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日本平山


【日時】 2001年10月27日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り後雨

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 日本平山・にほんだいらやま・1081.1m・一等三角点本点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/高石
【ガイド】 関越道の山88(白山書房)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)
【温泉】 村松さくらんど温泉 700円

【時間記録】 5:20 新潟発=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=6:30 早出川ダム〜6:46 発―7:04 山の神―7:56 金ヶ谷徒渉点―8:11 駒の神〜8:53 641mピーク―9:10 トコヤ(水場)―9:54 ガンガ―10:18 日本平山〜10:43 発―11:06 ガンガ―11:54 トコヤ(水場)―12:09 641mピーク―12:36 駒の神〜12:39 発―12:54 金ヶ谷徒渉点―13:48 山の神―14:11 早出川ダム=(往路を戻る)=16:20 新潟着

 日本平山は、川内山塊の盟主の矢筈岳を源流とする早出川右岸に位置する山である。細々としたゼンマイ道が僅かに通じているだけの川内山塊において、日本平山は、各方面からの登山道が切り開かれている貴重な山である。日帰りの山であるが、谷沢方面からにしろ、早出川ダムからにしろ、行程は長く、山の奥深さを感じさせる山である。山頂は、ならだかな高原状で、一等三角点本点が置かれている。
 日本平山は、私にとって運のない山である。一番はじめに登ろうとして早出川ダムを訪れたのは、1992年4月28日のことであったが、ダムサイトの崖のコンクリート壁の工事中で、登山道が入り口で通行禁止になっていた。1993年5月1日に再度早出川ダムから歩き出したが、金ヶ谷の沢が増水しており、徒渉できずに引き返しになった。その三日後の1993年5月4日に、新潟市青年の森から歩きだしたものの、大池手前付近で残雪に登山道を見失い、これも中途断念になった。結局その秋の1993年9月23日に谷沢から登って、日本平山の登頂を果たした。
 早出川ダムからのコースは、春は懲りたので、紅葉の盛りに歩こうと思っていたが、そのままになっていた。土曜日は、快晴のもとに粟ヶ岳から一本岳まで歩いたが、山の中腹あたりが紅葉の盛りであった。翌日の山行も紅葉の期待が膨らんだが、日曜日の天気は、曇のち雨というものであった。ダム湖畔のへつり道や、金ヶ谷の徒渉など、雨の中で歩きたくはないコースであったが、雨の降り出しが午後になることを期待して、紅葉に誘われるままに出かけることにした。
 早出川ダムの堰堤手前の広場に到着してみると、10台程の車が停まっているのに驚いた。紅葉の盛りの山ということで、日本平山も賑わっているようである。ダムサイトの車道を歩いていくと、直に山道に変わった。沢の上流に大きく回り込んでから対岸に移る道は、能率の悪いこと甚だしい。再びダム湖の縁に戻ると、山の神の祠が置かれていた。早出川と金ヶ谷の合流点付近は、湖面からの標高差もあり、紅葉に彩られた小さな小島を見下ろす風景は、絵のように美しかった。前方を眺めると、谷に向かって落ち込む崖の中腹に、登山道が細々と続いているのが見えた。崖沿いの道には、随所で鎖が取り付けられていたが、低く張られているので、役には立たなかった。むしろ、なんでもないような所でも、路肩が砂地で弱そうな所があり、注意が必要であった。小石にでもつまずけば、崖から転落という可能性もあり、神経を使う歩きのため、余計に長い道程に感じた。高低差も結構あり、体力も消耗した。ただ、ダムサイトの紅葉は、新潟周囲の山のうちでも屈指の美しさであり、歩く楽しみは大きかった。
 金ヶ谷の上流部に向かって、下り気味の道が続いた。地図を見ると、金ヶ谷の左岸尾根に取り付くには、 徒渉後、尾根の末端付近までトラバース気味に登っていくように書いてある。対岸の崖は切り立っており、どこに歩く道があるのかと、不安を覚えた。金属製横板の橋が現れ、その先で徒渉点に出た。沢への下降点手前で登山道が崩壊しており、虎ロープ頼りに泥斜面をトラバースし、沢に下り立った。沢の水量は、それほど多くなく、飛び石伝いに対岸に渡ることができた。以前は、春先の増水で谷一杯に水が流れていたのとは大違いであった。
 沢の対岸の草付きの泥斜面にロープが下がっていた。ロープを頼りに、草付きの斜面をよじ登ると、灌木帯の中にしっかりした山道が続いていた。一気に高度が上がって谷を見下ろすようになると、トラバース気味の道になった。崖を削って道を造ったようなへつり道であった。中腹から水面にかけては絶壁のため、その上部の傾斜が少し緩んだところに道が開かれていた。鉱山のための道のようであるが、このようなルートをよく見つけたものだと感心した。次第に尾根が近づいてきて尾根に乗ると、その乗越部が駒の神であった。祠のようなものはなく、大きな赤松がご神体のようであった。尾根沿いの道の他に、丸子道と書かれた道が、早出川の上流に向かって続いていた。谷の奥にはどのような世界が開けているのだろうか。ともあれ、この日進むべき道は、この道ではなかった。
 尾根沿いの道は、急登ではあったが、しっかりした道で、緊張からは開放された歩きになった。標高500m地点で主稜線上に登り着くと、周囲の展望が広がった。登山道周辺の灌木は美しく紅葉していた。日倉山が谷向こうに大きく広がり、日本平山に続く稜線が長く続いていた。641mピークに向かっては、緩やかな登りが続いた。早出川源頭部には、矢筈岳、青里岳、五剣谷岳が見えているはずであったが、曇り空で遠近感が掴みづらく、どれがどのピークかと確信を持つことはできなかった。痩せ尾根を過ぎて748mピークが近づいてくると、ブナ林が周囲に広がるようになった。鉱滓が積もったような土の斜面が現れ、ここがトコヤのようであった。鉱山跡ということであるが、細いながらも水場もあり、ブナ林に囲まれた泊まり場として使えそうであった。
 緩やかに登っていき、748mピークの南の小ピークとの鞍部を越すと、道は一旦下りになった。背の高いブナが並び、白い幹と黄色に色づいた葉の取り合わせが美しかった。前方に、急峻な岩峰が迫ってきて、これがガンガのようであった。右手の尾根を登るようで、ルート的には問題は無さそうであったが、標高差250mの一気の登りに、気合いを入れ直す必要があった。急登の途中、先行していた6名程のグループに追いついてしまった。早いですねと言われて道を譲ってもらった以上は、快調に飛ばすしかなかったが、オーバーペース気味になり、辛い登りになった。ガンガの小ピークの上に立つと、ようやく日本平山の山頂が目の前に迫ってきた。
 細尾根を辿った後に、標高差130mの最後の登りになった。日本平山の山頂部は、紅葉も終わり、葉を落とした冬枯れの木立が広がっていた。山頂の奥に向かって進んでいくと、左から谷沢方面からの登山道が合わさり、その先が山頂であった。
 山頂部は、刈り払われた広場になっており、飯豊方面と、鍋倉山から御神楽岳方面の眺めが広がっていた。以前登った時は、灌木に囲まれて、山頂からの眺めは全く無かったと思うのだが、最近の刈り払いのようであった。山頂標識と一等三角点の他に、噂には聞いていたのだが、カエルの石像が置かれていた。雨乞いの山でもないので、その謂われが判らない。無事にカエルということなのか。まさか、ひっくりカエルではあるまい。その重さからいっても、ここまで運ぶのは容易なことではなかっただろう。
 前後してして到着したグループは山頂での宴会を始めた。急坂の下りや湖岸のへつり道を考えて、ビールを飲むかどうか迷っていたのだが、誘惑にはうち勝てなかった。ビースを飲み干し、ひと休みしているうちに、空が暗くなり始めた。雨も近いようなので、下りを急ぐことにした。
 山頂から下り始める途中、登りの途中の登山者にすれ違った。この日の日本平山の登山者は、皆、早出川ダムから登ってきているようであった。紅葉の写真を撮りながら歩いていたが、トコヤ付近まで下った所で、葉を打つ雨の音が聞こえるようになった。空も暗くなって写真撮影にもあまり良くない条件になってきたので、下りに専念することにした。駒の神から金ヶ谷へ慎重に下り、 徒渉を終えて、ダムサイトの道を歩いていると、本降りの雨が始まった。難所も通り過ぎていたので、傘をさして歩くことにした。雨の中で、紅葉の赤や黄色の色が冴えていた。
 雨の降り始めの時間を考えると、他の登山者は、下りの途中で雨にあったはずである。このコースは、雨の中はあまり歩きたくない難コースであり、逃げ足の早さというのも、安全登山につながると思うのだが。

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