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八萬部山、高内山


【日時】 2001年3月18日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 西山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
妙見山・みょうけんやま・70.5m・なし・新潟県
村岡城跡・むらおかじょうせき・80m・なし・新潟県
八萬部山・はちまんぶやま・80m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/出雲崎/出雲崎
【ガイド】 ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 西山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 高内山・たかうちやま・246m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/柏崎/西山
【ガイド】 なし

【時間記録】 8:50 新潟発=(R.116 経由)=10:25 妙法寺門前〜10:47 発―10:56 妙見山〜11:02 発―11:17 村岡城跡〜11:28 発―11:40 八萬部山〜11:54 発―12:23 妙法寺門前=(R.116、石地 経由)=12:49 吉生水―12:56 林道入口―13:20 高内山〜13:27 発―13:44 林道入口―13:52 吉生水=(石地、R.116、川西、R.352、石井、R.402 経由)=16:10 新潟着

 日本海に臨む角田山・弥彦山・国上山一帯は、ハイキングの山として親しまれているが、大河津分水を挟んだ南の、西山丘陵や海岸線に連なる丘陵地帯は、注目されることは少ない。
 越後線妙法寺駅の北側にある日蓮宗妙法寺の裏手には、元享の頃(1321〜1324年)に村岡三郎の築いた村岡城跡があり、一帯には遊歩道が整備されている。遊歩道最高点の八萬部山は、大乗妙典六万部が納経されたという謂れがある。山頂一帯には、雪割草の群生地が広がっている。
 高内山は、西山丘陵にある一等三角点ピークの八石山の西に位置する山で、山頂には上杉配下の支配する高内城跡が置かれていた。
 日曜日は、朝方は雨が残るものの、昼から天気は回復しそうであった。前夜、雨音を聞きながら山の計画に頭を捻ることになって、雪割草の群落があるという村岡城跡に出かけることにした。今年は雪が多く、国上山あたりでも登山道周辺は雪が残っていて、花はまだ先のように思われた。花を楽しむには、標高をずっと落とす必要がある。残雪を追って山を歩いているうちに、雪割草の花を見損なってしまうことがあるが、花を見に低山歩きに出かけるのも、新潟の春山の楽しさである。
 雪割草も最近人気が出てきているようで、NHK趣味の園芸でも、雪割草の本が出版され、園芸種としてすっかり定着してきているようである。ひと鉢いくらで売られるようになって懸念するのは、自生地での乱獲である。値札の付けられた花が、タダで咲いているとあっては、盗まれない方が不思議である。日本海の海岸線近くの丘陵地帯に自生しているため、高山植物とは違って、乱獲防止の目が届き難い面がある。
 妙法寺の門前には広い駐車場が設けられていた。赤門、黒門といった歴史を感じさせる参道を歩いていき、石段を登ると、本堂の前に出た。境内は、鬱蒼とした苔蒸した木立に囲まれていた。本堂の前から右手に進むと、元禄年間に立てられたという七面宮の建物があり、その右手から、村岡城跡への遊歩道が始まっていた。
 登っていくと雑木林が広がる尾根にのり、右手から、赤門方面からの道が合わさった。遊歩道には、この先何本かの道が枝別れしたが、標識が付けられており迷う心配はなかった。
 ひと登りすると、妙見山と標識のある、二の丸跡に出た。広場は、木立に囲まれて展望はなかった。ここからは、尾根道が始まった。春の花を探して、薮を覗きながらの歩きになった。今回は、歩行時間を気にすることはやめることにした。トラバース道から、右手にひと登りすると、村岡城跡の本丸跡に到着した。広場の周りには桜が植えられ、北側には東屋も設けられていた。
 薮の中に入って日当たりのよさそうなところを見ていくと、雪割草を見つけることができた。ほとんどは蕾であったが、開いた花もいくつかあった。木立の下の日陰にはキクバオウレンが咲き、キクザキイチゲも見つけることができた。
 トラバース道に戻って少し先に進んむと、伐採地があり、妙法寺への下山路が左に分かれた。帰りはこの道を下ることにして、先の尾根道に進んだ。ひと登りすると、右に八萬部山への道が分かれた。杉の植林地の木立の間をすり抜けるように進んでいくと、小ピークの八萬部山に到着した。枯れ草に覆われた頂上には、五輪塔と石碑が置かれ、暖かい陽射しに照らされていた。頂上の周辺は、土塁跡なのか、段々の斜面になっており、良く見ると雪割草の群落が点在していた。日当たりの良い斜面のためか、花が咲き始めていた。花を楽しみながら、写真撮影にひと時を過ごした。標高や日当たりの関係で、八萬部山は、春一番に雪割草を見ることのできる観察スポットのようである。
 伐採地に戻って下っていくと、すぐに本堂の裏手に降り立ち、渡り廊下をくぐると、本堂の脇にでることができた。
 八萬部山のハイキングコース一周といっても、たいした距離ではなかったので、もうひと頑張りということで、高内山に登ることにした。高内山は、山頂から東西に伸びる尾根に破線が記されている。山頂に近い、東の吉生水の集落の方から登ることにした。石地の立体交差の分岐で116号線と別れ、薬師トンネルに向かう県道に進んだ。集落の入口の路肩に車を停めて歩き出した。集落の上部へ通じる車道を歩いていくと、稜線に再接近した所に駐車スペースがあり、そこからひと登りで稜線の上に出ることができた。車道は、ヘアピンを描いて稜線に登ってきて、北斜面に続いていた。地図では、車道は途切れているのだが、実際にはつながっていた。もっとも、車道は雪で埋もれており、車は稜線下の駐車スペースまでであった。
 稜線伝いには、未舗装の林道が続いていた。途中で作業道が分かれたが、これは見送り、トラバース気味に進んだ後に、来た方向に向きを変えた。稜線に出ると、林道は雪に埋まり、左手の斜面には、柿の木なのか、果樹園が広がっていた。作業小屋の所から果樹園に入って、高みを目指した。振り返ると、レーダードームが遠くからでも目立つ八石山が、背後に広がっていた。杉林に入って少し進むと、前方に土塁らしき斜面をめぐらした高台が現れた。雪はグズグズで、長靴の上までもぐる騒ぎになった。油断してワカンを持ってこなかったことを後悔した。
 高内山の山頂は、石塔が置かれ、山城の謂れを書いた標識が立てられていた。
「高内城址
 別山地区尾須部に標高二四六米の高内山があり、この頂上城址がある。別山村多々神社の記載によれば、城主は上杉家の臣大熊備前守朝秀と記されている。頂上付近には「大手じょう」「馬場のこ」といった城に因んだ地名が残っている。また頂上には別山小学校同窓会によって「古城主精霊碑」が建てられている。
 この城址から東に薬師峠、西に日本海、東に小木城址、北の遠くには弥彦山、西南には鎌田城跡、南の遠くに米山や番神岬が望まれる。
 西山町教育委員会」
 見晴らしも良く、草地の広がる山頂は、のんびりすごすのに良い所であった。もっとも、長靴に雪が入り込んで足が冷たく、帰りを急ぐことにした。
 春一番の花を愛で、ちょっと油断して雪にはまったりと、低山歩きをたっぷり楽しむことができた。


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