0130

三俎山


【日時】 2001年5月19日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り後雨

【山域】 二王子山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】  
 三俎山・みつまないたやま・708.4m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新発田/菅谷
【ガイド】 下越山岳会のホームページ、鈴木眞さんの記録

【温泉】 聖籠観音の湯ざぶーん 700円 タオル類付き

【時間記録】 5:55 新潟発=(R.7、新発田、R.290、菅谷、五斗蒔 経由)=7:15 小出林道ゲート〜7:31 発―7:41 林道分岐―7:48 林道終点―8:13 沢分岐―8:19 稜線分岐〜8:24 発―8:59 419.1mピーク〜9:04 発―9:39 421mピークの見晴らし〜9:44 発―10:36 600m屈曲点の見晴らし―11:02 三俎山〜11:37 発―11:55 600m屈曲点の見晴らし―12:48 421mピークの見晴らし―13:33 419.1mピーク―13:57 稜線分岐―14:03 沢分岐―14:29 林道終点―14:34 林道分岐―14:43 小出林道ゲート=(五斗蒔、R.290、加治、紫雲寺、聖籠、R.7 経由)=17:30 新潟着

 三俎山は、2.5万分の1地形図「菅谷」の石川川上流部にある猿ヶ城岩の北にある708.4m三角点ピークである。地図には名前は載っていないが、藤島玄氏の飯豊連峰大地図には、三俎山と名前が記載されている。三俎山は、二王子岳から三光山、黒石山、ガラク峰と北に続く稜線から西に派生した稜線上に位置している。地形図では、五斗蒔の集落から三俎山に向かう稜線の途中まで破線が記載されているが、稜線部には三俎山まで踏み跡が続いている。

 下越山岳会のホームページを読んでいて、三俎山という知らない山の報告が掲載されているのに目がとまった。二王子岳から北に延びる稜線一帯は、登山の空白地帯となっており、その中にあって、三俎山に登ることができるという話は興味深かった。この三俎山の話を鈴木眞さんに話したところ、2000年9月23日に、さっそく登ってきてその報告をもらったが、人をそそのかしておきながら、自分自身は登る時期を逸して、そのままになっていた。新緑の季節となったが、まだ草もそれほど繁茂していないはずということで、気にかかっていた三俎山に出かけることにした。
 菅谷不動尊を過ぎた所から、五斗蒔の集落をめざしたが、少し判りにくく、道路地図を良く見る必要があった。五斗蒔の集落を過ぎ、小出林道に入ると、僅か先でゲートが閉められていた。少し戻った所の空き地にスペースを見つけて車を停めた。周辺には、5台程の車が停まっていたが、登山者のものではなく、山菜採りのもののようであった。
 林道を歩いていき、小出川を左岸に渡ると林道は二手に分かれた。右の林道に入り、谷間が開けた所で、林道は終点になった。谷の奥に見えるのが419.1mピークのようであった。まだ若い杉の植林地を進んでいくと、沢の分岐にでた。右手の尾根から山菜採りのグループが下りてきた。ワラビ採りのために大勢が山に入っているようであった。山菜採りと間違われたので、山登りと告げると、けげんな顔をされた。三俎山や要害山(419.1mピーク)という名前も知らないようであった。心配そうな顔に見送られて歩き出した。
 二俣の左の沢に進んだ。水量はほとんどなく、沢歩きのために長靴を履いてきたのだが、登山靴でも十分であった。虫が飛び、落ち葉の溜まった陰気な沢であった。沢の中と岸辺とをいったりきたりしながら登り続けた。事前の情報では、3m程の滝が現れ、それを越したところからヒドを伝って右岸尾根に取り付くとあった。水量が少ないので変だなと思い始めたところで、すぐ左上に稜線が近づいていることに気づいた。
 歩きはじめの二俣では、右の沢に進まなけらばならないことに気がついた。山菜採りとの話で気がそれてしまい、良く確認しないままに歩き始めたのが失敗であった。
 沢の分岐に出て、左の沢を伝えば、ひと登りで尾根上に出ることができそうであった。戻ることも考えたが、まずは尾根の上に出てから考えることにした。幸い、尾根の上は藪も薄く、うっすらと踏み跡も続いていた。東側には平行に尾根が走っており、419.1mピークから北に延びる尾根にいることが判った。このまま登っていけば、沢に挟まれた中尾根と合流し、山頂へ向かうことができるはずであった。
 歩くのには支障はないとはいえ、踏み跡はかすかなため、念をいれてテープを付けながら登った。中尾根と合わさると、一旦僅かな下りとなり、その後は、尾根沿いの急な登りが続いた。左手の窪地にカモシカが姿を見せ、警戒音なのか、鳴き声をあげていた。山頂に近づいたところで、ビニールテープの列が現れた。右手の沢から登ってきたようであるが、のぞき込むと、かなりの急斜面のようであった。その先は、そう遠くない距離で、419.1mピークの山頂に到着した。
 419.1mピークへのコースは、左の沢沿いでも、足場の悪い急斜面もなく、問題なく登ることができることが判った。沢に挟まれた中尾根も歩けそうで、沢歩きを避けるルートとして使えるかもしれない。
 419.1mピークの山頂は、木立に囲まれて展望は無かった。藪が刈り払われて、三角点が頭を出し、かたわらに主三角点の標石が転がっていた。この419.1mピークは、藤島玄氏の飯豊連峰大地図には、要害山と記載されているが、土塁や空堀といったような遺構は見あたらず、後で下越山岳会の小林さんから、五斗蒔要害山は別のピークであることを聞いた。このピークは、419.1mピークと呼ぶに留めた方が良さそうである。なお、三角点の点名は上石川で、西に隣り合う四等三角点268.76mは石川山と呼ばれるので、上石川山と呼ぶことができるかもしれない。
 三俎山方面に向かってははっきりした道が続き、ビニールテープも短い間隔で付けられていた。もとは赤いビニールテープだったようであるが、すっかり色が落ちてしまっていた。小さなアップダウンが続いた。のんびり歩いていくと、421mピークに出て、その下り斜面の縁からは、展望が広がっていた。三俎山がようやく姿を現した。地図をみると、まだかなりの距離があり、気合いをいれて歩く必要がありそうであった。二王子岳も残雪を残した姿を見せていた。
 一旦下った後に、長い登りが続いた。三俎山の山頂部には、小出川の源頭部の大沢が深く入り込んでいて、それを回り込むために、距離が長くなった。藪の木立からは、毛虫が糸をはいてぶる下がっており、休んで体やザックをみると、何匹もくっついていた。もっとも、毛虫にとってみれば、人間こそがとんだ侵入者であったに違いない。
 600m地点の尾根が大きく方向を変えるところで、再び展望が大きく開けた。山頂まであと僅かになり、二王子岳も迫ってきた。尾根は痩せて、コースは見失いようもなかったが、荒い刈り払い道となって、枝をかき分けながらの歩きになった。
 ようやく到着した三俎山の山頂は、三角点の周りが刈り払われていたが、藪に囲まれていた。三角点の脇に立つ木には、金属プレートの山頂標識が掛けられていた。20m程藪をかきわけて山頂の縁に進むと、展望が開けていた。二王子岳からガラク峰を経て北に延びる稜線が目の前に広がっていた。三俎山からそのジャンクションピークの796m峰までは、そう遠くはない距離であった。もう少し早く、残雪を利用できる季節なら、二王子岳まで歩けそうであった。左手には、風倉山が大きく、その右手には杁差岳が姿を現していた。
 腰を下ろして、ビール片手に、山の眺めを楽しんだ。次第に、空模様がおかしくなってきたので、昼食を食べ終えたところで下山にうつることにした。
 600mの展望地まで下る頃には、風が吹き始め、二王子岳は雲に覆われていた。周囲は夕暮れ時のように薄暗くなり、踏み跡を見定めるのにも注意が必要になった。421m展望地手前の鞍部めざして下っていく途中で、本降りの雨が始まった。雨具を着ていると、雷が鳴り始めた。雷は近くにも落ちたようで、身をすくめて、しばらく様子をみることになった。寒冷前線の通過による雷雲のようであったが、翌日新聞を見ると、近くの新発田や加治の町中に雷が落ちて被害があったようである。
 雨具を付けての藪こぎは、よけいに疲れた。419.1mピークまで戻り、ひと息ついた。419.1mピークからの下りは、雨のために、草が倒れ込んだりして、踏み跡を見分けることは難しくなっていた。幸い、念を入れてテープを付けてきたので、問題なく下ることができた。塗れたテープをほどくのに時間がかかったが、これはしかたのないことであった。沢まで下ると、後は迷子にはなりようもない道であった。沢には水もほとんど流れておらず、増水の心配もなかった。
 車に戻り、乾いた衣類に着替えてほっとした。帰り道に、これまで入ったことのなかった聖籠観音の湯ざぶーんに入り、山の汗とほこりを流した。
 

山行目次に戻る
ホームページに戻る