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小瀬ヶ沢山(中退)


【日時】 2002年2月24日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 小瀬ヶ沢山・こせがさわやま・444.0m・三等三角点・新潟県
【コース】 小瀬ヶ沢洞窟入口より
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/越後豊川
【ガイド】 新潟の低山藪山(白山書房)
【温泉】 御神楽温泉 あすなろ荘 250円(通常500円)

【時間記録】 6:00 新潟発=(R.49、津川、上川 経由)=7:28 小瀬ヶ沢洞窟入口〜8:00 発―9:00 386mピーク―9:10 鞍部―10:00 400mピーク下―10:15 鞍部―10:33 386mピーク〜10:50 発―11:30 小瀬ヶ沢洞窟入口=(往路を戻る)=14:30 新潟着

 小瀬ヶ沢山は、川内山塊東部の鍋倉山の隣の大峰から南東に派生する尾根上にある山である。この山の麓には、小瀬ヶ沢洞穴遺跡があり、山よりはこの遺跡の名の方が知られているようである。
インターネットで調べると、小瀬ヶ沢洞穴遺跡について以下のような説明が書かれていた。
「小瀬ヶ沢洞穴遺跡
所在地:東蒲原郡上川村大字神谷字善入山
指定:1982年国史跡
 小瀬ヶ沢山の南急斜面の標高200メートル、小瀬ヶ沢川との比高90メートルに所在する。洞穴は、断崖の突端にある高さ14メートルの岸壁下に立地し、前面に約80平方メートルの狭いテラスを形成している。
 1958・59年の長岡市立科学博物館の調査により、押型文・撚糸文・沈線文・縄文・貝殻文などの尖底系の早期土器群の下層から、それまで全く知られていなかったさらに古い土器群が発見され、その後の洞穴遺跡の発掘あるいは草創期研究の先鞭を付けた。
 草創期土器群は、数種の爪形文・押圧縄文・細隆起線文・絡条体圧痕文・突瘤文・刺突文(窩文)・簾状櫛目文等である。
 他に有茎石鏃、無茎石鏃、柳葉形石槍、錐形石器、有舌尖頭器、植刃、石刃、握斧、掻器、大形局部磨製石斧、打製石斧、石核、削刃器、石皿、敲石、獣骨(カモシカ・クマなど)、鹿角製尖頭器などが出土した。」

 前日の黒森山の後で小瀬ヶ沢山の登山口の確認を行ったことから、翌日も再び津川に向かって車を走らせ、晴天に誘われるままに小瀬ヶ沢山をめざすことになった。1月26日に小瀬ヶ沢山を登る予定でいたが、快晴になったため、同行の二名を案内して、展望の良い白髭山に登ってしまった。時期を遅らせたことが吉とでるか否かは、登ってみないことには判らなかった。
 小瀬ヶ沢洞穴へ通じる林道は雪に埋もれて、案内標識が雪の上に頭を出していた。路肩に車を寄せて停めた。この日もスノーシューを履いて昇ることにした。尾根への取り付きをどこにするか迷ったが、小瀬ヶ沢洞穴の上の尾根を目指すことにした。洞窟手前で右手から沢が入り込んでおり、洞窟上の尾根の末端部は取り付くのが面倒そうであった。沢の左岸は伐採地になって一面の雪原が広がっていた。雪原を登って、上部で沢を横断して右岸の尾根に移れば良いだろうと考えた。雪はほどほどに締まっており、スノーシューで踏むと、周囲にヒビが入って沈み込む状態であった。スノーシューのクランポンを利かせて、快調な登りが続いた。高度を上げても、沢形はなかなか消えず、右岸に移るのは無理であった。谷はカール状で、上部になるほど傾斜を増した。一面の雪原で掴まる木も無いため、滑落の恐れも出てきて、右手の尾根に逃げることにした。尾根にのってひと安心となった。
 右手からの尾根の合流点に出ると、ワカンの跡が上ってきているのに出会った。前方には、386mピークへの尾根が続いていた。痩せた尾根で、雪が落ちて、地肌が姿を見せていた。尾根の脇の雪原を辿ってみたものの、雪が薄くなって踏み抜くため、つぼ足になって雪の消えた尾根を登ることにした。傾斜が緩やかになると再び雪原が広がるようになったため、スノーシューを履き直した。
 木立に囲まれて展望のない386mピークに出て、小瀬ヶ沢山へと続く稜線への下降点を探した。木立の間からうかがうと、尾根が急角度で落ち込んでいた。雪は柔らかくなっており、スノーシューでも、木の枝を掴みながら下ることができた。下っている途中で気が付いたのだが、ワカンの跡は、386mピークまでであった。
 鞍部を通過した先で、稜線上の雪が大きく割れ、右手は雪崩落ちて、横一列に寝た灌木が出ていた。つぼ足になって、稜線の左寄りを灌木を手がかり足がかりにしながらよじ登った。360mの小ピークに出ると、前方に400mピークが迫ってきた。このピークが小瀬ヶ沢山かと思っていたのだが、実際の山頂は、さらに左奧であった。
 痩尾根を進み、400mピークへの登りが始まろうとする所で、稜線上に四角の雪のブロックがのった状態になっていた。雪はグズグズで、乗り越すのは難しそうであったし、ブロックごと落ちる危険性があった。少し戻って、横から様子をうかがうと、ブロックはいくつかあり、その間に大きな亀裂が入っているようであった。南東に延びる尾根が目の前にあり、そこに移ることができたらと思ったが、浅い谷は雪崩のデブリで埋まっていた。
 しばらく迷ったが、諦めることにした。スコップを持っていれば、雪をどかして道を付けたいところなのだが。ここまでの尾根には、鉈目も多く見られ、残雪プラス藪漕ぎの時期が登りやすそうであった。つぼ足のままで386mピークの登り返しを行ったが、雪に足を取られて苦労した。スノーシューを履いたとしても、傾斜が急なために、登るのはやはり難しかったであろう。
 小瀬ヶ沢山に戻ったところでひと休みした。いつも登頂に成功するという訳にはいかない。暖冬のせいで雪が落ち始めているのが敗因である。条件の良い時に、再挑戦としよう。
 再びスノーシューを履いて、下りにとりかかった。伐採地の下りでは、途中で急斜面に入り込んで、横向き歩きをすることになった。そろそろ雪も堅くなってスノーシューの時期も終わりのようである。これからは、ワカンでのキックステップの季節であろうか。
 車に戻り、2月いっぱいは温泉祭りで入浴料半額のあすなろ荘で温泉に入ってから帰宅した。

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