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大平山


日時】 2001年3月25日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 大平山・おおひらやま・599・なし(592.6m・三等三角点)・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾、半蔵金
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.17、川崎北IC、R.351、北荷頃 経由)=7:55 西野俣〜8:15 発―8:53 杉林上部(310m)〜8:58 発―9:16 水田跡(435m)〜9:21 発―9:31 稜線分岐(495m)―9:56 大平山〜10:31 発―10:43 稜線分岐―10:47 水田跡(435m)―10:55 杉林上部(310m)―11:25 西野俣=(北荷頃。栃尾、R.290、下田、黒水、加茂、R.403、亀田、R.49 経由)=13:40 新潟着

 五百山は、長岡東山連峰の盟主である鋸山の北東部に、大入峠を挟んで隣り合う山である。五百山からは、西谷川と矢津川に挟まれた稜線が北東に続いており、この末端部に位置する山が大平山である。平な台地状の山頂を持つことから、その名前が付けられているものと思われる。
 大平山は、長岡東山連峰に属するといっても、その大部分が載っている「半蔵金」から外れて「栃尾」に入っているために見落とされされやすい山である。2000年5月7日に、鋸山の北東に隣り合う鬼倉山に登った時に、直前に登った五百山を振り返り、稜線の下っていく先に、平頂を持つ台形の山があることに気がついた。家に戻ってから栃尾の地図をつなげ合わせて、これが大平山であることを知った。
 昨年の12月29日に大平山に登ろうとしたが、一之貝まで出かけてみたものの、かなりの新雪が積もっているのを見て、他の山に変更をしてしまい、課題の山になっていた。春で雪解けが急速に進んで、残雪を利用するには、出張やらの関係で、これが今年最後のチャンスになった。
 先回は、一之貝から大平山の南の鞍部に通じる破線を辿ろうという計画であった。この鞍部近くを送電線が通過しており、ここまではその巡視路として整備されている可能性があった。そのまま冬も本番になって、積雪期のコースとして考えると、東面の西野俣あたりから登る方が、一定の傾斜の斜面が続いて、良さそうであった。山頂に直接上がるコースと、北尾根を経由するコースが考えられたが、現地で見てから決めることにした。
 長岡付近では雪は消えていたが、新榎トンネルを抜けて栃尾側に入ると、雪原が広がるようになった。飯豊の登山口よりも雪が多いとは、驚きである。西野俣の集落に着いて、大平山を見上げて、コースを考えた。大平山の山頂付近は傾斜がけっこうありそうなので、少しでも楽そうな北尾根経由のコースをとることにした。西野俣の集落北側に山に向かっていく林道が記載されているが、その入口の路肩に車を停めた。
 雪に埋もれた林道に足を踏み入れると、足が潜る状態のため、スノーシューを履いた。電柱が脇に続く林道を進んでいくと、山裾の田圃に出た。林道は、右前方のコンクリート製の建物に続いているようであった。正面は、崖状の急斜面で迂回する必要があった。左手に尾根が落ち込んできており、崖上の杉林に続いていた。田圃の段々を苦労して登り、尾根に取り付いた。尾根の傾斜は結構急であったが、スノーシューで登り続けることができた。左手には沢が走り、その奥に地図にも崖マークが記載されている崩壊地が広がっていた。
 杉林を抜けると、前方に一面の雪原が広がっていた。雪原をしばらく登った後で、左手の尾根に取り付いた。再び杉林の中の登りになり、そこを抜けると、水田跡なのか、段々に重なった小さな平地が現れた。そのまま直登すれば北尾根に飛び出すようであったが、右手に向かって進み、早めに北尾根に上がることにした。昨日の登山の疲れもあり、足は重かった。
 北尾根は、スキーの林間コースといってもよさそうな幅広尾根であった。木の間隔も開いており、開放感があった。尾根の下っていく先には、栃尾の鶴城山も眺めることができた。尾根の末端部から山スキーを使って登ってくるのが、この山の登り方としては良いのかもしれない。
 緩やかに登っていくと、大平山の山頂も目の前に迫ってきた。尾根の頂稜部は、雪庇が崩れた状態になっており、その一段下をトラバースする必要があった。歩きにくいのと、最後の登りが短いものの急登になるため、スノーシューを外してつぼ足になった。幸い、足もそれ程もぐらない状態であった。
 キックステップで登っていき、西側に回り込むと、地面が出ていた。踏み跡もあるような感じがした。大平山の山頂は、平らな雪原が続いていた。西には、鬼倉山、鋸山、五百山の三山が並んで姿を見せていた。たっぷりの雪に覆われ、麓の棚田や集落が目に入らなければ、どこかの高山の展望といっても通じるかもしれない。東には、守門岳が大きく裾野をひいた姿を見せていた。その左には、粟ヶ岳が春の陽気に霞んで見えていた。
 大平山の山頂は、北側に592.6mの三角点、南側に599mの最高点が記されている。その差は6mで、他の山では三角点の標高だけが記されて、最高点の標高は無視されていることが大いのを考えれば、丁寧な仕事ぶりといって良いであろう。山頂の縁まで歩いてみたが、一面の雪原で、それ程高さに違いがあるようには思えなかった。南の縁まで進んで先を見ると、雪庇の張り出した尾根が五百山に向かって続いていた。
 山頂には、獣の足跡が続いており、二つに分かれた足跡からカモシカのように思えた。鋸山に冬の間何度も通っている皆川さんは、鋸山一帯にカモシカが生息しているというが、これがそうなのかもしれない。木の枝の皮がはぎ取られたような所もあり、カモシカの食べた跡なのだろうか。
 風を避けて、雪庇が崩れてできた壁の脇に座り込み、守門岳と麓の集落を眺めながら、ビールの栓を開いた。里にも近く、展望も良く、山頂で宴会を開くのに良い山が知られていないのは、もったいない感じがした。
 下ろうとした時、下り口の木の上に、物干し用のプラスチック製ポールの先に布切れを取り付けた標識が取り付けてあるのを見つけた。雪の斜面から頭を出していた木に取り付けたのだろうが、取り付け部は6m程の高さであった。この辺りは、冬のさなかには何メートルの高さまで雪が積もるのであろうか。
 下りは、時折膝まで雪に埋もれるといっても、重力にまかせるままに足を運んでいればよく、そのままつぼ足で下り続けた。先の方まで見通せるために、急斜面を一気に下ることができ、登りの苦労がうそのように、山を下りることができた。麓の水田まで下りた所で、雪解け部に姿を見せていたブキノトウをお土産に採った。最後の林道歩きは、足が潜って、スノーシューを履こうか迷ったが、僅かな距離であったので、そのまま歩き通した。
 帰りに栃尾に回り、名物の油揚げを買って、ブキノトウと共に家へのご機嫌取りにした。
 

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