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猿倉山、要害山(桐沢城址)
巻機山


【日時】 2000年11月4日(土)〜5日 各日帰り
【メンバー】 4日:単独行 5日:「とんとん」BBSグループ(合計 15名)
【天候】 4日:晴 5日:晴

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
猿倉山・さるくらやま・687.8m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/五日町
【ガイド】 点の記、羽田さん情報

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
要害山・ようがいさん・478.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/五日町
【ガイド】 なし

【山域】 巻機山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
巻機山・まきはたやま・1967m・なし・新潟県
牛ヶ岳・うしがたけ・1961.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/巻機山
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山、巻機山、守門岳」(昭文社)
【温泉】 六日町温泉 龍氣別館 650円

【時間記録】
11月4日 6:40 新潟発=(関越道、六日町IC、R.291、下原、下出浦 経由)=8:55 貯水池〜9:08 発―9:56 薬師堂跡〜10:02 発―10:30 猿倉山〜11:00 発―11:17 薬師堂跡―11:47 貯水池=(下出浦、麓、R.291、茗荷沢 経由)=13:12 八海山麓スキー場―13:34 ゲレンデ上部―13:51 要害山〜14:14 発―14:22 広場大峰―14:57 桐沢―16:38 八海山麓スキー場=(R.291、五日町、R.17、六日町、R.291、清水)=20:30 桜坂駐車場 (テント泊)
11月5日 6:45 桜坂駐車場発―7:40 五合目〜7:48 発―8:48 七合目〜8:57 発―9:48 ニセ巻機―10:01 避難小屋〜10:13 発―10:33 御機屋〜10:40 発―10:48 巻機山―11:08 牛ヶ岳〜12:49 発―13:09 巻機山―13:16 御機屋―13:34 避難小屋〜13:43 発―13:52 ニセ巻機―14:20 七合目〜14:27 発―15:10 五合目―15:57 桜坂駐車場=(清水、R.291、六日町、六日町IC、関越道)=19:30 新潟着

 猿倉山は、八海山から西に延びる尾根上にある山である。かつては、この山の山頂近くに観音堂が置かれ、その参道には西国三十三番観世音巡りの石仏が安置されていたが、現在ではその道は草に埋もれている。

 要害山は、八海山麓スキー場の上の山である。地図に記載されている茗荷沢からの道は廃道、桐沢からの道は山頂近くまで林道が延びている。山歩きを楽しむなら、スキー場のゲレンデを登って、山頂駅から稜線伝いに登るのが良さそうである。

 巻機山は、谷川連峰と越後三山との中間に位置する山で、牛ヶ岳や割引山などと共に一つの山塊を形成している。山名は、昔、村人が山中に機を織る美しい女神を見たという伝説に由来している。山頂付近はなだらかな草原が続き、懐には美しい沢を抱いており、女性的な山として人気が高い。そのため、山頂付近の登山道周辺の荒れ地化が進行し、むしろを敷いてその上に種を撒き、緑を回復する試みが為されている。

 猿倉山に興味を持ったのは、以前、八海山から西に延びる尾根の末端部にある六万騎山に登った時に、尾根伝いに登れないだろうかと思ったのがきっかけである。点の記を見ると、尾根の途中に観音堂があり、山頂まで山道があるように書かれている。羽田さんも登っており、その記録を見ると、尾根には踏み跡があるようであった。葉の落ちた今の季節なら、道があやしくともなんとかなりそうに思えた。5日に巻機山の約束があったため、4日はその近くの猿倉山を登ることにした。
 登り口の下出浦の集落に入るとY字路に行き当たり、左の道に進むと、貯水池の南西の角に出た。右に曲がって貯水池の縁沿いの未舗装の道を進むと、南東の角近くに空き地があったので、車を停めた。晴天になりそうであったが、朝霧が出て山を眺めることはできなかった。南東の角には、未舗装の林道が集落から上がってきており、庚申塚や西国三十三番観世音の石碑が置かれていた。この右手の林道には入らず、左手の山道に進むと、杉の植林地に入って、貯水池の裏手に回り込んだ。用水の側溝を跨ぎこした所に石仏が置かれ、山道が尾根に向かって延びていた。ジグザグの登りをしばらく続けると、尾根通しの道になった。踏み跡はしっかりしているものの、草が被っていた。蜘蛛の巣が連続して、ストックで道を切り開きながらの登りになった。途中の道ばたには、石仏が秋の陽射しに照らされて微笑みを浮かべていた。最近は歩く者も少ないようだが、物好きな登山者を暖かく見守ってくれているようであった。なかなか急な登りが続き、汗が吹き出てきた。斜面の上の方に杉木立が見えて、そこが観音堂跡のようであった。
 崖際で登山道を塞いでいる杉の倒木をまたぎ越すと、観音堂跡の広場に出た。廃材らしきものもなく、壊れかかった石の祠があるだけで、お堂があったのは、ひと昔も前のことのようであった。広場は杉木立に囲まれてあまり展望は良くなかったが、麓の集落と坂戸山を眺めることができた。
 この先も踏み跡は少し怪しくなったが、尾根も痩せており、辿ることは難しくはなかった。傾斜が緩んで台地状の広場に出ると、倒木と草のために踏み跡を見失った。前方の尾根通しに進むと、灌木がうるさく、道では無さそうであった。少し進むと、右から踏み跡が回り込んできて、再び楽に歩くことができるようになった。この部分は、帰りは、なにも迷わずに通過して、見覚えのある倒木に行き当たって、それと気がつくことになった。行きと帰りでは、道の見え方が違ってくるので、こういった藪山では注意が必要である。
 痩せ尾根の上に出ると、灌木の背も低くなっており、周囲の展望が開けた。赤や黄色に染まった灌木を通して、猿倉岳の三角形の山頂が姿を現した。周囲の展望を楽しむのは、山頂に着いてからということにして、登りを続けた。急な尾根を登りきると、猿倉岳の山頂に到着した。三角点の周りが刈られていたが、周囲を灌木が取り巻いていた。360度の展望というわけにはいかなかったが、東の展望が開けて八海山が大きく聳えており、これだけで十分な眺めであった。ロープウェイが太陽に光ながら、上がっていくのが良く見えた。天候にも恵まれて、八海山も賑わっていそうであった。南東には、明日登る予定の巻機山が、逆光気味に輝いていた。座ると眺めが隠されてしまうため、立ったままビール片手に展望を楽しんだ。
 帰りは、特に迷う所もなく、快調に山を下ることができた。すでに蜘蛛の巣が張り直されており、顔に糸が張り付いた。
 時間も早いので、もう一山登ることにして、近くの要害山に向かった。この山の麓には八海山麓スキー場が広がっている。もっとも要害山は、八海山の山麓ではなく、駒ヶ岳からヨモギ山を経て笠倉山に至る稜線から枝分かれする支脈末端にあるので、駒ヶ岳山麓スキー場の方が正しい。名前の通った六日町八海山スキー場にあやかろうという商魂故の命名であろう。
 要害山の稜線沿いには、登山道の記入があることから前から気になっていた。まず、茗荷沢からの登山道を探してみた。民家の脇から谷間に入ると、用水池があり、山道はその先の杉林の中で消えていた。ここからは登れそうはないことが判ったので、八海山麓スキー場のゲレンデから登ることにした。八海山麓スキー場のゲレンデに着くと、マウンテンバイクのライダーで賑わっていた。ゲレンデがマウンテンバイク用に整備され、ダウンヒルのコースになっていた。
 ゲレンデの中を上がっていく車道を歩いた。リフトの山頂駅付近は、草地の登りになったが、草も刈られて歩くのに支障はなかった。冬のシーズンを間近にして、延びた夏草を刈ったのかもしれない。登るにつれて、八海山や駒ヶ岳の展望が広がった。
 リフト山頂駅から稜線への取り付き部分は削り取られてガケ状になっていた。右隅から斜めに登って稜線の上に出ると、踏み跡が続いていた。灌木が被り気味の踏み跡であったが、辿るのには支障はなかった。痩せ尾根になった所もあり、周囲の展望は開けていた。山頂台地状で、土塁の跡と思われる段々が現れた。右に回り込みながら進んでいくと、城跡の説明板が立てられ、右手から整備された登山道が上がってきているのに出会った。
 説明板には、以下のように書かれていた。
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桐沢城址略記
一 所在地 大和町大字桐沢字堂ノ入五六五番地
二 名前 桐沢城(別名大峰城とも言う)
三 立地と規模 海抜四七0m、西に浦佐城、北に板木城湯谷城と相対し南は大崎方面を窺う要衝で、東から延びる大峰山の尾根を利用して築かれた山城である。
 主郭は二段、各々東西約三五m南北約二五m、西側に四段の郭、帯郭、壕を配す。
 南は広場(東西約五0m南北約一五m)をとり下に数ヶ所の小郭と壕を配す。
 北は急峻な崖、東は主郭の直下に一条の壕と四条の従壕を配す。
四 築城年代
 山城の特徴から上杉時代と言える。
五 桐沢家名の由来
 南北朝から戦国時代にかけて土地の豪族桐沢但馬家がこの一帯を支配していた。上杉時代に坂戸城主の命をうけてこの城の守護となった。
昭和六0年十一月
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 この山城は、桐沢城と呼ばれることが判った。地図を見ると、東に延びる破線は桐沢の集落に通じている。
 広場のそこかしこにベンチも置かれていた。三角点を探すと、一段低い土塁の西の崖際に、八色原を見下ろすように置かれていた。
 ベンチに腰を下ろし、展望を楽しみながらひと休みした。子供の声が聞こえると思ったら、幼稚園児を含む家族連れが登ってきた。どこから登ってきたか尋ねると、林道が近くまで上がってきており、10分程の歩きで登ってこれたという。せっかく踏み跡伝いに登ってきたのにと、少々がっかりした。
 様子を探るために、林道を下ることにした。看板の前の道を下ると、すぐに西に方向を変えて、土塁の下を抜けると稜線沿いの道になった。僅かな歩きで林道終点の広場に飛び出した。ここには、広場大峰という標識がたっていた。林道は未舗装で、所々えぐれている所もあり、車で登るには慎重な運転が必要そうであった。林道は歩くとなると、距離が長く、戻ってゲレンデを下りた方が早かったなと少々後悔もした。桐沢の集落には、桐沢城址を示す標識も立てられていた。しかし、地図を見て要害山に登りにきたとすると、桐沢城址という標識では判らないのではないだろうか。桐沢から八海山麓スキー場までも長い車道歩きになった。
 猿倉山と要害山の二山を登って、本日の山登りは終了とした。野宿の前に、日帰り温泉を探す必要があった。五日町に、薬師の湯という温泉があったのだが、都合によりということで、営業は5時からということであった。六日町に出てから、龍氣別館という温泉に入ることができた。六日町ICにも近く、利用価値は高いと思われる。六日町IC脇のJASCOの食堂で夕食をとり、つい飲んでしまったビールの酔いを覚ますために、買い物と古本屋のぞきで時間をつぶしてから、巻機山登山口の清水の集落をめざした。
 巻機山は、登山開始年の1991年9月7日に登っているが、今回はホームページを通じて知り合ったトントンさんの呼びかけで集まった総勢15名のメンバーと登ることになった。初冬といっても良い遅い時期で、巻機山の登山シーズンは終わったのか、桜坂の駐車場は、僅かの車しか停まっていなかった。天候が気に掛かったが、夜空には星が輝き、土曜日の晴天は翌日も続きそうであった。テントを張って眠りについた。翌朝、テントをたたもうとしていると、料金を徴収しにきて、駐車料金とテント代合わせて1100円を請求されて、不愉快な思いをすることになった。
 15名の参加者のうち、初対面の人は9名に及び、出発にあたっての自己紹介も、すぐに判らなくなった。ホームページを思い浮かべると、それなりのイメージが浮かんでくるのだが、実際の人物像とはななか一致しない。とはいえ、歩きながらのおしゃべりが進むと、すぐに皆の間に親近感が生まれてきた。途中で、人数を勘定すると16人いるという。最後尾に知らないおじさんがついてきて、こちらも置いていかないようにペースを合わせてしまっていた。紅葉も落ち葉となって、見通しの良い尾根道になっていた。早いペースの登りが続いた。山歩き三日目ともなると、足にも疲れが出てきてもう少しゆっくりしたペースの方が有り難かったが、整備された登山道にも助けられ、ついていくのはそう難しくはなかった。五合目の焼松展望台に出ると米子沢を見下ろすことができたが、日陰に沈んで、寒々としていた。六合目からは、ヌクビ沢と天狗岳の展望が広がった。来年は、是非ともヌクビ沢から登ってみよう。登りを続けるにつれて、天狗岩も低くなっていった。七合目の物見平は、ガレ場の広場となって、ひと休みには丁度良い所である。お腹が空いてきたので、軽く食べ物を口にしていたら、ワインを飲んでいる人もいた。山頂での宴会が待ちきれない人もいるようである。ここからは、笹原の急斜面になり、足場も悪い所もあり、辛い登りになった。
 登り切ったニセ巻機山は、井戸尾根随一の展望地である。前方には、巻機山の山頂が広がり、米子沢源頭部には、色付いた笹原が美しく広がっていた。この展望だけでも、ここまで登ってきた甲斐はあるというものだが、晴天のもと、山頂からは素晴らしい展望が期待できそうであった。
 水は充分に持っていたのだが、水場の様子を知りたく、避難小屋のある鞍部から水場に下ってみた。ロープの張られた草原を横切り、急斜面の崖をおりて米子沢源頭部に下りると、豊富な水が流れていた。汲んで飲んでみると、美味しい水であった。気温も高いために、喉が乾いているようであった。
 鞍部から池塘の脇を通り抜けていくと、階段登りが始まった。最後の登りということもあるが、段々に歩幅が合わなくて余計に草臥れた。登山道の脇には、昔の歩道の残骸が続いていた。歩道の整備と荒廃が繰り返されているようである。コンクリートで固めたところで、崩れてしまった遊歩道も見ている。良い知恵はないものだろうか。
 御機屋に到着すると、登りついたという気分になって気もゆるんでしまう。ここには、「巻機山 御機屋」という標柱が立てられいたが、御機屋の最高点は、標識は置かれておらず、植生の回復のために立ち入り禁止のロープが張られていた。割引岳へ行く人と聞いてみたが、誰も行こうとしないので、牛ヶ岳方面に進んで、宴会をするのに適当な広場を探すことになった。最高点を越した先の、朝日岳への国境縦走路入口は、段々の道に整備されており、そのまま進んでみたいという誘惑にかられた。縦走路の彼方に向かって、幾つものピークが重なり、容易な道のりではなさそうであった。
 笹原の稜線を辿って牛ヶ岳に登り、その先で一同腰を下ろせる小広場を見つけた。谷を挟んで割引岳と向かい合う、展望の良い場所であった。主なところで、権現堂山、八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳、荒沢岳、平ヶ岳、燧ヶ岳、至仏山、男体山を始めとする日光連山、日光白根山、上州武尊山、谷川岳、一ノ倉岳、茂倉山、万太郎山、仙ノ倉岳、苗場山の名前を挙げることができた。登った山なら懐かしさを持って眺め、登れずにいる山は憧れを持って眺めた。
 展望を楽しんでいるうちにも、早くもビールの栓が抜かれて、宴会が始まった。豚汁にモツ焼き、その他のつまみも多く、日本酒、ワインの大宴会になった。11月とは思えない暖かい陽射しの中で、酔いが回るにつれ、そのまま灌木に倒れ込んで寝ていたくなった。最後に、一同揃ってのオバカポーズの記念写真。「巻機山に乾杯!愛しています越後の山!」の横断幕も用意される準備周到さであった。
 巻機山からの下山ともなれば、それなりの時間がかかり、駐車場に着いた時には、夕暮れが忍び寄り、楽しい一日を過ごしたという気分にかられた。最後に、昨日も入った龍氣別館で温泉に入り、解散となった。

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