0114

秋葉山、愛宕山、阿弥蛇山、加茂山


【日時】 2001年2月25日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 秋葉山・あきばやま・83m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/新津
【ガイド】 ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 白山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 愛宕山・あたごやま・103.0m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/村松
【ガイド】 ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【山域】 白山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 阿弥蛇山・あみだやま・70m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/越後白山
【ガイド】 なし

【山域】 加茂三条丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 加茂山・かもやま・110m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/加茂
【ガイド】 ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】 8:40 新潟発=(R.49、亀田、R.403、新津 経由)=9:25 秋葉公園駐車場〜9:35 発―9:43 見晴地区―9:56 秋葉神社―10:13 秋葉公園駐車場=(五泉、村松 経由)=10:45 村松公園〜10:50 発―11:20 愛宕山〜11:27 発―11:40 村松公園=(村松、R.290、南田中、中島 経由)=12:10 農道分岐〜12:20 発―12:28 阿弥蛇山―12:40 農道分岐=(上戸倉、七谷、R.290、上谷地、森町、R.289、大谷ダム、R.289、森町、上谷地、R.290、加茂 経由)=14:30 加茂山公園駐車場〜14:38 発―15:00 剣ヶ峰城跡―15:31 加茂山要害城砦跡―15:44 剣ヶ峰城跡―16:03 加茂山公園駐車場=(R.403、亀田、R.49 経由)=17:10 新潟着

 秋葉山は、新潟平野の東の縁に沿って広がる新津丘陵の北端にある山である。新津の市街地が迫っており、山頂一帯には公園化が進み、里山の風情は失われている。山名の由来は、宝暦11年(1760)に庄屋桂氏が山頂に立てた秋葉大権現の神社に由来する。
 村松の村松公園は、県内でも有数の桜の名所として名高いが、その背後の小山が愛宕山である。山頂には、愛宕神社やふるさと展望台があり、遊歩道が設けられている。
 阿弥蛇山は、白山の北西山麓にあり、田圃脇の僅かな高まりにすぎない。どのような謂れがあって、丘にも満たないような高まりに名前を付け、地図にも記載されているのか。「阿弥陀」なら判るのだが、「阿弥蛇」とはどういう意味なのだろうか。そのおかげで、蛇年にちなむ山になっているのだが。
 加茂山は、加茂の市街地の南に広がる山で、一帯は公園として整備されている。公園は、青海神社の神域を整備したもので、雪椿群生地をはじめ、豊かな自然が残されている。公園の最高部には剣ヶ峰城跡、その南西部には加茂山要害城砦跡がある。
 土曜日は雨のために、休養日になった。日曜日も天気予報が優れないために山歩きの意欲は低下してしまったが、なにはともあれ山に出かけなければということで、公園化されてしまった山をまとめて登ることんした。
 まずは、新津の秋葉山を目指した。新潟市内の小学校低学年の遠足では、秋葉山に出かけるようだが、まだ行ったことがなかった。秋葉公園の標識に従って市街地を進んでいくと、公園の駐車場に到着した。すぐ脇まで住宅地が迫ってきており、山という雰囲気は無かった。問題は、現在地がどこかよく判らないことであった。車道の左右のどちらに行くべきか迷ったが、とりあえず左の道へ進んだ。歩道には雪が積もり、踏み跡を外すと膝まで潜ってしまう状態であった。長靴が履き物としては最適であった。
 ひと登りすると、仏舎利塔の前に出た。平和の塔と名前が付けられているようである。この前の広場は、見晴地区と呼ばれ、周囲には桜も植えられているが、一面の雪原になっていた。
 ようやく現在地を理解することができた。一旦車道に下り、反対側の歩道に進んだ。つづら折りの道を進んでいくと、秋葉神社の裏手に出た。地図には、秋葉山には83mという標高が記されているが、保坂さんのホームページの「百山百色」によれば、「神社付近が山頂で標高76mとの市役所の回答」とある。神社に到着したことで登頂とみなすことにした。秋葉神社は、水防、火防の御利益があるとのことで、信者も多いようである。神社の前には、広い参道が通じていた。この道を下ろうかと思ったが、迷子になりそうだったので、来た道を戻って、車道歩きで車に戻った。車を走らせながら参道入口を確認すると、そのまま参道を下れば、すぐ近くに下りることができたようである。秋葉公園には、秋葉湖や熊沢公園といった隣接施設があるので、季節を変えて散歩にでも来てみようか。
 二番目の山は、村松の愛宕山。一般には、愛宕山というよりは村松公園と言った方が、名前が知られているだろう。桜の花見の季節は大賑わいであるが、それ以外は静かなようである。いつもは、川内山塊方面へ出かける時にす通りするばかりなので、たまには公園内を歩いてみるのも悪くはない。公園の管理棟の前に車を停めた。桜の林には昨晩の新雪が積もって、白い花が咲いているように見えた。公園内の木々の枝にも、雪の花が咲いていた。
 緩やかに曲がる車道を登っていくと、愛宕神社に到着した。その背後は、上水道の配水所と於菊稲荷神社があった。赤い鳥居が並んでトンネルを作っていたが、雪避けの役にはたっておらず、雪に埋まりながらの歩きになった。その背後の高みに展望台があり、その裏手に回ると、三角点を示す白い標柱が立てられていた。足の先で雪をかき分けていくと三角点を見つけることができた。林の中で雪の厚みも20センチ程しか無かったことが幸いした。低山であるからよけいに、三角点を見ないことには登った気にはなれない。
 山頂に立てられたコンクリート製のふるさと展望台に登った。螺旋階段を登っていくと、ガラス窓で囲まれた最上階に出た。青空も広がってきており、素晴らしい展望が広がっていた。村松の市街地を見下ろし、その向こうには、新津丘陵が横たわっていた。大蔵岳と不動堂山を中心とする菅名山塊の眺めが大きく広がっていた。白山方面は雲に隠されていたのは残念であった。
 車に戻って、ひと休みしながら、次の山の案を練った。村松の近く、地形図では「越後白山」の図面に入ってしまうが、阿弥蛇山という小さな山がある。等高線が一本楕円形を描いてそれで終わりという山であるが、今年の干支の蛇という文字が含まれている。巳年の山としては、新潟県内には、蛇崩山、蛇脱山とこの阿弥蛇山の三山がある。もっとも、地図には記載されていないが、五頭山塊にある大蛇ノ頭や、国上山の蛇崩れなど、関係する地名は他にもあるし、良く探せばもっと有ると思われる。
 一般には「阿弥陀」と書くのが普通であろうが、ここではわざわざ蛇の文字を使っている。ほど遠くはない所に、阿弥陀瀬という地名があり、これには蛇の文字は使われていない。地名の由来を知るには、地元で聞いて回るか、役場に問い合わせるしかないが、まさか、間違った文字を使ったというのではないだろうな。
 地図を確認しながら車を走らせた。白山山塊の荒沢山に登った時に訪れた上戸倉への道を進み、まず、中島のバス停、続いて、頭上を横切る送電線を確認した。県道の左手に、こんもりした高みがあり、それが阿弥蛇山のようであった。登るのに問題になる高さでは無かったが、それより問題なのは、200m程の田圃の横断であった。途中には、用水堀が走っているようで、一面の雪原とはいえ、道の上を辿る必要があった。山の南端に通じる農道を辿ることにして、道路脇の雪の壁を上がった。新雪も積もって坪足では無理で、田圃の横断のために、わざわざスノーシューを付けることになった。
 一面の雪原の中をスノーシューで歩くのは気持ちが良かったが、人目が少し気になった。スノーフィールドをスノーシューで歩いたとカタカナ混じりで書けば、それなりの格好がつくが、田圃歩きはまだ世間にスポーツとして認知されていない。魚沼あたりの田圃を覆った雪原を、越後三山を眺めながら、どこまでも歩いていったら気持ちが良いと思うのだが。
 地図のマークからも判るのだが、阿弥蛇山は竹林の山であった。南端から竹の間を抜けて登っていった。太い竹で、間隔も開いているため、歩くのにはまったく支障は無かった。雪の無い時でも簡単に登れそうであったが、タケノコの季節だけは、泥棒と間違えられかねないので避けるべきであろう。
 高みの上に出て、ここが山頂かと思ったが、念のために少し進むと、鉄塔の下に出て、山頂を通り越したことを確認できた。竹林に囲まれた山頂というのも珍しい。宗教的な遺構は見あたらず、阿弥陀さまとの関係は判らなかった。再び、田圃を歩いて車に戻った。
 下田の大谷ダムまで車を走らせて山の偵察をした後に、加茂山に向かった。加茂山も、山麓一帯は加茂山公園として整備されている。登山口に車を停めて歩き出したが、迷子にならないように園内の案内図を良く見てから歩く必要があった。公園内の最高点の剣ヶ峰を目指すことにした。赤い鳥居の脇の石段を登っていくと、青海神社に出て、さらにその先で野外ステージに出た。車道が大きく迂回して上がってきているようであったが、雪に埋もれていた。尾根沿いの道を高みに登っていくと、トリムコースの終点なのか木製の見晴らし台があり、その先で神苑との分岐に出た。ここの看板を見ると、加茂山ハイキングコースを辿った先に加茂山要害城砦跡というのがあるようであった。分岐脇には土塁跡のような高台があったので、雪に一歩ずつ埋まりながら登った。看板のようなものは無かったが、ここが剣ヶ峰城跡のように思えた。
 その先に尾根道が続き、雪の上に踏み跡が続いていた。加茂山要害城砦跡というのが気になって地図を見ると、南西にある105mピークがそうであるように思えた。標識には加茂山ハイキングコースとあったので、辿ってみることにした。緩やかに下っていくと、周囲には雑木林が広がり、公園とは違った里山の雰囲気になった。緩やかに登り返すと、左手に土塁のような高台が現れた。踏み跡はそのまま先に進んでいき、上下条の方に下っていった。高台めざして雪の斜面を登ると、上は広場になってお堂のようなものがあり、加茂山要害城砦跡という看板が掲げられていた。公園内の案内図には、この加茂山要害城砦跡のことはふれられていないのは、不親切である。
 雪が降り出してきたため、上下条方面に下るのはやめて来た道を戻ることにした。剣ヶ峰城跡に戻り、椿園に下ることにした。途中、樹齢1000年という翁杉を見ることができた。有名な屋久杉でも、1500年ほどのものから名前が付けられているので、この翁杉も風格があり、一見に値するものであった。
 長い滑り台に沿っての遊歩道の下りは、雪に足がとられて歩きづらかった。いっそうのこと、滑り台で滑って下りた方が良かったかもしれない。
 公園下部には椿園が設けられているが、蕾はできているものの、花はまだであった。雪椿は、豪雪地帯に適応した型で、主に日本海側の標高300〜1000mの山地に生え、新潟県の木に選ばれている。残雪の山で見かけるのだから、栽培しているものだからといっても、もう少し花は待つ必要があるようである。
 公園巡りといっても良いような低山ばかりではあったが、一日を山歩きに費やすことができた。

山行目次に戻る
ホームページに戻る