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権ノ神岳、粟ヶ岳


【日時】 2001年11月3日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 権ノ神岳・ごんのかみだけ・1124.2m・三等三角点・新潟県
 粟ヶ岳・あわがたけ・1292.7m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳
【ガイド】 LATERNE vol.6
【温泉】 七谷コミュニティーセンター 100円(石鹸無し、沸かし湯)

【時間記録】
5:30 新潟発=(R.49、亀田、R.403、加茂、黒水、R.290 経由)=6:40 第二貯水池〜6:50 発―7:00 林道終点―7:08 堰堤下(七頭・権ノ神岳登山道標柱)―7:20 大俣川渓谷標柱―7:34 尾根取り付き―8:12 旧炭焼場跡〜8:19 発―8:44 トラバ−ス道開始―8:55 徒渉点〜8:58 発―9:22 シバクラのクボネ―9:37 権ノ神岳〜9:48 発―9:55 シバクラのツボネ―10:42 北峰分岐―10:45 九合目―11:01 粟ヶ岳〜11:27 発―11:40 九合目―11:42 北峰分岐―11:47 八合目―12:05 七合目(粟ヶ岳ヒュッテ)―12:07 大俣登山道分岐―12:45 大俣展望台〜12:50 発―13:24 大俣登山道口―13:31 第二貯水池=(往路を戻る)=15:50 新潟着

 新潟平野の縁に沿って広がる粟ヶ岳から白山にかけて長く続く稜線は、新潟周辺で馴染みの深い山の風景になっている。白山の右隣りの宝蔵山のように、粟ヶ岳の左には権ノ神岳が寄り添っている。権ノ神岳へは、白山から縦走する他に、高柳あるいは小乙から橋立を経て縦走路を辿るルート、大俣川上流部から七頭に至る七頭登山道を使うルートが考えられる。登山道が整備されているにもかかわらず、隣の粟ヶ岳に比べて、権ノ神岳への登山者はほとんどいない。
 一週間まえに、五百川から粟ヶ岳に登り一本岳まで足を運んだ。山の記録をまとめているうちに、権ノ神岳へ登っていないのが気にかかってきた。本来なら、白山から粟ヶ岳までの縦走の途中で権ノ神岳の山頂を踏みたかったが、七頭登山道から登ることにした。
 加茂の町から猿毛岳の下を通り過ぎると、周辺の山肌にも紅葉が下りてきており、冬も近いようであった。下高柳近くの加茂川湖畔からは、ばら色の空に三つのピークを連ねた粟ヶ岳と、その左に七頭、権ノ神岳と続く稜線が黒いシルエットになって浮かんでいた。
 連休初日の土曜日とあって、山は混雑しているだろうと思っていたが、加茂水源地を抜けて第二貯水池に近づくと、路肩駐車の車が列を作っていた。貯水池の上流の端近くになってようやく空きスペースを見つけることができた。先に続く林道の奥まで車を進めるべきか迷ったが、登山口の様子が判らないので、良く周辺を見ながら歩いた方が良いのと、中央登山道から下山することも考えて、ここから歩き出すことにした。車の中で朝食をとっている間も、登山者の話し声が貯水池一帯にひびき、騒然とした雰囲気であった。
 大俣沢の上流に向かう登山者はいないようで、歩き出すと、静けさがもどってきた。第二貯水池の上流部の端で、林道が二手に分かれた。湖面に沿って延びる右の林道に進んだが、すぐ先で終点になっていた。下山時に大俣登山道を下ったところ、この林道終点の対岸の尾根末端部下り立ったが、この時は、大俣登山道入口の位置を誤解していた。分岐に戻り、高みに続く左の林道に進んだ。林道は、普通車でも通行可能な路面状態であった。谷間にかかる大きな砂防ダムが近づいてきて、左手から落ち込む沢を回り込んだところで、林道は終わった。地図に書かれている林道の終点位置とは変わらないようであった。林道の先に続く踏み跡は堰堤で終わっていた。終点広場から谷間に向かって下る踏み跡があり、これがめざす登山道の入口であった。登山口の標識が無いのが、少々不安であった。
 杉の植林地の中を下っていくと、大俣沢の流れにつきあたった。砂防ダムから落ちる水の音は大きかったが、水量は少なかった。木の板が渡してあった。水滴でぬれており、滑らないようにと思いながら足を前に出したとたんに、滑って水に落ちた。被害は、靴に水が入ってしまっただけで、怪我がなかったことを喜ぶべきか。板を渡るのはやめて、飛び石伝いに渡った。始めからこうすれば良かったのだが。沢の左岸に渡ったところに、七頭・権ノ神岳登山道という標識が現れた。林道終点に立てて欲しい標識である。右岸伝いにしっかりした道が続いていた。ダムの堰堤の高さまで上がった後に、谷の奥に続いていた。
 帰りに砥沢峰で中央登山道と分かれる大俣登山道を下ろうと思っていたのだが、とんだ誤解をしていた。山と渓谷社のアルペンガイド「谷川岳と越後の山」の粟ヶ岳のガイドには、このコースの説明は無かったのだが、概念図には赤線で登山道が記入され、この堰堤脇に下りてくることになっていた。大俣登山道の入口を探したが、見つからなかった。注意力が足りずに見落としてしまったのかと思いながら、谷の奧へと続く山道を進んだ。山道は、沢の左岸沿いに続いていた。途中で、大俣川渓谷と書かれた標柱が現れ、その先は、沢の中を辿るようになり、沢水によって道が削られ、飛び石伝いに通過するような所も現れた。水量も少なく、登山靴での通過は問題なかったが、 徒渉点で水に落ちたのと、草に付いた露のために、登山靴は濡れてしまっていた。
 大俣沢がカリマタ沢と七頭沢に分かれ、その中間尾根に七頭登山道が通じている。二俣に到着してみると、本流は七頭沢で、左手からカリマタ沢が合わさるという感じになっていた。中間尾根は、いきなりの急登になったが、はっきりした道が続いて、登山道の状態については、ひと安心になった。炭焼き道であったというが、足の置き場のステップも切られている、しっかりした道であった。手も使って体を持ち上げるような急な登りが続いたが、600m標高で傾斜が緩むと、イタガモモ尾根・旧炭焼場跡という標識が置かれていた。この尾根はイタガモモ尾根という名前であることが判ったが、急登の連続で「痛が腿尾根」という意味なのであろうか。石積みの跡や、竈の跡なのか崖際に空いた穴を周辺に見ることができた。紅葉はこの付近で盛りとなっており、落ち葉の上に腰をおろしてひと休みした。
 しばらく緩やかな尾根を辿ると、再び急な登りが始まった。岩尾根状の所も現れたが、ステップはしっかりしているので、問題なく通過できた。七頭の稜線が頭上に迫ってきた800m標高付近で、尾根から分かれて、左のカリマタ沢沿いの谷間に入る道になった。雪崩に削られる草付き地帯のトラバース道になって、道は所々で不明瞭になっていた。夏草が茂った頃では、道を見失いかねない。もっとも、この山域はヒルの生息地で、このコースの一般登山は晩秋が適季となるであろうから、通過には問題はないかもしれない。830m標高付近で、カリマタ沢を 徒渉した。さすがに沢幅はひとまたぎになっていたが、水量は豊富で、良い休み場になっていた。
  徒渉点からは、カリマタ沢の右岸沿いの道が続いた。再びしっかりした山道が現れた。稜線はすぐ上のように見えたが、登るにつれて谷奧に遠ざかるような感じで、なかなか到着しなかった。ようやくカリマタ沢の流れも尽きると、権ノ神岳と七頭の鞍部に到着した。ここには、シバクラのツボネという標識が掲げられていた。縦走路はしっかりした道が整備されていたが、登ってきたカリマタ沢とは反対の谷間に向かっても踏み跡が続いていた。コチ沢に通じているようだが、ゼンマイ道なのであろうか。
 権ノ神岳は、ドーム状の山頂を見せ、一直線に登山道が続いていた。残り120mの標高差であったが、足も疲れてきていた。登り着いた権ノ神岳の山頂は狭く、白山への縦走路との分岐に権ノ神岳山頂の標識があり、そこから数メートル先に三角点があった。刈り払いは、その少し先で終わっていた。分岐の小広場からは、七頭を前景に配し、左に一本岳、右に砥沢峰を従えて、粟ヶ岳が堂々たる姿を見せていた。粟ヶ岳の絶好の展望台であるが、まだあの高みまでの登りが待っているとなると、そう喜んでばかりはいられなかった。縦走路の彼方を眺めると、宝蔵山の向こうに白山がドーム状の姿を見せていた。宝蔵山との鞍部にあたる橋立からなら、縦走路の整備はしっかりしているようだし、権ノ神岳までの往復はそう難しくはなさそうであった。
 落ち葉とともに転がり落ちるようにシバクラのツボネに戻り、七頭への登りに取りかかった。七頭は、「ななとう」と藤島玄氏の越後の山旅にはフリガナが振られている。七つのピークを連ねていることが名前の由来であるが、実際に歩いてみると、小さく上下する痩せ尾根であった。大きな高低差は無いままに通過し、粟ヶ岳に取り付いた所で、再び急な登りが始まった。頭上からは、登山者の話声が聞こえる中を、中央登山道との合流点の北峰を目指して、力を振り絞った。
 中央登山道に飛び出すと、通りがかった登山者から、「どこから登ってきた」という声がかかってきた。「七頭登山道を通って権ノ神岳から」と答えた。このように聞かれるのは、人のあまり歩かないコースから登ってきた時の、ささやかな自己満足のひとつで、聞くものがいないとなると少しがっかりしてしまう。
 中央登山道は、登り下りの登山者で賑わっていた。中ノ峰を越して、ひと登りすると粟ヶ岳の山頂となる。一週間ぶりの山頂であったが、先週よりも多い登山者に山頂は埋めつくされていた。一本岳への尾根に少し入り込んだ所の、川内山塊の眺めの良い所で腰を下ろした。曇り空が広がり、山々は暗い色に沈んでいた。青里岳、矢筈岳、五剣谷岳といった川内山塊深部の山や御神楽岳は見えていたものの、飯豊連峰は雲に隠されていた。今度飯豊連峰が姿を見せる時は、白くなっているであろう。紅葉も盛りを過ぎ、稜線上の葉の落ちた木々が白く光っていた。かなり遠ざかった権ノ神岳も眺めることができた。
 ビールを飲み干し、賑やかな山頂を後にしようとすると、山頂の展望台の上に御神酒を並べ、神事を行っていた。下山後に知ったのだが、加茂山岳会主催の粟ヶ岳山閉いが行われ、そのために登山者が多くなっていたようである。御神酒をもらう列ができていたが、面倒になって、そのまま下山に移った。
 少し歩くとグループに追いつき、追い抜かせてもらうと、声が掛かった。宇都宮ハイキングクラブの人達で、一緒に越後駒ヶ岳から荒沢岳に縦走して知り合った顔もまじっていた。連休ということもあって、300名山の粟ヶ岳には、県外からも大勢の登山者が訪れているようであった。
 北峰からは、急な下りが続き、何人もの登山者を追い抜くことになった。砥沢峰の粟ヶ岳ヒュッテも、中は大賑わいのようであった。粟ヶ岳の山頂付近は、水だけを持った登山者がかなりいたので、荷物を置いて山頂を往復し、昼食はここでとるという者が多いようであった。
 粟ヶ岳ヒュッテから下り始めてすぐに、右手に大俣登山道が分かれた。歩きはじめにこの登山道の登り口を見つけることができずに不安があったものの、しっかりした道が続いているのを見て、この道を下ることにした。急な下りが始まった。登山道は落ち葉に被われて滑りやすくなっており、ストックで支えて慎重に下りながらでも、何回か尻餅をついた。途中で、女性の単独行を追い抜いた他は、誰にも会わない静かな歩きが続いた。特に危険な所は無い道であったが、このコースを登りに使うとなると、相当な体力が必要そうであった。下るにつれて、登山道の周囲には、美しい紅葉が広がるようになった。
 685m 標高付近で、加茂水源地方面の眺めが広がった。大俣展望台の看板が吊され、下へ1350m、上へ1220mとも書かれていた。この尾根の中間点の休み場となっているようであった。足も疲れてきたので、ひと休みした。尾根の方向を考えると、どうも砂防ダムとは方向が違っているようであったが、これだけ立派な登山道である以上は、どこかに下り立つはずであった。
 最後に杉林の中に下り立つと、左手の沢に砂防ダムが築かれていた。大俣沢に下りたってみると、第二貯水池の湖面が終わる所の砥沢との合流点、最初に間違って入り込んだ林道終点の対岸であった。水量は少し多めであったが、飛び石伝いに沢を渡ることができた。車を置いたのは、すぐ近くであった。
 車を走らせて中央登山道の入口を通りがかると、山の神の脇に天幕が張ってあり、係りの人が待機していた。のぞいてみると、粟ヶ岳登頂証明書をもらうことができた。家族連れで賑わう加茂水源地で、粟ヶ岳の山頂を振り返った後、七谷コミュニティーセンターの風呂に急いだ。家に戻る途中、天気予報通りに、雨が降りはじめた。

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