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流石山、大倉山、三倉山、三本槍岳
大白森山、小白森山


【日時】 2001年6月16日(土)〜17日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 6月16日:曇り後雨 10日:晴

【山域】 那須連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 流石山・ながれいしやま・1815.5m・三等三角点・福島県、栃木県
 大倉山・おおくらやま・1885m・なし・福島県、栃木県
 三倉山・みくらやま・1888m・なし・福島県、栃木県
 三本槍岳・1916.9m・一等三角点本点・福島県、栃木県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/田島、那須岳/甲子山、那須岳
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想舎)、会津百名山(歴史春秋社)、新福島百山紀行(歴史春秋社)、山と高原地図「那須・塩原」(昭文社)
【温泉】 芦ノ牧温泉ドライブ浴場 350円 (石鹸シャンプー無し)

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大白森山・ながれいしやま・1642m・なし・福島県
 小白森山・こしらもりやま・1563.1m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/田島、那須岳/湯野上、甲子山
【ガイド】 分県登山ガイド「福島県の山」(山と渓谷社)、南会津・鬼怒の山50(随想舎)、会津百名山(歴史春秋社)、新福島百山紀行(歴史春秋社)、山と高原地図「那須・塩原」(昭文社)
【温泉】 芦ノ牧温泉ドライブ浴場 350円 (石鹸シャンプー無し)

【時間記録】
6月15日(金) 20:30 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、会津本郷、R.118、湯野上、R.121、八幡橋 経由)=23:32 観音沼 (車中泊)
6月16日(土) 4:55 観音沼発=(林道大峠線 経由)=5:20 林道スペース〜5:51 発―6:02 林道終点―6:07 鏡沼分岐―6:34 大峠〜6:43 発―7:40 流石山―8:22 五葉の池―8:42 大倉山―9:14 三倉山―9:25 一ノ倉〜9:38 発―9:48 三倉山〜10:02 発―10:16 三倉山三角点峰―10:34 大倉山―10:47 五葉の池―11:24 流石山―12:01 大峠〜12:10 発―13:10 大峠分岐―13:20 三本槍岳〜13:24 発―13:34 大峠分岐―15:52 鏡沼分岐―14:08 鏡沼―14:42 鏡沼分岐―14:46 林道終点―14:57 林道スペース=(林道大峠線、八幡橋、R.121、湯野上、芦ノ牧温泉、湯野上 R.121、会津下郷、R.289 経由)=19:00 甲子峠 (車中泊)
6月16日(日) 5:55 甲子峠発―6:25 分岐―6:30 大白森山〜6:35 発―6:38 分岐―7:01 二杯山―7:15 一杯山―7:42 小白森山〜7:47 発―8:12 一杯山〜8:31 発―8:49 二杯山―9:20 分岐―9:49 甲子峠=(R.289、会津下郷、R.121、湯野上 芦ノ牧温泉、会津本郷、会津坂下IC、磐越自動車道)=14:30 新潟着

 那須山塊のうち、三本槍岳以北を北那須、三本槍岳から茶臼岳付近の登山者でもっとも賑わう部分を表那須、西側の男鹿山塊を裏那須と呼ぶ。流石山、大倉山、三倉山は、裏那須に位置し、これらの三山を連ねる縦走路には、那須随一の高山植物のお花畑が広がっている。大倉山と三倉山の位置関係については、下郷町と黒磯市の見解の相違によって、それぞれ逆であるという論争がある。
 那須の最高峰の三本槍岳は、関東の山というイメージが強いが、その山名は、会津藩、白河藩、大田原藩の三藩が山頂に槍を立てて境界線を確認したことに由来しており、現在の福島県と栃木県の境界線にある。旧会津街道が通っていた大峠からは、比較的短い時間で登ることができる。
 那須連峰は、北端の甲子峠からさらに北に向かって、大白森山、小白森山というピークを連ねて、二岐温泉に続いている。大白森山と小白森山は、近くにあって名前も似通っていることから、セットの山と考えられるが、少し距離があるため、二つ一度に登るのは少し面倒な山である。
 流石山には、98年7月12日に井戸沢から登ったが、縦走路の続きにある大倉山と三倉山に登ったことが無かったのが気に掛かっていた。一度は、観音沼まで入ったものの、その先の林道が不通になっており、登山を諦めたことがある。先週は、道のない藪山をめざして敗退し、げん直しに、登山道があって登頂は確実な山に出かけることにした。梅雨の最中であったが、天気予報は、曇り時々雨であったものが、直前になって曇り時々晴に変わっていた。
 会津田島に向かって、コンビニに寄り道しながら、車を走らせた。檜枝岐まで行く必要がない分、距離も短く気は楽であった。新潟を朝出発しても、三倉山の登山は可能のように思われたが、場合によってはもう少し歩きを欲張ろうと思って、時間の余裕が欲しかった。以前にも野宿しようと思って訪れたことのある観音沼の駐車場に車を停めて、眠りについた。
 観音沼から先は、しばらく舗装道路が続いたが、雨量観測所を通り過ぎると、未舗装の林道に変わった。心配していた路面の状態は、そう悪くない状態であった。高度を上げていくと、右奥に、低く切れ込んでいる鞍部が見え、そこが大峠のようであった。トラバース気味の道を進んでいき、左手に林道が分かれると、すぐその先で、路面の状態が急に悪くなった。手前の路肩には十分な駐車スペースがあり、ここから歩き出すことにした。朝食をとっていると、オフロード四駆が林道を先に進んでいった。
 歩き出してみると、林道の路面の荒れた箇所はその先僅かだけであった。もう少し頑張ればよかったかなと思ったものの、林道の終点までは、10分程の歩きであった。林道終点には、「林道終点(松川街道)右 野際新田 左 大峠」と書かれた立派な石碑が置かれていた。
 幅広い山道を歩いていくと、僅かの歩きで鏡沼との分岐にでた。左のカラ松林の中に、登山道が分かれていた。入り口の看板には、鏡沼のいわれが掲示されていた。鏡沼は、順調に歩ければ寄ることもできると思い、先を急いだ。道の上に石が露出してかえって歩きづらかったが、これは昔の石畳の名残とのことであった。一旦下って小さな沢を越すと、大峠への登りが始まった。ダケカンバやブナが点在する笹原の中を、大きなジグザグを描いて登っていくと、それ程の苦労もなく大峠に到着した。
 赤い帽子と前掛けをしたお地蔵様が峠にひっそりとたたずんでいた。各方面から登山道の合わさる交通の要所であるが、表那須の混雑とは無縁の峠であった。峠の西側には、流石山に続く山の斜面が大きく広がっていた。東には、三本槍岳の山頂を望めるはずであったが、あいにくと雲の中であった。
 流石山に続く登山道をのぞき見ると、登山道に笹が倒れ込んでいて、雨具をつけないとずぶ濡れになる状態であった。雨も降っていないのにと天を仰ぎ、雨具のズボンだけを履いて歩き出した。高みに向かって一直線に登る急登が始まった。登山道脇の草原には、イワカガミやハクサンチドリの花が咲いているものの、他の花はまだのようであった。花の時期は7月に入ってからのようであった。急登を終え、緩やかに稜線をたどるようになると、流石山の頂上に出た。頂上といっても、稜線上の通過点といった感じで、三角点と山頂標識がなければ、それと知らずに通り過ぎてしまうといった感じであった。二度目であったが、印象の薄い山頂であった。雲がかかって、視界は閉ざされていた。
 流石山から下っていく道は、笹原の刈り払い直後のようで、足下に切り株がボキボキと音をたてた。笹が登山道を覆って、木に付けられた赤布を目印に方向を確認するような所も現れた。那須というと、登山者や観光客で賑わう山という感じが強いが、この一帯は、訪れる人はあまり多くないようであった。左手の谷間に向かって草原が広がり、花の時期には美しく彩られるように思えた。チングルマやシナノキンバイ、ムラサキヤシオの花が、霧の中で、一際鮮やかに浮かび上がっていた。小さな池塘を見て、これが五葉の池かと思ったが、少し先で、もう少し大きな本当の五葉の池があった。傾斜が増した登山道をひと登りすると、大倉山の頂上に出た。山頂には、三本の標識が立ちならんでいた。
 大倉山まで結構長く感じる道のりであった。三倉山をめざして、もうひと頑張りと足を進めた。緩やかに下っていき、左手に尾根を分けた小ピークの上に登り返すと、前方にピラミッド型をした三倉山が姿を現した。その左後ろにも、三角形のピークが顔をのぞかせていた。一旦下った後に、足を止めないように頑張る必要のある急な登りになった。頂上は、思ったよりも広く、台地状の広場に三倉山と書かれた標柱が立っていた。
 「三倉山は双耳峰で、すぐ北側に見える三角形のピークが三倉山本峰であるが、本峰までの道は藪で覆われている」とガイドブックには書かれていた。見ると、笹が被り気味であるがしっかりした道が北に向かって続いていた。ガスの切れ間から、先ほど奥に見えていた三角形のピークが姿を現していた。尾根づたいに緩やかに下って、僅かに登り返すと、ピークの上に出た。横に枝を広げた五葉松の間に、一ノ倉と書かれた看板が置かれていた。
 三倉山本峰にしては、どうも様子がおかしかった。稜線の先をうかがうと、その先しばらくはピークらしきものはないようであった。標高も、先ほど通過してきたピークよりは低いようであった。登山地図しか持っていなかったため、等高線から現在地を判断することが難しかったが、先程通過してきたピークが、三倉山本峰のようだという結論になった。唐沢山を経て上ノ坪に下山するコースに踏み込んでいるようであった。登山道は先にも続いており、この様子なら、上ノ坪からも歩いてこれそうであった。
 三倉山の標識があったピークに戻り、あたりを良く観察した。広場には三角点はないことから、1854.0mピークではなさそうであった。下郷町の標柱には、1854mと書かれていたが、1888mと白ペンキで訂正されており、黒羽山の会のプレートには1888m と標高が記されていた。どうやらここが三倉山本峰のようであった。帰り際に、手前のピークであたりを良く見回すと、三角点を見つけることができた。
 山頂の混乱は、大倉山と三倉山の呼び方の違いだけかと思ったら、標高にも混乱が生じているようであった。家に戻ってから写真をよく眺めてみると、大倉山に立てられていた三本の山頂標識のうち、二本の標高は1885m.。残りの一本は1831mと記されていた。地形図でも大倉山という表記は、あいまいな位置に置かれている。1831mなら東の肩部、1885mなら最高点部ということになる。ガスで視界が閉ざされており、現在位置を知ることが難しかったことはあるが、山頂標識に安心して、結局山頂の位置に疑問が残るという結果になった。
 三倉山まで、ほとんど休みをとらずに歩いてきたので、腰を下ろしてひと休みした。ガスは晴れるようで、なかなか消えてくれなかった。梅雨のさなかとあっては、これ以上を望むのは贅沢というべきか。静かな山頂で、ビールを飲み干した。花の写真を撮りながら、来た道を戻ることにした。五葉の池を過ぎたあたりで二人連れ、大峠への下りにかかるあたりで、10名程のグループに出会った。後のグループは、時間的にも流石山までのようで、三倉山まで歩く登山者は、それ程多くはないようであった。
 大峠への下りは、急な上に、笹に隠された登山道の中が抉られており、足下に注意が必要であった。
 大峠には、12時に到着した。地図を確認すると、三本槍岳に登ってから、鏡沼経由で下山するのに、時間は十分あるようであった。日本百名山巡りで三本槍岳は登っているが、おまけの百名山というのも悪くはなさそうであった。福島県の三本槍岳というのも、違う感じかもしれない。
 大峠から三本槍岳方面には、しっかりした登山道が続いていたが、なかなかの急登であった。午前中には、ガスが切れるかと期待される時もあったのだが、昼近くになって、あたりは暗くなってきていた。結局、登りの途中で、本降りの雨が始まり、雨具の上も着込むようになった。雨になると判っていたなら、欲張らずに大峠から下山していたものをと、内心ぼやきながら、登りを続けた。甲子山への縦走路に出たところで、右折して三本槍岳の山頂に向かった。
 三本槍岳の山頂は、雨の中とあって、二人連れが立ち休みしているだけであった。一等三角点の写真を撮ったりしていると、少し遅れて縦走の大荷物を背負った若者二人連れが、山頂に到着した。展望も無く、雨の中で座り込んで休むわけにもいかず、すぐに下山に移ることになった。大峠分岐に戻り、甲子山への縦走路に進んだ。登山道が大きく削られてできた段を飛び降りたり、ザレ場があったりと、歩きやすい道ではなかった。一気に高度を下げていくと、稜線の左下に沼が見えてきた。須立山手前の鞍部から鏡沼への道が分かれた。
 急な下りが始まった。涸れ沢状の窪地の中に登山道は続いていた。足下がザレ状で滑りやすく、ロープ頼りの下りになった。鏡沼はすぐ下に見えていたのだが、なかなか近づかず、次第に大きく広がるようになってきた。どうも距離感が狂って、遠くの大きな沼を、近くの小さな沼と勘違いしたようである。
 鏡沼は、周囲の木立や須立山のピークを水面に映し、雨粒が湖面に波紋を描いていた。沼を南に回り込むと、傾いた鳥居と祠が置かれていた。静かな沼は、伝説の舞台となっても不思議はなさそうな雰囲気であった。秘密めいた美しい場所であった。
 鏡沼入り口の看板には、次のような説明が書かれていた。
「鏡ヶ沼について
 沼は那須山系火山の爆裂火口にあたり、周囲は約450m、南北約160m、東西約110m、面積約0.87ha、深さ約17.8m、である。透明度が高く水生昆虫の他クロサンショウウオ・モリアオガエルが生息している。水面が鏡のようであることから「鏡ヶ沼」と呼ばれている。
 鏡ヶ沼には幾つかの神秘的な伝説がある。深い森の静けさと変わりやすい山岳の天候が伝説を育んでいるといえる。それぞれの伝説に共通することは、鏡ヶ沼の主が大蛇であるということである。
 これらの伝説を今に伝えてくれるものとして、鏡ヶ沼の畔には「鏡沼大明神」と刻まれた灯籠が立っている。また大峠への道と鏡ヶ沼への道の分岐点近くには「おせんが宮」という祠がある。これは鏡ヶ沼の大蛇にとりつかれた「おせん」という娘を供養したものと伝えられる。
 また、「鏡ヶ沼」や「おせんが宮」では、雨乞いのため笛や太鼓を打ちならし祈祷が行われたといわれている。
 下郷町」
 この沼の御利益は、雨乞いのようであるが、その霊験は身にしみて経験させてもらった。鏡沼から笹原の中を下っていくと、涸れ沢の中の下りになり、周囲にカラマツ林が広がるようになると、朝歩いた大峠への登山道に飛び出した。
 車に戻り、濡れた服を着替えてひと息入れた。食料の買い込みと温泉のために、どこに向かうか頭をひねった。会津田島方面に向かうと、温泉は会津高原駅前の滝の湯となるが、尾瀬のシーズンも始まって混んでいる可能性があった。会津若松方面に戻って、芦ノ牧温泉で温泉に入ることにした。
 温泉に入ってさっぱりし、食料も買い込んで、野宿のために翌日の大白森山登山口の甲子峠に向かった。甲子峠に上がるR.289は、国道にもかかわらず、甲子峠から先の栃木県側は不通の状態が続いているようであった。甲子峠までも、どのような道なのか不安があったが、だめなら二岐温泉に回って、小白森山から大白森山へと歩くつもりであった。ただ、歩く距離としては、甲子峠から小白森山を往復する方が短いことになる。R.289は、しばらくは二車線幅の立派な道が続いた。途中で通行止めという看板があったが、特にゲートもないので先に進んだ。谷間に入るあたりから未舗装の道に変わったが、普通車でも、段差に注意すれば問題のない道であった。薄暗くなった中、甲子峠に到着した。峠付近は切り通しになり、道の左右に大白森山と甲子山への登山道の入り口があった。峠から栃木県側の道は一車線幅となり、一般車通行止めの看板が立っていた。車10台程はおけそうな広場に車を停めて、ビール片手に夕食とした。すっかり暗くなったところで、一台の車が峠に上ってきた。同じく翌日の登山のための野宿かと思ったら、栃木県側に抜けるつもりとのことで、この先の道の様子を尋ねてきた。この先は通れないのではと答えると、困ったと言いながら、再び下っていった。登山のために、このような通り抜け不可能の峠で野宿をすることがあるが、かならず通り抜けようとして上ってくる車があることにはあきれてしまう。
 夜は、満天の星が出た。町の灯りは遠かった。
 大白森山への登山道は、切り通しの赤土の斜面を登って、尾根に上がることから始まった。登山道に倒れ込んだ草のために、露を頭からかぶる状態になったが、昨日の雨で濡れた雨具を着る気にもならず、太陽が出て乾くことを期待して歩き続けて。緩やかにブナ林の中を登っていくと、大白森山の山頂へと続く斜面の下に出て、ここからは涸れ沢の中の急登が始まった。ロープも掛けられており、両手を使っての登りになった。ひたすら高度を上げていくと、山頂の一角に到着した。左は小白森山への道で、まずは右折して大白森山の山頂をめざした。ひと登りで、大白森山の山頂に到着した。
 大白森山の山頂からは、360度の展望が広がっていた。ひと際目に付くのは、鋭く天に向かって突き上げる旭岳の姿であった。右肩にマイクロウェーブの反射板のようなものが建っているのが、少し目障りであったが、登頂意欲をそそる姿であった。三本槍岳がその左奥に広がっていた。北に続く稜線の先には、すっきりした三角形の山があり、それが小白森山のようであった。その左奥には、ひと回り大きな三角形の姿をした二岐山が並んでいた。二岐山の山頂は二つに分かれているが、ここからでは、二つのピークは重なってすっきりしたひとつの三角形に見えていた。遠くには、吾妻連峰や会津磐梯山、飯豊連峰が雲の上に浮かんでいた。
 大白森山の山頂中央には、標石が埋まっていたが、山と刻まれた主三角点であった。東隣に、同じ位の高さのピークがあった。ついでに登っていこうと思って踏み跡を進んでみたが、完全な藪漕ぎ状態であった。頭から木の葉に付いた水滴をかぶるのに閉口し、ルート的には難しくなかったが、東のピークは諦めることにした。
 分岐に戻り小白森山への縦走路に進んだ。かなりの下りの後に、なだらかな稜線の道に変わった。右手の谷間は伐採地が広がっているようであったが、笹原に覆われて、縦走路からは見えない状態であった。この縦走路は、一時期藪に覆われていた時期があったようであるが、1995年に整備されたという。実際に歩いてみても、藪が深いような所はなかった。
 小ピークをトラバース気味に進み、高みに上がると、二杯山という標識がかかっていた。あいにくと、展望は良くないピークなので、先を急いだ。登山道脇には、ブナ林が広がり、マイヅルソウやツバメオモトといった少し日陰の花が彩りを添えていた。続くピークの一杯山では、小白森山のピラミッド型の山頂が目の前に迫った。一旦下った後に、ひと頑張りの登りだなと、登山道を目で追った。小白森山の右手中腹に伐採道が刻まれているのが残念であった。
 急坂を登り詰めた小白森山の山頂は、奥に長く広がっていた。最初に出た広場には、主三角点があったが、山頂標識のようなものはなかった。その先に進むと、僅か先で、小白森山の山頂標識が掲げられた広場に出た。脇には三角点もあり、確かに山頂ではあったが、ここからの展望はなかった。むしろ手前の主三角点広場の方が、大白森山方面の展望が広がっていた。
 誰もいない静かな山頂であったが、食事をとるのも早いため、来た道を引き返した。一杯山に戻ったところで、名前にあやかって、一杯ひっかける必要があるかということで、ビールの栓を開けた。小白森山の山頂に流れるガスを眺めながら、朝酒を飲み干した。美味しいビールであったが、その後の大白森山への登り返しは、酔いが回って息がきれぎれになった。
 分岐から、涸れ沢をロープを頼りに注意深く下った。難所も過ぎて、のんびりと下っていくと、夫婦連れと、6名程のグループが登ってくるのに出会った。時間的には、これらの登山者が、小白森山までなのか、大白森山止まりなのかは判らなかった。
 露にずぶ濡れになって、それ以上の山歩きの意欲も失われ、再び芦ノ牧の温泉に入ってから、新潟に向かった。


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