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高津谷高原


【日時】 2000年11月12日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 長岡東山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
高津谷城跡・たかつやじょうせき・369m・なし・新潟県
ちのみね城跡・ちのみねじょうせき・409m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/栃尾
【ガイド】 皆川さんの個人情報

【時間記録】 7:30 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、亀貝IC、浦瀬 経由)=8:55 尾根末端登山口〜9:07 発―9:29 分岐―9:53 高津谷城跡〜9:57 発―10:19 林道終点広場―10:24 ちのみね城跡〜10:30 発―10:33 林道終点広場―(10:48〜11:20 昼食)―11:24 高津谷城跡―11:37 分岐―11:45 車道―12:02 尾根末端登山口=(往路を戻る)=13:10 新潟着

 高津谷高原は、長岡市の東山連峰北部、榎峠の北側に位置している。ここにある二つのピークには、地図には名前は記載されていないが、それぞれ「高津谷城跡(369m)」と「ちのみね城跡(409m)」の城跡が置かれている。この一帯は、東山油田の跡で、地図にも他ではお目にかかれない油田マークが記載されている。高津谷高原への道は、長岡東山ハイキングコースとして整備されている。

 越後駒ヶ岳で知り合った皆川さんから山の資料を頂き、その中に高津谷高原へのハイキングコースの記録が含まれていた。皆川さんは、冬のスノートレッキングとして歩いているようだが、晩秋の木の葉の落ちた季節も、半日のハイキングコースとして勧めている。
 先週末の快晴とうって変わって寒くなり、新潟周辺の山の山頂部にも雪が見られるようになった。日曜日も午後から崩れるような天気予報が出ているので、気になっていた高津谷高原に半日の山歩きとして出かけることにした。
 長岡のバイパスから浦瀬をめざすと、集落の背後に、はっきりした山頂を見せる高津谷城跡が姿を現した。右奧に見えるピークがちのみね城跡のようであった。麓から見ると、登ってみたいという気持ちを起こさせるピークであるが、地図に山名が書かれていないのが、登山の対象の山として世に知られない一因になっているようである。
 浦瀬の集落内を細い道をぬって抜けると、榎峠に向かう沢沿いの道になった。左に水穴への車道が分かれるので、そちらに進むと、100m程先が尾根の末端部となった。前の空き地に車を停めて杉林をのぞくと、山道が続いていた。杉林の中は落ち葉が積もって道が分かり難くなっていたが、じぐざぐを切ると尾根通しの道になった。周囲にはナラやブナの雑木林が広がるようになった。車を走らせていた時は霧雨が降っていたのだが、日も射してきて、落ち葉を踏みしめながらの日溜まりハイクになった。緩やかな尾根を辿っていくと、「高津谷城跡」の標柱が現れ、右手から登山道が上がってきた。下っていく方向には浦瀬町とあり、歩いてきた道よりも、この道の方がメインのようであった。
 この先からは、傾斜が少しきつくなり、トラロープが掛けられた所も現れた。水穴からの道もあるはずなのだが、見つけないままに高津谷城跡のピークに登り着いてしまった。最後に土塁を登ると、広い草地の広場になった高津谷城跡に到着した。林に囲まれて展望はそう良くはないが、ちのみね城跡方面の眺めが開けていた。
 広場の左奧にちのみね城跡への道が続いていた。トラロープをたよりに土塁を下り、尾根道を進んだが、横堀もあって、小さな上り下りが続いた。ちのみね城跡のピークが近づくと、油田跡と思われる窪地に立ち入り禁止のロープが張られている所も現れた。右手の谷の眺めが開けると、榎峠周辺の油田跡の眺めが広がり、その奧に鋸山が頭をのぞかせていた。ピークを東に巻いた所で、林道終点の広場に飛び出した。この林道は、榎峠方面から上がってきているもののようであった。尾根沿いにもうひと登りすると、ちのみね城跡に到着した。山頂は、大きな松が一本立ち、草地の広場になっていたが、周囲は木立に囲まれて展望は得られなかった。金属製のかまどが二つころがっており、バーベキューを楽しむ人もいるようである。山頂脇にも、油田跡と思われる大きな穴があいていた。
 ちのみね城跡は展望もあまり良くないし、時間も少し早いので、少し下ってから昼休みにすることにした。高津谷城跡手前で、刈り払われた展望地があったので、腰をおろした。青空をバックに、粟ヶ岳から白山の連なりが、目の前に広がっていた。粟ヶ岳の山頂には白いものがあり、雪が降ったようである。暖かい陽射しのもとで、残り少なくなった秋の日溜まりを楽しんだ。
 下山の途中の分岐から、南に向かう道に進んだ。窪地の中を下っていくと、杉林の中に入り、車道に飛び出した。車道のヘアピンカーブにあたる入口には、「高津谷城跡入口」の標柱が立てられていた。車道歩きをしばらく続けると、登り口に戻ることができた。

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