0165

宝珠山


【日時】 2001年12月24日(月) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 五頭山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 宝珠山・ほうじゅさん・559m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/津川/馬下、出湯
【ガイド】 なし
【温泉】 馬下保養センター 400円 石鹸のみ

【時間記録】 7:00 新潟発=(R.49 経由)=8:00 石間高速奧路肩〜8:30 発―8:43 石間登山口〜8:46 発―9:13 尾根上―9:23 第一休憩場―9:30 第二の鐘―9:54 第三の鐘〜9:59 発―10:02 第二休憩場―10:24 第四の鐘―10:29 小ピーク―11:09 八咫柄山―11:25 宝珠山〜11:30 発―11:40 八咫柄山〜11:45 発―12:05 小ピーク〜12:20 発―12:22 第四の鐘―12:34 第二休憩場〜12:40 発―12:41 第三の鐘―12:57 第二の鐘―13:01 第一休憩場―13:05 尾根上―13:17 石間登山口―13:29 石間高速奧路肩=(馬下保養センター入浴後往路を戻る)=15:20 新潟着

 宝珠山は、加治川と阿賀野川の間の南北20kmにわたって連なる五頭山塊が阿賀野川に落込む南端にある山である。宝珠山は、軽い日帰り登山の山として人気が高いが、最近、宝珠山から菱ヶ岳の間の縦走路が整備されたことによって、南部における入口の山として重要性が増している。宝珠山へは、草水から大山を経由するコースと赤松公園からのコースの二つが利用されてきたが、平成十二年五月に石間からのコースが整備され、選択の幅が広がった。
 今年の6月2日に宝珠山から菱ヶ岳を経て五頭山までの縦走を行った。その際、八咫柄山で新しい切り開き道があるのに気づき、看板には石間へと書かれていた。新しい登山道が整備されたようなので、歩いてみなければと思いながらもそのままになっていた。小滝さんのホームページを見たところ、12月8日に石間から宝珠山に登ったとの報告があった。地図でコースを確認し、この連休中の候補の山とした。
 三連休の第一日目は、みぞれの降る嵐状態で山は断念。二日目は、雪の降る中、多宝山に登った。三日目の天候もあまり期待できそうもなく、消極的な低い山になりそうであった。朝起きてみると、思いもよらず青空が広がっていた。それならばということで、宝珠山を目指すことになった。
 土日での降雪によって、近づいてくる五頭山塊や菅名山塊は真っ白になり、路肩にも雪が現れてきた。宝珠山付近は、阿賀野川の影響で気温が高く、雪の付き具合も少ないのだが、それでもラッセルの覚悟が必要そうであった。
 国道から石間の集落内へ通じる旧道の入り口に、宝珠山登山口を示す標識が立っていた。畑の中に通じている道に進んで山に向かうと、高速道路にぶつかるところで、工事のための迂回の標識が現れた。一旦左折し、トンネルで高速道の下をくぐり抜け、右折すると、すぐ先で山の奥に向かう林道が分かれていた。林道の上には雪が積もっており、車で先に進むことはできなかったため、高速脇の広場に車を停めた。谷奥に尾根の末端部が見えていたが、これが石間コースの通じている尾根であることを後で知った。
 本格的なラッセルを予想して、プラブーツを履いてわかんを持つことにした。雨具のズボンを履いて、靴の上からスパッツを付けてと、プラブーツを履くとなると、いろいろ面倒である。つい長靴を履いてしまうのも、こういった点もあるのかもしれない。
 杉林の中の林道歩きがしばらく続いた。舗装されており、雪の無い季節なら、問題なく車を乗り入れることのできる道であった。前方に巨大な砂防ダムが現れると、ここが登山口であった。宝珠山石間登山口の標識が立っていた。山頂までは2kmとあった。雪のない季節なら、軽いハイキングの山であるが、この雪の状態で、近いのやら遠いのやら。
 沢を渡り、堰堤脇まで上がると、そこから山道が始まった。緩やかに斜めに上がっていく道で、大きなジグザグを描いて高度を上げていった。山の斜面を横切るため、登山道を見分けるのが難しかった。木立の中の空間で見当をつけ、登山道の縁取りの木の杭が所々で見えているので、なんとか辿ることができた。雪は、膝下程度であったが、もう少し雪が増えると、夏道は辿れそうも無かった。積雪期は、尾根の末端から取り付いた方が良さそうであった。
 標高260m付近で稜線上に登り着くことができた。看板が立っており、「クマさんも仲間です。打鐘は必ずして下さい。(打鐘は四カ所あります)」と書かれていた。この雪では、クマも冬眠中のはずであった。その先は、緩やかな登りが続いた。しばらく歩くと第一休憩場という看板が現れ、そばの木に鉄パイプがつるされ、中に打つための棒が差し込まれていた。これがクマ避けのための鐘のようであった。ためしに打ってみたが、カンという短い金属音がするだけで、音の響きは良くはなかった。
 つぼ足で歩いているうちに、雪も深くなり、わかんを履く必要がでてきた。区切りの良い所ということで、第三の鐘が現れた標高400m付近でわかんを付けた。足は潜らなくなったものの、歩くのはそう楽になった感じはしなかった。ラッセル交代のいない一人歩きならスノーシューの方が楽であるが、宝珠山への最後の急登は、スノーシューでは登れない。雪の上にはカモシカの足跡が続いていた。
 青空が広がっていたのだが、400mから上になると、雲がかかって山頂部が見えなくなった。谷向かいの稜線は、草水からの登山道が通じており、無線の反射板も見えたが、その稜線が合わさるのは、まだまだ先のようであった。稜線は谷の源頭部を巻いて、一旦僅かに下ると、八咫柄山への急な登りが始まった。このコースは、ここまでは標高があまり上がらずに、最後に一気に突き上げるようであった。急斜面な上に雪が深くなり、足が上がらずに、雪の上に腹這いなって足を上げるような急な所も現れた。尾根も痩せており、下りが少々心配になった。ペースが遅くなったため、引き返しのための最終時間が頭の中によぎるようになった。
 息が切れて足を止めると、宝珠山の山頂が、尖った山頂を持った岩山の姿を見せていた。草水コースにしろ赤松山森林コースにしろ、宝珠山が目に入ってきた時には、より標高の高い背後の五頭連峰と重なってしまい、宝珠山の印象は薄いものになってしまう。石間コースは、宝珠山を眺めるには絶好のコースであった。霧氷に彩られた宝珠山は、本格的な雪山のように見えていた。
 ラッセルは遅々としてすすまなかったが、それでも宝珠山の山頂が次第に近づいてきた。霧氷が張り付いた灌木を掻き分けていくと、八咫柄山に到着した。宝珠山との間には真っ白な斜面が広がっており、誰も登ってきていないようであった。
 宝珠山に向かって、登山道が雪の窪みとして続いているのが見えた。雪原を下り、最後の頑張りということで宝珠山への登りにとりかかった。最後の急登の手前で、木の枝が雪の重みで倒れて斜面を塞いでいた。迂回はできず、雪を掻き分けていくうちに、すり抜ける隙間ができた。急斜面はわかんでステップを切り、思ったよりも楽に登ることができた。山頂への最後の部分では、夏道通りに岩を左に巻いたが、雪を踏み抜いて転落しないように、灌木の枝を雪の下から掘り起こして掴みながら慎重に行動した。
 宝珠山の山頂の鐘は現れていたが、お地蔵さまは雪の下であった。五頭連峰の稜線が高みに続いているのが一望できた。背後には、菅名山塊の鳴沢峰が三角形のシルエットを見せていた。登ってきた石間からの尾根も目で辿ることができた。ここまでのラッセルが報われる眺めであった。
 頭上には青空が広がっていたのだが、登りの途中で、雷鳴らしき音を聞いた。海岸部の新潟方面を眺めると、黒雲で覆われていた。天気予報では、午後から雨となっていた。この晴天は、昨日の低気圧が通過した後に、気圧の勾配が緩んで一時的に現れるもので、低気圧が東に抜けた後は西高東低の冬型が強まり、荒天になるというもののようであった。下山を急ぐ必要が有りそうであった。
 写真をひと通り撮り終え、山頂を後にした。急斜面は、登りの時にできたわかんのステップに乗ることができて、思ったよりも楽に下ることができた。八咫柄山まで登り返したところで、息が切れてひと休みになった。青空が広がっており、天気が崩れるとしても、少しは余裕があるはずであった。
 八咫柄山からの急斜面を慎重に下り、平坦な稜線に戻ったところで、昼食とした。汗をかいており、ビールが美味しかった。下っていくうちに雲行きも怪しくなってきた。第二の鐘付近でわかんを外し、つぼ足での歩きになった。この方がやはり足は軽い。
 砂防ダム脇の登山口に下り立ち、林道歩きをしている間にポツリポツリと雨が降り始めた。良いタイミングで下山したようである。温泉に入って新潟に戻る途中、振り返り見た五頭山塊は黒雲の中に隠れていた。


山行目次に戻る
表紙に戻る