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兜巾山


【日時】 12月23日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 刈羽山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 兜巾山・ときんざん・676.2m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岡野町/石黒
【ガイド】 ランタン通信227号

【時間記録】 7:30 新潟発=(北陸自動車道、柏崎IC、R.8、R.353、女谷、折居 経由)=9:00 車道一車線開始部〜9:12 発―9:41 桜坂峠―9:47 林道分岐―10:08 町界尾根登り口―10:20 萱場―11:08 兜巾山〜11:32 発―11:54 萱場―12:08 町界尾根登り口―12:30 林道分岐―12:34 桜坂峠―13:02 車道一車線開始部=(折居、女谷、R.353、野田、R.252、柏崎IC、北陸自動車道 経由)=15:40 新潟着

 中頚城郡方面から見ると、米山と刈羽黒姫に尾神岳を加えた三山が三角形に並んでいる。尾神岳は、ハンググライダーの基地やキャンプ場として親しまれている。しかし、この尾神岳の東隣りにある兜巾山は、尾神岳へのアプローチに利用する林道を先に進んだ所にあるにも拘わらず、登山道も無く、ほとんど忘れられた存在になっている。
 山名の兜巾とは、山伏が頭にかぶる小さいずきんのことである。

 尾神岳に1995年5月21日に登った際、登山口までのアプローチに使った林道を進んだ先に兜巾山というピークがあることに気がついた。林道からの距離はたいしてないことから興味を持ったが、道は無いことや薮がひどいということを耳にして、なかなか出かける気がしなかった。
 今年の9月30日に、上村さん一行4名が兜巾山に登り、その報告を読ませてもらい、結構苦労したようなので、登る時期をうかがっていた。年の瀬も押し迫った23日の天皇誕生日は、晴天の予報が出たので、宿題の山をかたずけるべく兜巾山に出かけることにした。
 柏崎からR.353を南下した。途中の女谷(おなだに)は、歌舞伎踊りの原型の綾子舞いで有名な所である。名前は良く聞いていたが、このような位置にあるとは知らなかった。
 県道上越安塚柏崎線に入り、最後の集落と思われる所で、冬季通行止めの標識が立てられていた。期間は、「雪が降ってから除雪されるまで」と、たいへんもっともな事が書かれていた。ゲートの脇は開いているし、道路に雪は無かったのでそのまま先に進んだ。直に道路上に雪が現れて、轍状になった。二車線幅の車道は、谷が狭まってきた所で一車線幅になった。ガードレールも無く、路面も凍結しており、車ではこれ以上は無理であった。兜巾山への入口の桜坂峠のすぐ南には川谷の集落が迫っているので、冬季閉鎖といっても、そちらからのアプローチの方が近そうであった。しかし、一旦柏崎に戻って柿崎から迂回するには遠すぎるし、南東の石黒方面から県道で回り込むには、どの道が通れるのか判らなかった。桜坂峠から先は雪のために歩きを覚悟していたので、ここから歩き出すことにした。
 車道に流れ込んだ沢水が凍って滑りやすくなっており、堅くしまった雪の上の方が歩きやすかった。車道上を雪と土砂の混じったデブリが埋めている所もあり、確かに通行不能な状態であった。これもスノーハイクと思いながら歩いていくと、30分程で桜坂峠に到着した。峠のすぐ先からは、再び除雪された道路になった。最初から、柿崎経由でアプローチすれば、少なくとも峠までの歩きは必要はなかったのだが。
 峠から僅かに下った所で、尾神岳に通じる林道の分岐に出た。この林道も雪に覆われており、はじめあった車の轍もすぐに無くなった。左手の谷を挟んで尾神岳が大きく、前方には、兜巾山が迫ってきた。
 兜巾山は、三角のすっきりした山頂を持っているが、けっして大きな山ではない。山名の兜巾は、修験者のかぶり物で、これから真っ先に連想される物は、勧進帳の弁慶の装束であろう。頭巾のようなかぶりものというよりは、おでこにちょこっと載せた形になっている。麓には歌舞伎踊りの綾子舞いを伝承している女谷があり、歌舞伎には慣れ親しんでおり、勧進帳を知らないはずはない。兜巾山が修験道の山であったのなら当然であるが、歌舞伎からの発想でも、尾神岳から東に続く稜線上にちょこんと載った山頂に、兜巾という名前を持ってきても不思議はないように思う。
 兜巾山から延びる尾根を良く観察しながら歩いた。緩やかに左にカーブしながら進むと、兜巾山から南に延びる町界尾根の末端に出会った。林道を直進するように、尾根の右手の一段下がった所に白い雪のベルトが続いていた。林道跡のようであった。さらに、尾根通しにも山道が続いていた。林道跡は雪がもぐるので、山道を辿ることにした。山道の脇には、側溝も走っており、上村さん一行が辿った道のようであった。9月の段階では、この道の入口は薮に覆われてわかり難かったようであるが、薮もすっかり落ちた初冬ともなると、白いラインが続いて、はっきりと目に留まった。進むに連れて、左右に沢が迫るようになった。尾根の幅が狭くなった所で、灌木の枝がうるさくなったが、山道が沢で抉られて無くなったような感じであった。その先の切り通し状の窪地の中の山道を登ると、上村さんや田村さんの報告にある萱場に到着した。
 萱場に出て、山道は判らなくなった。この萱場は、昔の水田の跡なのか、上下に段々に重なっているようであった。上村さん一行は、ススキで視界を閉ざされて苦労したようであったが、3mを越すようなススキの枯れ枝は、葉がついていたら、確かに手強そうであった。幸い枯れ草状態で、視界も開けて、ポキポキと折りながら進むことができた。とはいえ、萱場は歩き辛いため、まっすぐにつっきって、山腹をめざすことにした。
 兜巾山から南に延びる尾根は、ブナも混じった疎林で、急ではあるが雪のステップキックが効いて、登りやすかった。急登を終えると、東から延びる尾根が合わさり、緩やかな尾根道になった。尾根には、古いナタ目が残り、かすかな道形がとぎれとぎれではあるが続いていた。木の間をすり抜けるような所もあるが、薮こぎというほどのことはなかった。最後の急登を終えると、山頂手前で露岩帯に出て、周囲の展望が広がった。
 とりあえず、右手に曲がって山頂を目指した。灌木帯を進むと、小広場に石の祠が置かれた兜巾山の山頂に到着した。山頂部は、30センチ程の雪で覆われていたが、三角点を見ないことには落ちついた気分になれない。ストックで雪を突き崩し、足で雪をほじくって、三角点を探した。祠の前の3m四方程の雪を除いて、そろそろ諦め掛けた時に、ようやく三角点を見つけることができた。
 露岩帯に戻って、展望を楽しみながらひと休みした。尾神岳は目の前にあり、右手には米山が美しいスカイラインを描いていた。西には、妙高連山が真っ白な姿を見せていた。山の陰に入り掛かっていたが、苗場山から谷川連峰に続く稜線も眺めることができた。あまり馴染みのない眺めを楽しむことができた。尾神岳に続く林道はすぐ下に見えた。兜巾山から北のピークに向かってはっきりした尾根が続いていたが、この方面には密生した灌木が広がっているようであった。灌木の種類はわからないのだが、刺があり、薮をこぐと、ズボンがぼろぼろになりそうであった。
 下りは、赤布も付けてきたし、雪の上の足跡もはっきりしており、迷う心配もなく道を辿ることができた。ただ、昼になって雪が緩んできたため、足が潜って辛い林道歩きになった。
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