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大戸沢山、船窪山、大山


【日時】 2001年4月15日(土)〜16日(日) 1泊2日(テント泊)1
【メンバー】 峡彩ランタン会会山行 16名
【天候】 15日 晴、夜雨 16日 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大戸沢山・おおとさわやま・874.1m・三等三角点・新潟県
 船窪山・ふなくぼやま・911m・なし・新潟県
 大山・だいやま・918.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/御神楽岳/室谷
【ガイド】 
【温泉】 御神楽温泉みかぐら荘 500円

【時間記録】
4月14日 6:30 新潟発=(新津、五泉、馬下橋、R.49、上川 経由)=8:20 かやぶきの里〜9:17 発―9:27 尾根取り付き―10:20 460mピーク〜10:35 発―13:13 大戸沢山  (テント泊)
4月15日 7:50 大戸沢山発―8:35 船窪山〜8:45 発―9:37 大山〜10:00 発―10:41 船窪山〜12:00 発〜12:22 40mぴー12:38 発―12:48 アンテナ―13:56 794mピーク手前下降点―14:20 室谷=(御神楽温泉入浴後往路を戻る)=18:10 新潟着

 川内山塊の東の境界は、室谷川によって区切られている。室谷川の左岸には、中の又山にはじまり、駒形山、太郎山、大方山、鍋倉山と続く稜線が連なっている。大戸沢山と船窪山は、太郎山と大方山の間に位置し、地図には山名が記載されていないピークである。また、大山は、船窪山から北東の早出川に向かって延びる枝尾根上のピークである。それぞれの山頂は、ひろびろとした円頂で、矢筈岳や五剣谷岳を中心とする川内山塊核心部や御神楽岳の絶好の展望台になっている。
 久しぶりに会山行に参加させてもらった。当初の予定では、会越国境の東岐山ということであたが、林道の除雪が進んでいないために、大戸沢山に計画が変更になった。東岐山といっても、特別の思いがあるわけではなく、まだ登ったことのない山というだけのことであったので、これも未知の山である大戸沢山でもまったくかまわなかった。それほどの期待感を持って登った訳ではなかったのだが、山頂からの川内山塊の素晴らしい眺めは、忘れられないものになった。
 室谷に向かう途中で見た菅名岳や五頭山塊の雪はすっかり少なくなっていた。新潟周辺の桜も、この週末が盛りになるようであった。雪の量が気にかかるところであるが、津川から上川に向かうと、途端に残雪も多くなった。
 室谷の「かやぶきの里」の広い駐車場で車を下りた。冬も室谷通いを続ける佐藤さんの話では、冬の間もこの駐車場まで除雪されるとのことであった。二軒並んだかやぶき民家のうち、一軒は郷土資料館で、もう一軒は宿泊可能とのことであった。ダムの建設で移転した室谷の集落は、新しい立派な家が建ち並んでおり、このかやぶき家屋のみが、昔の生活を忍ばせるものになっている。一同が出発の準備をしている間に、下山地点の室谷の集落に車を一台回送した。
 ひさしぶりの泊まりの装備は、重たく感じた。ピッケルは念のために持ったが、ワカンやアイゼンは必要ないとのことであった。歩き出すと、すぐに、右手に室谷洞窟が現れ、そこから未舗装の林道が始まった。
 沢を越したところで、沢の右岸尾根に取り付いた。しばらくは藪を掻き分けての登りが続いた。荷物が重いのと同時に大きなザックが枝にひっかかるので、余計に体力を消耗した。山中泊の藪漕ぎ山行も、昨年10月初めの越後駒ヶ岳から荒沢岳への縦走以来ということになる。辛かった思いも消えて、藪漕ぎがなつかしく思われる。左岸尾根が合わさる沢の源頭部はスラブとなって切りおち、川内山塊ならでの険しい姿を見せていた。歩き始めということもあるが、苦しい思いをして最初の目標点の460mピークに到着した。背後には、逆光に霞んでいるものの、御神楽岳が大きな姿を現しはじめていた。左岸尾根を眺めると、痩尾根が連続し、通過は難しそうであった。
 続く470mピークからは、一旦50m程の下りになった。頂稜部は密藪のために、左の斜面に逃げたが、木の枝を掴みながらの下りは、短い区間であったが、体力を消耗した。下りの途中からは雪を使うことができ、鞍部を越えてその先の雪面に取り付くことができた。一段上がった450mの台地は、ブナ林に囲まれた気持ちの良い場所で、食事のための小休止になった。山頂はこの上で、あと400m程登ればよく、そう急ぐ必要はなかった。天気も良く、のんびりした気分になった。この上からは、雪の斜面が続き。雪も適度に締まって、キックステップが気持ちよく入った。傾斜が少しきついところもあったが、ピッケルを取り出すほどのこともなく、ダブルストックですますことができた。山頂直下で雪が大きく割れていたが、うまく脇をすり抜けることができた。
 大戸沢山の山頂は、台地状になって,、東西二つのピークに分かれていた。三角点の置かれた東のピークはブナ林が広がり、その間から川内山塊の山が顔をのぞかせていた。佐藤さんの知り合いが、単独行で船窪山からまわってきたのに出会った。眺めの良い西ピークで幕営することになり、先に進んだ。
 大戸沢山の西峰からは、太郎山が目の前に聳え、その右手に矢筈岳が鋭い山頂を見せていた。その右手には、割岩山がいかつい姿を見せ、五剣谷岳から銀太郎山、銀次郎山へと長く稜線が続くのを眺めることができた。名前が知られていないのが不思議に思われる素晴らしい展望の山であった。大戸沢山の名前は、地図には記載されておらず、点名は「大戸ノ沢」という。どこかで、ノの字が落ちてしまったようである。
 夜は天気が崩れるという予報が出ていたので、雪のブロックを積み上げてからテントを張った。大所帯のため、ジャンボテント二張りに4人用一張りが立てられ、宴会と食事は二班に分かれて行った。隣のテントに競い合うかのように、賑やかな宴会になったが、周りに人はいるわけでもなく、迷惑顔をしたのはカモシカくらいのものであったろう。夜になってから、天気予報通りに雨が降り始めた。
 ぐっすり眠り、朝を迎えた。雨は上がって快晴の朝になった。昨日大戸沢山に到着した時は午後の逆光になっていた川内山塊の山々が、青空をバックに朝日に輝いていた。太郎山は、目の前に聳えていたが、大戸沢山から続く尾根からは雪がほとんど落ちて、山頂近くは急斜面になって、通過は困難に見えた。その右手の矢筈岳は、谷から一気に立ち上がり、鋭い山頂を天に向かって突き上げていた。矢筈岳はその名前の通りに双耳峰である。最も一般的な展望地である光明山からの眺めでは、確かにそのように見えるのだが、大戸沢山からのピラミッド型の姿は美しかった。川内山塊の盟主に相応しい眺めであった。憧れと不安の思いが交互するままに、矢筈岳に見入った。いつの日かあの頂に。しかし、私の手におえる山なのだろうか。割岩山に五剣谷山といった川内山塊の秘峰も、朝日に輝きながら目の前に広がっていた。二万五千分の一地図の「室谷」では、この大戸沢山が最初の山になったのだが、それぞれの山を眺めることのできるさい先の良いスタートとなった。
 ゆっくりと朝食を採り、テントを撤収した。ビールの重さが減って、ザックも少し軽くなり、船窪山へ向かう足取りも軽やかであった。
 右手には、御神楽岳が大きく、その右手には日尊の倉岳と狢ヶ森山が並んでいた。当初の計画の東岐山はどのピークかという話になり、足を止めて、山岳同定に興じた。いずれにせよ、室谷からだと相当な距離があり、やはり林道が開いてからの山のようであった。青空に浮かぶ遠くの白い山は、未丈ヶ岳や会津朝日岳周辺の山のようであった。稜線にはブナ林が続き、所々で雪が割れて藪漕ぎになったものの、快適な歩きが続いた。
 船窪山からは、荷物を置いて、空身で大山に向かうことになった。上村さんは、船窪山で待つことになった。船窪山の西斜面は二重山稜のように二本の尾根が走り、その間の窪地にはブナ林が広がっていた。山の名前も、このような地形に由来しているのかもしれない。急斜面の雪原をカカトのキックを入れながら一気に下った。窪地と尾根沿いの二つのグループに分かれたが、どちらが早いかという状態になって、最後は走っての競争になった。鞍部付近は雪堤が割れて藪漕ぎも現れた。稜線通しには、かすかではあるが踏み跡があり、鉈目も多く残されていた。大山への登りにかかると、再び一面の雪原が広がるようになった。傾斜はあったが、荷物がないだけに楽で、休まずに登り続けることができた。
 大山は、「だいやま」と呼ぶようで、上村さんは、見晴らし所のことであろうと言っていた。この山は、地図には山名が記載されておらず、三角点名は、「容ヶ谷」である。容ヶ谷は、北側を流れる沢の名前である。容には「と」とふりがなが添えられているが、そうは読めない。
 大山の山頂は、奥に広い台地状であった。先に進むと、目の前に、遮るもののない川内山塊の眺めが広がった。矢筈岳も少し形を変えて、双耳峰に見え始めていた。五剣谷岳から銀太郎山、銀次郎山に至る稜線は、目の前に迫っていた。早出川の右岸には、鍋倉山と日本平山が並んでいた。その奥に見えるのは菅名山塊であろうか。遠くの山に出かけたつもりが、意外な近さに馴染みの山を眺めることができた。一同、展望に見入り、記念写真に余念がなかった。この会山行に参加しなければ、まず訪れることはなかった山頂であったろうが、大戸沢山と並んで素晴らしい展望の山であった。いくら山に登っても、魅力のある山は尽きないようである。
 船窪山に戻って、大休止になった。お酒や食料も昨晩で尽きたかと思ったら、どこからか出てきて、楽しい昼食になった。暖かい日差しに照らされ、雪の表面が輝いていた。
 下りは、794mピーク手前から室谷に下ることになったが、上村さん他の一部は、840mピークからの尾根を下るとのことで、二つの班に別れた。所々で稜線の藪に入ると、踏み跡も前よりははっきりしてきたような感じであった。840mピークからの尾根は、痩せており、途中で藪も出ているようであった。次の小ピークには、アンテナが立てられていた。テレビ用のものだとすると、室谷の集落のものだが、このピークから延びる尾根は大巻沢に下っている。この尾根か、これから下る794mピーク尾根経由で、ケーブルの保守道があるのだろうか。
 794mピーク手前から室谷の集落に向かう尾根を下った。広い尾根にはブナ林が広がり、山スキーにも良さそうな斜面であった。先を急ぐのがもったいなくなり、ブナ林の中で小休止をした。途中で尾根が分かれるので、それなりに注意は必要であったが、内沢に落ち込む斜面の縁に沿っての下りを続けた。417mピークの手前で、右前方に広がる杉林に進んだ。南に向かってから少し東に方向を変えると、林道に飛び出した。すぐ左手に堰堤の設けられた沢が落ち込む地点であった。この林道は地図には記載されていないが、大巻沢の奥に続いているようである。林道のゲートを越した所に除雪センターがあり、その前の広場に車が置いてあった。
 運転手が車を取ってかやぶきの里から戻ってくると、別働隊も下山しており、一同が集合することができた。御神楽温泉で二日間の汗を流してから帰宅の途についた。
 地図に名前は無くとも、なになに名山という肩書きはなくとも、大戸沢山と大山は、良い山であった。このような山を紹介してくれたリーダーの佐藤一正さんに感謝である。

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