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桝形山、樽山、当間山
未丈ヶ岳


【日時】 2000年10月21日(土)〜10月22日(日) 各日帰り
【メンバー】 21日 単独行
22日 新潟オフミ(L吉田明弘、鈴木眞、今野和浩、皆川新一、今井貞介、津田稔、増渕成彦、本宮隆一、土門直幸、久保田康夫、大山公一、岡本明) 合計12名
【天候】 21日:曇り時々雨 22日:曇り

【山域】 魚沼丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
桝形山・ますがたやま・748.5m・三等三角点・新潟県
樽山・たるやま・736.0m・三等三角点・新潟県
当間山・あてまやま・1016.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/十日町/塩沢
【ガイド】 なし
【温泉】 湯之谷薬師温泉センター 600円

【山域】 越後三山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
未丈ヶ岳・みじょうがたけ・1552.9m・二等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/須原/未丈ヶ岳
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)
【温泉】 湯の谷村交流センターユピオ 500円

【時間記録】
10月21日(土) 7:30 新潟発=(関越自動車道、六日町IC、R.253、八箇トンネル西口、魚沼スカイライン 経由)=9:56 桝形山管理道入口―9:59 桝形山〜10:01 発―10:04 桝形山管理道入口=(魚沼スカイライン 経由)=10:46 観音会館駐車場―11:03 樽山〜11:10 発―11:24 観音会館駐車場=(魚沼スカイライン 経由)=11:40 当間山麓登山道入口―12:10 1020mピーク〜12:46 発―13:00 当間山〜13:12 発―13:23 1020mピーク―13:40 当間山麓登山道入口=(魚沼スカイライン、倉下、R.353、石打、R.17、小出、薬師の湯、R.352、シルバーライン 経由)=17:00 泣沢口 (テント泊)
10月22日(日) 6:45 泣沢口発―7:10 三ツ又口―7:21 尾根取り付き―8:34 前ノ沢峰〜8:45 発―8:55 松ノ木ダオ―10:45 未丈ヶ岳〜12:05 発―13:19 松ノ木ダオ―13:31 前ノ沢峰〜13:42 発―14:25 尾根取り付き―14:37 三ツ又口〜14:44 発―15:03 泣沢口=(シルバーライン、大湯温泉ユピオ、R.352、小出IC、関越道 経由)=18:00 新潟着

 信濃川と魚野川に挟まれて南北に連なる丘陵地帯を、魚沼丘陵と呼ぶ。この丘陵地帯は、谷川連峰の平標山から日白山、白板山を経て北に延びる尾根に連なっている。緩やかな稜線が続くが、当間山、樽山、桝形山、中将岳、笠置山といった600〜1000m級のピークを地図上に見ることができる。魚沼丘陵一帯には、古くから石打、塩沢地区のスキー場が開かれ、さらに稜線通しに魚沼スカイラインという観光道路が開通しており、登山の対象としては忘れられた存在になっている。
 桝形山は、魚沼スカイラインの北端の八箇峠に隣接するピークで、山麓一帯には六日町ミナミスキー場が広がり、頂上にはアンテナ群が立ち並んでいる。その南の樽山は、シャトー塩沢スキー場の上部にそびえるピークである。当間山は、魚沼スカイラインの南端近くに位置し、頂上一帯にはブナ林が残されているが、北山麓には上越国際スキー場当間ゲレンデが延びてきている。

 尾瀬ヶ原から流れ出る只見川の源流部付近には、奥只見ダム、大鳥ダム、田子倉ダムという三つのダムが連なり、さらに信濃川水系に属する黒又川ダムや複雑に分かれる沢筋によって、毛猛山塊を代表とする人を容易に寄せ付けない山塊が形作られている。未丈ヶ岳は、その中でも、一般登山道が整備されている数少ない山である。この一帯には、かつては、鉱山、山菜採り、狩猟のために生活道が付けられていたが、電源開発のための道路の奥只見シルバーラインが開発されてからは、奥只見湖のほとりの銀山平が観光の拠点になり、荒沢岳や平ヶ岳の登山基地あるいは岩魚釣りの基地としての脚光をあびている。その反面、かつての生活道のあるものは廃道になっている。未丈ヶ岳への登山道も、湯之谷村と只見川の大鳥を結んでいたかつての生活道を利用したものであるが、その後半の山頂から大鳥へ至る道は消えている。

 日曜日に未丈ヶ岳の予定が入っていたため、土曜日は再び越後三山周辺の山と思ったのだが、金曜日の午後から雨になってしまった。土曜日も朝のうちは雨が残りそうであっため、軽い山ということで、前から気になっていた当間山に出かけることにした。当間山には、地図では山道を示す破線が記されており、薮漕ぎをしなくとも登れそうであった。
 六日町ICで高速を下り、八箇トンネル手前から魚沼スカイラインへの道に入った。雨は止んだものの、高度を上げていくと、ガスの中に入って、視界が閉ざされてしまった。稜線部に上がった所に八箇峠展望台があったが、なみも眺めることはできなかった。左手の一段高い所にお地蔵さまが置かれて峠風の雰囲気が作られていたが、八箇峠は地図によれば、展望台の北を通っているようである。
 魚沼スカイラインを南下すると、高みに向かう車進入禁止のダートの道が現れた。路肩に車を停めて、この車道を登った。東斜面を見下ろすようになると、そこにはゲレンデが広がり、すぐ下にリフトの終点駅が設けられていた。左に曲がると信越移動無線センターMCA魚沼制御局という無線中継施設があり、その前に三角点が埋められていた。以前は、ミナミスキー場のゲレンデは、山頂から一段下までしか延びておらず、天気の良い時に、山頂までスキーヤーが歩いて登っていたものだが、今では、すっかり登山の対象にはならない山になってしまった。
 続いて樽山に向かった。地図を見ながら車を走らせ、送電線が頭上を横切るところで、現在位置を確認した。左手の送電線十日町線No.37という標識の脇に、樽山○○コースという字の消えかかった標識が立てられていた。この道に進んでみた。送電線の巡視路らしい、良く刈られた幅広の道が下り気味に続いた。樽山の山腹を巻いて、下方に送電線の走る尾根が見えてきた。樽山から麓に下る登山道かと思って引き返すことにした。
 魚沼スカイラインに戻って僅かに進むと、トイレのある駐車場が現れた。階段を登ると、ビルマ戦線戦没者慰霊の観音像が立てられ、その脇には観音会館という休憩施設が設けられていた。観音像前の高台からは、樽山がピラミッド型の山頂を見せていた。観音会館の脇には、樽山尾根コースという標識が掲げられていた。建物の裏手に回り込むと、石仏が並んでおかれて、尾根伝いに登山道が続いていた。緩やかに起伏する尾根を歩いていくと樽山の基部から急坂の登りが始まった。直登と右に迂回する二つのコースが分かれた。真っ直ぐ登っていくと、泥で滑りやすい急斜面になり、ロープも掛けられていた。しかし、登りも長くはなく、頂上に到着することができた。
 山頂の狭い広場には、「樽山山頂展望台」や、「役の行者」という標識が立てられていた。樽山は、信仰の山であったのだろうか。山頂からは、越後三山方面の遮るもののない眺めが広がっていた。眼下に塩沢の棚田や集落を見下し、魚沼川の流れを目で追うことができた。越後三山や卷機山の頂が、厚い雲で覆われているのが残念であった。いつか、晴れた日に、展望を楽しみに再び訪れたいと思わせる山頂であった。
 山頂から北東に向かう尾根沿いに登山道が下っていた。この尾根をかなり下ったところを送電線が横切っているので、そこの巡視路から登ってきているようであった。この道に興味を持ったのだが、下り口に、「この先500m先でスズメバチが群れています。ご注意下さい。」という掲示があり、おとなしく来た道を戻ることにした。
 帰りは、分岐から左手の迂回路に入った。大きなくの字を描いて、下の分岐に下ることができた。
 続いて当間山に向かった。車道の分岐やスキー場のリフトで現在位置を確認しながら車を進めた。左手に魚沼展望台の園地が現れると、右手にトイレがあり、その脇に「当間山麓登山道」の案内板が掲げられ、しっかり整備された遊歩道が始まっていた。これが、地図にも書かれている破線の道のようであった。
 急な所は板で段々を作った良く整備された道が続いていた。周囲には色づいたブナ林が広がり、乳白色のガスが流れていた。登山道脇には、野生動物の調査のための自動カメラがセットされており、熊に注意の看板も立てられていた。
 ガスのために地形を見通すことができず、地図を見て、当間山の山頂は二つ目のピークと記憶して歩き続けた。一旦下ってから、小湿地の広がるピークへの登りになった。登り着いたピークを当間山の山頂と思って三角点を探した。三角点は、登山道から南に下がった崖の縁近くにあるようであるが、薮の中を歩いてみても、どうも地形が違うようであった。30分近くもうろついたあげく、これはひとつ前の1020mピークらしいという結論に達した。地図に書かれている最初の僅かな起伏を、1020mピークと勘違いしたためであった。
 ピークを下り、左手に曲がるように進むと、再びピークに向かっての登りになった。頂上部の台地を進むと、「当間山山頂まで100m」という標識が現れた。遊歩道から分かれて、尾根沿いの踏み跡を進むと三角点の周りが刈られた当間山山頂に到着した。展望は得られなかったが、周りの木立は紅葉に染まっていた。腰を下ろして、木立を見上げながらひと休み。汗を流してようやく登ることのできる山もあれば、地図を見ながら、ちょっとしたひっかけに迷いながらたどり着くパズルのような山もある。山のいろいろな楽しみ方である。帰りはゆっくり歩いても、30分程で車に戻ることができた。
 歩行時間に比べて、あれこれ迷うことの多い山行で、時間が無くなった。小出に戻って、温泉に入り、食料を買い込んで、未丈ヶ岳登山口の泣沢に向かった。
 未丈ヶ岳には、97年6月21日に登ろうとしたが、徒渉点の増水で断念。98年10月3日にようやく登った山頂は、快晴のもとで周囲の展望を堪能することができた。これ以上の山頂は望めるはずもなく、当分訪れることもあるまいと思っていたのだが、吉田さんから新潟オフミの声がかかって、再び未丈ヶ岳をめざすことになった。
 泣沢口には、5時に到着した。シルバーライン出口のシャッターが上がっており、出口はすぐに判るようになっていたが、先回使ったもうひとつの出口が見あたらなかった。トンネル状で出口には木の扉が付けられていたのだが。外の広場から見ると、トンネルが口を開けており、中に入ってみると、人が通り抜けられる程のくり抜きを残してコンクリートで封鎖されていた。昔の出口を知っている人は、かえってまごつくかもしれない。
 広場には、何台もの車が停まり、宴会中のパーティーもいた。10人程のグループということで、すぐに見つけることができた。今井さん持参の胎内地ビールで再度の乾杯をして、吉田さん作製のビーフシチューを御馳走になった。初対面の人もいるのだが、メールやホームページを通して、前からの知り合いのような感じを持つことができ、山の話は弾んだ。ただ、文章を通しての印象と実際の雰囲気は必ずしも一致しないが、これはお互い様のようである。星も輝いて、明日の晴を期待することができた。結構お酒も飲んで、9時頃にテントに転がり込んだ。
 未丈ヶ岳オフミの参加者は、12名の大所帯になった。ただ、今回は女性の参加がなかったのが少し寂しかった。時間通りに全員が集合し、歩き出すことができた。昨夜の星空に反して、少し雲がかかる天気になっていた。歩き始めはオリソノ沢沿いの道であるが、周辺の紅葉は始まったばかりであった。鈴木さんをはじめ、昼の豚汁の具のキノコを探すが、なかなか見つからなかった。三ツ又口の徒渉点へ鎖を頼りに少し下ると、水量も少なく、飛び石伝いに簡単に渡ることができた。黒又川の左岸沿いに少し行くと、コンクリート土台に金網の横板が渡された橋に出る。この頑丈そうな作りの橋を見ると、三ツ又口になぜ橋がかからないのかが謎である。
 橋を渡った所で上流に向かって右折し、その先で指導標に従い、黒又川沿いの踏み跡から分かれて左折。三頭沢沿いの道になるが、少し先で、尾根に上がる道が分かれて、これが未丈ヶ岳への登山道である。この分岐には導標があるが、沢沿いに良い道が続いているので見落とさないように注意が必要である。しかし、三ツ又口で直進する道やこの道といい、しっかりした道なので、どこに続いているのか興味を持ってしまう。
 木が頂上に生えて鋭い三角形に見える小ピークに登り着くと、この先はヤセ尾根の登りになる。周囲には、紅葉に染まった山の展望が広がり、みかぐら沢のスラブが朝日に輝いていた。固定ロープや木の根を足がかりにするような急登を交えながらの登りは、結構体力を消耗した。高度を上げていくと、荒沢岳や越後駒ヶ岳、さらに中ノ岳や兎岳の山頂が姿を現したが、雲がかかって充分な眺めとはいえなかった。
 休みを入れながら登っていき、前ノ沢峰(974ピーク)に到着してひと息ついた。このピークからは、一旦下った鞍部から未丈ヶ岳の山頂に続く尾根を目の前に眺めることができる。道半ばということで、山頂はまだまだ遠かった。この辺りまで高度を上げると、周囲の木立は紅葉の盛りになっていた。以前の登山道は、前ノ沢峰を巻いていたため、山頂付近の登山道の切り開きは今でも少し悪い。前ノ沢峰の下りでは、木の幹が滑り台状に登山道を塞いでいるところがあり、通過に苦労する所がある。
 鞍部の松ノ木ダオを過ぎると、しばらくはブナ林の中の緩やかな登りが続くが、次第に急な登りに変わっていった。山頂が近づくと、四十峠へと続く稜線の向こうに、毛猛山や檜岳が姿を現してきた。今年の春の足沢山から内桧岳への登山によって、ようやく毛猛山塊にも足を踏み入れることができた。毛猛山は、まだまだ憧れの存在であるが、決して手の届かぬ山という訳ではなくなってきた。山頂手前の小ピーク付近は足場が少し悪いが、そこを越せば、最後の登りになった。
 山頂の一画に登り着いて左に曲がると、未丈ヶ岳の頂上した。小広場は、他のパーティーが休んでいたので、東の斜面に広がる草原に下りて休むことになった。草原は、クサモミジで黄色に染まっており、パーティーが思い思いの場所に腰を下ろして休んでいた。山は、予想以上に賑わっていた。雲が厚く、山々の山頂部は隠れて、遠望はきかなかった。それでも、目の前に広がる会津駒ヶ岳から、丸山岳を経て会津朝日岳に至る稜線は目で追うことができ、展望を楽しむことができた。結局、キノコは、ナラタケが少々採れただけで、とん汁を作ったものの、キノコ汁とはいかなかった。穏やかな陽気の中で、草原に腰を下ろしビールを飲んでいるのは、至福のひと時であった。
 下りは、泥混じりの斜面で足元が滑りやすく、余計に足に負担がかかった。それでも、登りの時よりは、紅葉を楽しむ余裕はあった。日の光を透かして、黄や赤に染まった木の葉が輝いていた。三ツ又口の徒渉点に戻って、沢の水を飲んでひと息入れた。喉も乾き、美味しい水であった。
 下山後の温泉は、大湯温泉のユピオで入浴。いつもはすいているのだが、この日は大混雑であった。
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