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鳥坂峰


【日時】 2000年10月28日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 鳥坂峰・とっさかみね・948.0m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/えぶり差岳
【ガイド】 片雲往来語らいの山々第一部阿賀北の山々、新潟の低山薮山(白山書房)

【時間記録】 6:40 新潟発(R.7、新発田、R.290、胎内 経由)=8:00 コモド橋〜8:20 発―8:15 尾根取り付き―8:55 尾根上分岐―9:20 695mピーク―10:08 鳥坂峰〜10:50 発―11:18 鞍部〜11:26 発―11:34 695mピーク〜11:41 発―11:56 尾根上分岐―12:15 尾根取り付き―12:24 コモド橋=(往路を戻る)=14:40 新潟着

 鳥坂峰は、飯豊連峰南部の杁差岳隣りの鉾立峰から北西に向かう尾根上にある、胎内川右岸の山である。胎内第一発電所から尾根通しの道があり、これは地図にも記載されているが、コモンド沢から中間の610mピークに上がる道が刈り払われて歩きやすくなっている。

 鳥坂峰は、地図にも破線が記入され、前々から気になっていた。9月30日には、胎内渓谷に足を運びながら、標高がより高い方ということでこの山の隣の大樽山に足が向いてしまった。秋も本番となり、薮山に心引かれる季節になった。鳥坂峰へのコモド橋からのルートは、「新潟の低山薮山」に書かれて、その後98年10月14日に鈴木眞さんが歩いて、メーリングリストで報告されている。
 登り口になるコモド橋は、胎内川治水ダム下流のトンネル手前にかかる橋で、コモド沢という標識が立っているので迷う心配はない。右岸沿いに草で覆われた林道が、沢の奧に向かっているが、その入口には2台程の駐車スペースがある。朝食を採りながらひと休みすると、胎内川の対岸には、風倉山が紅葉に彩られた姿を見せていた。
 林道は100m 程で終わり、踏み跡道に変わった。ススキの原の中にはっきりした道が続いていたが、季節によっては、草がうるさそうであった。沢の縁に沿うようになると、樋状の鉄製波板で作られた導水路が壊れて、滝のように水が流れ落ちている崩壊地に出た。短いが足場の悪いヘツリをして、導水路に沿って進むと、左手から尾根が落ち込んできた。これが登りに使う尾根であった。沢でひと休みしながら辺りを見渡すと、左岸に渡った山の斜面にもかすかな踏み跡が続いているようであった。
 露岩を足がかりにする急な登りが始まった。ひと登りすると、木立の間に展望が開け、対岸の風倉山や、コモド橋や停めた車を見下ろすことができた。思ったよりもしっかりした道で、刈り払いも新しいようであった。方向を変えて東に向かう尾根に乗ると傾斜も緩やかになり、窪地も現れるようになった。
 610mピークの北西で胎内第一発電所からの道に合わさった。二つの道を比べると、発電所からの道は、少し薮がうるさそうであった。コモド橋方向には赤布が付けられていた。610mピークから695mピークにかけては緩やかな登りが続いた。紅葉の盛りとなると、ガイドブックに載っているような山は大混雑だが、鳥坂峰くらいの知られざる山ともなれば、きれいな紅葉があれば足を止めるのも勝手。山は貸し切り状態である。
 695mピーク手前で木立が切れて、胎内川ダムから風倉山に登る尾根を良く眺めることができた。ピークから僅かに下った所で小広場に出た。廃材が積まれ、その上にヤカンが乗せられ、草刈り機のための燃料を入れたポリ容器がかたわらに置かれていた。この広場は、「片雲往来」によれば、昭和46年から49年まで小屋が立っていたとのことで、その跡地のようである。しかし、ヤカンと燃料は、98年の鈴木さんの報告にも書いてあるので、ずーっとそのままになっているようである。会津の二岐山の麓には、八幡太郎義家が野営した時の鍋であるとか、平の将門が追っ手を逃れた時の大鍋であるとか言われているお鍋が御神体となっている御鍋神社というのがあるが、このヤカンもそのうち山の神くらいにはなるだろうか。
 鞍部に下りた所でルートが判り難くなるが、右に曲がると尾根へ取り付きがった。再び急な登りが始まった。踏み跡は前よりも細目になったが、明瞭に続いていた。地図の破線は、沢をへつるように曲がっているが、尾根通しの道が続いた。鳥坂峰の肩に上がって傾斜が緩くなると、西側の斜面にブナ林が広がり、美しい紅葉を見せていた。いつ薮漕ぎ状態が始まるのかと思いながら登っていくと、結局、鳥坂峰まではっきりした刈り払い道が続いていた。
 最後に踏み跡を辿って灌木帯に入ると、傾いた三角点と「建設省大石ダム雨量計No.3」とプレートに書かれた金属製台が置かれた山頂に到着した。北東方面のみ、木が刈られて展望が開けていた。黒手ノ峰方面に続く尾根は、黄色や赤の紅葉に染まっていた。大展望とはいえないが、一人で楽しむには充分楽しめる山頂であった。朝は涼しかったものの、晴れ間が広がって暖かくなり、喉もほどよく乾いてビールが美味しかった。薮漕ぎがあったなら、はっきりした道のある安全圏に下るまではビールはお預けになったところである。良く見ると、踏み跡はさらに東に向かって続いていた。確かめる為に進んでみると、ブナ林の中に踏み跡は続き、所々テープも付けられていた。大樽山で見かけた、銀と赤のテープも付けられており、今度は、大樽山まで道を整備しようとしているのだろうか。途中の高倉山まででも良いので、いつか歩いてみたいものである。5分程辿ってみたが、さらに先に続いているのを見て引き返した。
 鳥坂峰への尾根道は、冬季の間の胎内川ダムに入るためのルートとして使われているという。山頂から西に延びる尾根に踏み跡のようなものは無いかと探してみたが、見つからなかった。山道の下に廃材が積まれて朽ちかけており、ここにも小屋があったようである。
 紅葉を眺めながら鞍部に戻ったところで、偵察を行うことにした。西俣川の大熊小屋への山越えルートがあり、尾根に道が切られていると聞いている。コモド橋から登ってきたとすれば、この鞍部から分かれるように思えた。この鞍部には北からウドノ沢が入り込んできて、その源頭付近にウドノクビレという地名が付けられている。登ってきた時は、鞍部で右に曲がったところを、左に入り、草むらを抜けると涸沢状のウドノ沢に出た。尾根の登りの途中では沢音を聞いていたので、伏流水になっているようである。少し上流に遡った所で、左から尾根が落ち込んできており、その尾根に踏み跡があり、刈り払いの跡やテープを見ることができた。少し登って、尾根に踏み跡が続くことを確認した。すくなくとも村界稜線までは上がれそうである。
 鞍部に戻って小屋跡広場に登り返すと、二人連れが休んでいて、声を掛けられた。見ると、渡部忠三・政子夫妻であった。このような一般的でない山で出会うのも、この人達なら不思議はない。胎内第一発電所から登ってきたが薮漕ぎになる所もあったとのことである。明日は峡彩ランタン会の十周年パーティーがあるため、キノコ採りを兼ねて登りにきたとのことであった。昼食のために荷物を広げていたが、これから山頂をめざすという。
 二人と分かれて、山を下った。尾根の最後は急坂で、足を滑らさないように注意が必要であった。
 最後に、一本松の取り付きを偵察して山歩きを終えた。

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