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蝶ヶ岳、大滝山、霞沢岳
経ヶ岳
霧訪山


【日時】 2001年8月16日(木)〜18日(土) 2泊3日(テント泊)、19日(日) 日帰り、20日 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 16日〜18日:晴のち曇り 19日 晴のち曇り 20日 曇り

【山域】 常念山脈
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
蝶ヶ岳・ちょうがたけ・2664.3・三等三角点・長野県
大滝山・おおたきやま・2616m(2614.5m・三等三角点・長野県
霞沢岳・かすみさわだけ・2645.6m・二等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/上高地、槍ヶ岳/上高地、穂高岳、槍ヶ岳
【ガイド】 アルペンガイド「上高地・槍・穂高」(山と渓谷社)、山と高原地図「上高地・槍・穂高」(昭文社)
【温泉】 さわんど温泉 ペンションしるふれい 500円 (ボディーシャンプー、シャンプー)
【交通費】 松本電鉄バス 沢渡〜上高地 往復2000円(片道1350円)

【山域】 中央アルプス
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
経ヶ岳・きょうがたけ・2296.3m・二等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 飯田/伊那/宮ノ越、伊那
【ガイド】 アルペンガイド「中央アルプス」(山と渓谷社)
【温泉】 羽広温泉 みはらしの湯 500円 (ボディーシャンプー、シャンプー)

【山域】 中央アルプス周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
霧訪山・きりとうやま・1305.4m・二等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/塩尻/北小野
【ガイド】 アルペンガイド「中央アルプス」(山と渓谷社)、隠れた名山64(七賢出版)、中央本線各駅停車(山と渓谷社)

【時間記録】
8月15日(水) 13:00 長岡発=(北陸自動車道、糸魚川IC、R.148、根知、雨飾荘、根知、豊科、立石、新淵橋、 R.158 経由)=21:00 奈川渡ダム  (車中泊)
8月16日(木) 4:30 奈川渡ダム手前広場発=(R.158 経由)=4:50 沢渡大橋〜5:18 発=(松本電鉄バス)=5:56 上高地バスターミナル〜6:10 発―7:00 明神〜7:36 発―7:41 徳本峠分岐―8:20 徳沢〜8:40 発―9:17 横尾〜9:30 発―12:18 稜線分岐〜12:21 発―12:28 蝶ヶ岳三角点〜12:35 稜線分岐〜12:38 発―13:01 蝶ヶ岳ヒュテ  (テント泊)
8月17日(金) 6:27 蝶ヶ岳ヒュテ発―6:33 三股分岐―7:43 大滝山北峰―7:46 大滝山荘〜7:51 発―7:57 大滝山南峰〜8:25 発―10:11 大滝槍見台〜10:30 発―11:14 明神見晴〜11:20 発―11:46 三角点(2246.5m)―12:11 徳本峠  (テント泊)
8月18日(土) 4:57 徳本峠発―5:00 上高地分岐―5:03 尾根道分岐―5:33 ジャンクションピーク―6:04 小ピーク―6:21 崩壊地脇―7:02 K1ピーク〜7:06 発―7:18 K2ピーク―7:34 霞沢岳〜7:48 発―8:07 K2ピーク―8:19 K1ピーク〜8:27 発―9:11 崩壊地脇―9:29 小ピーク―10:02 ジャンクションピーク〜10:05 発―10:29 尾根道分岐―10:35 徳本峠〜11:18 発―11:21 上高地分岐―11:32 沢―12:08 堰堤脇〜12:15 発―12:20 林道終点広場―12:35 徳本峠分岐―12:39 明神〜12:50 発―13:36 上高地バスターミナル〜14:18 発=(松本電鉄バス)=15:25 沢渡大橋=(R.158、新村、塩尻北IC、長野自動車道、岡谷JCT、伊那IC、羽広 経由)=19:00 仲仙寺  (テント泊)
8月19日(日) 5:20 仲仙寺発―5:43 1ピット―6:07 1の2ピット〜6:12 発―6:22 4合目―6:48 5合目〜6:55 発―7:12 6合目―7:28 7合目〜7:36 発―8:09 8合目〜8:14 発―8:27 黒沢コース分岐―8:33 9合目―8:56 経ヶ岳〜9:28 発―9:48 9合目―9:51 黒沢コース分岐―10:03 8合目〜10:12 発―10:33 7合目〜10:38 発―10:46 6合目―11:00 5合目―11:20 4合目―11:26 1の2ピット―11:46 1ピット―11:59 仲仙寺=(みはらしの湯、沢上、R.153 経由)=18:00 小野  (テント泊)
8月20日(月) 5:37 霧訪山登山口発―5:52 御嶽山碑―5:57 鉄塔―5:59 巡視路分岐―6:18 みはらし台〜6:21 発―6:30 霧訪山〜6:40 発―6:43 みはらし台―6:53 巡視路分岐―6:55 鉄塔―6:58 御嶽山碑―7:08 霧訪山登山口=(R.153、塩尻)

 常念山脈は、最高峰の大天井山から徳本峠に至る山稜で、安曇野から見ると、槍穂高連峰を隠すように、その東に広がっている。蝶ヶ岳は、その盟主ともいえる常念岳の南に隣りあうピークで、山頂一帯はなだらかな稜線が続き特徴のある姿をしていないが、槍穂高連峰が目の前に広がる展望は素晴らしい。大滝山は、蝶ヶ岳から徳本峠に続く稜線上にあるピークで、信州百名山にも選ばれているピークであるが、周りに人気の山が揃っているために訪れる者は少ない。
 霞沢岳は、上高地を挟んで穂高連峰の南に位置する山である。登山道は徳本峠からの稜線通しに整備されているが、徳本峠に1泊する必要があり、遠い山である。山頂からは、穂高連峰の展望を欲しいままにできる。
 経ヶ岳は、中央アルプスの最北部に位置するピークである。中央アルプスは、権兵衛峠によって一旦区切られているため、独立峰のような姿を見せている。途中のピークからは、南アルプス方面の展望が開ける。
 霧訪山は、塩尻近くの小野の背後にたたずむ山である。雨乞いの言い伝えが残されていることからも判るように、里との関係が深い山で、登山道は良く整備されている。

 夏休み後半としてまとまった休みがもう一度取れたため、以前から気になっていた霞沢岳を登ることにした。霞沢岳は、徳本峠からの往復となるが、上高地からの日帰りは無理そうで、徳本峠で1泊する必要がある。そうなると、1日目は徳本峠に登るだけで、時間が余ってしまう。またせっかく稜線まで上がったのにそのまま下ってしまうのはもったいない。といっても、霞沢岳を登った後では、大滝山まで足を延ばす余裕は無さそうである。あれこれ考えると、一日目に上高地から蝶ヶ岳に登り、二日目は蝶ヶ岳から徳本峠、三日目に霞沢岳を往復して上高地へ下山、というコースにすれば、うまい時間配分になることが判った。テント泊2泊3日の用意をして出かけることにした。
 長岡の用事が早く終わったため、糸魚川で高速を下りてから、雨飾温泉によって、先回雷雨のために入り損なった「都わすれの湯」の写真を撮っていくことにした。内風呂で体を洗った後、前庭にある露天風呂に向かった。先客が一人いるだけであった。服を脱いで風呂に入ると、アブが頭の上を飛び回り、出るに出れなくなった。小谷温泉の露天風呂では蚊に何カ所も刺されたが、夏の露天風呂は優雅とはいかないところがある。いそいで服を着たため、一カ所刺されたくらいのダメージで済んだ。誰もいなくなった露天風呂の写真を撮影し、目的を果たした。前庭のベンチあたりには、アブはいないのが不思議であった。
 途中の大町のスーパーで買い物をして、夕飯も済ませた。沢渡の駐車場は、有料のため、前夜に入ると料金を取られるかもしれず、また満車の状態では車の中で寝るのも難しいように思えた。道の駅によってみると、ここの駐車場は満杯で、出入りの車も多く、安眠できそうもなかった。車を走らせていくと、奈川渡ダム手前で、左の路肩に大きな広場があり、ここなら静かに夜を過ごせるように思えた。R.158を行き交う車は多かったが、この広場は意外に静かであった。
 準備不足というか、釜トンネルのゲートが開いて、バスが走り始める時間を確認するのを忘れていた。翌朝、目を覚ますなり沢渡に向かい、一番手前の沢渡大橋の村営駐車場に車を乗り入れた。朝の5時前の段階で、ここの駐車場の空きは10台くらいになっていた。始発のバスはすでに出発してしまったのか、客待ち状態のバスに乗り込み、座席があらかたうまったところで出発した。途中の駐車場で乗客を拾い、満車状態になった。すでに、バス停で待つ人は少なくなっていた。朝一番のバスを待つ登山者で混雑する時間帯は過ぎてしまってようであった。
 途中の大正池は、霧に覆われていた。上高地に入るのは、10年前の槍・穂高山行以来の二度目である。上高地のバスターミナルのコンクリート製の建物は、記憶にある通りであった。二階にあるレストランの朝定食につられたが、900円の金額を見て我慢することにした。見ると、マイタケ弁当やらおにぎり、パンなども売っており、早朝にもかかわらず、食料をここで買い込むこともできた。観光客に交じって、梓川の上流に向かった。名所の河童橋も、人出はそれ程多くなかった。橋に上がると、朝霧の上に焼岳が朝日に輝くのを眺めることができた。
 軽装のハイカーも交じっているせいもあるのか、早足で歩く者が多かった。明神に出たところで、ザックを置いて、明神池を見てくることにした。今回は時間的に余裕があるが、この機会をのがすと、いつ見物できるか判らない。吊り橋を渡り、少し下流に歩くと、右手に嘉門次小屋が現れ、その奥に明神池があった。入口に穂高神社があり、拝観料250円を入って中に入った。池には朝霧が漂い、神秘的な雰囲気が漂っていた。頭上には、明神岳が高く聳えていた。池にはカモが泳ぎ、観光客にも慣れた様子であった。
 すっかり観光モードに陥って、途中の梓川河畔からの明神岳や前穂高岳の写真を撮りながらの歩きになった。青空に向かって突き刺さる岩峰は美しかった。徳沢は、大勢の登山者であふれかえっていた。蝶ヶ岳へは、徳沢から長塀尾根を経由して登ることもできるが、長い登りが続くようであった。迷ったが、急登ではあるが時間が短くて済みそうな横尾から登ることにした。横尾までの道は、遊歩道として整備されているが、上高地からでは距離も長くなって、次第に草臥れてきた。
 横尾は、10年前の槍・穂高登山の際に二泊したが、建物は新しくなったような感じであった。その脇の古びた避難小屋は、昔のままであった。小屋の前の吊り橋があたらしく立派な橋に変わっていた。青空をバックにした前穂高岳の山頂を雲が横切っていった。ここまで水は無しで歩いてきたが、ここで水を汲んでいく必要があった。稜線部の小屋で水は買えるはずであったが、4リットル持っていくことにした。横尾で休憩する大勢の登山者に交じってひと休みした。
 横尾から蝶ヶ岳への道に入ると、人影は途絶えた。急登が始まったが、自分のペースで歩けるので助かった。すっかり日も高くなってからの急登は体に堪えた。汗をしたたり落としながら登り続けると、向かいの谷の奥に屏風岩の絶壁や南岳の岩稜を眺めることのできる槍見台に出た。さらにジグザグの登りを続け、高度を上げていった。針葉樹の林の下には、カニコウモリの群落が広がっていた。下ってくる登山者には数組出会ったが、このコースを登りに使う者は少ないようであった。息も切れたが、順調なペースで登り続けた。樹林限界を超えて砂礫地を登ると、縦走路との分岐に到着した。
 朝方の晴天とはうってかわって、冷たい風にのってガスが流れていた。蝶ヶ岳は、槍・穂高の展望が大きな魅力になっているだけに残念な状態であった。明日の天候に期待することにした。荷物を置いて、とりあえず、蝶ヶ岳の三角点に向かった。ペンキマークを辿って三角点まで歩き、長居は無用であったため、そのまま分岐に引き返した。荷物を再び背負い、二重稜線となった幅広の稜線を緩やかに上下しながら歩いていくと、蝶ヶ岳ヒュッテに到着した。
 テン場は、長塀ノ頭の下の窪地に設けられていた。さすが人気の山とあって、思ったより多くのテントが並んでいたが、良い場所を見つけることができた。テント設営後、小屋に届け出にいき、ついでにビールを買おうとすると、自動販売機にビールが収まっており、冷えたビールが出てきた。500円の値段からも、利用客の多さがうかがいしれた。遅い昼食をとってビールを飲むと、酔いも回った。昼過ぎにテン場に到着して、ビ−ルを飲んで昼寝というのが、ここのところの山のリズムになってきた。
 夕暮れが近づいても、ガスは上がらなかった。テン場のすぐ上の長塀ノ頭に団体が上がって記念写真を撮っていた。ガイドブックを読んでみると、長塀ノ頭(2677m)が最高点として蝶ヶ岳の山頂となっているようであった。以前は、2664.3mの三角点ピークが山頂とされていたように思うのだが。長塀ノ頭に登ってみると、確かに蝶ヶ岳山頂という標識が置かれていた。この事情を調べてみると、武田正著「日本山名総覧」によれば、「国土地理院編「日本の山岳標高一覧」では蝶ヶ岳ヒュッテのすぐ南の2677m峰を山頂としている。旧2.5万分図では、これより約1km北の2644mに山名が記載されていたが、1993年版では両峰の中間に記された。」と書かれていた。知らない間に、山頂が1kmも移動したことになる。先回は、このピークに登らなかったので、蝶ヶ岳の登頂は果たしていなかったことになるのだろうか。
 北アルプスの朝はやたらと早い。3時にはごそごそと起きだすので、いやでも目を覚ましてしまう。もうひと眠りを決め込んだが、外の様子が気になってテントから頭を出すと、快晴の朝となり、朝日が昇ろうとしていた。寒いのでフリースを着込み、カメラを持って稜線に上がった。雲海が広がり、頭を覗かせている峰峰は黒いシルエットになっていた。東の空が赤く染まるようになると、西に広がる槍穂高連峰の山頂部が赤く染まった。時折光るのは、奥穂高や北穂高などの山小屋泊まりの登山者のカメラのストロボのようであった。太陽が昇ると、並んだテントが赤く染まった。穂高連峰の中腹に蝶ヶ岳の稜線が長い陰を落とし、上高地は、未だ闇に沈んでいた。明るくなるに連れて、山の表情も、厳粛な顔から生き生きした顔に変わっていった。梓川の谷間の右手には焼岳、それに向かい合うのがめざす霞沢岳のようであった。そこまでは長い道程がありそうであった。その背後には、乗鞍岳や木曽の御嶽山が並んでいた。
 日がもう少し登ってから写真を撮ることにして、テントに戻り、軽く朝食を食べた。テントを撤収し、写真撮影をしていると、登山者が列を作って出発していった。せっかくの大展望なのに、もう少しゆっくりと展望を楽しんだら良いものを。下山するだけなら、時間にも余裕があるはずである。先回は、同じような快晴の朝となり、お湯を沸かして、コーヒーを飲みながらこの大展望を楽しんだ思い出がある。徳沢峠まで縦走するとなると、そうゆっくりとしてはおらず、心残りのところもあるが出発することにした。
 お花畑を下っていくと、三股との分岐に出た。大滝山への登山道の周囲には、お花畑が広がっていたが、ウサギギクやハクサンフウロは、ちょっと時期が遅くなり、トリカブトやアキノキリンソウが目立つようになっていた。蝶ヶ岳からは、一旦大きく下り、その後で、大滝山への同じだけの登り返しになった。傾斜がゆるむと、池塘も点在する草原の道になった。気持ちの良い所であったが、草には露がびっしりとついており、ズボンがずぶ濡れになって歩くのは大変であった。砂礫地の広がる尾根の登りになると、背後の展望が広がった。長塀尾根が横に長く広がり、槍ヶ岳や穂高岳は頭を出すだけであった。展望を楽しみながら登っていくと、大滝山の北峰に到着した。北峰から下った鞍部に大滝山荘がひっそりと建っていた。思っていたより立派な建物であった。池の畔を過ぎて、ひと登りすると、三角点の置かれた大滝山南峰に到着した。先の稜線をうかがうと、今日の歩きは、かなりの距離がありそうなため、ひと休みすることにした。槍・穂高連峰の展望は、ハイマツの茂る稜線を少し下ったところから開けていた。
 大滝山から下ると、深い樹林帯の中の道になった。稜線から一段下がったところをトラバースしていく、比較的歩きやすい道であった。現在位置が判りにくく、ただ足を運ぶばかりで、次の目標地点の大滝槍見台までは長く感じた。
 大滝槍見台には木製の展望台が組まれていた。梯子を登って上がると、槍・穂高の展望が広がった。ただ、この展望台はかなり老巧化しており、結んだワイヤーがゆるんでいるところもあり、横木を踏み抜かないように注意が必要であった。あまり大人数であがるのも危険かもしれない。ここに埋められているはずの三角点は見つからなかった。
 大滝槍見台から緩やかに下っていき、小ピークへの登りに入ると、その途中で、明神岳の見晴らしが開けた。ここが明神見晴で、針葉樹の木立の上に、鋭い山頂が空に向かって突き上げていた。さらに緩やかに登っていくと三角点ピークに出て、徳本峠まではあとひと頑張りになった。最後のピークに登ると、木立の間から、霞沢岳へ登る途中で越さなければならないジャンクションピークが目の前に迫ってきた。最後は、それ程の下りもなく徳本峠に到着した。
 徳本峠は、木造で、丸太で壁を支えている、今は貴重ともいえる古びた山小屋であった。北アルプスでは水晶小屋に次ぐ小ささといったらよいであろうか。峠脇の広場には、すでに五張り程のテントが並んでいた。ビールを買い、ラーメンw煮て昼飯にした。水は、峠からかなり下らないと手に入らないようなので、小屋で買った。午後になって雲が出て、穂高連峰は隠されてしまっていた。昼寝をして夕暮れまでの時間を過ごした。日も陰り始め、そろそろ夕食の支度でもと思う頃、小屋の泊まり客は、外のベンチでうろうろしていた。どうやら、夕食の準備が終わらない内には、寝床に案内されないようであった。午後を昼寝で過ごすことのできるテント泊を有り難く思った。団体も二つほど入って、小屋もかなり混み合っているようであった。空が赤く染まったので、峠のすぐ上の展望台で穂高連峰を眺めたが、山頂部の雲がどうしても消えてくれなかった。
 翌朝は、暗いうちから登山者が出発していった。明るくなってから歩き出せばいいやとぐずぐずしていて、5時のそう早いとはいえない時間の出発になった。徳本峠から霞沢岳への歩き出しは、徳沢方面に下ってから分かれるルートと、峠のすぐ上の見晴らしを通って尾根伝いにいくルートの二つがある。とりあえず、一般的な徳沢方面へ一旦下るルートに進んだ。5分ほどで、霞沢岳への登山道が分かれた。稜線伝いの道を合わせて鞍部を越すと、急な登りが始まった。休養も十分で、軽装でもあり、快調にとばした。坂の途中で、先に出発した登山者を追い抜くようになった。坂の途中でジャンクションステーションという看板のある所に出ると、朝日に照らされた穂高連峰の眺めが広がった。シラビソやコメツガの林の中をジグザグに登り続けた。傾斜が緩やかになって草原が広がるようになり、南斜面の縁に出るとジャンクションピークの標識が置かれていた。まずは、第一の目標地点に到着した。
 ジャクションピークからは、帰りがちょっと思いやられるような大きな下りになった。木立の間から霞沢岳の山頂が顔をのぞかせていたが、かなりの距離があった。鞍部から小ピークを越し、緩やかな尾根を登っていくと、左手に崩壊地が現れた。その先で草付きの登りになって、周囲にはアキノキリンソウやトリカブトの咲き乱れるお花畑が広がった。しばらく尾根を辿ると、霞沢岳の岩峰を見上げるようになり、急な登りが始まった。右手に回り込むように登っていくと、溝状にえぐれたザレ場の登りになった。急登に加えて、足元が不安定なため、両脇の灌木の枝を掴みながら体を持ち上げる必要があった。足元からは、小石が転がり落ちていった。溝が真っ直ぐに登っているために、小石は勢いをつけながら、溝の中を落ちていった。前後に人がいないからよいものの、そうでなかったら、かなり気を使うことになりそうである。
 急登を終えると、K1の上に出た。狭いピークの上からは、穂高連峰の素晴らしい展望が広がっていた。前穂高岳から奥穂高岳、西穂高岳と連なった、蝶ヶ岳方面とは別の角度からの眺めであった。焼岳も谷の向こうに聳えていた。めざす霞沢岳は、瘤状のK2を越した先で、もうひと頑張りする必要があった。ハイマツの茂った尾根を一旦下降し、K2への登り返しになった。K2まできてようやく、霞沢岳の山頂が目の前に迫った。稜線上の道を進み、トラバース気味に通り過ぎてから引き返すように登ると霞沢岳の頂上に到着した。早立ちの二人と山頂手前ですれ違い、誰もいない山頂に立った。
 霞沢岳の山頂は、ハイマツが茂って、谷間の上高地が隠されおり、その分K1の眺めの方が良いように思えた。西穂高岳の向こうには笠ヶ岳、乗鞍岳や木曽の御嶽山も姿を見せていた。霞沢岳は、穂高岳の展望台と呼ばれることが多いが、この山頂に立ったものしか味わえない眺めであった。
 日本百名山に代表されるようなピークハントに熱中する者は多い。しかし、山頂を踏んだからといって、その山を知ったことにはなるまい。山に入っては山は見えず、すこし距離を置いた付近の山から眺めないと、全体としての山の形を掴むことはできない。穂高岳を知る上で、霞沢岳の山頂に立つことは欠かせないように思う。
 いつまでもこの眺めと向き合っていたかったが、霞沢岳は、帰りの時間もかかりそうな山であった。風景を眺めながら戻ることにした。K1 まで戻ると、追い抜いてきた三組のグループが休んでいた。急斜面の下りに気を使い、崩壊地の縁まで戻ると、たんたんとした稜線の道となり、気楽な歩きになった。ジャンクションピークの登りでは、さすがに足が重くなったが、峠でビールを飲むのを楽しみに先を急いだ。ジャンクションピークからの下りは、登りの時に感じたよりも標高差があるように感じた。
 徳本峠に並んでいたテントも姿を消していた。ビール片手に、テントの撤収を行った。
 徳本峠からの下りは、良く踏まれた道が続いた。家族連れや、上高地の旅行ガイドを片手にした観光客も登ってきていた。つづら折りの山道を下り、途中で横断した沢で、ひさしぶりに水を腹一杯飲んだ。水は2リットルほど残っていたが、小屋で3リットル買っているので、二日間で5リットルの消費ということになった。日中の行動に各1リットル、夕食と朝食、間食に1日1.5リットルといったところか。水分の補給はビールでも行っているが、かえって喉が渇いてしまう。暇なこともあって、お茶やらコーヒーをよく飲んでいたので、水の消費量が多くなったようである。
 途中で、登山道が崖崩れで埋まっており、涸れ沢の中を辿るところもあった。傾斜がゆるみ、左手に砂防ダムの堰堤が現れると、その先で林道に出た。静かな林の中を辿っていくと、梓川沿いのメインロードに出て、喧噪に包まれた。行き交う登山者は多く、ハイカーに観光客がさらに多くいた。明神の広場は、人で埋まっていた。上高地のバスターミナルめざして、最後のスパートで足を速めたが、周りの観光客も皆早足で歩いているのが不思議であった。周囲には、美しい林が広がっているのだが、それには目もやらず、ただ早足で歩いていた。河童橋は、先日事故のあった花火大会の連絡橋とまではいかないまでも、人があふれかえっていた。
 上高地のバス乗り場は、中庭の広場から遊歩道まで列が延びた所であった。駐車場に入りきれない観光バスが道路をふさいで、路線バスが入ってこれず、混雑が増しているとのことであった。観光バスも乗り入れ禁止にして、路線バスに乗り換えさせればすむことであろうに。観光客の減少を心配しているのだろうが。そのおかげで、あの奇行の目立つ長野県知事が、登山鉄道の建設の案を出しているようである。渋滞で観光バスの到着が遅れ、そのため行動時間が少なくなった観光客が、懸命に早足で歩きまわっているようであった。バス停脇の壁には、5月の連休には、乗車待ちの列が1km先の河童橋まで延びたとか、夜の10時過ぎの大混雑の光景といった展示がしてあった。幸い、40分程でバスに乗ることができた。上高地は良い所であるが、この混雑を思うと、気軽に訪れることができない。
 沢渡の駐車場のすぐ脇のペンションが日帰り温泉を行っており、汗を流してさっぱりすることができた。
 霞沢岳に続いて、300名山に取り上げられている中央アルプスの経ヶ岳をめざすことにした。1999年8月27日に、経ヶ岳に登るつもりで登山口の仲仙寺の駐車場で野宿をしたことがあった。あいにくと雨が朝まで続き、断念して戸倉山に向かった。今回は、その再挑戦ということになる。松本近くで道路が混み合ってノロノロになったので、大手のスーパーで夕食を取り時間つぶしをした。仲仙寺の駐車場には、暗くなってから入り、テントを張って寝た。
 今回は、快晴の朝になった。参道を登っていくと、羽広観音の石段の手前で、経ヶ岳は右を示す登山標識が現れた。結局、羽広観音の本堂前の広場の隅に出たので、まずはお参りしてから登山道に進んだ。登山道は遊歩道として整備されているということであったが、普通の幅広の登山道であった。右方向に山腹を巻くよう登っていくと、尾根沿いの登りが始まった。目標の乏しい道で、伊那養護学校の付けた1ピットや1の2ピットという標識が、助けになった。ピットは合目のつもりかと思い、2ピットの標識がなかなか出てこないため、山頂まではそうとうな登りがあるのかと思った。カラマツ尾根を登っていくと、2ピットの標識が現れ、すぐ先が大泉ダムとの道が分岐する4合目であった。ピットは休憩地点のことで、1の2ピットは、2ピットまで行きつけに者のための予備の休憩地点を現しているのだろうか。1時間の登りで4合目なら、そんなものであろう。
 4合目からは、尾根の一段下をトラバースしながら、緩やかに登っていく道が続いた。登山道周囲は、カラマツ林で、林床には笹原が広がっていた。フシグロセンノウが所々でオレンジの鮮やかな花をつけていた。5合目の小広場を過ぎると、尾根沿いの登りが始まった。傾斜も増してきた坂を登りきると、四等三角点が置かれた7合目の小ピークの上に出た。経ヶ岳の山頂をうかがうと、まだかなりの距離があるようであった。
 樹林帯の中の道を一旦下った先は、急登が続いた。8合目は、背の低い笹原となって、周囲の展望が広がった。伊那谷を隔てて向かい合う南アルプスの眺めが良かったが、雲があがり始めていた。経ヶ岳の山頂をうかがうと、隣のピークは9合目の大泉山で、経ヶ岳の山頂はまだその奥のようであった。
 尾根道を登っていくと、ヤナギランの花が草原をピンクに染めていた。黒沢谷コースを右から合わせると、ツガの林の中の急な登りになって、石仏の置かれた大泉山に到着した。これで、9合目となり、経ヶ岳の山頂をようやく目でとらえることができた。谷を巻くように進み、ゆるいピークを越すと、経ヶ岳への登りになった。
 経ヶ岳の山頂は、ツガの林に囲まれて見晴らしはなく、山頂標識と石仏が置かれていた。山頂の下り口は、南東部の見晴らしが開け、登ってきた尾根を眺めることができた。早くもガスが上がってきて、展望は閉ざされ始めていた。少し古い記録では、笹原の藪漕ぎで苦労したようなことが書いてあったが、今回の登りでは、5合目あたりで笹が登山道にかぶさってきたくらいで、全く問題のない道であった。笹原の刈り払い道なので、整備の時期との関係で状況は大きく変わるのであろう。
 下山の途中ですれ違う登山者のうちには、かなり疲れている者もいた。登山口からでは1300mの標高差に登り返しが加わるので、道は良く整備されているといっても、健脚向きの山になるのかもしれない。
 すっかり汗をかいて、下山後、近くのみはらしの湯に向かった。設備の整った日帰り温泉施設であった。汗を流して、昼食をとったついでにビールにも手が出てしまい、昼寝をして酔いをさますことになった。
 翌日は、塩尻で用事があったため、近くにあって歩行時間も短い霧訪山に登ることにした。小野の集落の奥にある登山口の浄水施設脇には、登山者用の駐車場が設けてあったので、テントを張って夜を過ごすことにした。周囲はソバなどの畑が広がっていた。朝は、農作業の車の音で目を覚まされた。
 霧訪山の登山口には、登山届けのポストが置かれ、「歓迎名峰霧訪山登山口」と書かれた横断幕が掲げられ、木の杖がたばになって置かれていた。歩き出しは、送電線の巡視路でおなじみの硬質ゴムで段々を付けられた急な登りであった。尾根にあがると傾斜も少し緩んだ。登山道の脇にはロープが張られており、この山は茸山として登山道以外は立ち入り禁止になっていた。御嶽山大権現の石碑を見ると、その先で送電線の鉄塔の立つ広場に出た。ここがかっとり城跡とのことであたが、古城跡の風情はなかった。右に送電線の巡視路を分け、急な登りを続けていくと、左手に崩れかかった避難小屋があった。緩急の登りを繰り返し、見晴台を過ぎて急登を終えると、霧訪山の山頂に到着した。
 山頂には、小野神社石の祠に、二等三角点、展望指示板、鐘が置かれていた。あいにくの曇り空で、高い山の稜線部は雲の中であったが、周囲の展望を遮るものはなかった。展望指示板に書かれている山の名前を詠みながら、どのように見えるのか、想像した。北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳、美ヶ原のいずれにも近く、展望の良い日には素晴らしい展望が開けているようであった。
 山の人気は、その名前によって大きく左右される。雨飾山、七時雨山、霞沢岳、それに霧訪山といった、水物は、山の名前として相性が良いようである。1305mの霧訪山は、長野県にあっては低山であるが、その人気には、その名前も大きく関わっているのではないだろうか。
 霧訪山は、雨乞いの山であり、そのおりには小野神社に武田勝頼が寄進した鐘を山頂に持ち上げて打ち鳴らしたという。山頂に吊された小さな鐘は、その謂われに基づくものかもしれない。一緒につるしてあったプラスチックの槌でひと馴らしした。その御利益あってか、台風が日本に上陸し、水不足は解消したものの、翌日もう一山という目論見は外れることになった。


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