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粟ヶ岳、一本岳


【日時】 2001年10月27日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 粟ヶ岳・あわがたけ・1292.7m・二等三角点・新潟県
 一本岳・いっぽんだけ・1240m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳
【ガイド】 粟ヶ岳まで:アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)

【時間記録】
5:20 新潟発=(北陸自動車道、三条燕IC、R.289、北五百川 経由)=6:50 一合目(花立場)〜7:07 発―7:15 林道終点―7:22 二合目(鉄橋)―7:26 元宮―7:40 三合目(八汐尾根)―7:54 四合目(粟石跡)―8:04 水場〜8:09 発―8:18 五合目(粟薬師)〜8:22 発―8:27 小俣登山道分岐―8:43 六合目(天狗の水場)〜8:48 発―9:09 七合目―9:37 八合目(牛ノ背)―9:50 九合目(南峰稜線)―10:01 粟ヶ岳〜10:06 発―10:23 鞍部―10:33 一本岳〜10:45 発―10:53 鞍部―11:16 粟ヶ岳〜12:00 発―12:09 九合目(南峰稜線)―12:21 八合目(牛ノ背)―12:44 七合目―13:06 六合目(天狗の水場)―13:19 小俣登山道分岐―13:23 五合目(粟薬師)―13:33 水場〜13:36 発―13:42 四合目(粟石跡)―13:52 三合目(八汐尾根)―14:03 元宮―14:13 林道終点―14:23 一合目(花立場)=(往路を戻る)=16:10 新潟着

 粟ヶ岳は、新潟平野から福島県境に広がる川内山塊の最高峰である。川内山塊の山々は、標高は低いながら雪崩に磨かれたスラブをまとい、険しい渓谷に囲まれて、容易に人を寄せ付けない、現在では少なくなっている秘境である。その中にあって、粟ヶ岳は、新潟平野に接する位置にあり、麓からその姿を良く眺めることができ、信仰あるいは登山の対象として、親しまれる山になっている。一本岳は、粟ヶ岳の山頂の東に隣り合う鋭峰であり、山頂あるいは周囲の山から目立つピークで、興味をそそる山である。
 粟ヶ岳は、1992年4月25日と97年10月18日の二回登っただけで、新潟から近い山にもかかわらず、その隣の白山の五回と比べても、登山回数は少ない。しかも、二回とも、加茂水源地からの中央登山道を利用しての往復である。橋立から権ノ神岳を越す縦走路、七頭登山道、それに下田村の五百川コースは歩いてみたいと思っていた。
 秋も深まり、越後駒ヶ岳からは雪の頼りも届き、新潟周辺の山も紅葉前線が中腹まで下りてきている。土曜日は、晴の予報が出て、山の上からの展望を楽しめそうであった。いろいろな山に目移りしたが、五百川コースから粟ヶ岳に登り、その隣の一本岳まで足を延ばすことにした。
 八木前から旧道に進んで八木鼻の岩壁の下を通り抜け、すっかり大にぎわいになっている「いい湯らてい」の手前から五百川の集落に入った。粟ヶ岳登山道の標識に従い、祓川にかかる橋を渡ると、その先で粟ヶ岳登山口の駐車場が現れた。登山ガイドの案内図を見ると、さらに奥に進んだ花立場に駐車場マークが書かれていたので、車を先に進めてみることにした。駐車場の前の橋で駒出川を渡ると、田圃の中に農道が続いた。道幅は狭く、対向車とのすれ違いが難しい道であった。谷間に入り込み、道の脇からの草が被り気味になったところで、車8台程は置ける小広場が現れた。道の脇に一合目の標識が立てられ、車止めと書かれていた。ここが花立場の駐車場のようであった。車をここまで進めたおかげで、30分程の節約になったようである。標識の脇に登山ポストが置かれていたので、ノートに名前を記入した。
 今年の秋は、新潟周辺でクマが頻繁に出没して、死者も出ている。最近は、クマには無頓着になっていたのだが、さすがに気になって、ザックに鈴を付けて歩き出した。しばらく用水路が脇に沿う林道が続いた後、山道が始まった。山深く入り込んだ風情のただよう道であった。周囲の木立は、まだ緑であったが、登っていく途中で紅葉に出会うだろうと期待することにした。左岸沿いの道を進んでいくと、鉄製の金網状の横板を渡した橋があり、右岸に渡ったところに二合目の標識があった。
 右岸沿いの道を進み、枝沢の滝の落ち口を渡ると、杉木立が現れた。杉の落ち葉に埋もれかけていたが、短い石段があり、その上に元宮と読みとれる標識が立っていた。昔はこのあたりにお宮があったのであろうか。昔の参詣者が祓川で水垢離を行った垢離場の跡であろうか。ここから尾根の登りが始まった。地図を見てみると、ここまでの祓川の横断は3回となっているが、実際には1回だけで、道が付け変わったようであった。
 見晴らしの利かない尾根を登っていくと、三合目(八汐尾根)と書かれた標識が現れた。次の四合目が粟石跡であった。粟石について、藤島玄著「越後の山旅」には、「道に大石がでんと出ている。標高450メートルの粟石だが、粟のような小石ではない。粟石に登ると妻が安産する。粟石を欠いて持ち帰るとお産が軽い、という伝説は昔の人たちも無邪気な自然破壊をやったという証拠になろう。」と書かれている。粟石跡と標識に書かれているように、登山道の周辺は岩が露出しているものの、それらしい大石は見あたらなかった。粟石は、安産のお守りに削られて消滅してしまったとも思えないが、どのような運命を辿ったのだろうか。
 粟石跡からしばらくは、登山道上にちょっとした岩場が現れたが、特に問題もなく通過できた。背後を振り返ると、袴腰山がきれいな三角形の山頂を見せていた。その上で、水場の標識が現れた。左手の道に入ると、すぐ先の沢に水が流れていた。水量は少な目であったが、パイプが差し込んであり、コップをすぐに満たすことができた。歩き始めは、手袋を付けなければならない程、涼しかったが、尾根の登りで汗もかいており、冷たい水が美味しく感じた。
 水場から尾根の登り僅かで、周囲にブナ林が広がるようになった。昔伐採されたことがあったのか、細めのブナばかりであったが、すらりとしたブナ林が並んでいるさまは美しかった。紅葉には少し早いようで、葉の緑が濃いのが残念であった。緩やかになった道を進んでいくと、五合目に到着した。ブナ林の中の広場には、粟薬師のコンクリート製のお堂と、避難小屋が並んでいた。粟薬師は、かつては、大きなお堂があったのが、昭和八年に消失してしまったという。避難小屋は、二階建ての立派な小屋であるが、残念なことに、冬の出入りに使われる二階入口の戸が壊れて、地面に落ちていた。雪の訪れまでに修繕しないと小屋が使い物にならなく恐れがあるのだが。
 ブナ林の中を斜めに登っていくと、稜線に出たところで、小俣登山道を示す標識が現れた。「小俣沢沢道は、昭和四十四年の加茂川集中豪雨によって荒らされ、雪崩に痛み、歩くことも難渋するほど荒廃した・・・」と藤島玄氏は、書いている。アルペンガイド中の地図を見ると、この登山道は、小俣沢沿いの道から三十三丈滝手前の尾根を経て、この合流点西の628mピークに登ってくるようである。加茂水源地から五百川までは距離があって、二台の車を用意したとしても車回しが大変だが、この小俣登山道ならすぐ近くである。中央登山道と小俣登山道を結べば、楽しい周遊コースになるはずなので、機会をみて、誰か誘って歩くことにしよう。
 小俣登山道分岐からは、展望の良い稜線沿いの歩きになった。粟ヶ岳の山頂に突き上げる小俣沢の対岸には、中央登山道の通る尾根が平行に走っていた。鳥越や砥沢峰が目の前で、ピークの上で休む登山者を見分けることができた。朝の光の中では、南に位置するこちらの尾根の方が、写真撮影には都合が良かった。新潟平野を見下ろす高度感のある展望が広がってひと安心したものの、粟ヶ岳の山頂までは、まだ400m程は登る必要があり、気合いをひきしめた。
 六合目には、天狗の水場と書かれていた。この水場は、流れが細くなっており、コップで水を汲むのも難しくなっていた。粟ヶ岳の紅葉は、中腹の谷間が盛りで、黄や赤の色が針葉樹の緑と入り交じり、美しい風景を見せていた。砥沢峰の避難小屋が目の高さになると、稜線の前方には、三つのピークを連ねた粟ヶ岳の山頂が近づいてきた。粟ヶ岳は、三頭山あるいは三峰山とも呼ばれるというが、確かにと納得のいく眺めであった。
 南峰手前の最後の小ピークに立つと、八合目とあり牛ノ背と書かれていた。ピークの先が5m程の岩綾となっており、ここが牛ノ背のようであった。岩綾は幅があり、上もなだらかなため、雪が付いた時はともかく、晴の日の通過に問題は無かった。南峰に向かっての登りにかかるところで、登山道の右手にサワラ沢の源頭部が上がってきており、トラロープ頼りに3m程下りれば、水を得られるようであった。地図には記載されていないが、粟ヶ岳山頂近くの水場として、利用価値があるかもしれない。
 登山道は、南峰には直上せずに、笹原の中を左手にトラバースするように続いていた。山頂部の稜線に登り着いたところで、九合目になった。粟ヶ岳の山頂への最後の登りになったが、足も疲れてきた。休みもほとんどとらずに登ってきたが、やはり粟ヶ岳は、一気に上がるには辛い山である。九合目付近で単独行を一人追い抜いて、五百川コースからは最初の登頂者のはずであったが、粟ヶ岳山頂には、4名の先客が休んでいた。北峰方面を眺めると、登ってくる登山者も目に入ってきた。
 今回の山行のもうひとつの目的に、一本岳の登山があった。一本岳には気象観測所があり、道が続いていると聞いていた。山頂からの川内山塊の展望を楽しむ前に、目の前にそびえ立つ一本岳に心が引き寄せられた。ひと休みした後に、一本岳に向かうことにした。山頂から東に向かう稜線には、明瞭な道が続いていた。始め緩やかな尾根も、山頂の張り出し部を過ぎると、急な下りになった。最近刈り払いが行われたようで、鋸引きされた灌木の切り口はまだ新しかった。帰りの登り返しがいやになるような大下りが始まった。鞍部越しにみる一本岳は見事な円錐形の山頂を見せ、太陽の光と陰で、ふた色に塗り分けられていた。その境目に、登山道が刻まれているのが見えた。140m下って80mの登り返しは楽ではない。一本岳への登りは、道ははっきりしているものの、枝を掴んで体を持ち上げるような急坂であった。露岩を回り込むと、一本岳の山頂に到着した。
 一本岳の山頂からは遮るもののない展望が広がっていた。粟ヶ岳から権ノ神岳に至る稜線が長く横たわり、その向こうには白山がドーム状の頭をのぞかせていた。川内山塊の奥へと続く稜線の先には、堂ノ窪山が近くに見えていた。一本岳から下った先に、金属屋根が見えているのが、気象観測所のようであったが、その先に登山道は見分けることができなかった。砥沢の避難小屋に泊まれば、藪漕ぎになっても、堂ノ窪山までは往復できそうに思えた。単独行が到着し、ビールやら昼食を広げだしたのと入れ違いに粟ヶ岳の山頂に戻ることにした。一本岳の山頂でビールを飲んでしまうと、足元がおぼつかなくなって急坂の下りが危険なのと、登り返しが苦しくなるのは必至である。まずは、粟ヶ岳の山頂に戻ってから大休止にすることにした。
 引き返す途中で、もう一人の単独行とすれ違った。本日の一本岳の登頂者は、三名ということのようである。一本岳へは、行きも帰りも30分程で往復でき、見た目よりは近いので、体力に余裕があったら、訪れてみる価値のあるピークである。
 粟ヶ岳の山頂は、大賑わいになっていた。山頂の一画に陣取って、ビールを飲んだ。青空の下での山頂は気持ちが良かった。川内山塊の山岳同定は難しいが、それでも、山頂に鉄塔の立つ円錐状のピークが権現山と気が付いた頃から、次第にピントがあうように、五剣谷山、青里山、矢筈岳、御神楽岳の山頂がそれぞれの位置におさまっていった。
 太陽も昇ってきて、谷間も照らされるようになったので、紅葉の写真を撮りながら山を下ることにした。粘土質の登山道は、昇る時にはそれ程感じなかったのだが、滑りやすくなっていた。ほろ酔いのせいもあるかもしれないが、注意しても、何度かスリップした。
 下山してから数えてみると、花立場の駐車場には三台、五百川の集落内の駐車場には四台の車が停まっていた。粟ヶ岳への登山者は、加茂水源地からの中央登山道の利用者がほとんどで、それと比べると、五百川コースの利用者は少ないようである。五百川コースは、道もはっきりしているので、静かな山歩きを楽しみたいのなら、お勧めのコースである。


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