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白鳥山、尻高山、麻尾山、高山
火打山、黒沢岳


【日時】 2001年5月26日(土)〜27日 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 26日:曇り 27日:曇り

【山域】 北アルプス北部
【山名・よみ・標高・三角点・県名】  
 白鳥山・しらとりやま・1286.9m・三等三角点・新潟県、富山県
 尻高山・しりたかやま・677.4m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/泊/親不知
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新潟花の山旅(新潟日報事業社)、アルペンガイド「立山・剣・白馬」(山と渓谷社)、山と高原地図「白馬岳」

【山域】 北アルプス北部周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】  
 麻尾山・あさおさん・706.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/泊/親不知
【ガイド】 なし

【山域】 北アルプス北部周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】  
 高山・たかやま・508m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/泊/親不知
【ガイド】 なし
【温泉】 海テラス名立ゆらら 735円 貸しタオル付き

【山域】 妙高山群
【山名・よみ・標高・三角点・県名】  
 火打山・ひうちやま・2462.0m・三等三角点・新潟県
 黒沢岳・くろさわだけ・2212.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/妙高山/妙高山、湯川内
【ガイド】 アルペンガイド「妙高・浅間・志賀」(山と渓谷社)、分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新潟花の山旅(新潟日報事業社)、山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)
【温泉】 杉野沢温泉苗名の湯 450円 貸しタオル付き

【時間記録】
5月25日(金) 21:00 新潟発=(北陸自動車道、親不知IC、R.8 経由)=23:55 道の駅越後市振の関 (車中泊)
5月26日(土) 5:10 道の駅越後市振の関発=(境橋、上路 経由)=5:40 坂田峠駐車場〜6:14 発―6:17 坂田峠―6:54 金時ノ頭―7:12 シキワリ水場―8:10 山姥道分岐―8:25 白鳥山〜8:50 発―9:50 ソキワリ水場―10:00 金時ノ頭―10:27 坂田峠〜10:32 発―11:06 尻高山〜11:26 発―11:53 坂田峠―11:55 坂田峠駐車場=(大平峠 経由)=12:26 麻尾山駐車場―12:30 麻尾山〜12:40 発―12:43 麻尾山駐車場=(グリーンパーク親不知 経由)=13:22 送電線巡視路入り口―13:29 第一の鉄塔―13:39 第二の鉄塔―13:42 第三の鉄塔―13:52 第二の鉄塔―14:00 高山〜14:04 発―14:10 第二の鉄塔―14:18 第一の鉄塔―14:24 送電線巡視路入り口=(親不知、R.8、直江津、R.18、妙高高原、杉野沢 経由)=19:30 笹ヶ峰 (車中泊)
5月27日(日)5:30 笹ヶ峰登山口発―6:18 黒沢橋―6:48 十二曲り上―7:45 黒沢岳下―8:24 高谷池ヒュッテ―8:42 天狗の庭―9:45 火打山〜9:58 発―10:37 天狗の庭―10:50 高谷池ヒュッテ―11:22 黒沢岳下〜11:27 発―11:55 黒沢岳〜12:00 発―12:18 黒沢岳下〜12:38 発―13:20 十二曲り上―13:45 黒沢橋〜13:53 発―14:30 笹ヶ峰登山口=(杉野沢、池の平、妙高高原IC、上信越自動車道、上越JCT、北陸自動車道 経由)=18:10 新潟着

 北アルプス北部の朝日岳から日本海の親不知までの27kmにわたって、さわがに山岳会の手によって、栂海新道が切り開かれている。白鳥山は、この栂海新道沿いにあり、北アルプス北端の最後の1000m級の山である。白鳥山だけをめざすには、林道が上がっている坂田峠から歩き出す登山者が多い。
 尻高山は、坂田峠の北に位置するピークで、縦走路最後の三角点ピークである。
 麻尾山は、北アルプス北部の朝日岳から日本海の親不知まで延びる栂海新道の最後の三角点峰の尻高山の東に位置する山である。頂上近くの大平峠まで、上路、親不知、橋立の三方向からの林道が上がってきており、山頂周辺は遊歩道が整備されている。
 高山は、北アルプス北端の尻高山の東隣にある麻尾山から北に延びる稜線上のピークである。山頂近くを送電線の巡視路が通過しているが、山頂までの道はない。
 火打山は、妙高連峰の最高峰であり、まろやかな円錐状の頂上を持つ女性的な山である。かつては死火山と考えられていたが、複式火山の妙高山と、活火山で現在登山禁止中の焼山の中間にあって、この山だけは火山ではないことが明らかになっている。火打山は、高山植物も豊富であり、高谷池ヒュッテや黒沢池ヒュッテといった小屋も整備され、笹ヶ峰から比較的容易に登ることができることから、人気の高い山になっている。黒沢岳は、笹ヶ峰からの登山道がこの山の下部を巻いており、また高谷池ヒュッテと黒沢池ヒュッテを結ぶ登山道が北隣の茶臼山を通過していながら、登山道の無い不遇のピークである。
 同じ県内といっても、上越方面の山は遠く、特に富山との県境線上にある白鳥山は、日帰りの山であるが、後回しになっていた。白鳥山は、いくつかのガイドブックに取り上げられている山でもあり、またいつか歩いてみたい栂海新道縦走の偵察という意味合いもあった。ここしばらく、車で野宿の山旅にも出かけておらず、少し遠出することにした。
 家をゆっくりと出たため、親不知に到着したのは、深夜になっていた。夜中であったが、親不知の栂海新道入口をまず確認した。栂海新道の入口には、ゲート風の標識がかかっていた。道路の反対側には、トイレと駐車場があった。縦走の際には、ここに車を置いておけそうであった。白鳥山登山口への林道の様子が分からないため、市振の道の駅で、その晩は寝ることにした。国道沿いのために、車の音がうるさかったが、まだ涼しい季節で車の窓を閉め切っていられるので、気にせずに眠ることができた。
 土曜日は、夜に雨という予報が出ていたが、明け方から朝が降り出し、明るくなった時には、小雨の止みかけの状態であった。ラジオを付けると、雷の騒音が入っていた。前線が早めに通過したようである。天気は回復しそうであったため、予定通りに白鳥山に向かうことにした。前の晩に親不知まで来てしまったために仕方がないという事情もあり、これが早朝発であったなら、白鳥山には出かけてこなかったはずである。
 境川を渡って一旦富山県に入ってから上路の集落をめざした。上路は、新潟県青海町に所属するが、新潟方面からは山越えをしないと入れない、変則的な場所にある。上路の集落から先の上路橋立林道は、舗装された良い道であった。尻高山の稜線が近づいたところで、右手に山姥線が分かれた。未舗装だが道幅は十分にあり、所々で轍が深い所に注意すれば、まずまずの林道であった。舗装道路に変わると、左の路肩に坂田峠駐車場という看板が立っていた。
 雨は止んだので、歩き出す準備をした。駐車場のすぐ先で、坂田峠へという標識に従って、左の登山道に入った。林道と平行に歩いていくと、すぐ先で、石仏の置かれた坂田峠に到着した。左右に横切るのは栂海新道で、昔の峠道は、さらに峠の向こうに続いていた。旧峠の右手脇に、林道が峠を乗り越しており、その向こうに栂海新道の入り口があった。
 坂田峠越えの道は、親不知が荒天で通れない時の、裏街道として使われていたという。上路という集落名も、上を通る道という意味から付けられたものと思われる。坂田峠の標高は、すでに600m程の標高があり、改めて昔の旅の困難さを思わずにはいられない。
 坂田峠からの登りは、金時坂と呼ばれる急坂で始まった。赤土の滑りやすい斜面で、各所にロープや金属製のステップが設けられていた。日帰り装備であるので歩き続けることができたが、縦走の装備だと、登りにしろ下りにしろ、休みながらの難所になりそうであった。金時坂を登りきったところが金時ノ頭であるが、木立に囲まれて見晴らしはなく、山名標識もなかった。
 金時ノ頭から僅かに下ると、残雪に埋まった谷間にでた。右手には、小高いピークが見えた。右に進んで残雪伝いにピークをめざすのか、左手の沢を下る方向に進むのか迷った。結局、左手に進むと、古いテープがあり、右手の斜面に登山道を見つけることができた。山の斜面を左に巻くようにトラバース気味に進んでいくと、左手から沢が上がってきた。登山道の右手にシキワリのテント場という標識の立つ、テントひと張りのスペースがあった。その先で、沢を埋める残雪の上に出た。対岸には登山道は見あたらなかったので、上流に向かって登っていくと、すぐ先で左手に登山道を見つけることができた。このシキワリ付近は、地形が複雑なために、残雪期には、コースを見失わないように注意が必要である。ガイドブックに書かれているシキワリ水場というのは、残雪に覆われた沢が、夏には水場になっているのであろう。
 この先は尾根沿いの登りが続いた。標高が上がるにつれて、残雪歩きが長くなってきた。左手には、犬ヶ岳からヨシオ山に至る長い稜線や青海黒姫山を眺めることができるようになった。登山道脇には、カタクリ、イワウチワ、ショウジョウバカマ、タムシバ、ミツバツツジの花を眺めることができるようになった。新潟の平野部では、すでに終わった花であるが、季節を遡って、再度のお花見になった。
 残雪の斜面では、少し急な所も現れた。靴底の柔らかいトレッキングシューズで、ピッケルも持たなかったため、少し危なっかしかったが、幸い危険な箇所はなかった。前方に白鳥山の緩やかな三角形をした山頂が姿を現すと、その上に建つ山小屋が目に入った。
 カタクリの花が登山道脇を埋める中を登っていくと、白鳥山の山頂に到着した。小屋の後ろの広場に三角点があった。広場は、木立に囲まれて、犬ヶ岳方面の眺めも、山頂付近が望めるだけであった。小屋の屋根を見ると、金属製のテラス風のものが取り付けられ、はしごが壁に取り付けられていた。登ってみようかとも思ったが、ちょっと危なっかしかった。小屋の二階の窓が展望台になりそうなので、小屋に入ってみることにした。小屋は新築で、内部はきれいであった。二階の窓からは、犬ヶ岳から黒岩山に至る稜線を眺めることができた。その先の朝日岳方面は、雲に隠されていた。かなりのアップダウンがあり、やはりそうたやすくはない縦走路のようであった。犬ヶ岳付近の稜線にはびっしりと雪がついており、しっかりした雪に対する装備がないと先には進めそうになかった。
 ひと休みした後に、白鳥山の山頂を後にした。日帰り山の白鳥山は、登ることができた。栂海新道の白鳥山は、いつ登る機会が来るのであろうか。
 下りの途中、地元の人らしいグループに出会った。シキワリに下りると、登りの時に迷った分岐には、立ち入り禁止のロープが張られていた。5月の第4日曜日が山開きとのことで、登山道沿いの標識の整備をしているようであった。おかげで、ちょっと迷いかけたが、静かな山歩きを楽しむことができた。この日の登山者は、20人程のようであった。
 坂田峠に戻り、今度は尻高山に向かった。金時坂とは反対に、ブナ林の中の緩やかな登りが続いた。前方に高く見える稜線が横たわっていたが、これは東に枝分かれする稜線で、尻高山への縦走路は、肩を通過していた。西に方向を変えながら緩やかに下っていくと、尻高山に到着した。登山道脇の小広場には、石仏と三角点が置かれていた。木立に囲まれて、展望のない山頂であった。北アルプス最北端の三角点峰であるが、栂海新道の縦走者は、このピークまでやってきてどう思うのだろうか。おそらく、尻高山の山名標識を見てホットするであろう。次には、日本海までの距離を考えて最後のひと頑張りと言い聞かせ、足早にこの山頂を通過していくに違いない。休んでいる間に、このピークを訪れる者はいなかった。
 車に戻って、上路橋立林道から麻尾山に向かった。尻高山の西で、栂海新道を横切ることになった。結局、栂海新道は、その末端部で林道が二回横切ることになる。タクシーを呼ぶ誘惑に打ち勝つのも、日本海まで歩き通すための試練のひとつであろうか。
 麻尾山の西の十字路にはあずまやが設けられ、周辺の案内図が掲げられていた。それによると、この峠は、大平峠と呼ぶようであり、麻尾山の北に駐車場があり、遊歩道が整備されているようであった。北に回り込む未舗装の林道に進むと、僅かさきで広場があり、遊歩道が山頂方向に設けられていた。車の走行も可能な砂利道を登っていくと、僅かな歩きで最高点に到着した。遊歩道が設けられ、麻尾山展望台とかかれていたにもかかわらず、木立に囲まれて、展望は無く、山頂標識も見あたらなかった。三角点を探して、周辺の藪を覗き込むことになった。遊歩道の整備によって、三角点は亡失の目にあったかなとおもうころ、山頂広場の登り口から見て左の藪の中に三角点を見つけることができた。歩いているよりも三角点探しの方に時間のかかった山であった。
 大平峠から親不知に下る途中の林道沿いに、高山というピークがある。地図を見ると、山頂のすぐ北側を送電線が通過しており、この巡視路を使えば、僅かな藪漕ぎで山頂に至ることができそうであった。林道を横切る送電線に注意しながら車を走らせた。送電線の下を過ぎた先に広場があったので、車を停めた。細い沢が落ち込む脇に、106〜110という番号の書かれた標識が立てられた巡視路があった。もうひと頑張りということで、高山に登ることにした。
 しっかりした巡視路が続いていた。尾根沿いにひと登りすると、最初の鉄塔が立っていた。周辺は伐採地になっており、植林のための道であったのかと危惧したが、その先にもしっかりした道が続いていた。水の流れていない沢にも橋が架けられ、利用者不明のしっかりした整備状態であった。急坂のつづら折りの登りを終えると第二の鉄塔にでた。その先の傾斜は緩やかになり、高山の北側の尾根を横切っているようであった。山頂へのとっかかりが見つからないままに、山の下り斜面にかかる第三鉄塔下まで進んでしまった。巡視路を戻り、最高点と思われる所で、藪に突入した。灌木の枝が絡まったひどい藪で、5m程進んだところで、作戦の変更となった。第二鉄塔の下には、沢が通っており、この沢形は山頂近くまで通じているようであった。鉄塔の奥から沢に下ってみると、水は流れておらず、藪もほとんど気にならない状態であった。沢を登っていくと、四角い井戸のような人工的な穴があけられていた。昔の炭焼き場の水場でもあったのだろうか。山頂方向には、木の間隔のあいた雑木林が広がるようになった。歩くのには支障はないので、山頂を目指すことにした。念のために赤布を付けながら登っていくと、台地状の高山の山頂に到着した。天然杉と植林されたと思われる杉の混じった雑木林であった。この山には三角点はないので、最高点と思われる場所を踏んで、登頂ということになった。読みがうまく当たった登山であったが、巡視路脇の密生した藪はなんであったのか疑問がわいてきた。
 親不知まで下って、この先はどうしようと考えていると、雨が降りだして、この日の登山は終わりになった。雨で気持ちがなえてしまい、このまま家に帰ろうかと迷うながら車を走らせた。途中で温泉に入ると元気を取り戻し、雨も止んで、やっぱり日曜日も山に登ろうかという気持ちになった。夜には間があったので、妙高に向けて一般道を車を走らせた。笹ヶ峰で夜を過ごし、明日は、笹ヶ峰周辺の山か、火打山でも登ろうかという予定であった。
 笹ヶ峰の大駐車場の片隅に車を停めて寝た。雨の予報が出ていたため、テントは張らなかったのだが、結局雨は降らないですんだ。登山やアウトドアシーズン前ということもあって、停めてある車は数台であった。
 起きるとすぐに、火打山登山口に、車を移動した。登山口には、10台程のスペースしかなく、登山シーズンには、笹ヶ峰の駐車場から歩くことになる。もっともそれ程の距離ではないんだが。雲に切れ間がある、まずまずの天気の朝であった。火打山に登ることにした。
 火打山には、登山を開始した91年の秋に登って以来で、10年経過ということになる。台風一過の展望に恵まれ、紅葉の山を堪能したことは覚えているが、記憶はかなり薄らいでいる。登山道沿いには、木道が整備され、路肩には土色のネットが被されて、土砂の流出を防いでいる所もあった。以前には無かったものだが、最近の登山者の増加によるものか。緑の濃い森を緩やかに登っていく道が続いた。残雪が所々に現れるものの、ほとんどは木道上の歩きであった。
 いいかげんにあきた頃、黒沢に到着した。5m位の雪の斜面をおっかなびっくり下った。沢には、立派な橋がかかっていた。2000年11月発行の「分県登山ガイド新潟県の山」には、「倒木の上を渡り」とあり、橋が架けられたのはつい最近のことである。以前の黒沢は、苔のついた岩の間を沢水が流れ、写真の撮影スポットにもなっていた。1995年の洪水によって、沢は荒れて、現在では大きな岩が転がる中を勢いよく水が流れるというふうに景観が変わっていた。
 沢を渡って、尾根の左に回り込むと、いよいよ十二曲りの急登が始まった。以前は、この登りで苦労した覚えがある。残雪で埋まった沢をからむようなつづら折りの登りが続いた。残雪部の傾斜はあったものの、雪が柔らかくてキックステップが入りやすいため、そう危険な所はなかった。意外に早く、30分程で、十二曲りの上に出ることができた。しばらくは痩せ尾根の登りが続き、岩が露出して、高く足を上げなければならない所もあった。
 傾斜が緩やかになり、山の斜面が広がると、樹林帯の中の雪原の登りが始まった。木にペンキマークが所々付けられ、残置テープもあるものの、念のために赤布を付けながら登ることにした。
 樹林帯を抜けると、所々にオオシラビソが点在する雪原に出た。左手に小ピーク(2062m)を見る鞍部で尾根にのった。地図をよく見ると、富士見平の黒沢池との分岐とは、違った所を歩いているようであった。この先は尾根沿いに、黒沢岳めざして進んだ。なだらかな雪原が広がって気持ちの良い所であったが、それだけに、ガスで視界が閉ざされると怖そうであった。正面には、黒沢岳の山頂が、三角形の美しい姿を見せていた。登山道の無い山であるが、山頂近くまで雪がついており、今なら簡単に登れそうであった。標高も2212.4mもあり、見逃すには惜しいピークであった。帰りに寄ることにした。振り返ると、高妻山から乙妻山に至る山塊が、高く聳えていた。火打山も左手に姿を現した。山頂部を雲が流れており、展望は望めそうになかったが、贅沢は言わないことにしよう。右手には、三田原山が横に長く広がっていた。
 黒沢岳の下からは、高谷池ヒュッテも近くに見えたが、この先は緊張のトラバース道になった。雪の斜面に付けられた踏み跡を慎重に辿った。ストックだけでもなんとかなったのだが、滑落防止のためにはピッケルを取り出すべきであったろう。帰りはピッケルを使うことにした。谷底まで急斜面が続いており、滑落したなら止まりそうにはなかった。茶臼山の南西の基部に下り、少し登り返してオオシラビソの林を抜けると、高谷池ヒュッテの裏手に出た。
 高谷池は一面の雪原で、池の中央部からパイプで水が引かれていた。小屋周辺には、ベンチが雪の上に出ていたが、周辺は冬景色であった。登山標識も雪の下なのか見あたらず、地図で次の目標の天狗の庭の方向を見定める必要があった。中央部は、池に落ちるおそれがあるため、左から巻いて、緩やかな雪原を登った。緩やかな尾根を乗り越すと、前方の窪地に、コバルトブルーの水面をわずかに覗かせた、天狗の庭の上にでた。先方には火打山の山頂が姿を見せていた。秋の紅葉に彩られた天狗の庭も美しかったが、雪に覆われ、静まりかえった天狗の庭の姿は、残雪期ならではのものであった。右手前方の稜線めざして、雪原を横切った。雪原には、何本かのルート旗が残されており、倒れていたものも起こして、雪に刺しなおしておいた。後で、この数少ないルート旗のお世話になるとは思わなかった。
 火打山から南東に延びる稜線に乗ると、夏道が現れていた。鬼ヶ城の岩壁を見ながら登っていくと、少し急な雪原の登りが現れた。下山してくる登山者ともすれ違うようになったが、これらは、高谷池ヒュッテ泊まりの人達で、空身で往復していた。ピッケルを持っている人はほとんどいなかった。緩やかな尾根道を辿っていくと、土砂の流出防止の柵が設けられた急斜面に出た。滑らないように、雪にステップをけり込みながら登った。ガスの中に入って、視界が閉ざされてしまった。山頂までどれくらいか判らないため、余計に辛い登りになった。もっとも、快晴の前回も、この最後の登りはきつかった覚えがある。
 火打山の山頂は、雪が消えて、三角点や石仏が姿を現していた。風は冷たく、さすがに2462.0mの標高だけのことはあった。ガスに覆われて、展望のない山頂であった。前回は、富士山まで見える快晴だったので、この山のお天気運は使い果たしてしまったのかもしれない。山頂から少し下がった灌木の中でひと休みした。
 登りの時よりもガスが濃くなってきて薄暗い感じになってきた。下りを急ぐことにした。雪原の下りでは、ピッケルを取り出した。足早に下っていくと、ひょっこり稜線からの下降点に到着した。雪原に下り立ったが、視界は20m程であろうか。先行者の足跡から外れないように細心の注意を払う必要があった。途中で出会ったルート旗に、感謝一杯であった。尾根を乗り越して緩やかな下りを続け、小屋はどっちだろうと不安になったら、目の前に小屋があった。高谷池から天狗の庭付近は、ガスに巻かれると恐ろしいことを身をもって体験した。いつか残雪期に来る時は、ルート旗を用意してこよう。
 黒沢岳のトラバースに向かうと、ガスは上がり始めていた。どうやら一番ひどい時に、ガスの中を動いていたようである。再び、注意を払いながら、トラバース道を辿り、黒沢岳の南の基部に出てひと息ついた。あっという間に晴れ間が広がり、高谷池ヒュッテや黒沢岳の山頂が姿を現した。天候に心配がないなら、黒沢岳に登らないという手はない。
 雪原を登り、山頂手前で藪に入った。笹原が広がり、稜線部には、はい松とシャクナゲが密生していた。下からは、藪漕ぎ僅かで山頂のように見えていたのだが、実際の山頂は、藪尾根をさらに辿った先であった。灌木の枝をかき分け、またぎ越す遅々とした藪漕ぎであった。右手に雪堤があったので、下りてみたものの、数メートルで、再び稜線の藪に追い返されてしまった。黒沢岳のトラバースを避けるため、黒沢岳を越して茶臼山に抜ける登山者がいて、踏み跡はあるかと思ったのだが、予想は外れた。ようやく最高点に到着したが、雪が小高く積み重なって、三角点を確認することはできなかった。眼下には、黒沢池の湿原が、一面の雪原となって広がり、黒沢ヒュッテも目に捕らえることができた。正面には三田原山が大きく、オオシラビソの林が、箱庭のように広がっていた。登山道があれば、20分程で登ることのできる展望ピークであるのに、もったいないことである。
 黒沢岳基部に戻り、ビール片手に昼食をとった。太陽も顔をだし、ビールも美味しい陽気になってきた。雲の切れ間から青空も顔をのぞかせてきた。火打山や焼岳、金山を眺めながら、富士見平に向かった。下っていくと、先行のグループに追いついた。テープの回収もあって追い越すことはできなかったのだが、尾根に移るあたりで、道を見失っているのに追いついた。こちらも引きずられて道を見失いそうになったが、残置テープで正しいコースに戻ることができた。自分たちでは、テープは付けないで歩いているようであった。
 後の尾根道は、残雪からも解放され、問題のない道であった。十二曲りを下って、黒沢でひと休みした。後は、笹ヶ峰まで下るだけであったが、長く感じる道であった。山の上は、冬景色であったが、麓では、新緑がまぶしく輝いていた。


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