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大沢山


【日時】 2001年1月27日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 雪

【山域】 新津丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 大沢山・おおさわやま・285.2m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/新津/矢代田
【ガイド】 新津丘陵誌(稿)

【時間記録】 8:00 新潟発=(R.49、亀田、R.403、県道村松田上線 経由)=9:05 大沢峠〜9:15 発―9:35 大沢鍾乳洞〜9:41 発―10:04 大沢山〜10:12 発―10:27 大沢鍾乳洞―10:40 大沢峠=(往路を戻る)=12:10 新潟着

 新潟平野の東の縁に沿って広がる新津丘陵には、それを横断するいくつかの道が開かれている。そのひとつに県道村松田上線がある。この道は、かつては県央部と会津を結ぶ最短路の街道として利用されていたが、磐越西線の開通によって交易路としての利用は減少した。しかし現在では、車社会にあわせて改修が進み、田上と村松方面を結ぶ間道としてよく利用される道になっている。この道路は、大沢峠(148m)を越しており、ここにはかつては茶屋も置かれ、現在でもその建物が残っている。
 大沢山は、大沢峠の南にあるピークで、新津丘陵では猿毛岳に次ぐ高さを持ったピークであるが、稜線上の高まりといった感じで、目立ったピークではない。加茂の長瀬神社から護摩堂山に至る中部北陸自然歩道が、大沢山を通過しており、このピークだけをめざすならば、大沢峠から大沢鍾乳洞を経由するコースが近い。
 年明けそうそうに十数年ぶりの大雪にみまわれたが、ここのところ天候は安定しており、道路の除雪も進んで、車の運転については問題はなくなった。関東方面は、雪で交通が大混乱になっているようであるが、新潟は雪が舞っているもののいつものことで、山に出かけることにした。
 大沢峠の五泉よりに大沢鍾乳洞への遊歩道入口があり、車二台程のスペースが除雪されていた。遊歩道はたっぷりの雪に覆われて、はじめからワカンを履いての歩きになった。雪に踏み跡が続いていたが、それも入ってすぐの廃屋までであった。雪は締まっているとはいえ、吹き溜まりでは膝くらいまでもぐり、汗をかきながらの歩きになった。道は大きなジグザグを描きながら続き、歩く距離が長くなる分だけ、体力を消耗した。
 ひと登りしたところで大沢鍾乳洞に到着した。案内板や開洞記念碑が置かれていたが、鍾乳洞の入口は雪に埋もれていた。大沢鍾乳洞は、大正2年に石の切り出し中に見つけられたもので、二つの方向に延びた総延長114mのもののようである。長靴やランプが必要とのことで、装備は整ってはいるが、雪の中で入口を掘り出して潜り込むのは気がすすまず、いつかの機会にということにした。
 ここまでは道形を辿ることができたが、大沢鍾乳洞の背後の東屋に回り込んだところで、道は判らなくなった。方向の見当をつけて杉林の中を進んでいくと、西に向かっての登りになり、尾根の上に乗ると南に方向を変えた。杉林の中で展望が利かないため、磁石と地図を照らし合わせながらの歩きになった。
 緩やかな登りを続けていくと、小ピークの上に出た。南東へ続く尾根は一旦下りになって、その先にも小ピークがあったが、西に尾根が分岐しており、ここが大沢山のようであった。山頂の小広場は木立に囲まれ、展望はなかった。傍らの木の枝に小さなビニールテープが付けられており、この付近に三角点が埋められているのだろうか。雪は1m以上の深さがあり、三角点を探して山頂を確かめることもできなかった。山頂のはずとは思うのだが、もしやという疑問をぬぐいさることができない。そろそろ、GPSの利用も考えようか。そのうち中部北陸自然歩道も歩かなければならないので、その時に山頂を確かめることができるだろう。
 雪道の下りは早い。雪の上のトレースを辿ってなんなく鍾乳洞へ戻り、後はつづら折りをショートカットをしながら車に戻った。雪も激しくなり、今日の山はこれでお仕舞いとした。


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