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高鼻山、薬師山・城山
平ヶ岳


【日時】 2001年9月15日(土)〜16日(日) 各日帰り
【メンバー】 9月15日 単独行 16日 トントン、ホッキョククマ、エビ太、岡本
【天候】 9月15日:晴、16日:曇り

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 高鼻山・たかはなやま・817.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/須原
【ガイド】 点の記

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 薬師山・やくしやま・230m・なし・新潟県
 城山・しろやま・305.3m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、日光/小千谷、須原/小出、大湯
【ガイド】 自然 体感 健康ウォーキング(新潟県国民健康保険団体連合会)
【温泉】 ゆーパーク薬師 湯之谷薬師温泉センター 600円
 銀山温泉 丸太沢小屋 無料 (石鹸使用禁止)

【山域】 尾瀬周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 平ヶ岳・ひらがたけ・2141m・なし(2139.6m・二等三角点)・新潟県、群馬県 【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山、藤原/平ヶ岳、尾瀬ヶ原
【ガイド】 アルペンガイド「尾瀬・南会津の山」、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山 巻機山 守門岳」
【温泉】 ゆーパーク薬師 湯之谷薬師温泉センター 600円

【時間記録】
9月15日(土) 6:30 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附iC、R7、川崎北、R.351、栃尾、R.290、上条、R.252、細野、松川、松川林道 経由)=8:40 林道終点広場〜8:56 発―9:23 三角点―10:10 稜線分岐―10:20 高鼻山〜11:02 発―11:08 稜線分岐―11:39 三角点〜11:43 発―11:59 林道終点広場=(松川林道、松川、越後須原、R.252、小出 経由)=13:30 薬師公園〜13:36 発―13:43 地蔵平―13:50 薬師堂―14:02 スキー場上―14:11 薬師堂―14:19 スキー場上―14:24 城山入口―14:37 城山〜14:42 発―14:52 城山入口〜15:06 発―15:10 ゲレンデ上―15:29 薬師公園=(ゆーパーク薬師、R.352、奥只見シルバーライン、銀山平、R.352、鷹ノ巣 経由)=19:10 平ヶ岳登山口 (テント泊)
9月16日(日) 4:40 平ヶ岳登山口発―4:55 平ヶ岳登山道入口―5:39 前坂標識―6:51 下台倉山〜7:00 発―7:45 台倉山―7:56 台倉清水―8:34 白沢清水〜8:48 発―10:01 池ノ岳―10:39 平ヶ岳〜11:30 発―12:04 玉子石〜12:22 発―12:43 池ノ岳―13:30 白沢清水〜14:37 発―14:11 台倉清水―14:33 台倉山―15:08 下大倉山〜15:15 発―16:08 前坂―16:38 平ヶ岳登山道入口―16:54 平ヶ岳登山口=(鷹ノ巣、R.352、銀山平、奥只見シルバーライン、R.352、ゆーパーク薬師、小出IC、関越自動車道 経由)=21:10 新潟着

 越後三山の北に位置する権現堂山塊では、一般登山道が整備されている下権現堂、上権現堂、唐松山の三つの山が良く知られているが、登山者にかえりみられないような山も多い。地図を見て気が付くのは、黒又川第一、第二ダムへの山越えの道が何本も記載されていることである。ゼンマイ採りが通う道のようであるが、現在でも登山に使えるかどうか興味が引かれる。
 高鼻山は、松川川の上流部から第二ダムへ通ずる山道の山越え部に位置する山である。

小出の町の東に隣接する広神村の、佐梨川右岸に沿って広がる丘陵地の末端部に、薬師山と城山がある。薬師山は、山頂に薬師堂があり、麓一帯にはスポーツ公園やスキー場、温泉施設が整備されている。薬師山へは、参道や遊歩道が整備されている。城山は、大沢城跡とも呼ばれ、かつては山城が置かれていたピークであるが、現在では、マイクロウェーブや放送施設の中継基地が置かれている。
 先週のほとら峯の後で、松川林道を偵察し、同じ権現堂山塊にある高鼻山の登り口を確認した。日曜日に平ヶ岳を予定していたので、小出付近の山が都合が良く、高鼻山に向かうことにした。
 松川林道入り口付近の田圃は、黄金色に染まり、いよいよ秋も本格的になってきた。松川林道終点の高鼻橋を渡った広場に車を停めた。沢沿いにも立派に整備された山道が続いている。地図では沢の上流部で途絶えているのだが、測量班のものか、テープが短い間隔でつるされており、稜線部まで通じているような感じがした。また、高鼻橋手前から、西に位置する尾根に向かって道が切り開かれており、ここにもテープがつるされており、守門山岳会という名前が書かれたテープも交じっていた。この尾根は、唐松山の西隣の1060ピークに突き上げている。つい先日唐松山に登った時に、急斜面を下っていく切り跡を見ていたので、唐松山への登山道には間違いはなさそうであるが、さらに整備して一般登山道とするのかどうか、興味が持たれる。
 高鼻山への道は、地図では尾根の末端から始まるように書かれているが、実際には削られて崖状になっている。左手のあまいけ沢の方に草に覆われた林道を辿っていくと、尾根の北側から山道が始まっていた。幅3m程に刈り払われたしっかりした道が続いていたが、急登の連続になった。尾根の上に出ると、傾斜は少しは緩くなった。先日のほとら峯に続いて、蜘蛛の巣がものすごく、ストックで切り裂きながらの歩きになった。尾根の周辺はブナ林が広がっていたが、炭焼き山であったのか、太い木は見あたらなかった。
 傾斜が緩むと、点名「小長崎」四等三角点に到着した。三角点の上には紅白棒が立てられ、航空測量が最近行われたようであった。三角点からは、緩やかな道が続き、木立の間から唐松山の山頂も姿を現すようになってきた。コースが左に曲がって少し下ると、周辺部には美しいブナ林が広がった。白や紫、茶色のキノコが、落ち葉の中から顔を出して、秋の訪れを知らせてくれた。食用のキノコもあったのかもしれないが、キノコの知識はまったくなく、眺めるだけにした。
 再び、急な登りが続くようになった。気温がかなり上がって、汗がしたたり落ちるようになった。稜線上に到着すると、北に向かって延びる尾根の眺めが目に入ってきた。予想通り、はっきりした道が尾根沿いに続いていた。高鼻山へは、右の道に進んだ。切り払いは少し荒くなり、地面の上に落ちている木の枝に注意しながらの歩きになった。分岐からは、ひと登りで高鼻山の山頂に到着した。
 高鼻山の山頂は、大きく刈り払われた広場になっていた。山頂部は笹で囲まれているため、周囲の展望が広がっていた。ひと際目に付くのは、大きなピラミッド型の姿をした毛猛山塊の檜岳であった。守門岳、浅草岳、未丈ヶ岳、越後駒ヶ岳といった山々も眺めることができた。高鼻山の山頂から南の稜線沿いにも切り跡が続いていた。様子を見に少し進んでみると、痩せ尾根に出て、檜岳の遮るもののない展望が広がっていた。黒又第二ダムの湖面も望むことができた。唐松山まで道が切り開かれているようであったが、足元に注意しながらの歩きで、時間もかかりそうであった。山頂に戻って、ひと休みにした。大汗をかいての登りのあとのビールは格別の味がした。
 地図では、高鼻山の山頂を越して、黒又第二ダムへ破線が通じている。山頂までは確かに山道が続いていたが、その先の道は見あたらなかった。笹原の中に入って、尾根の始まる所まで進んでみたが、道らしきものは無いようであった。この道がゼンマイ道であったとすると、その季節はこの山頂は残雪で覆われているのかもしれない。そうなると、山頂部には道は無くとも、しばらく下った尾根には道が現れてくるのかもしれないが、どうなのだろうか。
 下りは、急坂部分で足が滑りやすいので要注意であった。幅の広い刈り払いというのも、掴む枝が無くなるので、考え物である。
 時間も早かったので、小出に出て、温泉前のひと歩きということで薬師山と城山に登ることにした。城山は、小出の町のはずれにあって、山頂のアンテナ群が目立つ山である。薬師公園のテニス場脇の駐車場に車を停めて歩き出した。「そば処薬師」の脇に立つ薬師山遊歩道の標識に従い、山に向かった。幅の広い道が付けられていたが、夏草が生えて、歩く者は多くないような感じであった。ひと登りして尾根の上に出ると、右手から道が上がってきていた。こちらの方が、山頂の薬師堂への参道のようであった。分岐の周辺には、何体もの古いお地蔵様が置かれていた。この一帯を地蔵平と呼ぶようで、その謂われは次のように書かれていた。
 「いつの頃から六地蔵尊が安置されてあり、それに因んでこの処を地蔵平と謂う。文久年代、当七日町、七日町新田を始め、近在の篤信の人達によって、参道口から頂上までに観世音菩薩三十三尊が建立されたが、時を経て此の平に集め祀られた。以来風傷雨打に委せて像の損ないしもの数尊、今機至りてそれを修復して奉安し、郷中萬民の豊楽を祈念す。 昭和五十年十一月  大字七日町、大字七日町新田一同」
 尾根が登っていく先に薬師山の山頂を望むことができた。山頂には、ブラシを取り付けたように杉林が並んでいた。登るにつれて、権現堂山から唐松山の眺めが広がってきた。
 薬師山の山頂は、杉林に囲まれた広場になっており、古いお堂が置かれていた。お堂の後ろからは、展望の良い尾根道になった。左手には権現堂山塊、右手には鳴倉山が大きく広がっていた。緩やかに起伏する尾根道を辿っていき、送電線の下を通り抜けると、薬師スキー場の上部に出た。ゲレンデ下の温泉施設はすぐそこに見えた。ゲレンデ内は、草も刈られて歩けそうであった。時間をメモしようとすると、手帳がウェストバッグの中に無く、途中で落としたことに気が付いた。手帳を探しながら戻っていくと、薬師山のお堂の脇に落ちていた。再びスキー場まで戻り、とんだ余計な歩きをしてしまった。
 スキー場の上まで車道が上がってきていた。車道を進んでいくとベンチの並んだ「山頂学習広場」があり、城山の山頂を目の前に眺めることができた。すぐ先の林道カーブ地点で、城山山頂に向かう山道が分かれた。もともとは植林のための道のようであるが、草が少しかぶり気味であった。山頂手前で、左に回り込むように登ると、左手から上がってきた林道に飛び出した。林道は、荒れており、一般車では無理そうであった。この林道を右に進んでいくと、一旦北側に回り込んでから山頂に到着した。
 城山山頂は、マイクロウェーブや放送局のアンテナが立ち並んでいた。大澤城跡という大きな石碑が立てられており、そのかたわらに、大澤城跡の由来が書かれていた。
「村指定文化財 史跡大沢城跡
大沢城跡は、別の名を鉢巻山城、池之平城ともいい、築城年代は不明であるが、明応の頃(1490年代)北麓に月岡氏の居城在ったと伝えられる。
その後、上杉氏の被官大澤右京亮が南麓に在る当城に拠り上杉兼房に党して坂戸城主長尾房長と戦い、永正十一年(1514年)正月十六日父子共に討死にする。上杉兼房は、大澤氏の断絶を惜しみ、羽川の将発智山城入道の孫亀寿に大澤氏の継続を命ずる。」以下、上條の乱のおりには上杉謙信に味方して長尾房長と戦うが、討ち死にするといった内容が書かれている。魚沼平野は、豊かに稲の実りの時を迎えていたが、この一帯の丘陵地では昔は血みどろな争いが繰り広げられていたようである。三角点は、石碑の右手に埋められていた。
 下山は、一旦スキー場下の車道に戻り、この道を下ってみたものの、大きく屈曲して薬師公園から離れていくので、結局戻ってスキー場の上まで登り返した。近道と思って、ゲレンデの中を真っ直ぐ下った。刈り取った草が厚く重なっており、地面が見えない状態なので、排水溝に落ちないように注意が必要であった。
 車に戻り、温泉の駐車場に車を移動させたが、ここから歩き出せばよかった。温泉に入ってさっぱりし、休むついでに、夕食もここで食べてしまった。すっかり遅くなり、ビールや食料の買い出しをしてから、平ヶ岳に向かって出発した。
 銀山湖の湖畔を辿る国道は、完全に舗装されて整備されているが、曲がりくねった道は、現在でも難路には違いない。尾瀬登山口の御池だと、少し距離は長くなっても会津田島経由とするが、平ヶ岳だと小出から入るしかない。銀山平から少し進んだ所にある丸太沢脇の温泉小屋から湯煙が上がっているのを見て、入っていくことにした。この温泉施設は、廃止になるという噂があり、次の機会には入れるかどうかは判らない。一人の先客が出ていってしまい、一人きりの入浴になった。プラスチック製の浴槽からは、もったいないほどのお湯が溢れ流れ出ていた。
 ドライブの途中、確認したいことがあったので、地図を確認しながら車を走らせたので、鷹ノ巣に到着した時には真っ暗になっていた。登山口には、広い駐車場が整備され、10数台の車が停まったいた。音楽を流してキャンプ中の車、エンジンをかけっぱなしのワゴン車があったため、小出よりにあった空き地に車を停めた。ドライブの途中で、稲光が光ったものの、雨は降らなかったため、テントを張ることにした。トントン一行が到着するのは、10時頃になりそうなため、一杯飲んでから、ひと眠りすることにした。
 平ヶ岳に登るのは、1992年8月8日以来の二度目となる。10年もたてば、その山の状況も大きく変わってくる。少なくとも新潟県周辺の百名山については、以前に登った山は登り直したいと思っている。私の場合、同じ山に繰り返すということは少ない。百名山の中では、飯豊本山が5回で一番多く、越後駒ヶ岳、苗場山、巻機山が4回で続く。10年間平ヶ岳に登らなかったのは、初回時にビギナーズラックというべきか、これ以上はないという快晴に恵まれ、展望を思うままにしたことが理由に上げられる。同時に、平ヶ岳への道が長くて大変であるため、気軽に出かける気になれなかったことがある。平ヶ岳に行くのなら、夏とは季節を変えて登りたいと思っていた。
 8月中はお互いにいそがしく、一緒に山に登っていなかったトントンとどこかに出かけようかと相談した。季節的にも草紅葉が始まる頃なので、平ヶ岳を目指そうということになった。誘いにのって、総勢5名のメンバーが集まった。日帰りをするためには、秋になって日没が早まっているので、スピードが必要であったが、このメンバーなら問題なく歩けるはずであった。
 10時前に、トントン一行が到着した。予想通りというか、車酔いをして、トントンは車を下りるなり、青い顔をしてうずくまっていた。えび太のテントを張ってから、ビニールシートを広げて、軽い宴会とした。トントンお土産の栗ご飯を美味しく食べさせてもらった。翌朝は早いため、11時前には眠りについた。
 朝は4時起床。4時40分に、懐電で歩き出した。日の出も5時過ぎになっているため、少なくとも、林道歩きの20分だけでも、暗いうちに歩いてしまおうという計算であった。林道の周囲にはブナ林が広がっているのだが、皆、足元だけを眺めながらの歩きに専念していた。途中、林道上を沢水が横切っている。流れる水の深さはたいしたことはないのだが、右手に丸木橋が渡してあった。渡ってみたが、4本の丸太が一緒にしばっていないため、しなりが大きく、かえって危なかった。案の定、クロヒョウが落ちて、水に足をつっこんだ。クロヒョウは水と相性が悪いようである。
 平ヶ岳登山口には、立派な標識が立っており、暗い中でも通り過ぎる心配は無かった。杉林の中を登っていくと、尾根の上に出て、本格的な登りが始まった。あたりも明るくなって、懐中電灯も用済みとなった。帰りに、懐中電灯が必要にならないように祈った。鷹ノ巣尾根は、所々痩せた所があり、足元に注意が必要である。砂岩が露出して、足場に乏しいところもあり、下りは要注意の所もある。急登が始まってしばらくで、トントンがばてて、休み休みの登りになった。歩き始めでバテてもそのうち回復するので、心配はしていなかったが、しばらくは忍耐の登りになった。最近の山では快調に飛ばしていたので、昨晩の車酔いが尾を引いているようである。
 下台倉尾根の中間点ともいえる前坂の標識のあたりからは、周辺の山の展望が開けるのだが、ガスのために展望は閉ざされていた。尾根の上を見上げても、少し上の木立がぼんやりと見えるだけで、あとどれほどの登りが続くのかが判らなかった。登山口で高度計のセットを忘れ、持ってきたハイキング地図では、2万5千分の1地図とかってがちがって地形を読みとることが難しかった。小ピークに登り着いて、ようやく1406m点と現在地を確認することができた。
 急登を登り終えると下台倉山に到着し、一息ついた。標識がなければ、横に延びる稜線に登りついたというだけの場所で、山頂といった感じには乏しい地点である。ここから台倉山まではたいした標高差の無い歩きが続くので、体調を整えることができた。先回は、燧ヶ岳の展望を楽しんだが、今回はおしゃべりを楽しみながらの歩きになった。トントンも元気を取り戻し、口の方も絶好調になってきた。台倉山の山頂は、三角点が埋まっているだけの、やはり変哲もない所であるが、この先は一旦大きく下るので、やはり山であったと実感できた。鞍部へ下ると、台倉清水の広場に出た。水場へは、右手の踏み跡を辿るようであったが、先を急ぐため、ひと休みしただけで出発した。小さなピークを越し、オオシラビソの木立の中を進んでいくと、登山道がぬかるんだ所も多くなった。ただ、木道も敷かれて、以前よりは歩きやすくなっていた。
 白沢清水は、広場の脇の水たまりがそうである。水が流れ出ているので、湧き水であることがわかるが、水量に乏しく、よほどのことがないと飲む気にはなれない。ひと休みしてから少し平坦な道をたどると、再び本格的な登りになった。道が溝状に抉られて歩きにくくなっていた。再び痩せ尾根になると、山頂も近いように思われた。力を振り絞って登り続けていると、頭上のガスが切れて、青空が広がり始めた。これも晴女の御利益か。天気予報では、10時から12時は晴という予報が出ていたという。なかなか登れない山で展望が利かないというのは、誘った人間としても辛いので、余計にうれしかった。
 ひと足先に池ノ岳に登り着くと、ガスの切れ間から平ヶ岳の山頂も姿を現した。「ついだぞー」と叫ぶ声に呼応するように、谷間のガスは消えていった。テント泊装備の二人連れが、姿を現してきた尾根を見下ろしていた。言葉を交わすと、土曜日は、展望は良かったものの、暑くて登りが大変だったという。宮様コースからの団体が登ってきているとも教えられた。皆登り着くと同時に歓声を上げて、記念写真に夢中になっていた。平ヶ岳を代表する展望地の姫池はすぐ先なのに、なかなか動こうとしない、一同をせかして歩きださせた。
 所々赤く染まった紅葉をちりばめたハイマツ帯を進んでいくと、姫池に到着した。案の定というべきか、40人ほどの団体が、木道の上で休んでいた。裏口ルートからの登山客であった。これまでの長かった登りを思うと、割り切れないものを感じるが、そのようなことよりも、青空を映した池や、ガスの間から姿を現しつつある平ヶ岳を眺める方が大切であった。池の周囲の湿原も黄色に染まっていた。今回のメンバーのうち、クロヒョウとホッキョククマは、これが二回目の登山であるが、二人とも雨のために展望は得られていなかったようである。特にホッキョククマは、1月おいての再挑戦で、リベンジといって喜んでいた。
 展望を楽しみ、皆に山頂へ進もうと声を掛けると、年輩の夫婦連れの旦那の方が、「まだ山頂に行っていないのか」と、横柄で見下したような声を掛けてきた。「日帰りで、今、下から登ってきたんですよ」と返事をすると、「わしらだって日帰りで下から登ってきたんだ」と答えてきた。おかしな雰囲気に、奥さんの方が、「下からだと大変ですね」と取りなすように声をかけてきたので、登山禁止の宮様ルートについて説教でもと思ったが、口論をするとせっかくの山の気分が損なわれるのでやめておくことにした。最初の言葉が良く理解できなかったのだが、姫池の周りにいたのは、すべて宮様ルートからの登山者で、登頂をすませて食事中のようであった。平ヶ岳の登頂を果たしたことによって、自慢たらたらになっており、まだ登っていない私たちを同じグループと勘違いし、足が遅いと馬鹿にしたもののように思われる。鷹ノ巣からは、休憩を含めてコースタイムの合計時間で登り、この日の一番乗りに対してかける言葉ではない。もっとも、鷹ノ巣からの日帰りは、5組み程だったので、同じ仲間と間違えても不思議はないが。トントンは、脇で聞いていて、かなり不愉快な気分になったようである。日本百名山巡りの途中、こういった自称ベテランには、何度もお目に掛かっている。自分がそうならないように気を付けよう。
 池ノ岳から下った平ヶ岳との間の鞍部は、美しい湿原が広がっていた。池ノ岳の緩やかな斜面は黄金色の草原が広がり、ハイマツが緑のアクセントをつけ、自然の庭園になっていた。あたりに他の登山者はおらず、秋の風景を静かに楽しむことができた。湿原のはずれは三叉路となり、直進はテント場経由の玉子石。平ヶ岳の山頂へは、左に曲がって、登りになる。樹林帯の中の登りをしばらく続けると、再び草原に出て、木道歩きになった。20名程の団体二組とすれ違い、結局誰もいない平ヶ岳の山頂に到着した。
 平ヶ岳の山頂は、木道脇の木立の中の三角点広場とされており、立派な標柱が立てられている。実際の最高点は、木道を少し進んだところの草原の中であるが、登頂の記念写真を撮るには、やはりこの三角点広場ということになる。おきまりの記念写真は、手のひらヶ岳ということでポーズをとった。
 木道に腰を下ろし、まずは食事とした。広々とした草原を目の前にして飲むビールは旨かった。時間にあまり余裕がないため、ビールを飲み干したところで、カメラだけを持って、草原の散策に出かけた。池塘が点在し、美しい風景を見せていた。人に踏み荒らされていない美しい草原であった。広々とした草原にいると、空が低くなり、近づいたような感じがした。残念ながら遠望が利かず、景鶴山や越後駒ヶ岳が雲の切れ間から見えているようであったが、判然としなかった。巻機山や苗場山と似たような感じがあるのは、直線距離ではそう遠くない所にあるためであろう。皆それぞれの思いで、平ヶ岳の山頂を楽しんでいた。木道の終点まで行って、その先の尾根をうかがった。藤原山を経て、大水上山への稜線はいつかは歩きたいものである。せめて剱ヶ倉山まででも歩いてみようかなと思って眺めると、踏み跡はしばらくは続いているようであった。
 山頂に別れをつげ、再びザックを背負い、玉子石に向かった。鞍部の三叉路から谷間に下っていくと、沢に出た。水を飲んで水筒を満たした。その上がテン場になっているが、あまり広くない。夏山シーズン中はかなり混むとも聞いている。尾根に登り返して、分岐を左折。緩やかに下っていくと、右に木道が分かれた。この分岐には案内標識は立てられていないが、宮様ルートの入口のようであった。以前は、草原の中に踏み跡が続いていたのだが、木道が敷かれているとは。そういえば、裏口登山者達のズボンの裾はまったくきれいであった。自分のズボンは、尻まで泥が跳ね上がっているのと対照的であった。
 枝尾根を乗り越すと、目の前に玉子石が現れた。以前は、邪魔な看板が立てられていたが、撤去されていた。また、玉子石周辺はロープが張られて立ち入り禁止になっていたが、ハイマツの中の踏み跡は、すっかり広がって道ができていた。10年もたつと、いろいろ変わるものである。玉子石も記憶にあったものよりも小さくなったような気がする。今度は、ゆで卵を口にくわえての記念写真になった。周囲には人はおらず、心ゆくままに記念写真を撮ることができた。
 帰りは尾根をそのまま辿っていくと、姫池に戻ることができた。12時を回ると、天気予報通りに、ガスが出てきて展望は閉ざされた。団体も姿を消し、山は静けさを取り戻していた。山頂の散策で時間をかなり使い、名残惜しかったが、下山を開始しなければならなかった。下山は、日没との競争になりそうであった。この時間というのに、山頂に向かう軽装の夫婦連れがいたのには驚かされた。
 下りは、急坂のおかげで、一気に高度を下げることができた。下台倉山への登り返しは少々辛かったが、順調な下りが続いた。台倉山からの痩せ尾根の下りは、滑りやすい所があったが、トントンには足場を指示して、案じていたよりも楽に通過することができた。林道に下り立ってから、途中の沢で靴の泥を落とした。
 登山口に下りたったのは、目標とした5時前であった。着替えをして小出に戻る途中の6時には暗くなったので、丁度よい下山時刻であったといえる。行動時間12時間の山であった。遠い山であったが、二度目の山は、なぜか近くなったような気がした。



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