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大石山、杁差岳


【日時】 6月30日〜7月1日 1泊(避難小屋泊)2日
【メンバー】 7名グループ
【天候】 6月30日:曇り後雨 24日:雨

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大石山・おおいしやま・1567m・なし・新潟県
 杁差岳・えぶりさしだけ・1636.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/杁差岳、二王子岳
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「飯豊山」(昭分社)
【温泉】 胎内パークホテル 500円 石鹸、シャンプー

【時間記録】
6月29日 11:25 新潟発=(R.7、新発田、R.290、胎内 経由)
6月30日 =1:00 胎内ヒュッテ
 5:06 胎内ヒュッテ発―5:54 足ノ松尾根登山口〜6:04 発―7:22 姫子ノ峰〜7:33 発―9:24 ヒドの窪み〜9:50 発―11:42 大石山分岐〜11:55 発―12:34 鉾立峰〜12:40 発―13:12 杁差岳〜13:35 発―14:06 鉾立峰〜14:10 発―14:44 大石山分岐〜14:50 発―15:25 頼母木小屋 (頼母木小屋)
7月1日 6:18 頼母木小屋発―7:18 大石山分岐―8:20 ヒドの窪み―9:34 姫子ノ峰〜9:40 発―10:28 足ノ松尾根登山口―11:25 胎内ヒュッテ=(胎内パークホテル入浴後往路を戻る)=15:30 新潟着

 杁差岳は、飯豊連峰主脈北端を代表する山であり、山頂付近は美しいお花畑になっている。その名前は、「杁差しの爺や」と呼ばれる残雪形が名前の由来であるといわれている。杁差岳への登山道としては、胎内ヒュッテが起点となる足ノ松尾根を登って大石山を経由するコースが一般に用いられ、新潟からの飯豊登山の入門コースになっている。
 昨年の7月20日に足ノ松尾根から頼母木山を経て地神山まで日帰りで歩いた。日帰りも気軽でよいが、稜線上の山小屋で1泊して、のんびり歩くのも良いなと思った。インターネットの知り合いのTさんは飯豊に登っていないというので、その仲間も誘って飯豊山行を計画した。最終的には、HPの知り合いのJやDさんも含めて、7名の大所帯になった。
 梅雨の合間といっても、例年だと梅雨の中休みが期待できるのだが、今年は週末ごとに悪天候が続いている。直前まで天気予報の降雨確率が気になる状態になったが、最終的には、土曜日は曇り後雨、日曜日は曇り時々雨という予報に落ち着いた。ただ、九州方面で大雨をもたらした前線が近づいてきているのが気になった。
 早朝出発のため、新潟組も前夜集合とし、4人用テントをかして、胎内ヒュッテ前で休んでいてもらうことにした。東京発の二人を新潟駅で迎えてから胎内に向かうことになっていたが、予定の時間の列車にのれないという連絡が入ったので、新潟組には先に寝ていてもらうことになった。一台遅れの新幹線で新潟駅に到着した二人をピックアップし、胎内には午前1時の深夜の到着になった。すばやくテントを張り、ビールを手早く飲んで、二人に寝てもらった。
 十分な睡眠時間とはいえない、4時に起床した。予想外に良い天気で、山行への期待が膨らんだ。出発の準備に手間取り、予定よりも少し遅れての出発になった。まずは、重たいザックを背負って、記念写真を撮った。胎内ヒュッテ前のゲートから足ノ松尾根登山口までは車道歩きが続く。ここまでの歩きで、その日のペースをつかめるが、荷物が重い割には、良いペースのように思えた。
 足ノ松尾根登山口からは、ブナ林の中の水平な道が少し続いた後で、尾根の急な登りが始まる。この急登は、重荷を背負っていると辛い。Tさんの話声も、直に途絶えてしまい、途中で休みを入れながら登ったが、傾斜が少しゆるむ姫子ノ峰手前のピーク付近でダウン状態になった。いつもの軽量装備と違って、泊まりの装備が重く感じたようであった。皆で荷物を分担してザックを軽くすると、ようやく足が前にでるようになった。テント泊のようなグループ山行では、かならず一人はダウンする者がいるが、それを見て安心するのか、他の者は元気を取り戻して、サポートできるのが面白いところである。
 姫子ノ峰に到着してひと息入れた。薄日もさす陽気で、雨を覚悟していただけに、うれしい予想外れであった。傾斜は緩くなったとはいえ、小さなピークを越していく登りは、徐々に体力を消耗させていった。短いが両脇が切り落ちた岩場を慎重に通過した。見晴らしが開けると、谷向こうの胎内尾根も眺められるようになり、二つ峰も雲の下に頭を覗かせていた。振り返ると、二王子岳も、おぼろな姿を見せていた。
 中間点のヒドの窪みの残雪の上に出てひと休みした。残雪の周囲の藪には、カタクリやツバメオモトが咲いていた。尾根の途中ではチゴユリやギンリョウソウも見かけ、春の花が遅ればせながらと咲いているようであった。OとKは、水場に出かけたが、遠いようでしばらく戻ってこなかった。水場まで出かけるのも面倒なため、登山道脇の残雪の雪解け水を汲んで、喉の渇きをうるおした。水は、節約すればもつはずであったが、やはり冷たい水を思う存分飲んだ方が元気を取り戻すことができる。
 ヒドの窪みの先は、しばらくはブナ林が周囲に広がるが、再び痩せた尾根の急な登りが続くようになる。今度は、Oが遅れるようになった。顔を真っ赤にして、オーバーワークになったようである。腰も痛いということで、ザックの重荷に慣れていないようであった。休み休みの登りになった。登山道脇にヒメサユリも姿を見せ始め、辛い登りの慰めになった。
 足ノ松尾根を登り切るには、予定よりも時間はかかりそうであった。当初の計画では、初日は、地の神山まで足を延ばすつもりであったが、その余裕はなさそうであった。天気も午後までは、もってくれそうなため、予定を変更して、今日のうちに杁差岳に登ってしまうのが最善のように思われた。荷物を持っては、鉾立峰を越せない者が出そうなため、大石山から空身で往復して、頼母木小屋で泊まるのが良いように思えた。まずは杁差岳を登頂しておけば、明日の天気が悪い場合、そのまま下山してしまっても悔いは残らない。全ては、大石山に登り着いたところで、決断するということで、登りを頑張ることにした。
 小ピークに登り着いて展望が開けると、尾根が続く先のピラミッドの頂点が、ようやく近づいてきていた。大石山から鉾立峰にかけての鞍部が、目の高さになって、あとひと頑張りであることを知った。最後の急坂を頑張ると、大石山の山頂からの張り出しに到着し、杁差岳にかけての稜線の眺めが目に入ってきた。残雪の上にはガスがただよい、雨が近いような眺めであった。
 笹原をトラバース気味に進むと、大石山の分岐に出た。皆、稜線に辿り着いたことで、元気を取り戻しているようであった。雨具と水、懐電、食料の最低限の荷物を持ち、残したザックにはザックカバーをかけ、軽装で杁差岳に向かった。
 大石山から杁差岳は、1時間30分のコースタイムとは思えない遠くに見えた。大石山からは、草原の中の下りになる。花を期待していたのだが、ハクサンチドリ、モミジカラマツ、ゴゼンタチバナ、アカモノ、チングルマ、タニウツギなどで、予想外に花が少なかった。雪解けを待って咲く花と、夏の花の、端境期にあたってしまったようである。鉾立峰へは、いつもながら苦しい登りになった。
 鉾立峰からは、杁差岳と大石山から門内岳方面の眺めが広がった。残雪が谷の白いラインを引き、のびやかに広がる稜線は、飯豊ながらの雄大な風景であった。鉾立峰まで来てしまえば、あとは、最後の登りを頑張るだけ。登山道脇にヒメサユリの群落があり、わが一行の乙女らの記念写真スポットになった。
 避難小屋の前の緩やかな坂を登ると、待望の杁差岳の山頂に到着した。山頂標識の付近は、虫が飛び交ってうるさかったが、ビールを回し飲みして乾杯した。展望を楽しみながらひと休みしていると、雨が降り出したので、避難小屋に入って雨具を着込んだ。
 本降りの雨の中を大石山まで戻り、重いザックを再び背負って頼母木小屋をめざした。雨が降り出す前に、頼母木小屋を目でとらえることができていたので、気が楽であった。ひとつピークを越した後に、頼母木山への登りになるが、急斜面ではないものの、疲れた足には辛い登りになった。
 頼母木小屋の前には、新潟大学ワンゲルのテントがひと張りあり、頼母木小屋の二階には、石転び沢を登ってきて杁差岳を往復し、明日丸森尾根を下山するという仙台の二人連れが陣取っているだけで、一階は貸し切り状態になった。この日、杁差岳の日帰りは二組。杁差避難小屋には、2人連れと6名ほどのグループが泊まったようである。
 濡れた衣類を着替える前に、男性4名で、水の補給に出かけた。水場からのホースに沿って踏み跡が続いており、すぐに残雪の縁に出た。雪を融かして水を作る準備はしてきたのだが、少し下れば、水を手に入れることができそうであった。雪渓の下は、棚になっており、滑っても止まりそうであったが、その先が見えないため、慎重に下る必要があった。水の補給に雪渓を下りるために、パーティーにひとセット、アイゼンとピッケルを持ってくるべきだったかもしれない。草付きを下り、雪渓を3m程トラバースすると小さな水の流れの下に出た。集めてきた空容器に水を詰めて、小屋に引き返した。
 小屋で濡れた衣類を着替え、ようやく落ち着くことができた。ビールで乾杯した後、夕食の準備をした。今回は、あまり軽量化を考えずにメニューを考えたため、中華料理を中心にしたボリュームのあるものになった。調理を楽しみながら、夕食をとっていると、雨風が強くなった。小屋の中から、携帯電話とiモードのメールは通じており、下界とのコンタクトが取れているのが、なにかと心強かった。8時過ぎに寝ようとすると、暴風雨状態になっており、外でトイレを済ませるのも勇気が必要な状態になっていた。一階全体を占領していたため、スペース的には余裕があったものの、風の音で、寝付かれない夜になった。
 明け方3時頃、トイレのためと、外の様子が不安なので外に出てみると、新大ワンゲルのテントの中では灯りが動いていた。この暴風雨の中のテントとなると、そうとう大変であるが、小屋に避難してこないのは、訓練のためであろうか。風は強いものの、雨の量は多くはなかった。予定通りの時間に起きて、ゆっくりと朝食をとった。日が昇れば、風も少しは止むかという期待もあったのだが、強風が止む様子はなかった。朝食の間に、新大ワンゲルは胎内めざして下山を開始した。
 小屋の壁際には、水が染みこみ初めていた。荷物を整え、雨具を着込んで出発の準備を整えた。意を決して強風の中へ踏み出した。小屋の回りは、風が舞っており、どちらから吹いている風なのか判らなかったのだが、新潟県側からの西風であった。歩き始めてすぐにTさんのザックカバーとOさんのレインハットが風に飛ばされた。自分のものは、紐で飛ばないようにしてあったが、風でまくれてしまい、はずしてしまい込むことになった。風は、平坦な部分で特に強くなり、足を前に出す瞬間、1mくらい横に飛ばされて、草地の上に膝をつくようなことを繰り返した。ストックで支えてやっと立っていられる状態であった。風圧に耐えて、足を前に出し、草原を突っ切っては、灌木の間に逃げ込んだ。風に吹かれていても、寒さは感じない暖かさであったのが幸いであった。
 風の強さは、植生の分布と見事に一致していた。砂礫部と草地でもっとも風は強く、笹原に灌木が生えていると、その陰では、風は弱まって、ひと息つくことができた。高山植物の棲み分けは、このような過酷な自然によって分けられているのだなあと、身をもって体験することができた。風のために散ったかと思ったヒメサユリが、風にゆれながらも、艶やかに咲いていた。
 視界は10m程で、登山道を見極めるのに注意がいったし、失敗は許されなかった。風よけの灌木も、3名くらい入るともういっぱいな状態のため、後続が到着すると、次の灌木帯めざして進み後続を待つということの繰り返しになった。Tさんは、顔色も悪くなり疲労の色が濃くなった。荷物が軽いために、風で飛ばされやすいのかもしれない。もっとも、下山途中で追いついた大荷物を背負った新大ワンゲルグループは、はって通過したというから、重量と脚力との兼ね合いの問題になるのかもしれない。昨日の歩きと、快晴だった去年の山行を思い出して、地形を把握しようとした。1567mピークを越し、雨量計のある鞍部を越せば、大石山分岐への登りのはずであった。雨量計の置かれた、草地がもっとも風が強い難所であった。後続の人達は、転倒して転がり、雨量計のパイプにしがみついたと、後で聞いた。登り坂にかかると、笹原の中に登山道が溝状に切られ、風があたらなくなった。皆でひとかたまりになってようやく休むことができた。もう少しで大石山の分岐に出るはず。足ノ松尾根への下降に移れば、風は問題にならなくなるはずと、皆に話して安心させた。
 再び気力を振り絞って、歩きを開始した。すぐに大石山の山頂に到着した。なんのことはない、直下で、分岐まではあとわずかと話していたことになる。風は弱まったが、長居は無用なため、すぐに足ノ松尾根の下降を開始した。予想は当たり、風は弱まり、そのかわりに本降りの雨になった。稜線では、強風のために、雨粒も霧状になってしまっていたようである。その後は、いつもながら長く感じられる尾根の下りになった。岩場の通過や木の根の階段が滑りやすくなっており、注意して歩く必要があった。歩きはじめの必死の気分がその後まで続いたのか、予想よりも早いペースで下山することができた。
 登山口のブナ林に下りたち、ようやく緊張から解放された。ブナ林が、強風の稜線から帰還した我々を、暖かく迎えてくれているような感じがした。
 後は、温泉めざしながらの歩きになった。


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