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4月8日 弥彦山
4月9日 大蔵岳〜菅名岳


【日時】 2001年4月8日(土)〜9日(日) 1泊2日(各日帰り)
【メンバー】 8日 12名 9日 10名
【天候】 8日 晴 9日 晴

【山域】 弥彦・角田山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 妻戸山・つまとやま・585.6m・三等三角点・新潟県
 弥彦山・やひこやま・634m・無し・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/弥彦/弥彦
【ガイド】 裏参道、八枚川コースについてはなし
【温泉】 馬下保養センター 400円(4人部屋4000円)

【山域】 菅名山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大蔵岳・おおくらだけ・864.3m・三等三角形・新潟県
三五郎山・さんごろうやま・910m・なし・新潟県
菅名岳・すがなだけ・909.2m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村松、馬下
【ガイド】 分県登山ガイド「新潟県の山」(山と渓谷社)、新潟花の山旅(新潟日報事業社)
【温泉】 村松さくらんど温泉 700円 貸しタオル付き

【時間記録】
4月8日(土)6:30 新潟発(新新バイパス、新潟西バイパス、R.116、県道新潟・寺泊線、経由)=7:30 てまりの湯〜8:30 発=(観音寺、猿ヶ馬場、野積、西生寺、R.402、分水 経由)=9:00 手まりの湯=(観音寺 経由)=9:10 八枚川登山口〜9:30 発―11:06 妻戸山―11:20 弥彦山〜13:00 発―14:00 西生寺―14:13 登山口駐車場=(観音寺、てまりの湯、三条、湯田上、五泉、馬下 経由)=18:00 馬下保養センター  (泊)
4月9日(日) 6:40 馬下保養センター=(R.290 経由)=6:50 大蔵岳登山口駐車場〜7:20 発―7:32 旧駐車場―7:40 階段コース登山口―8:37 四合目〜8:50 発―9:49 大蔵岳〜10:05 発―10:26 三五郎山―11:10 菅名岳〜12:19 発―13:02 椿平―13:24 尾根下降分岐―13:30 沢道―13:48 林道終点―14:12 旧駐車場―14:23 大蔵岳登山口駐車場=(R.290、さくらんど温泉、村松、五泉、新津、R.403、茅野山、R.49 経由)=17:10 新潟着

 弥彦山は、越後平野の日本海際に、角田山や国上山と共にひとつの山塊を作る山である。山頂は、越後一宮として名高い弥彦神社の奥の院の置かれた弥彦山と、一等三角点の置かれた多宝山のふたつのピークに分かれている。弥彦山への登山道としては、弥彦神社からの表参道と、日本海側の西生寺からの裏参道が良く利用されているが、中部北陸遊歩道の整備に伴い、西に延びる尾根沿いの妻戸コースが整備された。

 菅名山塊は、蒲原平野の東端に阿賀野川と早出川に挟まれ、五頭山塊と川内山塊の中間に位置する山塊である。北より鳴沢峰、菅名岳、910ピーク(三五郎山)、大蔵岳と頂稜を連ねている。美しいブナ林、酒の仕込み水として有名になったどっぱら清水など、手頃に自然と親しむことのできる山である。菅名山塊には、多くの登山道が整備され、周遊コースをとることもでき、下越地区における人気の山のひとつになっている。
 
  春のお花見ツアーを、インターネットの友人のトントンさんが開催することになった。計画を立ち上げた時は、まだ冬のさなかで、今年の雪の量や花の開花時期など不確定要素が多かった。日程の都合もあって、4月の第二週に開催ということになったが、結局、今年の大雪のおかげで、花の盛りに巡り会うことができた。
 弥彦・角田山塊のカタクリや雪割草の花の時期は、おおよそ4月1日頃が盛りで、その週末は、山は大賑わいとなる。最近は、新潟周辺だけでなく、関東方面にも知られるようになって、ハイカーの団体も訪れるようになってきている。弥彦山の雪割草を見に訪れたことはあるが、この時期は残雪の山で忙しい時期でもあり、花盛りの状態は見ていなかった。丁度良い機会と、花の期待を膨らませた。
 お花見ハイクの計画段階では、角田山も候補に上がって迷うことになった。弥彦山と角田山を比べると、弥彦山は観光の山、角田山はハイキングの山というイメージが一般的である。角田山の桜尾根の雪割草は有名になって、花の時期には相当な混雑になるとも聞いている。それに対して、弥彦山の八枚川コースと西生寺コースは、花が咲くにもかかわらず、地元以外には知られていないようである。弥彦山の方が穴場とも考えられ、静かに花を見ながら歩くことのできるこのコースで、お花見ツアーを開催することになった。
 土曜日は弥彦山、その晩は馬下保養センターで宴会、日曜日は大蔵岳から菅名岳への残雪歩きという盛りだくさんの計画で、参加者もその日毎の入れ替わりもあってのべ16人という盛況になった。
 土曜の朝は、下山口への車の配送をまず行うために、国上山の麓のてまりの湯の駐車場に集合した。車4台で西生寺にむかい、3台の車を置いてくることになった。観音寺から八枚川登山口を見送り、山越えをして西生寺に着いてみると、手前の林道分岐部に登山者用の駐車場が設けられていた。山の斜面を切り開いたもので、上下に5段ほど重なっているが、中が狭いために、車の回転を考えるとそれほどの台数は停められそうもなかった。結局、下山時には、路上駐車の列が続いていた。えび太さんの車で、今度は野積経由で戻る途中、てまりの湯直前で、皆集まったので八枚川登山口に直接向かうようにという指示が入った。電話を切ると手まりの湯に到着して、皆がいた。
 八枚川登山口の混雑も気になって、挨拶もそこそこに、登山口に移動することになった。予想に反して、八枚川登山口に停まっている車は多くはなく、スペースも残っていた。弥彦山の登山道というと、弥彦神社からの表登山道がほとんどで、その次は西生寺からの裏参道。八枚川登山口からの妻戸尾根は、北陸自然歩道として整備されたものの、宣伝がされていないために、まだ知られていないようである。それとも急登が続くために、敬遠されているのだろうか。
 弥彦山登山の参加者は12名。初対面の人が多くて、貧弱な私の頭の内部メモリーには、名前を覚え込ませることができない。妻戸尾根は、いきなり急登で始まる。快晴の日になって、気温も高く、汗が噴き出してきた。先週の、東京でも雪が降った寒さが嘘のように思われた。厚着をしてきた人もいて、冗談の種になってしまった。
 登山口の駐車場周辺にもカタクリの花が咲いており、花への期待は膨らんだ。岩混じりの急な尾根を終えて、周りに雑木林が広がるようになると、カタクリや雪割草の花が現れた。後になって思えば、最初に出会った付近の花は、そうたいしたことはなかったのだが、さっそく皆カメラを取り出して撮影に興じた。登山道は急で、一気に登り続けるのも大変なので、写真撮影でたびたび足が止まるのも丁度よい息抜きになった。途中の茅場付近ではキクザキイチゲも現れ、その上部で見事な雪割草のお花畑が広がった。カタクリと雪割草は混じって生えているところが多いが、カタクリ一面の斜面もあった。雪割草の方が花の時期は少し早いようなので、南向きの日当たりの良い斜面では、雪割草は終わってカタクリだけの群生地になっているようであった。
 雪割草は、オオミスミソウとも呼ばれ、富山から新潟、山形の日本海側に生育する野草である。日本に生育するミスミソウ属(Hepatica)には、この他にスハマソウ(本州の神奈川県から太平洋側の岩手県に分布)、ミスミソウとケスハマソウ(西日本に広く分布)がある。オオミスミソウは、変異性が強く、自生しているものでも、ひと株ごとに花の色や形が異なっている。新しい花を作り出しやすいために、園芸品種として最近人気が高まっている。今年の1月には、「NHK趣味の園芸 雪割草」という本も出版されている。雪割草の里や雪国植物園などでも雪割草を見物することができるが、裏山が自生地であるため、人気が高まるにつれて盗掘が問題になるのではという懸念がある。
 暖かい日差しに照らされた雑木林の林床に、白やピンク、紫の花が、固まりになって散らばっていた。一面の枯れ草色の中で、春の色が一際映えて見えた。花弁の色や形だけではなく、雄しべや雌しべの色・形の組み合わせによって、ひと株ごとに違った花のように見える。ひとつずつ見ていて飽きない花である。夢中になって、カメラのシャッターを何度も切った。デジカメのため、いくら撮影してもフィルム代はかからない点はありがたい。
 のんびりと登っていくうちに、背後の雨乞山も低くなっていった。天気が良すぎて、遠くの風景は春霞の中であった。妻戸山の少し手前から、登山道上にも残雪が現れるようになった。雪をビニール袋にとって、山頂で飲むビールを冷やした。裏参道に合わさってからは、雪融けの泥んこ道をひと登りで、弥彦山の山頂に到着した。
 さっそく、一同で記念撮影を行った。山頂は意外に空いており、奥の院の前の一角に陣取って座り込んだ。一週前のトントンさん一行は、寒くてレストハウスで食事をとったというが、暖かい日差しに包まれて、のんびりと休憩することができた。
 下山は、分岐から西生寺への裏参道に進んだ。雑木林に囲まれた尾根を下ると、弥彦スカイラインの脇に出るが、再び雑木林の中の下りになる。裏参道にも、雪割草の群落が広がっていた。関東方面の山であったなら、高級一眼レフを取り付けた三脚が立ち並ぶところであろうが、そのようなカメラマンの姿は見あたらなかった。あいかわらず見事な群生なのだが、皆の足も止まらなくなってきた。むささびの宿を通り過ぎると、スカイラインの横断点となる。例年だと、4月1日がスカイラインの開通日であるが、今年は一週遅れの今日が開通日になった。通る車も多く、注意して渡る必要がある。
 巨大化したキクザキイチゲを見ながら下っていくと、山の斜面にはカタクリの群生地が広がるようになった。カタクリにも見飽きたという雰囲気で、足を止めることもなく下っていくと、西生寺に到着した。ここからは、ひと歩きで車を置いた駐車場に戻ることができた。
 天候と花の盛りに恵まれて、雪割草のお花見ツアーとしては大成功の結果になった。今後、これ以上の山行はちょっと叶わないのではというのが、唯一の問題点であろうか。
 てまりの湯で、日帰り組とは別れて、馬下に向かった。五泉で、食料の買い込みをして、トントンさん一行愛用の讃岐うどん屋で夕食をとった。馬下温泉保養センターは、何度も日帰り入浴はしているが、泊まるのは初めてであった。4人部屋で4000円と安く、登山の際の宿としてもお勧めである。
 遅れて到着のメンバーも到着して、夜の宴会の開幕となった。夜が更けても宴会は停まる様子もなく、11時過ぎに強制終了がかけられた。その夜は爆睡し、誰かの携帯電話の目覚まし音で、翌朝ようやく目を覚ますことができた。
 前夜の飲み疲れもあり、時間通りに出発するのに、いささか慌ただしい朝になった。朝帰りのメンバーと別れを告げて、大蔵岳登山口に向かった。いずみの里を過ぎたほんの先に新しい駐車場ができて、林道にはゲートが下ろされていた。20台ほどの車で、駐車場はすでにほぼ埋まっていた。大蔵岳登山から参加の人もいて、改めて自己紹介を行った。
 前日の弥彦山登山では、長靴を履いたが、この日は、革製の登山靴で歩くことにした。冬の間は、プラブーツで通したので、ひさりぶりの登山靴の感覚である。
 杉林の中の林道を歩いていくと、10分ほどで、以前の駐車場に到着した。林道をそのまま進み、どっぱら清水への林道を左に分け、橋を渡った少し先に階段コースの登山口がある。大蔵岳へは、林道の終点から取り付くコースもあるが、この階段コースを登ることにした。出だしには階段が設けてあるが、すぐに杉林の中の尾根通しの登りが始まる。見通しもなく、歩き始めということもあって、苦しい登りになった。尾根に沿ってテープが付けられているが、それは冬用のもので、夏道はジグザグにつけられている。この日も暑く、薄着になる必要があった。二合目を過ぎる頃から、登山道上にも残雪が現れるようになった。杉の植林地が終わると、周囲にブナ林が広がるようになった。幹の回りには、雪融けの穴が大きな円を描いていたが、新緑の季節にはもう少し間があるようであった。尾根の傾斜も次第に緩やかなって、あたりの風景を眺めながらの歩きになった。左手の谷越しには、花見山から大谷山、鳴沢峰にかけての稜線が目の高さに下がってきた。雪も締まっており、つぼ足で歩くにも支障はなかった。急斜面をキックステップを効かせながらまっすぐ登るのは楽しかった。
 雪に被われた大蔵岳の丸い山頂が、視界に入ってきて、もうひと頑張りかなと思った。先行の登山者が頂上に立つのが見え、その大きさから、意外に近いことを知った。雪山は、距離感が掴みにくい。
 大蔵岳の山頂の雪原には、鐘と半ば雪に埋まった標識が頭を出していた。一同がそろうのを待って、記念写真の撮影を行った。周囲には素晴らしい展望が広がっていた。白山と粟ヶ岳が並んでそびえ、その左手には川内山塊の峰々が幾重にも重なっていた。菅名岳に至る稜線も良く見えて、その先には鳴沢峰がピラミッド型の山頂を見せていた。さらにその背後には、五頭の菱ヶ岳が姿を現していたが、そn先は春霞に隠れていた。新潟平野の広がりを見下ろせたが、海岸線は空と解け合って、見分けることができなかった。暖かい日差しに包まれた山頂は、まさに春山の醍醐味であった。
 天候も良いことから、菅名岳まで足を延ばすことになった。稜線を少し先に進んだところの窪地に、避難小屋が、屋根だけを表に出していた。雪庇も右手に張り出しており、雪稜歩きの雰囲気を味わうことができた。最高点と思われるところに立ち、一面の雪で目印はなかったが、三五郎山と思いこむことにした。菅名岳に向かっては、広い雪原の下りが現れた。カカトが雪面に気持ちよく食い込み、大股で走り下りることができた。鞍部付近は、稜線が痩せており、巨大な雪庇の縁を通過するところも現れた。小さな上り下りを繰り返していく歩きは、気持ちの良い稜線漫遊であった。
 菅名岳の山頂は、広い雪原となって、思い思いの場所に登山者が腰を下ろしていた。すっかり喉も渇いており、お待ちかねたビールの栓を開けた。雪の上に腰を下ろしていても、寒さはまったく感じない陽気であった。大休止の間に太陽の位置が変わったためか、五頭山塊の向こうの二王子岳や飯豊連峰の連なりが、見えるようになってきた。
 下山は、丸森尾根をつかうことになった。夏道は、急斜面に付けられた階段道で、歩き辛い所であるが、雪のおかげで、ころげるように一気に下ることができた。この尾根のブナ林も美しかった。椿平でどっぱら清水への道が分かれるが、尾根をさらに進んだ所の下山路を使うことになった。雪も次第になくなって、杉林の中の見通しの利かない道になった。分岐からは、急な斜面をジグザグに下ると、沢沿いの登山道に飛び出し、沢辺でひと息いれた。沢の水は、勢いよく流れ、土砂を含んでいるのか、茶色く濁っていた。沢沿いの道には、紫色の濃いキクザキイチゲの花が咲いて、目を楽しませてくれた。最後の林道歩きは、いささか長く感じられた。
 時間が気に掛かる遠くからの人とは駐車場で別れ、残りのメンバーで村松さくらんど温泉に向かった。温泉からは、今歩いてきた菅名山塊の稜線が白く輝くのを振り返ることができた。二日間、最高の条件で山歩きを楽しむことができた。

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