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赤石山〜岩菅山〜秋山郷


【日時】 2001年8月11日(土)〜12日(日) 1泊2日(テント泊)
【メンバー】 室井、T、H、H、岡本
【天候】 11日:雨 12日:曇り

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 赤石山・あかいしやま・2108.6m・なし・長野県
 岩菅山・いわすげやま・2295.0m・一等三角点補点・長野県
 裏岩菅山・うらいわすげやま・2341m・なし・長野県
 烏帽子岳・えぼしだけ・2230.4m・三等三角点・長野県
 笠法師山・かさほうしやま・1918.5m・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/岩菅山、切明
【ガイド】 東京周辺の山(山と渓谷社)(山と渓谷社)、山と高原地図「志賀高原、草津」(昭文社)
【温泉】 切明温泉雄川閣 300円 (ボディーシャンプー、シャンプー)

【時間記録】
8月11日(土) 5:30 十日町=(R.117、津南、R. 405 経由)=7:00 切明〜9:30 発=(雑魚川林道、奥滋賀林道 経由)=10:16 大沼入口〜10:35 発―11:29 大沼〜11:40 発―11:56 レストハウス〜12:18 発―13:07 鉢山分岐〜13:19 発―13:38 赤石山〜13:48 発―15:26 金山沢の頭―16:46 のっきり〜16:54 発―17:24 岩菅山 (避難小屋泊)
8月12日(日) 5:55 岩菅山発―6:42 裏岩菅山〜6:47 発―7:52 中岳〜8:04 発―8:37 烏帽子岳〜8:49 発―9:30 鞍部の広場〜9:47 発―10:34 笠法師山〜10:44 発―11:21 水場―11:44 広場〜12:11 発―13:42 発電施設〜11:50 発―14:36 切明=(雑魚川林道、奥滋賀林道、大沼入口、丸池、R.292、中野北、古牧、R.117、越後川口IC 経由)==20:00 新潟

 岩菅山は、岩巣護山とも呼ばれ、鷹の巣を管理する巣守衆がいて鷹の子を幕府に献じたことから名前が付けられたと伝えられている。2000m級の山々が連なるもののスキー場の開発が進んだ志賀高原にあって、岩菅山は、開発されずに残された貴重な山として、登山の対象の代表的ピークになっている。また、稜線上までロープウェイを使うと、登りのかなりの部分が省略できることから、人気のある山になっている。
 裏岩菅山から秋山郷にかけては、歩く者が少ないために廃道状態になって、91年6月、69〜41才の15名グループが、立ち入り禁止にもかかわらず、裏岩菅山から秋山郷の切明へ縦走しようとして、ネマガリダケで道に迷い、2晩ビバークするという遭難騒ぎを起こしたこともある。最近、整備の手が入って、再び歩くことができるようになった。
 裏岩菅山から秋山郷までの登山道が復活したと聞いて、是非とも歩きたいと思っていた。しかし、両登山口は離れており、もう一台車を用意する必要があった。
 2000年9月23日に秋山郷から佐武流山に登った後、岩菅山の登山口まで車を走らせ、林道の状態や時間を確認した。以前は、悪路であった林道は舗装されて、走りやすい道に変わっていた。車回しも50分程で済むため、登山開始時と下山後の車回しにもそう負担にならないことが判った。ただ、1日目は、岩菅山の避難小屋までとなるため、時間が少しもったいない感じがした。秋山郷から岩菅山までの登山道と並んで気になるのが、赤石山から大高山を経て野反湖に至る縦走路である。将来、この縦走路とつなげる意味においても、赤石山からスタートして岩菅山へ歩き出したかった。赤石山には1999年7月25日に登り、駐車場や登山道の状態も判っていた。
 室井さんからこのコースを歩こうという声がかかり、喜んで参加することにした。前日までの出張で十日町出発になったため、待ち合わせ場所の切明にかなり早く到着したが、ひと眠りして待つことにした。お盆の道路渋滞を心配したが、たいした遅れなしで到着した。今回の参加者は5名で、私の車では人はともかく、荷物まで積む余裕がない。私の車は少しでも荷物が少なくなっている下山後の移動に使うことにして、室井さんの車で、志賀高原をめざした。
 大沼バス停脇の駐車場に車を停めた。駐車場はかなり埋まっており、ハイカーがかなり入っているようであった。室井さんの計画ということですっかり安心していたのだが、室井さんは、車で大沼まで入れるものと思っていた。打ち合わせ時間が充分あれば、林道の入口にゲートがあって入れないことを教えることができたのだが、今回は、その余裕が無かった。林道歩きで1時間ほどが余計にかかる勘定になったが、なんとか歩けるはずであった。
 避難小屋泊まり装備の大型ザックの5人組は、すれ違う軽装のハイカーから興味の目で見られた。林道歩きで汗も吹き出てきたが、雲が低くたれ込めて涼しい陽気であった。大沼の湖面は、ガスに覆われて、その広がりを見渡すことはできなかった。湖を回り込む遊歩道を進んでいくと、雨が降り出した。レストハウスも近かったので、足を速めて軒下に逃げ込んだ。上下の雨具を着込んでスパッツも付け、雨に対する装備を調えた。ついでに、昼食を食べているうちに雨も小やみになった。
 赤石山への登山道に入ると、これまでと違ってすっかり静かな道になった。先回登った時は、急な登りは僅かで稜線に到着したという印象があったのだが、重いザックと雨具が蒸れるせいで、結構辛い登りになった。鉢山との分岐に出てひと息ついた。赤石山へは、ここを左折して遠くない所にある。赤石山手前のザレ地では、上部が樹林帯を通るようになっており、以前とはルートが少し変わっているような感じがした。赤石山の山頂は、子供を含めたグループが休んでいたので、三角点の位置まで進んで荷物を下ろした。どうやらボーイスカウトのグループで、寺子屋峰方面からやってきたようである。ビニールガッパを着たものもおり、満足な装備も持たないで、2000m級の山を歩くのはどうかと思った。グループと入り違いに、赤石山山頂の岩の上に上がった。ガスのために周囲の展望は閉ざされていた。
 赤石山で、もう一つ気になるのは、野反湖方面の登山道の状態であった。分岐から先の登山道は、灌木の枝がかぶさっていた。この状態ではとても歩けないかと思って、先に進んでみると、10mも行かないうちに、刈り払われた道が現れた。どうも、気軽に入る者がいないように、入口は藪を刈り払わないまま残してあるようであった。少々の藪漕ぎ覚悟なら充分歩けそうな道であった。次の目標として頭の片隅に納めておくことにした。
 赤石山からは、大きな下りになった。道がえぐれていたりして、歩きにくい所もあった。小さなピークを越していく道はなかなかはかどらず、岩小屋峰との分岐になる金山沢の頭までは、長く感じた。この金山沢の頭には、普通だと、ロープウェイを利用して、ひと汗かいたくらいで到着することができる。気合いを入れ直して歩き出すしかなかった。雨も本降りとなり、せっかく現れたお花畑も鑑賞する余裕が無かった。小さなピークを越して下りに変わる毎に、鞍部ののっきりに到着かと思いこんだものの、期待は外れた。晴れた日なら、のっきりを越して岩菅山の山頂へと続く稜線が一望でき、歩く元気がわいてくるのだが、ひたすら忍の字で歩くしかなかった。
 ようやくのっきりに到着して、時計をのぞいた。ここから岩菅山までは30分程の登りということになっているが、すでに5時近くになっていた。避難小屋に先客がいると、この遅い時間に入っていくのが少々気が引けてしまう時間である。岩菅山は、日帰りが充分可能な山なので、避難小屋に泊まろうとする者は同じように秋山郷を目指す者しかいないはずであった。しかも、この雨の中。おそらく、他には登山者はいないはずであった。
 ともあれ、先を急ぐことにした。岩菅山へは、短いが急な登りになる。痩せ尾根を登っていくと、ガレ場の登りに変わった。下から山頂のように見えていたのは、尾根の張り出しで、山頂はさらに奥にあった。丸太の段々登りも出てきて、息も上がって、足が止まりかけるようになった頃、ようやく岩菅山の山頂に到着した。まずは、避難小屋の中をのぞくと、幸い誰もいなかった。避難小屋は、ストーブを挟んで左右に板の間が広がり、我々のグループだけなら、ゆったりと泊まる広さがあった。
 荷物を置いて、山頂の一等三角点を見に行った。石碑や祠が並ぶ広場より、少し先に進んだところに三角点は埋められている。岩菅山には、二度目の登頂になったが、先回の快晴の日と違って、ガスで見通しの利かない山頂であった。小屋に入って雨具を脱ぐ前に、室井さんと水汲みに出かけることにした。夕食と翌日のことを考えると、ここで水を汲んでおくのが良さそうであった。裏岩菅山方向に進むと、右手に踏み跡が分かれ、ガレ場の中に下っていった。30m 程下ると、水の流れが見つかった。わき水なのか、雨水が集まったものかは判らなかったが、水を汲むには充分であった。
 水も確保し、濡れた衣類も着替えて、落ち着いて夜を過ごす準備ができた。小屋の半分の天井部は、干した雨具がずらりと並んでいた。室井さんの連絡では、各自二品持ち寄りの鍋物ということであった。充分すぎる食材が集まり、二度にわたって具を変えた鍋を楽しんだ。心配なのは、天気の状態であった。明日も今日のような状態だと、縦走は無理かなと不安を抱きながら眠りについた。
 翌朝は、ガスが流れるものの、雨は止んでいた。朝食は、鍋の残りとなり、一日の歩きを考えて腹一杯詰め込んだ。雨は止んでいるものの、登山道には草が倒れ込んでいるため、雨具を着込んでの出発になった。展望が利かないせいもあるのか、裏岩菅山までは、そう目立った急登はないものの結構長い歩きに感じた。裏岩菅山の2341mの標高は、岩菅山よりも高く、志賀高原一帯の最高峰である。苗場山や鳥甲山、白砂山といった名前の知られた山よりも高く、四阿山に僅かに及ばない。それにもかかわらず知名度は高くないのが、不思議である。
 裏岩菅山までは先回も訪れたことがあり、この先からが未知の領域となった。幸い、草が時々かぶるものの、しっかり踏まれた登山道が続いていた。登山道の周囲には、お花畑となった草原が広がっていた。晴れた日には気持ちの良さそうな稜線歩きであった。シラビソの林の中に、小さな池塘を包み込んだ草原も現れた。歩く方向が北から東に向きを変えて進んでいくと、小岩峰が現れた。右手から回り込むと、足がかりは充分にあり、そう難儀もしないで乗り越すことができた。続いてもう一カ所岩場を通過すると、中岳の山頂に到着した。さらになだらかな尾根を進んでいくと、灌木の枝に烏帽子岳という標識がつるさげてあった。あまり山頂らしくない所なので先に進んだ。草原状の広場に出て、三角点が頭を出しており、烏帽子岳の山頂であることを確認できた。見晴らしが利いたならば、展望を楽しみながらゆっくりと休むのに良さそうな山頂であるだけに残念であった。
 烏帽子岳からは、急斜面の下りになった。溝状に抉られた登山道を草が覆っており、足を下ろすのに苦労した。下ったあたりから周囲の笹原の丈も高くなり、刈り払いがされていないと、確かに歩くのは難しそうであった。烏帽子岳を下りきった鞍部には、木立に囲まれた広場があり、人が泊まった跡が残されていた。刈り払い作業のための泊まり場になていたような感じであった。
 笠法師山に向かっての登りは、途中で尾根が痩せて、西側斜面をトラバースしては稜線上に這い上がるような所も出てきた。登山道は、笠法師山の山頂を越しておらず、その僅か手前で、東斜面に向かって下降をはじめている。せっかくなので、藪こぎがあっても三角点を踏みたいと思っていたが、実際には密生した笹藪が広がっており、方向を見定めるのも用意ではなかった。藪に突入することは諦めるしかなかった。登山地図には、笠法師山の下降点には、テント場と水場が記載されているが、そのようなものは全く見あたらなかった。
 笠法師山からは、笹原の中に切り開かれたつづら折りの下りになり、その後は、笠法師山を反時計回りに回り込んでいくトラバース道になった。笹や木の根が横に張りだして、歩きにくい道であった。トラバースの途中、沢の横断点に水場と書かれた看板が下がっていた。前日の雨のためか、沢には水が流れていたが、通常だと、少し下降してから水を得るようであった。登山地図にある水場の位置は少しおかしく、笠法師山の北側のシジミ沢の源頭部のように思えた。山頂の迂回が終わると、尾根沿いの道に変わった。この点も地図とは違っているようであった。
 気温も上がり、登山道周囲の草も乾いてきた。秋山郷への下降点も近づいたと思われるところで、草地の広場に出たので、昼食休みになった。ここが地図に書かれている「野営できるくらいの広場」のようであった。広場から僅かに登ると、いよいよ秋山郷に向かっての下降が始まった。幅広尾根の中にジグザグに切られた刈り払い道は笹に覆われており、方向を足先の感覚とカンで決めなければならないような所も出てきた。針葉樹林帯からブナ林の中に下りたってほっとしたものの、先の下りはまだ長かった。急斜面で滑って、尻餅をつくような所も出てきた。
 登山道は、右手に発電所関係の施設がある広場に出て終わった。切明温泉も眼下に見下ろすことができた。ひと休みした後、左手に続く保守道を下った。僅かに下ったところで、発電所の導水路の上部に出て、水路の上を渡ると、導水路に沿って下る道が始まっていた。急斜面をジグザグに下っていくと、ブナ林の中に出て、発電施設の脇に下り立った。切明き温泉の河原遊びの観光客に交じって駐車場に戻った。
 切明温泉に入ってさっぱりしてから大沼入り口に戻り、草津を回って帰るという室井さん一行と別れた。新潟へは、林道をもう一度走るのも面倒に思えたので、飯山経由で帰ることにしたが、かえって時間がかかってしまったかもしれない。

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