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谷川連峰から巻機山縦走


【日時】 2001年5月3日(木)〜5日(土) 2泊3日 (テント泊)
【メンバー】 L 室井武雄、高井文夫、白石晃、斉藤賢治、田辺克子、岡本明
【天候】 3日 曇り、29日 晴、30日 晴

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 本谷山・ほんたにやま・1930m・なし・新潟県、群馬県
 大烏帽子山・おおえぼしやま・1819.6m・三等三角点・新潟県、群馬県
 檜倉山・ひぐらやま・1744.3m・三等三角点・新潟県、群馬県
 柄沢山・からさわやま・1900.3m・三等三角点・新潟県、群馬県
 米子頭山・こめごかしらやま・1796.2m・三等三角点・新潟県、群馬県
 巻機山・まきはたやま・1967・なし・新潟県     
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/茂倉岳、巻機山
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、越後の山旅下巻
【温泉】 六日町温泉 龍氣別館 650円

【時間記録】
5月3日(木) 5:30 新潟発=(関越道、六日町IC、R.291、清水 経由)=7:50 桜坂=8:30 清水〜8:50 発―9:37 追分〜9:54 発―10:45 徒渉点〜11:16 発―12:21 鉄塔―13:55 巡視避難小屋―14:17 トラバース道分岐―14:59 冬路ノ頭―15:20 清水峠 (白崩避難小屋泊)
5月4日(金) 6:05 清水峠発―8:16 本谷山(ジャンクションピーク)〜8:30 発―9:43 大烏帽子山〜10:00 発―11:13 檜倉山〜11:40 発―13:43 柄沢山〜14:09 発―14:40 越後越路 (テント泊)
5月5日(土) 6:00 越後越路発―7:00 米子頭山〜7:10 発―8:42 栂ノ頭〜8:58 発―9:09 縦走路分岐〜9:19 発―9:31 御機屋―9:53 前巻機山〜10:35 発―12:14 桜坂=(往路を戻る)=16:10 新潟着

 谷川連峰と巻機山を結ぶ国境稜線は、朝日岳の北側の本谷山(ジャンクショウンピーク)に始まり、大烏帽子山、檜倉山、柄沢山、米子頭山といったピークを連ねて、1700〜1900mの高度で続いている。利根川源流部の展望コースであり、二つの山域を結びつける縦走路としても興味深いコースである。この縦走路は、昭和三十五年に抜開されたが、現在では荒廃し、残雪期にもっぱら歩かれるコースになっている。
 室井さんとは、昨年の五月の連休にも南会津のブナ沢山から窓明山への縦走を行った。今年の連休は、昨年秋の谷川連峰縦走と越後駒ヶ岳から荒沢岳縦走を引き継ぐ形で、谷川連峰から巻機山への縦走を行うことになった。
 連休前半の矢筈岳で消耗した体力が回復していないことに加えて、腹具合が悪いという、体調不調での参加になった。先の山行と中二日おいての出発は、山の道具を揃え直すだけでも、あわただしかった。
 落ち合う場所は、巻機山登山口の桜坂駐車場であった。清水の集落から先の除雪は完了しており、広い駐車場を半分ほど埋める車が停まっていた。スキー客や登山者、山菜採りが入り交じっているようであった。到着からほどなく、室井さん一行も到着した。私の車を置いて、白石さんの車に乗り込み、清水の集落に戻った。清水街道は、無雪期における車の到達地点の追分けまでは無理としても、少しは入れるものと期待していたのだが、清水の集落外れで残雪のために通行禁止になっていた。これでは、国道291号線という名前が泣くというもの。今日の予定は、清水峠までで、時間には余裕があるので、林道歩きに少々時間が取られても問題は無かった。
 道路の大部分は残雪が覆っており、路肩の土の現れた所を選んで歩いた。二泊分の装備となると、やはり重くなってしまい、肩に食い込んだ。路肩にはフキノトウが頭を出しており、室井さんと白石さんは、山菜採りモードに入ってしまった。30分程歩くと追分に到着した。その先で、沢沿いに下るところを水平に歩いて杉の植林地に入ってしまい、しばらく後で、河原近くを通っている国道めざして、崖の斜面を下ることになった。国道歩きなのだが、道を外さないように、十分注意する必要がある。十五里尾根取り付きへの 徒渉点付近は、川幅が広くなって、ケショウヤナギが生える美しい河原になっていた。釣り師が川に入って、竿をふるっていた。
 この 徒渉点には橋は無く、夏には簡単な丸太橋がかかっているだけである。今回の懸念の一つが、ここの 徒渉であった。途中で追い越した鉄砲撃ちのグループから、橋は無いがワイヤーがかかっていることを聞いた。 テープやペンキマークのある徒渉点付近を探したが、丸太橋のようなものは見あたらなかった。春先の増水で流されてしまったようである。かわりに、二本の太いワイヤーが上下二本渡されているのに出会った。どうやら、このワイヤーの上を横歩きして越すようであった。川の水量は、浅い所を選べば膝上程で、渡れないことはなさそうであったのだが。室井さん他の男性陣は、さっそくワイヤーに捕まって簡単に対岸に渡ってしまった。田辺さんと私は、渡る自信がなかった。ハーネスを付けて、ワイヤーにカラビナを通して確保したうえで、空身で渡ることになった。渡ってみると、確保のおかげで転落のおそれは無かったものの、中央部ではワーヤーが沈み込んで、ショリンゲが引っ張られ、カラビナを手で動かさなければならないようになった。ワイヤー渡りでは、中央部で沈み込むことを予測して、シュリンゲの長さをうまく調整する必要があるようである。室井さんは、二人の荷物を運ぶために、何往復もすることになってしまった。感謝である。ひとまず、第一の難関を突破してひと息ついた。
 十五里尾根の取り付きは急斜面で、夏道の上にのっても、沢のトラバースがあったりして油断がならなかった。夏道を辿るのはあきらめ、ほどほどの傾斜の雪の斜面を見つけて、早めに尾根の上に出ることになった。尾根の上の藪は薄く、歩く者も多いようであった。しばらく登ると、夏道が尾根に上がってきた。その先の尾根は、急な登りが続いた。登山道の脇には、イワウチワが咲き、季節の移り変わりを感じさせてくれた。登るにつれて展望が開け、マッターホルンにたとえられる大源太山の鋭鋒が、右の谷奥に姿を現すようになった。左手の谷向こうには、これから歩く巻機山に至る稜線が続いているはずであったが、雲に隠されていた。その山肌には、旧国道跡が、うねうねと刻まれていた。
 送電線の鉄塔下まで登ってひと休みになった。この後は、先の鉄塔まで登って休むという繰り返しになった。送電線と分かれ、トラバース道分岐に近くなったところで、痩せた雪稜が現れた。左右は谷に向かって切り落ちており、幅の狭い雪稜の上を慎重に渡る必要があった。前の人の踏み跡を外さないように、おそるおそるの一歩ずつであった。
 トラバース道は、沢の横断があるため、尾根をそのまま登って冬路ノ頭をめざすことになった。慰霊碑のある小広場まではしっかりした道が続いていたのだが、その先で道を見失った。左手の雪の斜面に続いているのかと思って、その上部まで登ってみたが、踏み跡は見つからなかった。そうたいした距離ではなさそうであったため、腰ほどの笹を漕いで、ピークをめざすことになった。幸い、直にピークの上に出て、縦走路が雪の消えた稜線に続いていた。
 冬路ノ頭から下っていくと、霧の中から、送電線監視所が姿を現し、清水峠に到着した。時間的にも行動はここまでとなり、白崩避難小屋に泊まることになった。
 白崩避難小屋に入ってひと休みしていると、女性の二人連れが到着した。蓬峠から登ってきて、明日は同様に巻機山を目指すという。白毛門から登ってきた環状縦走の単独行が、もう少し先まで歩いて幕営するといって、小屋を通過していった。さすがに谷川連峰とあって、残雪期にも多くの登山者が入っているようであった。
 採ってきたフキノトウも入れた焼き肉で、贅沢な夕食になった。小屋に余裕があるため、かえって肌寒く、湯たんぽを作ってから寝袋に潜り込んだ。
 二日目の朝、ガスがかかってあまり見通しのきかない中を歩き始めた。縦走路の入り口になる本谷山(ジャンクションピーク)までは、標高差500m近くの登りになる。ちょっとした山をひとつ登る勘定である。朝からいきなりのアルバイトになり、途中で数度の休みを入れながらの登りになった。ガスのために、周囲の様子が分からず、頂上かと思うと、単なる尾根の張り出しということが続いた。分岐の標識に見覚えのある本谷山(ジャンクションピーク)に到着して、大休止になった。
 以前、清水峠から朝日岳を往復した時に、おそるおそる覗いた縦走路にいよいよ足を踏み出すことになった。前に見た時は、藪に覆われたか細い踏み跡が続いていたが、なだらかな雪原が広がっていた。気持ちの良い下りになった。縦走路を通して、稜線の西側は雪が消え、東側に雪堤が広がっていた。雪の上を歩けずに稜線上の藪にのると、細々とした踏み跡を見つけることができた。最初の1790mピーク(地蔵の頭)を越し、しばらく登りを続けると、最初の目標地点の大烏帽子岳に到着した。山頂の雪は融けて、三角点が現れていた。地図と照らし合わせると、快調に距離をかせいでおり、少し気が楽になった。ガスも上がり始め、利根川源流の山々が姿を現し始めた。
 大烏帽子からは大きな下りになり、鞍部から緩やかに登っていくと檜倉山に到着した。檜倉山の台地状の山頂は背の低い笹原が広がり、池塘が雪の間から姿を現していた。振り返ると、ピラミッド型をした大烏帽子岳が頭を天に向かって突き上げていた。ここまでの歩きで、先行者がいることに気がついていたのだが、三名グループと女性の単独行が休んでいるのに追いついた。昼食の時間になったので、この山頂で大休止になった。
 次の柄沢山への登りは、鞍部から標高差にして350mあり、一番の頑張りどころになった。巨大な雪庇が発達していたが、割れている所もあり、稜線の藪を掻き分けて登るところも現れた。息がきれて、休みを取りながらの登りになった。ようやく山頂と思ったが、そこは肩で、しばらく進んだ先に実際の山頂が頭をもち上げていた。最後の登りはそう長くはないが急斜面になり、突き刺したピッケルの他に片手も雪面に添えての登りになった。
 柄沢山の山頂に立ち、これで一日の行程の大部分を終えることができ、ひと息つくことができた。後は、1809mピークまで下って、適当な幕営地を探すだけであった。山頂の中央部の藪に三角点を探したが、角が丸くなった主三角点があるだけであった。この石柱には柄沢山のプレートが掛けられていたので、本当の三角点と間違えている者が多いのであろうか。
 1809mピーク付近は、雪原が広がって、幕営には良さそうな場所であった。結局、もう少し先に進み、1820mピーク(井頭山)手前の鞍部の越後越路で幕営することになった。その晩、1809mピーク周辺には、4パーティーが幕営した。夕食にかけては、お酒も飲んだが、燃料もたっぷりとあったため、雪を溶かして湯を沸かしては、お茶を何杯も飲んだ。
 翌朝は、快晴の朝になった。テントを撤収してパッキングをしなおすと、食料が減ってザックの重さもめっきり軽くなっていた。雪は締まっていたため、歩き出しはアイゼンを履くことになった。
 井頭山への登りは、アイゼンが雪面に食い込み、気持ちよい登りになった。井頭山の頂上から、朝日に照らされたすがすがしい山の眺めを楽しんだ。巻機山は近づき、振り返れば、柄沢山が大きなピラミッド型の山容を見せていた。藪の出た小ピークを越すと、次は縦走路途中の最後のピークの米子頭山になった。もっとも、米子頭山は、縦走路上で標高差はほとんどないため、東に大きく尾根を張り出していなければ、目立たないピークであった。米子頭山からの下りは藪が出ており、雪も柔らかくなったため、アイゼンは外すことになった。
 米子頭山からは一旦150mの大きな下りになったが、雪原が続き、歩きやすかった。鞍部からは、いよいよ巻機山に向かっての標高差320mの登りになった。巻機山は山が大きく、水平距離があるだけに傾斜もそうきつくはなかった。痩せた尾根を藪漕ぎで通過すると、尾根が広がった。スキーゲレンデを思わせる広大な雪原の登りになった。頭上に見える米栂の林めざして、黙々と足を運んだ。
 登り着いた所は、巻機山手前の台地で、ここが栂ノ頭のようであった。風が吹き出し、巻機山の稜線をガスが流れていた。ここまで来れば、巻機山に到着したのと同じこと。縦走路を振り返り、歩いてきた道筋を目で辿り、腰をおろして体を休めた。ずいぶんと長く歩いてきたものだ。巻機山に始めて登ったのは、登山を始めた年の秋であったが、まさかこの縦走を歩くようになるとは思っていなかった。この先は、どのような山に続いているのだろうか。
 足は重くなったとはいえ、ひと頑張りで、縦走路入り口の標識脇に出た。軽装の登山者が、重装備の我々に興味の目を向けていた。最後に一本残ったビールを回し飲みして、縦走路の踏破に乾杯した。ようやく谷川連峰と巻機山を結ぶことができた。さらに越後三山まで結ぶことができないかと夢は膨らみ、北に向かう稜線を眺めた。
 御機屋からは、眼下に見える避難小屋めざして、雪原を一気に下った。無雪期には、階段状の登山道が整備されて歩きにくい所であるが、残雪の上を、大股で駆け下りることができた。避難小屋は、屋根の部分が掘り出され、二階から出入りできるようになっていた。
 前巻機山の上で、お湯も沸かして大休止をした。目の前には、残雪をまとった巻機山が大きく広がっていた。昨年の秋に見た草紅葉の山とは違った美しさがあった。前巻機山で休んでいると、大勢の登山者が到着したが、スキーを持っている者が多かった。
 前巻機山の下りは、一部夏路を辿るところもあったが、ほとんどが雪道で、下りのスピードは上がった。下っていくにつれ、ブナ林の緑が濃くなっていった。五合目を過ぎた井戸の壁と呼ばれるあたりでは、木の枝につかまりながらの、急降下になった。夏路の尾根通しとは違うコースであったが、テープや足跡が沢山残されていた。泥んこの登山道に悩まされるようになると、麓は近づき、桜坂の駐車場に到着した。麓は緑が濃くなり、初夏を思わせる陽気になっていた。メンバーに助けられ、長い縦走路を無事に歩き通すことができた。
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