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日光白根山
女峰山・小真名子山・大真名子山
山王帽子山・太郎山


【日時】 2001年9月22日(土)〜24日(月) 各日帰り
【メンバー】 9月22日 トントン、サクラ、スミレ、ムームー、岡本 23日〜24日 単独行
【天候】 9月22日〜24日 晴

【山域】 奥日光
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 白根山・しらねさん・2577.6m・二等三角点・群馬県、栃木県
 前白根山・まえしらねさん・2373m・なし・栃木県
 五色山・ごしきやま・2379m・なし・群馬県、栃木県
 座禅山・ざぜんやま・2317m・なし・群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/男体山/男体山、丸沼
【ガイド】 アルペンガイド「奥日光・足尾・西上州」(山と渓谷社)、山と高原地図「日光、奥鬼怒、奥日光」(昭文社)
【温泉】 丸沼 座禅温泉センターハウス 600円(ゴンドラ往復と入浴券 2000円)

【山域】 奥日光
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 女峰山・にょほうさん・2483m・なし(2463.5m・二等三角点)・栃木県
 帝釈山・たいしゃくさん・2455m・なし・栃木県
 小真名子山・こまなごさん・2322.9m・三等三角点・栃木県
 大真名子山・おおまなごさん・2375.4m・三等三角点・栃木県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/日光、男体山/日光北部、男体山
【ガイド】 アルペンガイド「奥日光・足尾・西上州」(山と渓谷社)、山と高原地図「日光、奥鬼怒、奥日光」(昭文社)
【温泉】 パークロッジ深山 500円

【山域】 奥日光
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 山王帽子山・さんのうぼうしやま・2077m・なし・栃木県
 太郎山・たろうさん・2367.5m・三等三角点・栃木県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/男体山/男体山
【ガイド】 アルペンガイド「奥日光・足尾・西上州」(山と渓谷社)、山と高原地図「日光、奥鬼怒、奥日光」(昭文社)
【温泉】 白沢高原温泉 望郷の湯 500円

【時間記録】
9月21日(金) 20:30 新潟発=(関越道、沼田IC、R.120 経由)
9月22日(土) =0:30 丸沼高原  (車中泊)
7:00 丸沼高原=(丸沼高原ゴンドラ)=7:15 ゴンドラ山頂駅―7:49 大日如来―9:27 白根山〜10:00 発―10:38 避難小屋〜10:46 発―11:22 前白根山〜12:28 発―12:56 五色山―13:38 五色沼分岐―13:44 弥陀ヶ池〜13:55 発―14:02 座禅山〜14:07 発―14:12 座禅火口―14:35 七色平分岐―14:58 六地蔵〜15:05 発―15:17 ゴンドラ山頂駅=(R.120 経由)=17:00 三本松  (テント泊)
9月23日(日) 5:30 三本松発=(裏男体林道 経由)=5:55 最終カーブ手前〜6:02 発―6:12 志津乗越―7:03 馬立入口〜7:09 発―7:16 馬立―8:07 ガレ沢―8:11 水場―8:25 唐沢小屋―9:00 女峰山〜9:05 発―9:09 三角点―9:14 女峰山〜9:28 発―9:58 帝釈山―10:39 富士見峠〜10:51 発―11:28 小真名子山―11:50 鷹ノ巣〜11:55 発―12:28 なぎの上〜12:37 発―12:48 大真名子山〜13:20 発―14:26 志津乗越―14:38 最終カーブ手前=(裏男体林道、光徳牧場、湯元 経由)=18:00 光徳牧場  (テント泊)
9月24日(月) 5:45 光徳牧場発=(山王林道 経由)=5:55 山王峠〜5:58 発―6:38 山王帽子山―6:55 鞍部―7:09 ハガタテ道分岐―7:43 小太郎山〜7:48 発―8:07 太郎山〜8:31 発―8:50 小太郎山〜9:10 発―9:35 ハガタテ道分岐―9:43 鞍部―10:07 山王帽子山―10:34 山王峠=(往路を戻る)=15:40 新潟着

 関東平野の北縁に位置する日光の周辺には、白根山、男体山、女峰山、大真名子山、小真名子山、太郎山といった火山性のピークが連なり、針葉樹や広葉樹の入り交じった原生林、深く刻まれた谷、戦場ヶ原を代表とする高原、大小の湖、これらが織りなす風景は、日本を代表する景勝地として愛されている。
 白根山は、関東以北の最高峰であり、シラネアオイの名前の由来からも判るように、高山植物にも恵まれている。男体山は、勝道上人によって開山された、山岳信仰の霊山である。中禅寺湖畔の二荒山神社からの表参道は、登拝料を支払って入山することになる。赤薙山から女峰山、帝釈山、小真名子山、大真名子山、男体山と連なる山々を表日光連峰と呼ぶ。かつては、修験道の山として歩かれていたが、現在では、日光きっての健脚コースとなっている。太郎山は、表日光連峰より、北に一歩はずれた、熔岩円頂丘の山である。
 これらの山の名前は、男体山を父、女峰山を母、太郎山を長男、大真名子山と小真名子山を子供にみたてたものという。
 三連休は、どこか遠出と思っていたところ、トントン一行が日光に出かけるというので、付き合って白根山を一緒に登り、翌日からは別行動になって、女峰山と太郎山をめざすことにした。日本三百名山を急いでがむしゃらに登る気持ちは薄れているが、少しずつでも登り残しを消していきたいとは思っている。
 日光白根山は、日本百名山巡りとして、1992年7月24日に菅沼新道から登っている。今回は、その後に女峰山や太郎山への登山が続くことから、お気軽登山として、丸沼からゴンドラを使うコースを歩くことにした。丸沼コースは、古くからの登拝道としての歴史があるものの、最近は荒廃していたものが、丸沼スキー場のゴンドラ新設に伴い、平成11年に整備されたものである。標高2000mから歩き出せるため、これまでよく利用されてきた菅沼新道に代わって、利用者が増えつつあるコースである。今後、このコースがメインになるはずで、様子を知っておきたく思った。
 ゴンドラの始発の7時に到着するには、真夜中に新潟を出発する必要があり、それよりは前夜に登山口に入ることにした。しばらく走っていなかったが、沼田街道は、勝手知ったる道である。のんびり走って、深夜に丸沼スキー場に到着した。車の中で寝たが、9月とは思えない冷えこみであった。
 翌朝の5時30分に目を覚ましたが、駐車場の周辺には、登山者の車は見あたらなかった。案内板を見て、ゴンドラ乗り場を確認していると、トントン一行を乗せたムームーの車が到着した。車を停めていたのは、レストラン前で、ゴンドラ乗り場は、奥であった。以前、北アルプスの鍬崎山に登った時も、夜中にロープウェイ駅を見つけられなかったことがある。ゴンドラがぶるさがっていないロープだけでは、意外に目立たないものである。乗り場前に移動したものの、二台の車が停まっているだけで、拍子抜けをした。三連休の日本百名山ということで、始発にあわせて登山者の列ができているものと思ったのだが。6時30分を過ぎても、切符売り場は開かなかった。直前になって、ようやく切符売りのお姉さんが到着した。もう一人が遅刻と騒ぎながらやってきた。値段表を見ると、ゴンドラ往復は、1800円であったが、温泉とのセットで2000円とあったので、この得々チケットを買った。温泉は、単独だと600円するようなので、200円の入浴料金はお得といえる。もっとも温泉に代わってパターゴルフもできるようだが、登山と組み合わせて使用するものはおるまい。
 8人乗りのゴンドラだったので、5名全員が一緒に乗り込むことができた。15分程で、一気に高度2000mの山頂駅に到着した。長々と続くスキーゲレンデを見ると、とうてい歩く気にはなれなかった。山頂駅周辺は、盛りを過ぎたハーブ園が広がり、展望台が設けられていた。逆光の中に、白根山の山頂が黒々と浮かび上がっていた。三つのこぶが連なった山頂は、険しい姿をしていたが、意外に近いようであった。関東以北の最高峰といっても、あと600m弱の登りとなれば、里山の登りとは変わりない。
 コメツガやシラビソの林の中に登山道が続いていた。始めのうちは、散策路として整備されているようで、分岐がやたらにあって、案内図を良く確認しながら歩く必要があった。始めに六地蔵への分岐が現れたが、これは、帰りに寄ることにして白根山を目指した。山腹を緩やかに登っていくと、ひと汗かいた所で、大日如来の石像が置かれた小広場に出た。さらにトラバースが続いた。風景はほとんど利かなかったが、菅沼新道も歩き始めはこのようなものだったので、文句はいえない。ドライフラワーになったカニコウモリの花が薄暗い針葉樹の林床に広がっていた。途中で白根山への分岐が二ヶ所現れたが、ガレ場有りとの表示があったので、トラバース道をさらに進んだ。涸れ沢を登り始めたので、これで尾根の上に出るのかと思ったが、再びトラバース道に戻ってしまった。山頂を行き過ぎてから、ようやく尾根の上に出ると、周囲の展望が一気に広がった。白根山の山頂は、ガレ場の斜面を登った先に見えていた。尾根伝いの錫ヶ岳や、谷を挟んで向かい合う燕巣山や四郎岳といった秘峰が、ひと際魅力的に見えた。富士山の白く染まった山頂が雲の上に飛び出していた。山頂からの展望の期待が膨らんだ。
 砂礫混じりの急坂を頑張って登り続けると、右手に火口跡のような平らな窪地が現れて、その先の小ピークの上で白根権現の祠の脇に出た。白根山の山頂へは、一旦窪地に下った後に、岩場をひと登りすると到着した。白根山の山頂は狭く、混雑していると、記念写真の順番待ちにも苦労しそうな所であるが、先客は数人だけであった。個人個人や集合の記念写真をとり、あたりの風景をゆっくりと眺めた。
 白根山の山頂は、これが二回目である。先回はガスのために山頂からの眺めは得られなかったが、今回はもうしぶんのない展望が広がっていた。瑠璃色をした五色沼が眼下に広がり、その向こうには男体山、女峰山、太郎山、大真名子山、小真名子山といった奥日光の峰々が肩を寄せ合っていた。錫ヶ岳からの稜線の先には皇海山。浅間山、八ヶ岳、奥秩父連山、赤城山、那須岳といった百名山を数え上げていくことができた。ただ、尾瀬方面の至仏山や燧ヶ岳の山頂部が雲に覆われていたのが残念であった。
 風景を楽しんでいるうちに時間はあっという間に経ち、先に進むことにした。一旦白根権現まで戻り、窪地を右に見ながら進むと、ガレ場の急な下りが始まった。足元が不安定な所もあり、注意が必要であった。山頂はみるみる遠ざかっていった。外輪山との間の窪地には草原が広がり、紅葉が始まりかけていた。避難小屋の前で、ひと休みした。ここの避難小屋は、以前は大分古ぼけていたような気がするが、新築されたようで、中をのぞくと、泊まってみたくなるようにきれいであった。
 再び、登りに汗を流すことになったが、足が止まる前に稜線上に出ることができた。この先は、周囲の展望が広がった幅広の稜線歩きになった。まばらな木立の中に、砂地に登山道が刻み込まれた、公園の遊歩道のような場所もあり、気持ちの良い歩きが続いた。前白根山へひと登りすると、五色沼を前景とした白根山の眺めが広がった。ここからの白根山眺めは素晴らしい。白根山の山頂に登っただけで、前白根山からの眺めを楽しまなかったら、片手落ちといってよいであろう。五色沼を見下ろす砂礫地の広場に腰を下ろして昼食とした。前白根山は、湯元温泉への登山道の分岐にもあたる。何人かの登山者が通り過ぎていったが、前白根山は、われわれの貸し切り状態であった。絶景を前にし、青空の元での、ビールは味は最高であった。
 五色山までは、軽いアップダウンのある稜線歩きになった。五色沼は、瑠璃色から青色、最後は平凡な白色へと色を変えていった。僅かに残っていた雲も消えて、至仏山や燧ヶ岳の山頂が姿を現した。五色山から急坂を下り、左に五色沼への道を分けると、その先の乗越部で弥陀ヶ池への分岐に出た。紅葉は始まったばかりであったが、この付近では赤く色づいた紅葉を見ることができた。
 弥陀ヶ池は静かな湖面を見せていた。風景を楽しんでいると、いきなりホイッスルが鳴らされて、30人以上の中高年の団体が現れた。休憩の合図のホイッスルのようであったが、周囲の迷惑を考えない団体である。このような団体が登っていたとなると、白根山の山頂は大混雑になったようで、良い時に登ったようである。ほとんどの登山者は、弥陀ヶ池の左岸を巻いていく登山道に進んでいった。地図を確認すると、ロープウェイ駅へは、座禅山の左肩へと登り返す必要があった。登山道が複雑に入り組んでいるので、迷子にならないようにハイキング地図を良く見る必要がある。
 乗越部は十字路になっており、ロープウェイ駅へは直進と、右に曲がって座禅山経由の道があった。座禅山を回っていくことにした。ひと登りした所で、座禅山の看板があったが、最高点はもう少し上であった。山頂を踏んでくることにして、尾根沿いの薄い藪をかき分けて進んだ。座禅山の山頂は、草地の小広場になって、弥陀ヶ池が眼下に広がっていた。昔は、ここで座禅を組んだのであろうか。
 草原を抜けていくと、右手にすり鉢状の座禅山火口が現れた。火口に下りる道も分かれていたが、相当下るようなので、先を急いだ。樹林帯の中のジグザグの下りが始まった。尾根沿いの道になると、傾斜も緩やかになった。ロープウェイの山頂駅も見えたが、まだかなりの距離があった。そろそろ、下山の時間も気になるようになった。ロープウェイの山頂駅周辺の遊歩道地区に入ると、分岐が何ヶ所も現れるようになった。雑木林の中の森林浴といった感じの遊歩道といった所もあれば、枯れ沢の横断で登山道並に狭い所が交互に現れて、迷子になったかなと首を傾げるような所も現れた。
 ロープウェイ駅への道を左に分けて少し進んだ所で、六地蔵に出た。六体の石仏が木の祠に納められて、扇形に並んでいた。六地蔵からは、一旦少し戻ってからロープウェイ駅に向かった。ひと登りすると、程なく歩き始めの分岐に飛び出した。山頂駅の前の展望台に登り、白根山を振り返った。朝の逆光とは違って、順光のもとで今度は白根山の山頂をよく眺めることができた。一日方向を変えながら眺め続けた白根山の山頂に、別れを告げた。
 ロープウェイは、あっという間に下界に運んでくれた。センターハウスにある温泉に入って汗を流し、食堂で夕食と思ったが、早くも店じまいになっていた。夕食と野宿の場所を考える必要が出てきた。とりあえず、湯元をめざすことにした。
 戦場ヶ原の三本松でようやく開いているドライブインに出会った。広い駐車場の隅にテントも張れそうであったので、ここで沈殿として、夕食ついでに生ビールを頼んでしまった。窓の外には、男体山が闇に沈んでいった。ドライブインが閉まり始めたところで、テントを張った。その前から、パトカーが何度も回ってきて、なにごとかアナウンスして駐車場を通り過ぎていた。テントを張り終えた時に戻ってきたので、注意されるかと思ったら、戦場ヶ原で行方不明のハイカーが見つかったとアナウンスして去っていった。
 日暮れと同時に厳しい冷え込みになった。寝る前の一杯も、ビールを飲む気にはなれず、ウィスキーのストレートになった。ドライブインの明かりも消され、空には、満天の星が広がっていた。ムームーは自分の車で寝てしまったため、一人のテントは夜中に寒く感じた。
 二日目は、男体山をめざす皆と別れて、単独行となって女峰山に向かうことにした。小真名子山と大真名子山を続けて登るために歩行時間も長くなり、早朝発が必要であった。目覚まし時計で起き出し、外に出てみると、テントのフライが凍っているのに驚かされた。湯を沸かして、スープとパンで簡単に朝食をとり、テントを撤収した。テントの中で朝食中のトントン一行に声を掛けて出発した。
 一旦光徳牧場を目指し、その手前から裏男体林道に進んだ。この道は、1993年6月27日の男体山登山の際に、歩いて以来であるが、舗装道路に変わっていた。時折通過する車の砂埃に悩ませられることは無くなったといっても、歩こうとすれば、相変わらず長い道であった。舗装道路が途切れると、路肩に車が停められていた。車を下りて前方をうかがうと、その先は路面が荒れており、普通車では難しそうであった。地図を見ると、志津乗越手前のカーブ地点のようであった。少々の歩きは気にならないので、ここから歩き出すことにした。準備をしている間に、オフロード車が進んでいったが、石をタイヤが踏む音が長く続き、かなりの徐行運転を強いられているようであった。
 歩き出してみると、林道は雨水によって土砂が流れてしまったらしく、大きな石が露出していた。普通車では、車を傷付けそうであった。ただ、カーブ地点を過ぎると、車の走行には問題の無い道が続いた。短い区間で、道の補修はたいして難しそうではないので、一般車が入らないようにわざと道を荒れたままにしてあるんだろうか。結局10分程で、志津乗越に到着した。すでに何台もの車が停まっていた。左手に、下山予定の大真名子山登山道入口があった。
 当初のつもりより、志津乗越の出発予定時間は少し遅くなっていたので、林道歩きの足を速めることにした。志津林道に進み、前方に日光市街地に続く谷が広がり始めると、林道に鎖が掛けられていた。大真名子山の山頂を左手に見ながらのトラバース道がしばらく続いた。苗木が植えられた植林地が周囲に広がり、無線のアンテナ施設を過ぎると、女峰山への分岐に到着した。林道の前方には、鋭い山頂を持つ女峰山が聳えたっていた。ひと息入れて、女峰山の山頂をうかがった。厳しい登りが待ちかまえていそうであったが、快晴の空が広がり、その山頂からの眺めは期待できそうであった。
 登山道は、荒沢に向かって大きく下降した。水は僅かに流れているだけの大岩が転がる沢を渡ると馬立で、裏見ノ滝からの登山道にのることができた。針葉樹に囲まれて展望の利かない道がしばらく続いた。登山道周囲の笹原は、霜に覆われて白く光っていた。女性の単独行が下山してきたのに出会ったが、唐沢小屋泊まりで下山してきたもののようであった。ふたたび涸れ沢を渡ることになった。水がちょろちょろ流れていたので汲んでみたが、体が冷えており、ひと口ふた口しか飲めなかった。谷の下方を眺めると、富士山の山頂が、茶ノ木平越しに見えていた。山裾を含めて、前日よりもはっきりと見えていた。谷を渡ると急な登りが始まった。左に小さな沢が流れており、最終水場という標識が掛けられていた。唐沢小屋の水場はここまで下ることになるようであったが、小屋までは15分もの急な登りが続いた。体力をかなり残しておかないと、唐沢小屋泊の水汲みは大変そうであった。
 唐沢小屋は、新しくきれいな二階建ての小屋であった。中を覗くときれいにかたずいていた。脇には天井が抜けた小屋が並んでいたが、これが昔の小屋のようであった。
 小屋から樹林帯の中を登ると、ガレ場に出た。ガレ場の中のジグザグの登りが始まった。足元の砂礫が崩れやすく、余計に体力を消耗した。灌木帯に戻り、ひと頑張りすると、女峰山山頂の祠の前に出た。田心姫命を祀るということであるが、その謂われはよく分からなかった。左の岩場の上に登ると、そこが女峰山山頂であった。先客の登山者が三人休んでいた。荷物を見ると、小屋泊まりのようであった。女峰山の山頂からは360度の展望が広がっていた。まず目が引かれるのは、帝釈山から小真名子山、大真名子山、男体山へと続く稜線であった。これから歩くとなると、ひとつづつのピークの大きさに思わずため息をつきたくなった。
 地図を見ると、三角点は、東隣のピークにあるようなので、荷物を置いて往復してくることにした。山頂から下って緩やかに登り返したピークに三角点が置かれていた。女峰山の山頂よりは一段低い平凡なピークに三角点が置かれているのは、信仰の山として山頂が神社のものになっているためかもしれない。
 女峰山の山頂に戻り、腰を下ろしてひと休みした。足元は切り落ちた崖になっていた。女峰山は、男体山と夫婦の関係にたとえられる山であるが、なかなかきつい山である。より険しい山に女性の名前を当てたとすると、昔の人も女性には苦労したのだろうと、日溜まりの中でぼんやりと考えた。先客の登山者は、富士見峠に向かって出発していった。頂上からの下りは急で、足元に注意が必要そうであった。ストックをとりあえずしまいこむことにした。腹ごしらえを終えてしまえば、せっかくの大展望であるが、先はまだまだ長く、歩き出す必要があった。
 女峰山の山頂からの下りは、右下に斜めに下っていく必要があったが、左は切り立った崖になっていた。足元の小砂利で滑らないように注意が必要であった。幸い、短い距離で尾根の上に出ることができた。その先は痩せ尾根が続き、一ヶ所鎖のかかった岩場も現れたが、灌木も茂っており、危ないと思うような所もなかった。日光三嶮の馬ノ背渡りということであるが、現在では登山道が整備されてしまったということか。
 ひと登りして帝釈山の山頂に到着すると、富士見峠からの登山者が、数名休んでいた。これまで帝釈山の陰になっていた太郎山が姿を現した。帝釈山からは、樹林帯の中の眺めの利かない急な下りが続いた。登山道が大きく抉られており、木立との境を通らなければならない所も出てきた。登ってくる登山者にも出会ったが、この道を登りに使うのはなかなか大変そうであった。実際の時間よりも長く感じられる下りであった。
 富士見峠は、幅の広い切り開きとなり、ひと休みするのに気持ちの良い所であった。縦走を中断して、ここから山を下りることができるが、体力や時間の面でも問題無さそうであった。気合いを入れ直し、小真名子山に向かった。樹林帯をひと登りすると、ガレ場の下に出た。先を見上げると腰砕けになりそうな、急なガレ場の登りが続いた。体力を振り絞っての登りが続いた。上の方から登山者が下りてきた。登りも下りもたいして変わらないスピードですれ違った。この下りはどこまで続くのか聞いてきたので、そこに見えるガレ場の末端をすぎれば、富士見峠にすぐ出ると答えた。かなり疲れて、足にも来ているようであった。ようやくガレ場を抜けて尾根に出てもあいかわらず急な登りが続いた。高度を上げるに連れ、下からは大きく見えた帝釈山のかげから女峰山の尖った山頂が次第に姿を現してきた。
 到着した小真名子山の山頂には、無線反射板が置かれ、広場の片隅に三角点が埋められていた。周囲の木立には、立ち枯れが目立ち、女峰山や太郎山、白根山方面の展望が開けていた。実際の最高点はその先であったが、樹林に囲まれて展望は無かった。
 小真名子山からは、樹林帯の中の急な下りが始まった。途中で休憩中のグループに何組も出会った。志津から大真名子山、小真名子山と回るのが一般的なコースになっているようであった。一旦200m下ってから、大真名子山へは260mの登りが待ちかまえている。このような熔岩円頂丘は、眺める分には美しい姿をしているが、実際に登るとなると、急な棒登りが続くので、あまり好きではない。
 鞍部の鷹ノ巣は、芝地状の広場になり、腰を下ろして休むのに気持ちの良い所であった。元気を取り戻し、大真名子山への登りに取りかかった。これが最後のピークということで、気分的にも楽になってきた。今度は、樹林帯の中の登りが続いた。傾斜が緩んで山頂かと思ったが、実際の山頂はもう少し先で、登りをもうひと頑張りする必要があった。とりあえず、薙の上の崖の縁に腰を下ろしてひと休みした。
 大真名子山の山頂には、祠と蔵王権現の銅像が置かれていた。ここまでくれば、後は下るばかりということで、岩の上に腰を下ろして、ビールの缶を開けた。気温も上がって、汗を流した後のビールは美味しかった。到着した時には、家族連れや単独行が休んでいたが、下山していき、静かな山頂になった。山頂からの眺めでは、男体山は大きく迫り、女峰山は遠ざかっていた。
 大真名子山からの下りを始めると、梯子や鎖場が現れた。ここが日光三嶮「千鳥返し」であったが、しっかりとした鎖が取り付けられ、足場も多かったので問題なく通過できた。もしもこの鎖が無かったなら、やはり難所といってもよいであろう。岩尾根の上に置かれた三笠山神の銅像を見てから、さらに樹林帯の中の急な下りが続いた。ようやく傾斜が緩むと、八海山神の銅像が岩の上に置かれており、その脇をすぎると、程なく志津乗越に到着した。
 林道を歩いて車に戻ると、周辺には路上駐車の列が続いていた。天候にも恵まれ、登山者がどっと繰り出したようであった。
 翌日の太郎山をどのように歩くか迷っていた。様子見のために光徳牧場に向かった。光徳牧場は観光客で満員状態であった。ここに来るたびにしているように、牧場の牛乳を飲んだ。山の後では、こってりした味が美味しく感じた。山王峠の登山口を確認することにした。山王林道は、しっかりした舗装道路に変わっていた。峠の手前に太郎山への登山道の入口があり、近くに車を置くことのできる路肩スペースもあった。
 ガイドブックでは、太郎山の登山コースは、光徳牧場から登り、裏男体林道に下山し、三本松へ出るというものが一般的である。問題は、1時間45分程の林道歩きが必要なことである。太郎山は、今回が初めてではなかった。高校の頃友人達と一緒に、東武のハイキング夜行電車に乗り、光徳牧場からハガタテ薙、太郎山、裏男体林道、三本松と標準的コースを歩いた。ハガタテの途中で完全にばててしまい、何度も休みをとってようやく登った山頂であった。下山後の林道歩きの長かったこと。今では懐かしい思い出である。今回は、林道歩きは勘弁してもらうことにして、山王峠からの往復だけで、簡単にすませることにした。
 山を下りて次に考えなければならないのは温泉のことであった。湯元に日帰り温泉施設ができたというので、出かけてみることにした。湯元は、観光客であふれかえっていた。駐車場も満杯であったが、温泉街の片隅の静かな一画に車を置くことができた。日帰り温泉施設は入浴料が高かったためやめて、500円とあったバス乗り場前の食堂で入浴した。湯元には適当な食堂が無く、再び三本松のドライブインに戻り、光徳の駐車場で夜を過ごすことにした。テントを張って寝たが、この日の冷え込みは、前の晩程ではなかった。
 湯元のビジターセンターをのぞいたところ、山王林道は、夜間ゲートが閉まり、開放は6時からということであった。朝の支度を終えて出発した時刻は、6時より少し早かったが、車を走らせると、そのまま山王峠まで上がることができた。連休中ということで、いつもより早い時間にゲートを開けたのだろうか。
 山王峠からの道は、笹原の中の登りで始まった。道型ははっきりしているものの、足元が見えないほどに笹がかぶさっていた。樹林帯の中に入ると、道型もはっきりと見えるようになってきた。ジグザグの登りが続き、朝から汗を流すことになった。傾斜が緩んで、早くも山王帽子山に到着かと思ったら、山頂はまだ先であった。しばらく緩やかな登りを続けると、山王帽子山の山頂に到着した。山王帽子山は、山頂標識が木に打ち付けられているだけの見晴らしもない山頂であった。
 山王帽子山からは、大きな下りになった。帰りの登り返しを思うと少々うんざりする下りであった。前方には、太郎山の山頂が高く聳えるのを眺めることができた。鞍部付近には、笹原にダケカンバが点在する気持ちの良い原が広がっていた。再び、太郎山への急な登りが続いた。初老の登山者が休んでいるのに出会った。登りはまだ続くのだろうかと尋ねてきたので、ハガタテ薙との分岐は近いはずと答えた。追い抜いたすぐ先で、ハガタテ薙との分岐に出たので、下に向かって、分岐に着いたと知らせた。ハガタテ薙コースは、平成10年の集中豪雨以来通行不能になっており、入口にはロープが張られ通行不能の看板が立っていた。山王峠から山王帽子山越えのコースが新しくできているので、ハガタテ薙コースが整備されれば、光徳から行きと帰りは違うコースをとることができて都合が良いのだが。
 ハガタテ薙分岐からも急な登りが続いた。一旦足が止まってしまうと、その先の登りが難しくなるコースであった。昔の苦しかった思いがよみがえった。幸い、今では経験を積んでおり、これくらいの急坂は快調に登り続けることができた。
 小太郎山の山頂に到着すると、展望が一気に広がった。戦場ヶ原が眼下に広がり、男体山が大きく広がっていた。女峰山や小真名子山は逆光の中に黒くシルエットになっていた。太郎山の山頂は、痩せ尾根が続く先にあった。
 小太郎山からの先の痩せ尾根は、脇が切り落ちている所や、ザレ状の急斜面もあり、足元に注意をする必要があった。右手に火口跡のお花畑を見下ろしながら灌木帯の尾根を行き、裏男体林道への分岐を過ぎると、太郎山の山頂に到着した。
 太郎山の山頂は、広場になって、祠が置かれていた。女峰山から男体山方面の展望が優れていることはもちろんであったが、会津方面の眺めが気になった。根名草山から鬼怒沼湿原、奥鬼怒山と順を追っていくと、黒岩山や孫兵衛山といった山を見分けることができた。その向こうには、会津駒ヶ岳の山塊。その右手遠くは、飯豊連峰であろうか。その間に見える山は新潟周辺の山ということになるが、さすがにどの山かは判らない。この三日間、快晴に恵まれて、山岳同定をたっぷりと楽しむことができた。
 太郎山の山頂でゆっくりと展望を楽しんだものの、ビールというには早い時間であった。小太郎山に戻ってからひと休みということにした。男体山や戦場ヶ原の眺めということなら、小太郎山の方が上である。痩せ尾根を注意して戻り、小太郎山の山頂でビールを開けた。展望がなによりものつまみであった。
 ほろ酔い加減で下山を続けると、登ってくる登山者にも多くすれ違うようになった。山王帽子山への登り返しは、ほろ酔い加減の足には、少々辛かった。山王帽子山からの下りは快調にとばして山王峠に戻ることができた。
 早い時間であったが、渋滞に巻き込まれないうちに新潟に戻ることにした。途中、丸沼のゴンドラ駐車場をのぞくと、満杯の盛況であった。白根山は超混みのようで、良い時に登ったようであった。沼田近くまで戻り、道の駅併設の温泉に入って、山の汗を流した。
 めぼしいピークに登ったといっても、日光周辺には登ってみたい山が残されており、これからも訪れる機会はありそうである。
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