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烏帽子岳、野口五郎岳
長峰山、光城山
風吹岳、小蓮華岳、白馬岳


【日時】 2001年8月1日(水)〜5日(日) 2泊3日(テント泊)、日帰り、1泊2日(テント泊)
【メンバー】 単独行
【天候】 1日:晴 2日:晴 3日:晴 4日:曇り後雷雨 5日:晴

【山域】 北アルプス中部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 烏帽子岳・えぼしだけ・2628m・なし・長野県
 南沢岳・みなみさわだけ・2625.3m・二等三角点・長野県
 三ツ岳・みつだけ・2844.6m・三等三角点・長野県
 野口五郎岳・のぐちごろうだけ・2924.3m・二等三角点・長野県
 真砂岳・まさごだけ・2862m・なし・長野県
 南真砂岳・みなみまさごだけ・2713m・なし・長野県
 湯俣岳・ゆまただけ・2378.7・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/槍ヶ岳/烏帽子岳、槍ヶ岳
【ガイド】 アルペンガイド「上高地・槍・穂高」(山と渓谷社)
【交通費】 タクシー 七倉〜高瀬ダム 4人乗り合い500円 1人乗車 2000円

【山域】 安曇野周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 長峰山・ながみねやま・933.3m・二等三角点・長野県
 光城山・ひかりじょうやま・911.7m・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高山/槍ヶ岳/明科、豊科
【ガイド】 分県登山ガイド「長野県の山」 (山と渓谷社)

【山域】 白馬岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
 風吹岳・かざふきだけ・1888m・なし・長野県
 フスブリ山・ふすぶりやま・1944.3m・三等三角点・新潟、長野県
 乗鞍岳・のりくらだけ・2469m・なし(2436.7m・二等三角点)・長野県
 小蓮華山・これんげさん・2769m・なし・新潟、長野県
 白馬岳・しろうまだけ・2932.2m・一等三角点本点・長野、富山県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/白馬岳/白馬岳
【ガイド】 アルペンガイド「立山・剣・白馬岳」(山と渓谷社)、山と高原地図「白馬岳」(昭文社)

【時間記録】
7月31日(火) 20:30 新潟発=(北陸自動車道、糸魚川IC、R.148、大町 経由)
8月1日(水) =1:00 七倉  (車中泊)
6:52 七倉発=(タクシー)=7:08 高瀬ダム―7:34 登山口〜7:39 発―9:18 中間点〜9:30 発―10:15 三角点〜10:25 発―11:40 烏帽子小屋〜12:15 発―12:31 ニセ烏帽子岳―12:43 烏帽子岳分岐―13:04 烏帽子岳〜13:10 発―13:30 烏帽子岳分岐〜14:00 発―14:24 四十八池北端―14:53 南沢岳〜15:03 発―15:24 四十八池北端―15:55 烏帽子岳分岐―16:05 ニセ烏帽子岳〜16:15 発―16:25 烏帽子小屋  (テント泊)
8月2日(木) 5:23 烏帽子小屋発―6:36 三ツ岳西鞍部―6:42 三ツ岳〜6:47 発―6:52 三ツ岳西鞍部―8:07 野口五郎小屋〜8:12 発―8:30 野口五郎岳〜8:45 発―9:12 真砂岳登り口―9:18 真砂岳―9:23 真砂岳登り口―9:31 竹村新道分岐―10:26 南真砂岳〜10:46 発―12:06 湯俣岳〜12:16 発―13:39 展望台〜13:49 発―14:10 湯俣  (テント泊)
8月3日(金) 6:00 湯俣発―6:53 名無小屋―7:13 林道終点―8:11 高瀬ダム=(タクシー)=8:24 七倉=(大町、R.147、豊科、R.19、明科 経由)=11:16 長峰山〜12:25 発=12:34 光城山=(明科、大町、R.147、小滝、糸魚川、平岩 経由)=20:00 蓮華温泉  (車中泊)
8月4日(土) 5:00 蓮華温泉発―5:24 風吹大池登山口―6:13 尾根上―7:24 風吹大池分岐―7:32 周遊道分岐―7:53 神の田圃分岐―8:04 神の田圃―8:11 神の田圃分岐―8:24 風吹岳登山口―8:36 風吹岳―8:46 風吹岳登山口―8:54 風吹山荘〜9:03 発―9:12 周遊道分岐―9:18 風吹大池分岐―10:00 フスブリ山―11:59 天狗原神ノ山分岐―12:06 栂池分岐―1254 乗鞍岳―13:26 白馬大池  (テント泊)
8月5日(日) 4:45 白馬大池発―5:50 小蓮華岳―6:20 三方境―6:45 白馬岳〜7:24 発―8:02 三方境―8:36 小蓮華岳9:53 白馬大池〜10:53 発―11:50 天狗の庭―12:53 蓮華温泉=(平岩、R.148、糸魚川IC、北陸自動車道 経由)=16:30 新潟着

 北アルプス南部に位置する烏帽子岳は、花崗岩の尖塔からなる山頂を持ち、槍ヶ岳への裏銀座コースの入口にある山として知られている。野口五郎岳は、烏帽子岳から南に続く稜線上にあり、黒岳(水晶岳)との中間に位置する山である。どっしりと大きな山であるが、特徴のある姿をしておらず、まわりから眺めた時には印象の薄い山である。しかし、その山頂からは、360度さえぎるもののない北アルプスの展望が広がっている。
 安曇野の東端の明科に、長峰山と光城山という峰続きの山がある。標高は1000m弱で、余所であったら立派な中級山岳であろうが、北アルプスがついたてのように前面に広がる安曇野にあっては、低山でしかない。両山とも車道が山頂まで通じて、登山の趣は少ないが、長峰山の山頂からは北アルプスの大展望が広がっている。
 北アルプスでも人気の白馬連峰の一画に、風吹大池という北アルプス最大の湖がある。第二位の湖は、白馬大池であり、この二つの湖を結ぶ周遊コースが蓮華温泉を起点として開かれている。草原と湖を結ぶこのコースは、白馬岳周辺の喧噪とは違って、静かな山歩きを楽しむことができる。
 今年の夏休みに登る山として、烏帽子岳と野口五郎岳をめざすことにした。本来ならば、裏銀座コースとして槍ヶ岳まで足を延ばしたいところであったが、車の回収のことも考えて、途中の竹村新道から下山の2泊3日の周遊コースとして歩くことにした。もうひとつの目標は、テント泊単独行の経験を北アルプスで積んでみることであった。最初のブナ立尾根の急登をテント泊の装備で登り切れるのかが、課題の一つであった。軽量化を考える必要があったが、幸いビールは山小屋で手にはいるので、その分だけ荷物は軽くなった。
 まとまった休暇を取るとなると、仕事も早くは終わらず、家に戻って出発するのも遅くなった。幸い、糸魚川から大町への道は、オリンピック以来走りやすくなっており、何度も通って様子も判っていて、深夜には七倉山荘に到着することができた。広い駐車場が設けられていたが、停められている車は多くはなかった。
 高瀬ダムへのゲートが開いてタクシーが通過できるのは、6時30分からということで、山の朝としてはゆっくりとした起き出しになった。山荘前にタクシー乗り場という標識があったので、朝起きて、まずはザックを置いて順番取りをした。ゲート前の登山相談所で登山届けを書くと、立派な大町市の登山地図が貰えた。6時30分が近づくと、大町から登山客を乗せたタクシーが何台も到着した。空のタクシーは、七倉山荘の泊まり客を乗せてしまい、ダムまで行って戻ってくるタクシーを待つことになった。結局、4名の登山者が残され、戻ってきたタクシーで高瀬ダムに向かうことになった。
 タクシー料金は、1900円程で、4名のって、一人500円の勘定になった。距離は6.5km、2時間の歩きというが、高瀬川沿いの歩きはともかく、近づいてきた巨大なダムの堰堤を見上げると、タクシーを使って良かったと思った。岩を積み上げて作った堰堤を左右に大きく電光型に上っていく道は、人が歩くには左右の幅が大き過ぎた。
 堰堤の上でタクシーを下りると、緑色の湖面の向こうに、烏帽子岳に至る稜線が高く聳えていた。歩き出しの時間が通常より遅く、暑くなっているのが、不安材料であった。堰堤を左岸に渡った先の不動沢トンネル入口では、トンネル内が工事中で電灯がないのでということで懐中電灯を貸してくれた。当然懐中電灯は持っているがザックから取り出すのも面倒なため、有り難く拝借し、トンネル出口で作業員に懐中電灯を返した。吊り橋で不動沢を渡り、キャンプ場を抜けると、濁沢の畔にでた。白砂が堆積し、トラクターかなにかの重機で表面を平らに整地したような感じであった。濁沢の水は、砂混じりなのか濁っており、飲み水には使えそうもなかった。木の仮設橋で右岸に渡り、沢沿いに上流に向かって歩いた。前方には、不動岳の崩壊斜面が荒々しく、振り返ると、唐沢岳が朝日に輝いていた。僅かな歩きでブナ立尾根の取り付きに到着した。入口左手に小さな沢が流れ落ちてきており、ここで水を汲むことができた。ここが最終水場のようであった。まずは、登りに備えて、冷たい水を飲んで気合いを入れ直した。
 ブナ立尾根は、北アルプス三大急登ということで知られている。登ってみると、確かに急登の連続であったが、木の 段々や桟道が十分過ぎるほどに整備されている道であった。登山道は、細かくジグザグを切っているため、無理に足を上げる必要もなく、自分の好きな歩幅で歩くことができた。標高差1250mの登りは、他の山と比べても、それ程恐れることはない。マイペースで登り続けることにした。30分を過ぎて、最初の休憩にかかるあたりが、体も慣れずに一番辛い登りであった。次第に先行する登山者を追い抜くようになった。気温が高く、ズボンの中が蒸れる状態なので、折り返して半ズボン状態で歩くことにした。登山道沿いには、名前の通りにブナの大木が並んで、木陰ができているので助かった。登山口は、No.12の標識があり、烏帽子小屋がNo.0になる。この標識は、見落としたのかもしれないが、時々しか見なかったが、中間点のNo.6に到着してひと息ついた。
 中間点を過ぎてしばらく行くと、不動岳方面の展望が開けた。烏帽子岳の頭と思われる尖塔が先をのぞかせていた。主稜線も、ずいぶんと近づいてきた。センシュガンピやヤマホタルブクロ、ヤマルリトラノオの花も咲いて、登りのつらさを慰めてくれた。登山道周囲の木立も、シラビソの針葉樹林に代わっていった。三角点には、思ったよりも早く到着した。眺めのない樹林帯の中の三角点であった。傾斜は再びきつくなったが、稜線が近づいてきているのが判った。ダケカンバの木が並ぶオオカンバに到着して最後の休憩になった。お花畑の中をもうひと頑張りすれば、登りも終わりになるようであった。
 2551m標高点に登り着くと、ニセ烏帽子岳から南沢岳、不動岳にかけての展望が広がった。足元には、ミヤマリンドウがコバルトブルーの花を輝かせて出迎えてくれた。ひと息いれて再び歩き出すと、ピークから下ったすぐ先が烏帽子小屋であった。テン場は、野口五郎方面に少し進んだ所にあった。すでにテントが幾つも張られており、夜までには賑わいそうであった。
 テント設営後、烏帽子岳に登ってくることにした。小屋でビールを買い、昼食を持って、烏帽子岳に向かった。砂礫地を登っていくと、ニセ烏帽子岳に到着し、目の前に烏帽子岳から南沢岳にかけての展望が広がった。烏帽子岳は思ったよりも小柄ながら、頂上は岩の尖塔になっていた。ニセ烏帽子岳からの砂礫地の下りでは、タカネツメクサやイワツメクサに加えて、コマクサも姿を現した。
 南沢岳への縦走路と別れて烏帽子岳に向かうと、ミヤマアケボノソウ、エゾシオガマ、クルマユリ、ミヤマコゴメグサ、エゾレイジンソウの咲く草原性のお花畑が広がるようになった。岩場が現れ、トラバースを交えながらの登りになった。鎖が取り付けられ、岩に足場が彫り込まれているので、そう難しくはなかったが、慎重に通過する必要があった。山頂手前で、岩に囲まれた小広場に到着した。見ると、急な岩場に鎖が下がっていた。山頂はすぐ上のようなので、ザックを下ろして、空身で登ることにした。鎖を頼りに登ると、岩の隙間から身を乗り出すようにして山頂に到着した。左手の岩の上が最高点のようであったが、手がかりが少ないので、登るのはやめておくことにした。一人が立つのがやっとのスペースで、交代で登るにしても、団体が上がってきたら順番待ちが大変になるのは必至の山頂であった。落ち着かない山頂で、早々に退散することにした。せっかくのビールであったが、鎖場のこともあり、縦走路分岐まで下ってから昼食をとることにした。
 分岐に戻り、ハイマツの縁に腰をおろした。目の前には、唐沢岳が谷を隔てて大きく広がっていた。唐沢岳は、昨年の8月に登ったが、餓鬼岳からさらに奥に入り込まなければならず、上り下りも厳しい山であった。未知の山を眺めて闘志をを燃やすのも良いが、登った山の山行を思い出しながらの展望も楽しい。積乱雲なのか、白い雲が空高く延びていった。
 ビールでほろ酔いになった勢いで、四十八池方面に足を延ばすことにした。烏帽子岳から先は歩く登山者が少ないのか、道に草が少しかぶるような所も出てきた。いくつもの小さな池が現れたが、すでに涸れてしまっているものも多かった。残雪の雪解け水が流れ込む頃でないと、本当の美しさは見られないのかもしれない。お花畑を進んでいくと、北の端に、一番大きな池があった。通り過ぎてから降り返すと、さざ波の立つ水面に烏帽子岳が姿を映していた。
 四十八池のはずれの稜線の上に立つと、目の前に南沢岳が大きく広がった。山頂が招いているようであった。時間が少し気になったが、小屋泊まりと違って寝所は確保してあるので、先に進むことにした。南沢岳の山頂へは、ザクザクの砂礫地の登りになった。登山道の周囲には、コマクサの大群落が広がっていた。白馬岳あたりだと、ロープで阻まれて近くで見ることはかなわぬコマクサであるが、ここでは、登山道の足元にまで広がっていた。南のピークを越して緩やかに登っていくと南沢岳の台地状の山頂に到着し、三角点が頭をのぞかせていた。その先は不動岳との鞍部の南沢乗越に向かって急角度で落ち込んでいるようであった。不動岳への縦走は、いつかの課題ということにして、引き返すことにした。
 ニセ烏帽子岳まで登り返したところで、夕暮れ近くの烏帽子岳の眺めをしばらく楽しんだ。泊まり客で賑わう烏帽子小屋に戻り、再びビールを買ってテントに戻った。テン場の夜は、眠りにつくのは早かったが、起きるのも早かった。2時過ぎからごそごそし始め、3時には起き出している者が多かった。4時に起きて、朝食とパッキングに1時間30分かかり、予定通りの出発になった。
 池の縁を抜けていくと、三ツ岳へ向かって延びる稜線の登りという、朝一番の大仕事が始まった。足を進めていくうちに、快調に高度も上がり、山の左肩から槍ヶ岳が姿を現し、振り返ると烏帽子岳が低く見えるようになった。登山道は、三ツ岳の山頂を通過しておらず、北の山腹をトラバースするように続いている。三角点ピークへの踏み跡でも見つからないかと見上げながらの歩きが続いた。西峰との鞍部に回り込んだ所で、縦走路は三ツ岳から離れ始めた。
 西峰との鞍部から三ツ岳の山頂を見上げると、すぐそこのように見えた。2800mピークを登らずに見過ごすにはもったいなかった。空身で山頂を往復することにした。コマクサや草を踏まないように飛び石伝いに登っていくと、沢状に続くザレ場に出た。古い踏み跡もあるので、ここを登りのルートに使うことにした。山頂の一画に登り着き、最高点を目指して進んでいくと、三角点を見つけることができた。三ツ岳の山頂からは、360度の展望が広がっていた。北は、不動岳から蓮華岳を経て白馬岳方面に続く後立山連峰が縦に重なって続き、その左には、立山と剱岳。西には赤牛岳から水晶岳に至る稜線が長く横たわり、薬師岳がその向こうに頭をのぞかせていた。南には槍ヶ岳から穂高岳に至る稜線。東には唐沢岳から餓鬼岳、燕岳の連なり。見事な眺めであった。見下ろせば、登山者が、足元に見えるトラバース道に沿って、このピークを素通りしていった。
 鞍部までは、下ってみれば僅かな時間しかかからなかった。寄り道をしたが、野口五郎岳めざして、頑張って歩き出すことにした。小さなピークを越していく高低差は無い道であったが、野口五郎岳は遠く感じた。途中で、登山道脇に雪渓が残っており、水が流れ出ていた。コップを取り出し、冷たい水を思いっきり飲んだ。北アルプスの稜線は、飯豊と違って水場がなく、乾ききっているのが体に堪えていた。小屋でリッター150円で分けてもらえるといっても、水を節約する必要があり、思いっきり飲むことのできる水はありがたかった。結局、稜線上で水が得られたのは、ここだけであった。もっとも、この雪渓もずいぶんと小さくなっており、水が得られるのもあと僅かなようであった。
 野口五郎岳にかけては、だらだらの長い登りが続いた。稜線から一段下がった窪地に野口五郎小屋があり、そこからひと登りで野口五郎岳の山頂に到着した。野口五郎岳の山頂からも大きな展望が広がっていた。水晶岳が近づき、黒岳とも呼ばれるように、黒い山肌を見せていた。隣り合う赤牛岳が赤い山肌を見せているのと、好対照であった。裏銀座コースを歩くのなら、これから水晶岳の肩まで登る必要があり、先は長そうであった。槍ヶ岳が目の前に迫り、その前には硫黄岳の荒々しい稜線が斜めに横切っていた。燕岳から槍ヶ岳に至る表銀座コースも目で追うことができた。まさに、北アルプスの山のど真ん中に立っていると実感できる山頂であった。山頂で休んでいた単独行も、先を急ぐのか歩いていき、誰もいない山頂となった。静かに、大展望だけが残されていた。
 野口五郎岳の次のピークは、真砂岳となるが、登山道はこの山頂を通らない。野口五郎岳の山頂からは、砂礫地に刻まれた登山道が、稜線に沿って延びていくのを目で追うことができた。足元の不安定なザレた道を、一旦大きく下ると、真砂岳の北山腹をトラバースする道になった。山頂の北側に出た所で、字の消えかかった古びた標識があり、踏み跡が真砂岳の山頂に向かって続いていた。これ幸いとばかり、荷物を置いて、真砂岳の山頂を目指した。ガレた斜面を登っていき、北の小ピークとの鞍部に出るとはっきりした踏み跡が現れ、ひと登りで真砂岳の山頂に到着した。この山頂には、ケルンが積まれ、真砂岳と書かれた石が置かれていた。このまま南に下って竹村新道に出れば、近道のように思えたが、荷物が置いてあるのでは来た道を戻るしかなかった。
 ザックを再び背負い、真砂岳を下っていくと、竹村新道との分岐に出た。縦走路は、水晶岳に続く高みに向かって長く続いていた。
 一旦登り気味に真砂岳をトラバースしてから本格的な下りが始まった。しばらく尾根を辿った後に、お花畑をジグザグに下ると、崩壊地のトラバースになった。横に渡したロープを頼りの歩きで、再び尾根に戻ってひと安心となった。尾根の右手は、切り立った崖になっている所もあり、この一帯は崩れやすい地層のようである。南真砂岳へは、再び登りになった。ピーク手前で、登山道は左のハイマツ帯の中にそれていったが、踏み跡が先に続いていた。荷物を置いて踏み跡に進むと、南真砂岳の山頂に到着した。目の前には槍ヶ岳と荒々しい硫黄岳の稜線が大きく迫っていた。振り返ると、野口五郎岳の山頂は、高みに遠ざかっていた。日差しがきつくなり、じっとしていても汗が噴き出てくるようになった。
 南真砂岳からの下りから眺めると、湯俣岳の山頂はかなり低く見えたが、登り返しがあるようであった。痩せ尾根の途中には、足場が悪くてロープに頼るところもあり、足に堪える下りであった。登ってくる登山者とすれ違ったが、暑い中、この急坂を登りきるのはかなり大変そうであった。灌木帯から樹林帯に変わると、湯俣岳への登りになった。標高差110mの登り返しであるが、足にも疲れが出て、辛い登りになった。湯俣岳の山頂は台地状で、登山道に導かれるままに歩いていくと、下りに転ずるところで、左に踏み跡が分かれた。すぐ先の小広場に三角点があった。
 湯俣岳で大休止と思っていたのだが、ぶよが多くて刺してくるので、休みもそこそこに歩き出すことになった。湯俣岳からは、急ではあるが、幅広い刈り払い道が続き、下りのスピードも上がった。再び痩せ尾根の道となると、右側に荒々しい崩壊地が迫る展望台に到着した。高瀬川の流れも眼下に見下ろすことができ、あと少しの歩きのようであった。谷の奥には槍ヶ岳が聳えているようであったが、雲が出てきて、稜線部は隠されていた。雷鳴も聞こえ始め、下山の足を速める必要があった。
 展望台からは、桟道を伝うような崖縁の道になったが、道は良く整備されていた。ようやく河原に下り立ち、草原を辿ると晴嵐荘に到着した。ここから高瀬ダムまでは、9kmの林道歩きが残されている。時間的には、タクシーの通行可能時間に間に合いそうであったが、無理はせずにここで泊まることにした。湯俣温泉は、車で乗り付けない秘湯であり、この機会を逃したら、入ることはないかもしれない。山荘の前の河原がテン場になっていた。先客のテントが一張り有って、若者二人連れが日陰で寝そべっていた。テントを張って、晴嵐荘で受付をした。湯俣温泉は露天風呂が有名であるが、涸れており、内風呂のみとなっていて少しがっかりした。テン場と温泉で1000円という料金であった。さっそく温泉に入り二日間の汗を流した。風呂上がりは、待望のビール。酔いも回って昼寝を決め込む内に夕暮れも近づいた。雷鳴が聞こえたものの、幸い雨にはならなかった。夕食も終え、寝る前にもうひと風呂と欲張ったのが裏目にでて、暑くて寝付きの悪い夜になった。
 翌朝は、林道歩きが残されているだけなので、他の登山者が出発した後から、のんびりと出発した。高瀬川右岸に続く道は、遊歩道なみにしっかりと整備されていた。水も僅かしか持たず、食料もあらかた無くなって、荷物も軽くなっているはずなのだが、ザックが重く感じられた。林道の終点に出た所でようやく半分。朝日が差し込む高瀬ダムの湖面は美しかったが、林道歩きにも疲れてきた。最後に1km程の長いトンネルを通り抜けると、ようやくゴールのダム堰堤に到着した。
 幸運にもタクシーが客待ちをしており、到着と同時に乗り込むことができた。七倉まで歩く気は失せており、2000円の料金は安いものに感じた。
 車に戻って着替え後に大町に向かった。まずはコンビニに入って、弁当を買い込んでむさぼり食った。軽量化を図った山の食料は、体にこたえているようであった。腹も膨れて、この後の計画を考える元気が出てきた。時間もまだ早く、昼間の時間つぶしをしなければならなかった。低い山といえども、さすがに登る元気はなかった。車で上がって、お昼を食べるのに良い山を探してみると、明科の長峰山が山頂近くまで車で上がれそうなので、この山に向かうことにした。
 明科駅近くから舗装された林道に進んだ。うねうねと続く林道で、高度は一気に上がった。天平の森自然園体験文化センターの手前で左に分かれる林道に進むと、山頂の駐車場に到着した。遊歩道をひと登りで、長峰山の山頂に到着した。モニュメントや展望台、石碑にベンチが置かれた広場からは、安曇野の大きな展望が広がっていた。常念山脈のパノラマが広がっているはずであったが、山の稜線部は雲で覆われていた。木陰のベンチに腰をおろして、お弁当を食べながらガイドブックを広げ、翌日の山行計画を練った。家族連れやハイカーなども登ってきており、地元で親しまれている山のようであった。
 ゆっくり休んだ後に、光城山に向かった。天平の森自然園体験文化センターの先に車道を進んでいくと、右手に林道が分かれた。左右に桜が植えられた細い林道を進んでいくと、林道の終点になった。終点は、車の方向転換も難しい広さしかないので、林道の分岐から歩き出すのが正解のようであった。林道の終点からはひと登りで、古峯神社のある光城山の頂上に到着した。木立に囲まれて、展望は開けていなかった。
 光城趾は、戦国時代のはじめに海野一族によって築かれ、戦国時代末期の天文22年(1553年)に武田信玄の先鋒によって攻め落とされたという謂われが書かれていた。光城という名前からは、優美なロマンを感じる。ただ、国道19号線沿いにある集落が光というので、光城と呼ばれると判ってしまうと、種明かしされたように面白くなくなる。
 大町市に戻ってスーパーで買い物をし、白馬で温泉に入り、夕食を食べると、夕暮れも近づいてきた。休暇の後半は、白馬連峰の栂海新道沿いの黒岩岳を中俣新道から目指すつもりでいた。小滝からヒスイ峡をめざすと、川沿いの道路は通行止めで、高浪の池経由で入ることになった。高浪の池入口付近から、車を停めると、周囲をアブの大群が取り囲む状態になった。小滝川林道を進み、滝上発電所のゲート前に到着したものの、アブが乱舞する中、車のドアを開けることもできず、退散することにした。時間によっては、このアブも静かになるはずだが、このアブの大群に取り囲まれての1時間30分の林道歩きは、想像するだけでも恐ろしい。
 国道に戻って、計画を考え直すことにした。蓮華温泉が近くであった。風吹大池から白馬大池に回り、白馬岳をピストンするという1泊2日コースを考えた。糸魚川に戻ってガソリンを入れたりで、蓮華温泉到着は、夜になった。といっても8時なので深夜というわけではないのだが、驚いたことに広い駐車場で、空いているスペースは5台ほどであった。翌朝までには、空いているスペースは無くなっていた。
 朝一番の仕事は、風吹大池登山口まで車道を戻ることであった。全般的には下りであるが、尾根の乗り越しで登りもあり、登山口までの歩きでひと汗かいた。急斜面のジグザグの登りが始まった。ネズコなのか、赤みを帯びた幹の木が、登山道に沿って続き、流れる霧の中で幻想的な雰囲気を醸し出していた。300mの標高差を登り切ると、笹目尾根の上に出た。ここからは、緩やかな登りに変わった。谷の奥に見えるのがこれから乗り越さなければならない乗鞍岳のようであったが、まだまだ標高差があった。前方にフスブリ山が近づいてくると、登山道は、山腹を巻くように、東に向きを変えた。小さな草原が次から次に現れるようになった。ヒオウギアヤメ、エゾシオガマ、モミジカラマツの花を見ることができたが、時期を逸したのか、ちょっと花は少ないという印象であった。
 千国揚尾根との分岐に出て、ここは左折。広い草原が現れ、岩菅山や横前倉山、風吹岳の山頂が頭をのぞかせていた。草原には木道が敷かれていた。小さな池塘も点在し、ワツゲやモウセンゴケを見ることができた。風吹大池を一周することにして、まずは左に進んだ。風吹大池を木立の間から眺めながら下っていくと、尾根の左にも、科鉢池という小さな池が現れた。風吹大池の北側に出たところで、血の池と神ノ田圃への分岐に出た。涸れ沢状の道を登っていくと、ミツガシワで半分ほどが埋め尽くされている池に出た。これが、血の池のようであった。池の右縁を辿って先に進むと、神ノ田圃の湿原に出た。岩菅山と箙岳へ続く稜線との間の谷間に広がった湿原であった。木道も終わり、湿原の中の踏み跡を辿ってみたが、池塘の縁でそれも終わった。箙岳へと続く踏み跡は、期待に反してないようであった。
 分岐に戻り、先に進んだ。左に小敷池を見ると、風吹岳への分岐が現れた。道があるなら登ってみないわけにはいかない。見上げるとそう時間もかからないようなので、空身で往復することにした。風吹岳は円錐形の山なので、急な登りが続いた。幸い、それ程の時間もかからず、風吹岳の山頂に到着した。山頂は木立に囲まれ、あずまやに占領されて、あまり面白くない山頂であったが、ピークをひとつ登ることができ、得をした感じになった。しかし、今年の登山地図にもこの山の登山道は記載されていない。何年版といって登山地図を出すなら、もう少し丹念に情報を集めて欲しいものである。
 池の南東の角の奥に風吹山荘があった。池を眺めながらひと休みした。雲が厚くたれこめて、水面が暗く沈んでいるのが展望の上からは少し残念であった。池から階段道を登ると、草原に出て、池を一周することができた。
 分岐に戻り、千国揚尾根に向かった。最初のピークは、フスブリ山であるが、三角点は登山道から少し外れている。フスブリ山の山頂部は、台地状で最高点が判りにくい。藪の取り付きを間違ってうろうろしているうちに雨が降り出してしまい、三角点探しはあきらめることにした。傘をさしながら歩いていくうちに、雷も鳴りだし、激しい雨が始まった。雨具を着込んだものの、激しい雨のために木の下での雨宿りになった。少し小振りになったので歩き出したが、雷のことを考える必要があった。樹林帯の歩きが続いているので、雷の心配はしばらくは無いものの、天狗原から乗鞍岳にかけては、雷の中では歩くのは危険そうであった。それまでに雷がやんでくれることを祈った。
 幸い、天狗原の草原に到着した時には、雨は上がっていた。雲の切れ間から、岩の積み重なった乗鞍岳が姿を見せていた。栂池との分岐に出ると、多くの登山者に出会うようになった。乗鞍岳から下りてきて、泣き出さんばかりに喜んでいるグループがいた。どうやら雷雨の中の乗鞍岳越えで、よほど怖い思いをしたようであった。すれ違う登山者は、ビニール合羽に運動靴のような軽装な者も混じっており、栂池のロープウェイを使って安易に入山している者が多いようであった。乗鞍岳へは、大岩伝いに歩く急な登りになった。すれ違う登山者は、足元もあやしく、下りに苦労していた。岩に書かれたペンキマークを辿って登っていくうちに、右手に雪渓が現れた。ガスがかかって、雪渓の横断地点が判りにくかった。下山してきた登山者が、雪渓の向こうから呼び掛けてきたので、登山道の続きの位置を知ることができた。ガスに隠されてルートを見定めるのが難しく、初心者には危険な状態になっていた。
 乗鞍岳の頂上は台地状のため、登山道をはずさないことだけを考えながら歩いた。中央部のケルンに到着したところで、登山地図を確認した。三角点は、通り過ぎてきた山頂の東の縁近くにあったようだが見落としていた。ガスが流れる中では、探しに戻る気にはならなかった。最高点は、南に外れた所にあったが、ロープが張って立ち入り禁止になっていることで、行かない理由ができた。
 乗鞍岳からの下りも、岩伝いの道が続いた。足を滑らせれば、怪我をしかねないので、慎重に歩く必要があった。ふと左を見ると、足元に水面が広がっていた。後で地図を確認し、翌日晴れた状態で眺めれば、乗鞍岳から白馬大池までは僅かな標高差しか無かった。岩伝いの道をたどり、池を回り込んでいくと、ガスの中から白馬大池山荘が姿を現した。
 白馬大池は、以前にここを訪れた時に、残雪を映し込む湖面や周囲に広がるお花畑の美しさを見て、ここでテント泊をしてみたいと思ったお気に入りの所である。あいにくとガスが流れて展望は閉ざされていた。このまま下山することもできたが、明日の天気に期待して、泊まることにした。小屋の前の広場がテン場になっており、すでに何張りものテントが並んでいたが、草原脇の良さそうな場所を見つけることができた。風が出ていたので、フライにもたるみがないように注意してテントを張った。小屋でテントの受付をし、ビールを買った。今晩の部屋割りは1畳に4人という案内が出ていた。8月最初の週末であり、さらに雷雨のために白馬岳までいけずに足止めをくらって者も加わっての大混雑のようであった。
 風の強い夜であったが、快晴の朝になった。ひと晩ねばった甲斐があったというものである。未明から出発していく登山者のために、ゆっくりと寝てもおられず、お茶を飲んで、白馬岳への往復のために歩き始めることにした。テントはそのままにして、軽装でピストンすることにした。登山道を少し登ったあたりでは、小屋の泊まり客がご来光を待っていた。見晴らしの良い所まで登るために、足を速めた。太陽は、雲海の上に頭を出した妙高山の上から出てきた。暗く沈んだ白馬大池に太陽の光が差し込んでいった。軽装のために、快調なペースで登り続けた。朝日岳や雪倉岳が、山頂部から明るくなっていった。
 小蓮華岳を過ぎたあたりから下ってくる登山者に出会うようになった。団体が登山道脇に座って弁当を食べていた。おそらく、小屋での朝食の時間は遅いため、出発を早くするために弁当にしてもらっているようであった。三方境から雪倉岳方面に向かう団体もいた。白馬岳への登りの途中の岩場では、団体とすれ違うのに手間取った。一番混み合う週末に、市民登山ということで、50人以上の団体を連れて歩くのは、はた迷惑としか思えない。
 白馬岳の山頂も、大混雑していた。山頂標識の回りは記念写真用のお立ち台とかして、近寄れなかった。これが、4回目の登頂で、山頂の記念写真を撮りたいとも思わなくなってきた。南の展望の良い岩の上に腰をおろした。後立山連峰や剣岳、毛勝三山の眺めが広がっていた。太陽の光が力を増すのを待ちながら、写真を撮影した。白馬の大雪渓も見下ろすことができ、登山道の線も続いているのもはっきりと見えたが、人はまだ歩いていないようであった。白馬大池へ向かう団体が通過して、山頂付近が少し静かになるまで待ってから下山を始めた。下りは、花の写真を撮りながら歩いたが、終わった花が多かった。昨年の朝日岳から周遊した時と、まったく同じ時期だっただけに、ちょっと期待外れであった。
 写真撮影のためにゆっくりとした歩きであったにもかかわらず、小蓮華岳への登り返しで、登りですれ違った団体に追いついてしまった。ノロノロ歩きの団体のために先が詰まっていた。小蓮華岳の山頂で、なんとか団体を追い越したが、その先にも別の団体がノロノロと歩いていた。これらの団体は、白馬大池から栂池に下山するはずなので、しばらくの辛抱であった。
 白馬大池に戻ったところで、テントの撤収になったが、その前にビールを買ってしまい、ひと休みすることにした。テント脇の草原は、ヒオウギアヤメのお花畑になっていた。去年は、チングルマやハクサンコザクラの大群落が広がっていたのだが、すでに姿を消していた。侵入禁止のために張られたロープに昨日の雨で濡れた物をかけて、すこしでも乾かすことにした。朝のうちのビールで気持ちよくなった状態で、テントの撤収を終えた。
 再び重くなったザックを背負い、蓮華温泉をめざして下りを開始した。この道は三回目となるが、かかる時間以上に長く感じる道である。昼近くなって、気温も上がってきて、連れ違う登山者も大変そうであった。
 蓮華温泉に下りると、山荘の前には、ザックが列になって置かれていた。どうやら下山後の入浴客で満員になっているようであった。車に戻って着替えている間にも、空きスペースを探して、車が駐車場を行ったり来たりしていた。温泉に入るのはおっくうになり、そのまま山を下る気になってしまった。

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