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弥彦・多宝山


【日時】 2001年4月21日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 弥彦山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 多宝山・たほうざん・633.8m・一等三角点本点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 田ノ浦コースについては無し

【時間記録】 7:40 新潟発=(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、角田浜、R.402 経由)=8:40 田ノ浦〜8:52 発―9:02 ゲート―9:40 鎖場―10:11 明神沢立坑―10:27 弥彦スカイライン―11:00 多宝山〜1:27 発―11:45 尾根下降点―12:14 三角点〜12:18 発―12:25 露岩―12:50 林道―12:56 ゲート―13:04 田ノ浦=(往路を戻る)=14:10 新潟着

  弥彦山は、越後平野の日本海際に、角田山や国上山と共にひとつの山塊を作る山である。山頂は、越後一宮として名高い弥彦神社の奥の院の置かれた弥彦山と、一等三角点の置かれた多宝山のふたつのピークに分かれている。
 弥彦山の山頂部には、弥彦スカイラインが通じているが、この道路の開削によって、日本海から通じていた山道は、寸断されたり、工事用土砂による土石流のために、荒廃してしまったという。地図にも記載されている田ノ浦からの道は、かつて銅山があったことから間瀬銅山道と呼ばれるが、最近歩く者が多くなって、道もしっかりしてきたという。弥彦山の道については、もう少ししっかりと歩いてみる必要があると思っていた。4月始めに登ったばかりであるが、中国旅行の前日で遠出はできないため、この道を歩きに出かけることにした。
 田ノ浦温泉のトーコー白石の脇をかすめて裏手に進むと、林道開ノ木平線の起点部となり、その手前に駐車場があった。林道は通行止めとあったので、ここから歩き出したが、徒歩10分程先のゲートまで車を進めることができた。この林道入り口には、林道開ノ木平線の案内図が立てられていたが、弥彦山の山腹を大きく横切って、だいろ坂に通じているようであった。弥彦山山頂部のアンテナ群が意外な程近くに見えた。
 林道を歩いていくと、右手に廃屋があり、その先にゲートがあった。その手前の広場には、10台程の車が置かれていた。途中で追い抜いた車の夫婦連れが歩き出す準備をしていたが、他の車は、山菜取採りのものも混じっているようであった。右手の沢をのぞくと堰堤があり、現在地を確認することができた。
 ゲートを越すと、林道は左に大きくカーブし、登山道は、沢沿いにそのまま直進するように続いていた。堰堤の工事用道路であったのか、広い道であった。道端には、キランソウ、タチツボスミレ、シロバナノヘビイチゴ、イチリンソウ、ヤマザクラが次々と現れ、花を楽しみながらの歩きになった。堰堤に出会ったところで、左岸沿いの山道が始まった。
 沢沿いに登っていくと、右上に向かって何本かの踏み跡が分かれた。その一本に引き込まれて登ってしまい、引き返すはめになった。沢に戻って少し遡ると、対岸にはっきりした道が続いていた。沢の横断点を見逃したようである。それにしても、分かれる踏み跡はどうしてできたのであろうか。
 右手に岩の上を流れる滝が現れた。滝の左に鎖やロープが掛けられて、山道が続いていた。滝の上で右手の尾根に向かってコースは方向を変えた。地図で、コースが西に曲がる所の下が鎖場のようである。尾根の一段下を緩やかに登っていく道が続いた。道の脇をよく見ると、雪割草の葉をそこかしこに見つけることができた。花の盛りには、雪割草の花を楽しめそうなコースであった。トキワイカリソウやエンレイソウ、ミヤマキケマンの花も眺めることができ、写真を撮りながらのんびりと登り続けた。コースは、涸沢を渡しながら左方向に向きを変えていった。地図に書かれているのと同じようなコースを辿っているようであった。尾根から一段下がったような道が続き、傾斜も結構きつくなった。
最後は、山頂駐車場と銅山トンネルとの中間部で、弥彦スカイラインに飛び出した。分岐は小広場になっているが、登山者用の標識はなかった。道路の起点からの距離を示す10.0と書かれた黄色い杭が脇に立てられているのが、目印になろうか。
 弥彦山の山頂部での中高年ハイカーの賑わいに対し、山頂の大駐車場と観光施設は、人影もまばらで閑散としていた。これならば、登山道を整備した方が人を呼べるのではないだろうか。弥彦の頂上へはロープウェイも通じており、弥彦スカイラインの役割については、疑問を持たざるを得ない。
 4月8日に弥彦山の山頂に登ったばかりなので、多宝山を目指すことにした。駐車場からは、田ノ浦と崖松を良く眺めることができた。海岸線の白波ははっきりと見え、佐渡島も横に長く広がっていた。観光で登った時に何度も眺めたことのある田ノ浦の風景であったが、歩いて登ってきた登山口として見下ろすのは始めてであった。
 ここまでの登山道沿いには、今月初めにはあれほどあったカタクリの花もすっかり姿を消していたのだが、大平の丘から多宝山の山頂への登りにかけては、群落が広がっていた。多宝山の山頂は、5名のグループが賑やかに宴会をしていたので、少し戻って、眺めの良い小広場で昼の休憩にした。休んでいる間に数名の登山者が通り過ぎていったが、土曜日の昼間の登山者としては多くはない。春になって、もう少し高い山に誘われているのだろうか。春の陽気のもと、海の境は空に溶け込んでいた。
 下りは、宝川右岸の尾根を辿ってみることにした。最後は、消えるものの、途中までは踏み跡が続いているとの情報を得ていた。一旦弥彦スカイラインに下りて、車道歩きで、下降点のカーブ地点に進んだ。カーブ地点は、工事用の販場になっていたが、その後ろに回ると、尾根沿いにはっきりした踏み跡が続いていた。左右の枝が体に触れるものの、歩くには支障の無い状態であった。最初の460mピークに登ると、右方向にもかすかな踏み跡があったが、ここは左の踏み跡に進んだ。尾根沿いには、サイゴクミツバツツジの花も咲き始めており、季節の移り変わりを感じさせてくれた。二番目のピークを越し、三番目のピークが三角点ピークになった。点名「弥彦」の四等三角点で、新しい標石であった。俗称は「行道」なので、行道山と呼ぶことができるだろうか。行道山は、栃木県の修験道の山が有名であるが、その他にも全国には幾つかあるようである。このピークから右方向にもかすかであるが踏み跡があり、地図と磁石で方向を見定める必要があった。
 尾根道を下っていくと、露岩が現れ、角田山方面の眺めが広がった。その先で、踏み跡は左右に分かれた。右手のものの方が新しいが荒い切り開きであった。おそらく林道開ノ木平線に下るもののようであったが、登山口に近い左の道に進んだ。急斜面の下りになった。所々青いテープも付けられていたが、登山道整備に伴うコース指標ではなく、個人的なもののようであった。そのうち、テープも見あたらなくなり、踏み跡も消えてしまった。ただ、藪は深くはなく、どこでも歩けるといった状態なので、心配はいらない下りであった。そのうち、前方にゲート広場の車、右手に林道も見え始めた。林道の方が近いので、右手に方向を変えて下っていくと、林道に下り立つことができた。
 林道を歩いてすぐに、登山道の分岐に出て、ゲートに戻ることができた。
 田ノ浦コースからの登山道は、花も多そうで、静かな山を楽しむことのできる穴場的なコースと思われた。ただ、宝川右岸尾根は、最後は道が不明になるので、初心者は来た道を戻るのが無難であろうか。

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