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国上山


【日時】 2002年1月27日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雨

【山域】 弥彦・角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 国上山・くがみやま・313.2m・三等三角点・新潟県
【コース】 国上寺西参道
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/三条、弥彦/寺泊、弥彦
【ガイド】 新・新潟ファミリー登山(新潟日報社)、新花の山旅(新潟日報社)、新潟県のふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】 9:00 新潟発=(R.402、野積大橋、国上入口 経由)=10:50 上・下堤〜11:07 発―11:39 五合庵―11:54 国上寺―12:04 あか谷みはらし―12:11 展望台分岐―12:17 国上山〜12:27 発―12:40 蛇崩れ〜13:02 発―13:17 麓登山口分岐―13:25 林道トンネル―13:39 稚児道入口―13:47 五合庵―14:02 上・下堤=(往路を戻る)=15:30 新潟着

 国上山は、角田山から弥彦山に連なる丘陵の西端にあって、その西の麓には信濃川から日本海に向かって大河津分水が切り開かれている。国上山には、良寛ゆかりの国上寺(こくじょうじ)があり、史跡巡りの観光で訪れる人も多い。また、酒呑童子はこの国上寺の稚児であったという伝説も残さている。低山ながら展望に優れ、ハイキングコースも良く整備されている。
 国上山は、1996年1月6日に登って以来ということになる。登山を本格的に始める前にも、観光がてらに国上寺を訪れ、国上山の山頂まで足を延ばし、カタクリの花を楽しんだ覚えがある。二回の登頂というのは、近くの弥彦山や角田山と比べると、格段に少ない数である。標高が低いことや、国上寺からの周遊コースを歩けばそれで十分という気になってしまったのが、余所に足が向いてしまった理由であろうか。
 春に国上山から角田山への縦走を行う話が持ち上がった。コースを検討していくと、国上山から弥彦山に取り付くまでが、標高が低いにもかかわらず、一番判らない部分である。一般には、縦走のためには、国上寺の駐車場から歩き出すことが多いようであるが、できたら、国上山のふもとから登山を開始したい。道路地図を見ると、国上入口というバス停があり、西の方から道があるようであった。縦走コースや車の置き場所の確認のために、一度、国上山を訪れる必要があった。
 前日の土曜日の快晴に対し、日曜日は雨の予報が出ていた。雨音で目を覚ます朝になり、ゆっくりと起き出して、国上山に出かけることにした。
 シーサイドラインを抜けて大河津分水沿いの道に回り込んだ。大河津分水脇を走る県道沿いの国上入口のバス停はすぐに判ったものの、付近に駐車のためのスペースは無かった。国上山との間には、小さな岡が挟まっているため、もう少し山に近づいた所から歩き出すことにした。山腹にある国上寺の駐車場に向かう道から分かれて、南の山麓に広がる集落内に入った。駐車スペースを探しながら車を移動させていくと、二つのため池があり、その脇に車を停めることができた。二つのため池は、上堤、下堤と呼ばれるようで、釣り人のものと思われる小屋掛けが、岸辺に並んでいた。標柱があり、「左・旧、渡部村への山道 右・国上寺西大門入口」と書かれていた。ここを、縦走開始の登山口としてさしつかえないようであった。
 本降りの雨で、上下の雨具を着込み、長靴に傘の姿で歩き出した。集落内の細い道を山に向かって進んだ。周囲には、古い民家やお寺が並んで、雨に濡れてしっとりした眺めが広がっていた。車道が右に曲がるところで、そのまま直進する山道に進んだ。山道の周囲には竹林や篠竹が広がっていた。車道が接して山道に入るところに国上寺西参道と書かれた標柱も現れたが、歩く者は少ないようで、道は木の葉で覆われていた。
 坂を登っていくと、山道の脇に、「良寛の月見坂」の看板が草に倒れ込んでいた。看板には次のように書かれていた。
「良寛の月見坂
 ある秋の夜のことです。
 五合庵で良寛さまとお客さまはおそくまで語り合っていました。そのうちにお酒の無くなったのに気づいた良寛さまが、ちょっとふもとまで買いにいってきます、といって出かけましたがなかなか戻りません。
 心配したお客さまが坂におりてここまで来ましたところ、松の切り株に腰をおろしている良寛さまの姿がありました。
 月のあまりの美しさにお酒を買うのも忘れて無心になっている良寛さまなのでした。」と看板にあった。
 車道に飛び出して、向かいの山道をひと登りすると石仏が並んだ墓地に迷い込み、お寺の本堂の前にでた。一旦石段を下って車道に戻り、車道を進むとすぐ先に本覚院の広い駐車場があり、そこからはじまる道の脇に五合庵への案内標識がたっていた。この地点は、車道に飛び出したところで、左に曲がる必要があるのだが、直進する道があるので間違い易い。車ならここの駐車場まで上がってくることができるが、上の駐車場を利用するものがほとんどであろう。
 本覚院と宝珠院の間を抜けていく、石畳の道が続いた。ひと登りで五合庵に到着した。
「五合庵
 良寛が玉島(岡山県倉敷市)の円通寺できびしい修行を終え、さらに各地の名僧をたずねて研さんを重ねたのち、寛政八年(一七九六)頃から山麓の乙子神社わきの草庵に移り住む迄約二十年間、住いしたところである。
 五合庵の名は、貞享(一六八四〜)の頃国上寺に身を寄せて土岐の住職を助けて国上寺の阿弥陀堂(本堂)等の再建に身命をかけて、その功をなしとげた万元上人にこの草庵と毎日米五合を給したことから名づけたといわれている。
 現在の草庵は、対象三年の再建によるもの。」
 五合庵は、良寛愛好家は必ず訪れる場所になっている。五合庵には青いビニールシートが被されて、写真映りが悪くなっていた。雨漏りがするためか、冬の間の雪から守るためなのか。
 ここからは、観光モードの歩きになった。井戸があり、傍らに次のような説明版が立てられていた。
「鏡井戸
 今から一千年ほどの昔、砂子塚村(現分水町)の館主否瀬某に外道丸という世にもまれな美しい男の子があった。はじめは和納村のりょう厳寺の稚児に預けられたが、らんぼうが烈しく国上寺へ預け替えられた。
 外道丸はその後熱心に佛道修行に励んでいたがあまりの美しさに遠近の娘からの恋文が葛籠いっぱいになるほどだった。
 ある日、一人の娘がこがれ死したと伝えられ、外道丸はおどろいて葛籠のふたを開けると、恋文が白煙となって立ち上り思わず気絶した。しばらくして起きあがると顔の異常に気づき、この井戸をのぞくと、そこに鬼面と変じたおのれの姿がうつされていた。
 狂乱した外道丸は、その日から寺を抜け出し山中の断崖穴にこもり、自ら酒呑童子と名乗り悪行を重ねた後、丹波の大江山に移り住んだ。
(今も悪心を持つ者が、この井戸をのぞくと鬼に見えるといわれている)」
 国上寺は、いくつものお堂が並び立っている。本堂の境内に到着し、六角堂や太子堂、苔むした石仏を眺めて、しばし足を止めた。
 注連縄の掛かった鳥居が、国上山の登山口になっている。ようやく登山道が始まったが、以前よりも整備の手が加わって、丸太の階段登りが続くようになっていた。雪も登山道を覆うようになったが、溶けかかって泥道になっていた。もっとも長靴を履いていると、泥道も気にならずに歩くことができる。途中で、単独行とすれ違った。物好きな人間はやはりいるようである。雨は小降りになったものの、あかまつ見晴らしに出ても展望は無し。続いて、新しくできたらしい展望台への分岐に出たが、見晴らしもないため、そのまま山頂をめざした。
 国上山の山頂は、雪に覆われて、ひっそりとしていた。海岸線がうっすらと見えるだけであった。傘をさしながらベンチに腰をおろし、すこし涼しかったものの、ビールも飲みながら昼食とした。晴れていれば、冬であってもハイカーで賑わう山頂なのであろう。
 山頂の一画に、中部北陸自然歩道の看板が立てられていた。「A-8 良寛てまりの道」ということであるが、てまりの湯からあさひ山展望台、ちご道、蛇崩れ、国上山、国上寺、五合庵、弥彦スカイライン入口、大野積バス停までのコースは、12.1kmにも及んで長い。しかもスタートと終着地は、公共の交通手段で結ばれてはいない。二台の車を準備したなら、長い車道歩きをする気にはなれまい。東海道遊歩道は、東京から京都まで歩くという目標がはっきりしているものの、その後に加えられた中部北陸自然歩道は、利用者がどれほどいるか判らないお役人仕事のような気がする。さらに、整備された自然歩道を、利用者に宣伝しようとする姿勢が見られないのも不可解である。
 ひと休みの後、国上山から蛇崩れをめざした。剣ヶ峰へと続く尾根の分岐を探しながら歩いた。周囲の展望が開けていないため、尾根の入り方が判りづらかった。一旦、蛇崩れまで進んで、地形を見ていくことにした。蛇崩れに到着すると、ガスが上がり始めた。弥彦山の山頂が姿を現した。カメラをかまえていると、剣ヶ峰と黒滝城跡も見えるようになった。振り返ると、国上山から剣ヶ峰へ続く稜線を確かめることができた。蛇崩れからの眺めは、素晴らしく、その標高を忘れさせてくれる。
「中部北陸自然歩道 蛇崩
 国上山(313m)を、遠くより眺めると、おわんを伏せたような形をしていて、なだらかな稜線が温和な印象を与えますが、北部の一部は、奇岩(凝灰岩)が露出した断崖絶壁になっています。
 昔より、「国上山に大蛇住みして崩せる所なり」と伝えられ、地元ではここを「蛇崩」と呼んでいます。
 また、「此の山に天狗が住みす」とも言われ、毎年三月九日の早朝に、山神とされる天狗が集まり、蛇崩から麓の一本杉を的にして、水晶石で拵えた魔除けの矢を放つと、蛇崩の方向より唸るような山鳴りの音がした。という伝説が残っています。
 狭い岩道の途中には、大山祗命と天狗を祭った二つの石の祠があり、今でも地元の人々から厚く信仰されています。
 環境庁・新潟県」
 周囲の地形が判ったところで、もう一度登り返して、剣ヶ峰へ続く尾根に少し入ってみたが、山道のようなものはなかった。雨の降る中で、踏み跡は判らなくなっていたが、藪漕ぎは覚悟する必要がありそうであった。剣ヶ峰付近では、残置テープを見かけたが、この付近には見あたらなかった。
 蛇崩れまで戻り、麓への登山道に進んだ。ここの標識には、国上寺と書かれておらず、一旦逆の方向に進んでいくので、初めてだと不安になるかもしれない。大きく下っていくと、麓登山口と国上寺との分岐に到着する。ここからは、再び登りが始まる。雑木林の中を登っていくと、林道が横切っており、トンネルで通過するようになっていた。林道に上がってみると、小ジャリを敷き詰めた二車線幅の立派な車道であった。うわさは聞いていたが、本当に必要な林道なのだろうか。その後も二つのトンネルで林道を横切った。最後にあさひ山展望台に到着すると、この林道は稚児道の入口から始まっていた。歴史のある稚児道の静かな雰囲気が少し損なわれてしまったのは残念である。
 あさひ山展望台からは、今回初めて、千眼堂吊り橋を渡ってみた。五合庵への近道であった。一巡し、山道を下って車に戻った。
 ふもとから歩いたために、国上山も3時間ほどの歩きになった。国上山へのハイキングに出かけるなら、史跡巡りとしての魅力も加わる、この西参道から登ってみることを勧める。

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