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杉王山、桜峠、秋葉山


【日時】 2000年11月19日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
長峰山・ながみねやま・196.0m・三等三角点・新潟県
杉王山・すぎおうさん・197.1m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/越後下関、安角
【ガイド】 薮山ネット(武田さん情報)、関川村山岳渓流地図

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
桜峠・さくらとうげ・280m・なし・新潟県、山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/小国
【ガイド】 なし

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
秋葉山・あきばやま・96.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/越後下関、安角
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟発=(R.7、十文字、R.113、関川 経由)=8:25 関谷中学校〜8:31 発―9:49 台地上の分岐―9:04 分岐―9:10 長峰山〜9:13 発―9:36 杉王山〜9:51 発―10:08 長峰山―10:10 分岐―10:27 安養寺―10:34 関谷中学校=(R.113 経由)=11:10 玉川林道入口―11:34 林道終点―(送電線の先に進んでロス30分)―12:08 桜峠―12:13 林道終点―12:41 玉川林道入口=(R.113、関川、蛇喰、R.290、土沢 経由)=13:53 道路脇―13:59 山道入口―14:17 お堂〜14:35 発―14:45 山道入口―14:52 道路脇=(胎内、R.290、〆切、紫雲寺、聖籠IC、R.7 経由)=16:30 新潟着

 杉王山は、関川村の背後に広がる丘陵地のピークである。地形図では、196.0mピークに杉王山という名前が付けられているが、関川村山岳渓流地図では、このピークは長峰山と記され、その南の197.1mピークに杉王山の名前が付けられている。杉王山(197.1m)の山頂には、お堂が置かれている。

 現在では米坂線や国道113号線が通る荒川沿いは、かつては越後と米沢を結ぶ交通の要所で、十三峠街道が開かれていた。川沿いには難所が続いて道を付けることができず、内陸部を切り開いて街道を作ったという。この十三峠街道は、本街道として使われていたが、現在ではその役目が終わって、忘れられた道になっている。十三峠は、13の峠や難所が続いたことから名前が付けられ、諏訪峠、宇津峠、大久保峠、才の頭峠、桜峠、黒沢峠、貝之淵、高鼻峠、朴ノ木峠、萱野峠、大里峠、榎峠、鷹ノ巣からなるという。今回の 桜峠は、十三峠街道に含まれているものではなく、山形県の玉川と新潟県の金丸を結んだ道の県境部に位置する峠である。

 秋葉山は、荒川左岸のR.113とR.290の合流点近くにある丘陵地のいちピークである。山頂にはお堂が置かれ、山道が続いている。

 週末にかけて天気が崩れたが、山では雪になったようである。日曜日の天気は曇りという予報であったが、小雨が残っており、低山巡りに出かけることにした。新発田付近から見る飯豊連峰の端山も、雪で白黒斑に染まり、いよいよ冬の到来である。道の駅「関川」は、ドライブの際に、トイレ休憩などで毎度利用しているが、杉王山のあるその背後の丘陵地帯を注意してみたことはなかった。
 上関交差点から関川村役場の方向に折り返し、渡辺邸手前で左折して跨線橋を越すと関谷中学校の玄関前に出た。日曜日であったので、玄関脇に車を停めさせてもらったが、学校が開いているときは、校舎裏手の墓地との境界部に車を置けるようである。
 民家の間を抜けるとグランドの脇の道になり、未舗装の道に変わった。すぐに道は左方向へ曲がったので、カーブ地点から直進して、杉林の中の山道に進んだ。谷間に入ると、道は次第にはっきりしてきて、左の尾根に向かっての登りになった。ひと登りすると、尾根の左を巻いていく道になったので、尾根沿いの踏み跡に進んだ。尾根を登っていくと、その先で、迂回してきた道に再び出会うことになった。台地の上に出ると、その先で、右手からはっきりした道が合わさった。左前方に山頂らしい高まりが見えるので、方向の見当を付けることができたが、道の分岐が多いために地図を確認しながら歩く必要があった。テープも残されており、これはどうも山頂へのコースを示しているようであった。尾根沿いの登りを続けていくと、左から幅広の刈り払い道が合わさってきた。その先の高みに出ると、左脇に三角点が置かれ、ここが長峰山であることを確認できた。木立の間からは、雪をかぶった湯蔵山を眺めることができた。
 長峰山から先もはっきりした刈り払い道が続いた。かなり整備の手が入った道なので、送電線の巡視路のようであった。緩やかに下って、尾根を西側に外したトラバース道になると、植林地を越して高坪山の眺めが広がった。その先で送電線の鉄塔下に出ると、若ぶな山や大里峠南のエノカッチの眺めが広がった。その先のピークが杉王山のようであったが、地図には記載されていない送電線がピーク直下を通っていた。
 杉王山の山頂は小広場になって、お堂が置かれていた。中を覗いたが、なにが奉られているのかは判らなかった。道の左手に、字のはっきりした新しい四等三角点が置かれていたが、お堂の前の草むらにも三角点の標柱が埋められていた。これは、字はかすれていたが、三角点と書かれているようであった。ただ、幅は新しい三角点よりは若干大きかった。家に帰ってから点の記を調べると、新しい標柱の位置が記されていた。
 長峰山に戻り、山頂下の分岐から右に分かれる道に進んだ。尾根沿いの道を下っていくと、北に向かうようになり、台地を越すと左から沢が沿うようになった。最後は、二軒並んだお寺の東側の脇に飛び出した。線路脇の道を左に進むと、僅かな歩きで中学校に戻ることができた。
 杉王山は、標高は低いながら、途中で眺めの良い所があって楽しめる山であった。道の分岐が少し判りづらいのも、地図読みと山勘の練習と思えば、面白さのうちと考えて良いであろう。
 時間も早いので、先に新潟県側から登った大里峠に、今度は山形側から登ろうと思って玉川に向かった。手ノ倉沢沿いの登山口に入ろうとすると、30人程の団体が峠に向かって歩き始めようとするところであった。静かな山歩きは無理なようなので、今回は大里峠は諦めて、すぐ近くの桜峠を訪れてみることにした。桜峠は、越後と米沢を結ぶ十三峠街道からは外れているが、新潟・山形県境線上の峠であるからには、訪れてみる価値はある。地図を見ながら車を走らせると、玉川の町外れに、山に向かう林道があり、これが桜峠に向かう道のようであった。林道の入口には鎖がかかっており、送電線「関川小国線No.55、No.54」という標識が置かれていた。
 桜峠のすぐ南には送電線が走っており、この送電線の標識はそれを差していると思った。実際には、「関川小国線」は、地図には記載されておらず、桜峠の南に走っているのは、「日本重化学小国線」と呼ぶようである。この地図に記載されていない「関川小国線」は、先日の大里峠山行の時にも地図を見て頭を悩ませることになった送電線である。地図に、送電線の名前を記載してくれると助かるのだが。
 昔の山道には出会わないまま、車の走行には差し支えないような林道が続いた。林道はつづら折りになったりして、現在位置が判らなくなった。かなり歩いた所で、左手の山の高みから下ってくる送電線に出会った。地図にもない送電線で、頭をひねることになった。見上げると、もう一本の送電線が、林道の先の方に下ってきているので、桜峠はさらに先のようであった。
 林道の終点は広場になり、その先に踏み跡が続いていた。わずか先で、道は左右に分かれた。右手の高みに送電線の鉄塔があるので、そこに登って様子を見ることにした。送電線は谷向こうの尾根に渡っており、そちらの高みに向かって稜線が続いていた。その鞍部が峠と思って、先に進んだ。鞍部は、切り通しになっており、道のようなものが上がってきているといえば、そのように見えた。「日本重化学小国線No.51、No.53」という標識が立てられていた。地図を見ると、稜線や送電線の方向は合っているのだが、先ほどの小ピークで送電線の下に出たというのが、おかしかった。地図を見ているうちに、どうやら、桜峠の北東の鞍部にいるように思えてきた。
 林道終点からわずか先のT字路に戻って辺りを眺めると、林道から真っ直ぐ進んだ先が峠状の鞍部に見えた。薮の薄い所を抜けていくと、左手から山道が合わさってきて、稜線を越して北に下っていた。縁のかけた山の標石があるだけで、苔蒸した石仏や碑のようなものはなにも無かったが、ここが桜峠のようであった。
 帰りに山道を辿ってみると、すぐに送電線の巡視路に出て、左へ曲がると、T字路に戻ることができた。結局、「林道の終点広場から踏み跡を辿り、T字路を左へ曲がり、直ぐに右に分かれる山道に進む。」というのが、桜峠への正しい道順であった。
 関川に戻ったついでに、大里峠の大蛇伝説の主人公の「おりの」の碑を見ていくことにした。R.290を進み、女川橋を渡った所で右折して県道273号線に入った。蛇喰(じゃばみ)の集落を過ぎた所の左脇に、碑があった。立派な黒みかげ石に「大蛇の里 おりのの碑」と書かれていた。ちょっと立派すぎて、伝説とは似合わないような気がする。いっそのこと、河原で拾ってきた丸石を「おりのの墓」とでも名付けた方が、本当らしく見えるだろうに。
 帰り際に、新発田から関川に抜けるときに気に掛かっていた秋葉山に寄っていくことにした。地形図「越後下関」を見ると、山頂の祠までは、破線が記載されているが、山頂の三角点は「安角」に記載されており、二枚の地図を合わせないと、登山道が付けられていることを見落としやすい山である。
 土沢の三叉路付近は、新しく道路が整備されたのは良いが、山際に向かう農道へ下りる道が付けられていない。少し通り過ぎた所で車を停めた。登山口は歩いて探すことにした。山に向かって延びる荒れた林道があり、左手に堰堤を見ると、尾根沿いの登りになった。周囲は杉の植林地が広がっていたが、キーキーという声がするので見ると、サルの群であった。ストックで木を叩くと遠ざかっていってくれた。国道脇の小山に、サルの集団がいるとは知らなかった。ひと登りで、秋葉山のお堂に到着した。お堂の脇には、古峯神社と湯殿山とそれぞれ書かれた石碑が置かれていた。三角点は、南東に一段下がったところに置かれているようであったが、右手から工事中の林道が上がってきており、一帯はほじくりかえされていた。付近の笹薮をのぞいてみたが、結局三角点は見つけることはできなかった。土砂の下敷きか、掘り出されてしまったのかもしれない。最高点は、お堂の後ろなので、登頂には違いないのだが、三角点が見つからずにすっきりしない山であった。

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