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一本松、黒手ノ峰


【日時】 2000年11月3日(金) 日帰り
【メンバー】 岡本 明、鈴木 眞
【天候】 曇り後晴

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 
一本松・いっぽんまつ・815m・なし・新潟県
黒手ノ峰・くろでのみね・827.8m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/えぶり差岳
【ガイド】 薮山ネット岳愛さん報告

【時間記録】 5:40 新潟発(R.7、新発田、R.290、胎内 経由)=7:00 ぶな平橋〜7:16 発―7:21 尾根取り付き―7:56 稜線分岐〜8:00 発―8:10 岩場〜8:23 発―9:35 一本松〜9:42 発―10:50 小川ノ頭―11:23 黒手ノ峰〜12:20 発―12:50 小川ノ頭〜13:04 発―14:02 一本松―14:58 小岩峰―15:03 稜線分岐―15:22 尾根取り付き―15:28 ぶな平橋=(胎内、R.290、〆切、紫雲寺、聖籠IC、R.7 経由)=17:00 新潟着

 胎内川右岸には、杁差岳隣りの鉾立峰から下ってきた稜線が続き、大樽山、鳥坂峰、一本松、牟礼山といったピークが連なっている。また、一本松の南西の820mピークは、小川ノ頭と呼ばれ、ここから北東に分かれる稜線上には、黒手ノ峰がある。

 薮山ネットの岳愛さんの報告で、胎内川のぶな平橋から一本松へ登る道があり、黒手ノ峰を経て大石ダムに下降できるということを知った。一週前の鳥坂山登山の後に、一本松の登り口の偵察を行い、尾根上にはっきりした刈り払い道が続いていることを確認した。一人では少々心細いところがあり、鈴木さんに声を掛けると興味があるとのことで、一緒に登ることになった。
 奧胎内へと通じる道路にかかるぶな平橋の50m程手前右手に、雨量計が置かれた広場があり、ここで待ち合わせとした。昨夜の雨は上がっていたが、木立は濡れており、雨具のズボンを履いての出発になった。雨雲が垂れ込めて、稜線部は隠されていた。広場の反対側に旧車道入口があり、その道に進んだ。杉の植林地の広がる中を進んでいくと、左手から沢が落ち込み、その左岸尾根が登山コースである。沢を通り越すと、旧車道は右手に曲がり、尾根の末端部で幅広になった。尾根を回り込んだ先で、切り通し風の斜面を枝を手がかりに3m程攀じ登ると、山道が続いている。ここには、テープなどの目印はなく、木立を透かして道の見当を付ける必要がある。
 ほどほどに痩せた尾根に沿って、はっきりした山道が続いていた。道は次第に右に曲がって山腹のトラバースに変わると、右手の谷間の縁に行き当たった。道は左に曲がって、再び急な登りが始まり、山腹を大きく折り返すと弱い尾根状の道になった。切り開きが充分で赤布も要所に付けられているので、迷う心配は無かったものの、葉の茂った季節では、辿るのは難しいかもしれない。周囲の木立の紅葉は盛りを過ぎようとしており、道の上には、厚く落ち葉が積もっていた。
 476mピーク南東の小ピーク付近で稜線に登り着いてひと息いれた。痩せ尾根を南東に辿っていくと、左手から谷間が迫ってきて、そこの杉林に下る踏み跡が分かれた。痩せ尾根の先にテープが付けられていたので、そのまま直進すると、五葉松の生えた岩場の上に出て、その先は、岩混じりの痩せ尾根の下りになった。濡れた松葉が表面を覆って、踏み跡は有るのか無いか分からなかった。滑り易そうで、先の様子判らず、下るのが躊躇された。手前で分かれた踏み跡が本来のコースだったのかという疑問がわいて、戻ることにした。手前の踏み跡は杉林の中で終わってしまい、やはり岩混じりの痩せ尾根が正しい道ということで、再び引き返しになった。岩場を避けるため、その手前の薮の斜面を枝を頼りに下ることにした。急斜面にはナタ目も残っており、歩いた跡があるようであった。
 沢の源頭部にあたる鞍部に降り立つと、炭焼きの跡が残っていた。鞍部からの登り口が判らなくなったが、探しながら崖の縁に沿って先に進むと、その先で再び踏み跡に乗ることができた。その先は、ヒドと尾根をつないだような急斜面の登りが続いた。登山道には厚く落ち葉が積もり、所々でキノコが生えているのを見つけることができた。鈴木さんの鑑別で、クリタケとナラタケを見つけ、昼のキノコ汁のために必要な分だけを採った。
 登り着いた一本松の頂上は台地状で、灌木帯の中に踏み跡が続いていた。どこが最高点かも判らず、小川の頭へ続く村界尾根への下り口の方向を磁石で確かめる必要があった。右の方向に行くようだが、その方向は薮がうるさそうであった。踏み跡はさらに先に続いていたので辿っていくと、少し小高い所があった。その上は木の切り株が転がって刈り払いがされており、ここが最高点のようであった。あいにくとガスで覆われて、周囲を見渡すことができなかった。
 この手前に右に入る草の生えたヒドがあり、これを辿っていくと、泥状の窪地、次いで小さな池が現れた。その先で南の小ピークを越すと、踏み跡が二手に分かれた。磁石を切ると、右手の踏み跡は西に向かい、どうやら深谷沢に向かうルートのようで、左の踏み跡が村界尾根のようであった。ガスで先が見えないが、標高差100mの大きな下りが始まった。西側斜面には美しいブナ林が広がるようになった。すらりと高く太さが揃っているので、いつの時代にか、一斉に伐採されたものが、再び育ったものかもしれない。中間の小ピークを越す時にはガスが上がり始め、行く手の小川ノ頭から黒手ノ峰へ至る稜線や、今下ってきた一本松の頂上を眺めることができるようになった。
 再び100mの登りに汗を流すと、小川ノ頭に到着した。黒手ノ峰へは、このピークで村界尾根から分かれて、北に向かう稜線に進む必要がある。ここまでは、細々ながら切り払い道が続いていたが、この先は腰程の高さの灌木の薮漕ぎになった。痩せ尾根でルートについては間違いようもなかったが、枝にはねとばされないように注意が必要であった。山頂の肩の端まで進むと、下りの稜線には刈り払い道が続いていた。道を開くにあたって、太い木を切ったりして相当な労力を費やしているようなので、誰が、何の目的で道を開いたのかという疑問が湧いてきた。前方には、すっきりした三角形をした黒手ノ峰の山頂が、紅葉に染まって頭をもたげていた。今度は70m下って70mの登り返しになった。
 はっきりした道は、山頂の左直下を通って、北にさらに続いていた。高みに向かってひと登りすると、黒手ノ峰の山頂に到着した。小広場の中に、三等三角点と主三角点の標石が頭を出していた。周囲の薮は刈られて、杁差岳方面の素晴らしい展望台になっていた。峰々の頂上部はガスにまだ隠されていたが、休んでいる間に葡萄鼻山、若ぶな山、大境山といったピークが次第に姿を現してきた。黒手ノ峰から北の大石ダムに向かう稜線の斜面はスラブとなって、険悪な姿を見せていた。飯豊の展望台としては、二王子岳、蒜場山、鏡山、倉手山、大境山といった名前がすぐに浮かぶが、この黒手ノ峰も杁差岳方面の屈指の展望台といって良いであろう。
 鈴木さん作製のキノコ汁の相伴にあずかり、ビール片手に紅葉に染まった山の眺めを楽しんだ。黒手ノ峰の先、刈り払い道は小川に向かって続いているという。「機会があったら、その道も歩いてみたいね」と二人で話し合った。
 帰り道で、小川ノ頭の南隣りのピークの方が少し高いので、そこまで足を延ばそうとしたが、村界尾根の切り払い道はすぐ先で終わっており、先に進むのは諦めた。切り払い整備の目的の謎は深まるばかりである。実は、道路地図「県別マップル新潟県」には、黒手ノ峰から小川ノ頭にかけて、登山道を示す破線が記入されている。道路地図で古い登山道を見つけては楽しんでいるのだが、ここも昔の地図には道が記載されていたようである。
 覚悟していたとはいえ、一本松への登り返しは、なかなか堪えた。帰りにキノコを採って、家への土産にした。登山口近くまで下りる頃には、谷間はすでに日陰に入って、夕暮れも近くなっていた。
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