーシューとワカンでは使う筋肉が違うようである。


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