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雷山(中退)


【日時】 2001年2月11日(日) 日帰り
【メンバー】 エビ太、ホッキョクグマ、岡本
【天候】 曇り後雪

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 雷山・いかずちやま・377.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津、加茂/村松、越後白山
【ガイド】 片雲往来 PartIII(第一部)―阿賀南の山々
【温泉】 村松さくらんど温泉 700円

【時間記録】 7:00 新潟発=(R.49、R.403、新津、五泉、村松 経由)=8:25 川内郵便局前〜8:40 発―8:50 永谷寺―9:35 林道終点―10:20 引き返し地点―10:35 林道終点―10:50 林道分岐―11:35 林道の尾根到達点―13:00 引き返し地点―13:45 林道の尾根到達点〜14:00 発―14:26 林道分岐―14:50 永谷寺―15:03 川内郵便局前=(村松さくらんど温泉入浴後往路を戻る)=18:00 新潟着

 雷山は、早出川と仙見川に挟まれ、菅名山塊の不動堂山と白山に向かいあう、川内山群の入口にある山である。この山頂には雷城と呼ばれる山城が築かれ、早出川の対岸の福連寺山の福連寺城との間の争いにまつわる、「東光院物語」という、若君と姫君の悲恋の伝説が残されている。この伝説の舞台となっている麓の永谷寺には、「おぼと石」という伝説のまつわる史跡も残されている。
 雷山には、97年3月2日に登ったが、林道終点から尾根沿いに1時間程の歩きで、比較的楽に登れる山という印象を持った。三連休最後の日は、適当な山を案内することになり、あれこれ悩んだすえに雷山を選んだ。
 旧村松駅で落ち合ったが、トントンさんは雪かきで腰を痛めて不参加になり、男三人での歩きになった。雪の予報が出ていたが、まずまずの天候になり、村松公園を過ぎると、雷山や不動堂山、菅名山塊の眺めが広がった。
 登山口になる永谷寺への道は細いため、川内の集落内で車を停めておける所を探す必要があった。集落に入ったところの郵便局の前は、道路の幅が広かったので、ここから歩き出すことにした。
 永谷寺の駐車場までは車で入れる状態であったが、駐車場は雪のために狭くなっており、参拝客の便を考えれば、歩いてきてよかったようである。門前の先に延びる林道は雪に埋もれていたが、はっきりしたトレースが続いていた。そのまま坪足で先に進んだが、時折足が潜るのがわずらわしく、ワカンをつけることにした。しっかりしたトレースで、何人もが歩いたようであった。せっかくの三連休にもかかわらず天気が悪かったため、菅名岳あたりの高い山をあきらめて、雷山に回ってきたのだろうかと話し合った。杉林の中を歩いていくと、右手に堰堤を見た先で、林道は二手に分かれた。トレースは、直進する林道に続いていた。先回は右手の林道に進んだのだがと迷った。この林道がどこに続くか確認してはいなかったが、先回とは違ったコースがあるなら、そちらを歩いてみたいという興味がわいて、トレースを辿ることにした。しばらく沢沿いに登った所で林道は終点になった。沢の左岸に渡った後、沢の縁の斜面をトラバースするようにトレースは続いた。谷を奥に進んだ所で、トレースは突然終わってしまった。谷の中で現在位置が分かり難かったので、その先に続く尾根を登ってみた。杉の植林地になった尾根を上がっていくと、背後に菅名山塊の眺めが広がった。雪も深く、傾斜もきつくなったため、引き返すことにした。
 引き返す決心をしてから林道の分岐まで戻るにはそう時間が掛からなかったが、時間と体力をかなり消耗してしまったのが痛かった。改めて右手の林道を進んだが、トレースはなく、気温も上がって雪も柔らかくなり、歩くのも容易ではなかった。林道歩きで体力を消耗するよりは、すぐに左手の尾根に取り付いた方が良かったようであるが、この時は、先回のコースを辿ることしか頭になかった。
 谷を巻いてヘアピン状に林道が曲がると、雷山の山頂から北西に延びる尾根に乗ることができる。ここからは、尾根伝いに進めば良いのだが、雪が深く、一歩ずつ足場を固めながらの登りになった。登り始めは、右手は伐採地で、左は杉の植林地の急斜面である。ひと登りすると傾斜も緩んだが、灌木の枝がうるさくなった。杉林は丈がまだ低くてその下をくぐるわけにもいかず、ラッセルと薮漕ぎのミックスに陥って、スピードが上がらなくなってしまった。
 ラッセルに汗を流したが、時計を眺め、山頂を望むと、このペースではあと1時間はかかりそうということで、320m付近で引き返すことにした。雪も降り出してきた。林道に戻って、せめてビールでもと腰を下ろすと、再び雪が強くなり、一気飲みをして歩き出した。疲れと、アルコール、中退のせいで、下りにもかかわらず足どりは重かった。


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