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佐武流山
八剣山


【日時】 2000年9月23日(土)〜24日(日) 各日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 9月23日:曇り後雨 24日:雨

【山域】 苗場山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
ワルサ峰・わるさみね・1870m・なし・長野県
佐武流山・さぶりゅうやま・2191.5m・二等三角点・新潟県、長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山/佐武流山
【ガイド】 新ハイキング2000年10月号、信州百名山ガイドブック(KCC BOOKS)
【温泉】 切明温泉・雄川閣 300円

【山域】 志賀高原
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
八剣山・はっけんさん・1675.8m・三等三角点・長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/岩菅山、苗場山、飯山、中野/切明、鳥甲山、往郷、夜間瀬
【ガイド】 山と高原地図「志賀高原・草津」(昭文社)

【時間記録】
9月22日(金) 18:00 新潟発=(関越自動車道、越後川口IC、R.117、津南、R.405、和山温泉入口 経由)=22:00 中津川林道入口 (車中泊)
9月23日(土) 4:15 中津川林道入口発―5:00 林道分岐―5:30 佐武流山登山口―5:44 徒渉点〜5:55 発―6:37 物思平〜6:42 発―7:35 ワルサ峰〜7:40 発―8:18 和山道分岐〜8:23 発―9:17 佐武流山〜9:52 発―10:35 和山道分岐〜10:42 発―11:19 ワルサ峰―12:01 物思平〜12:06 発―12:40 徒渉点―12:56 佐武流山登山口〜13:08 発―13:35 林道分岐―14:19 中津川林道入口=(切明温泉、雑魚川林道、県道奧志賀高原線、志賀高原、県道奧志賀高原線 経由)=18:00 カヤノ平キャンプ場
9月23日(日)=6:10 カヤノ平キャンプ場発―6:42 北ドブ湿原下の分岐―6:57 北ドブ湿原上の分岐―7:40 八剣山歩道に進んで引き返し―8:25 北ドブ湿原上の分岐―8:31 八剣山分岐8:43 八剣山〜8:51 発―8:59 八剣山分岐―9:11 北ドブ湿原―9:20 北ドブ湿原下の分岐―9:42 カヤノ平キャンプ場=(奧志賀林道、平滝、R.117、越後川口IC、関越自動車道 経由)=13:40 新潟着

 佐武流山は、苗場山から佐武流山を経て白砂山に連なる信越国境の中央部に位置し、この苗場山塊の最高峰である。麓からは、その姿を眺めることはできない秘峰であるが、苗場山あるいは白砂山からの眺めは、手の届かぬ山として、魅了してやまない。苗場山から白砂山への縦走路は、昭和五年に伐開、三十三年に再整備されたが、その後利用者が少なく、廃道になってしまった。また、秋山郷の和山から水無尾根を伝い、ワルサ峰を経由して佐武流山に登るコースもかつて用いられていたが、これも廃道になっていた。
 最近の登山ブームもあり、苗場山や白砂山に登った登山者の次の目標として、佐武流山が注目を浴びるようになっている。佐武流山へ登るには、雪の無い時期には猛烈な薮漕ぎを強いられることから、一般登山者には無理である。残雪期に白砂山から山中二泊の予定で往復するのが最も確実で、五月の連休には、このコースは結構多くの入山者で賑わっている。
 平成12年9月に、廃道していた和山からの旧道が、ボランティアグループ「前進倶楽部」の努力によって、3年がかりで整備され、佐武流山への日帰り登山が可能になった。

 志賀高原と野沢温泉の間には、1400〜1500mの高原状の山地が広がっているが、これといった目立ったピークはないことから、登山者の関心の薄い地域になっている。その中にあって、八剣山は、登山道のある数少ない山のひとつである。近くには、カヤの平というキャンプ場が設けられている。八剣山の麓には、見事なブナ林が広がり、また北ドブ湿原という静かな湿原があって、山の魅力を高めている。

 佐武流山へは、1998年5月3日、白砂山から往復する予定で、前夜に野反湖の登山口に入ったが、当日の朝は激しい雨で出発する気になれず、当時ほとんど知られていなかった八間山から白砂山のコースを歩いただけに終わった。その後、インターネットを通じて、佐武流山の登山道復活のボランティア活動を知り、登山道の開通を心待ちする状態になった。先日の9月3日に整備終了になったという知らせを聞き、優先順位第一位の山として予定に入れた。
 タイミング良く、今月号の新ハイキングにも紀行文が掲載された。新しく整備されたコースであるため、登山道全通前の今年の6月に歩いた吉田さんの記録やこの紀行文をもとに、コースタイムを計算してみた。林道歩きが1時間30分ほどかかるため、1日の行動時間はどうしても長いものになり、休みや休憩の余裕を含めれば11時間程は必要そうであった。
 昨年7月4日の苗場山から小松原湿原縦走以来の秋山郷訪問になった。和山温泉入口のバス停を確認後、そのまま国道405号線を進んだ。栃川高原のロッジ前を通過して水平な道を行くと、切明温泉へ向かってつづら折りの下降に移る手前で、左に中津川林道が始まっていた。入口にはゲートがあり、車は進入禁止になっていた。ゲートには、「佐武流山登山道入口 山頂まで約5時間」という掲示が掲げられていた。佐武流山という文字を見て、ひとまず安心した。山頂までの時間には、少々疑問もあったが、歩いてみれば判ることである。周辺に空き地を探したが見つからず、路肩に寄せて車を停めた。将来、入山者が増えると、車の置き場所が問題になるかもしれない。
 翌朝、未明に目を覚ますと、雨は降っていないものの、木立が揺れる強い風が吹いていた。天気予報では、雨の確立50%になっており、僥倖を期待しての山行であったので、この状態はまずまずといっても良い。
 ゲートをくぐり抜け、ヘッドランプを付けての林道歩きが始まった。カラマツ林の中の林道は歩きやすく、暗い中でもスピードを上げることができた。林道は何回かつづら折りを繰り返したが、全般的にはきつい登りは無い道であった。林道の分岐に出て、ここは右手の魚野川林道に進んだ。明るくなるにつれて、右手の檜俣川の深い谷間が目に入ってくるようになった。左手に見上げる月夜立岩の岩壁を巻くように進んでいくと、尾根を越して下りにかかるところで、トマグチ沢にかかる堰堤が目に飛び込んだきた。堰堤の少し手前に、佐武流山登山口の新しい標柱が立っていた。この様子だと、道標は整備されているようであった。いよいよ登山道というところで、辺りはすっかり明るくなっており、良いペースであった。
 丸太の段々から急坂を下っていくと、左からトマグチ沢が沿うようになり、流れの音が聞こえてくると、檜俣川の徒渉点に下り立った。ここの徒渉点の水量が最初の気掛かりであったが、幅5m程の浅瀬で、通過には問題はなかった。飛び石伝いに渡れる場所を探したが、靴を濡らす可能性が高いため、靴を脱いで渡ることにした。素足になって水に入ると、ふくらはぎ程の深さであった。渡り終えるまでに、冷たさが足にこたえた。帰りは、靴を濡らす心配も無くなって大胆になり、水面下の石を使って飛び石伝いに渡ってしまった。この沢が最後の水場になるため、水筒の水を補給した。
 いよいよ登りの開始。カラマツ林を抜けると、右方向にトラバースを交えながらの急登になった。ミズナラやブナの林であるが、林床がシダで覆われ、登山道がつづら折りで方向が一定しないため、コースを良く見ながら歩く必要があった。急な登りが続いて、みるみるうちに月夜立岩の頂上が目の高さに迫ってきた。気温も低く、早いペースを維持することができた。あとわずかで尾根に乗るという所で、「物思平 ワルサ峰まで60分」という標識の掲げられた小広場に出た。
 右に方向を変えてひと登りすると、水無尾根の上に出た。針葉樹に覆われた尾根の登りになったが、風倒木の障害物が多くなった。登山道は、これを避けたり、輪切りにして付けられているが、その努力は大変なものであったようである。前方の尾根を見上げると、悪沢側の斜面はガレ場になって、倒木が横倒しになっているのを眺めることができた。尾根の一段下を通って、木の根を足がかりにして尾根に上がるような所も各所にあり、気を抜けない急登が続いた。
 ワルサ峰は、ヤセ尾根上の小ピークで、立ち枯れのアスナロが数本並んでいた。周囲の展望が開けて、悪沢の谷を挟んで、猿面峰(2000m)がピラミッド形の姿を見せていた。その左は主稜線上の2100mピークで、佐武流山の山頂はその後ろに隠されているようであった。左手には苗場山の平らな山頂を望むことができたが、遠くに見えた。ここには「苗場山の分岐まで35分」と書かれていた。結構シビアなコースタイムが書かれているが、ここまでは、この時間をクリアすることができた。
 冷たい風があたり、Tシャツだけでは寒くなり、長袖シャツを着込むことになった。天気は良くはないが、遠望はともかく、周辺の山の様子が分かるのが有り難かった。ワルサ峰の先は、痩せた尾根道が続いた。笹の刈り払いも荒くなり、靴底が横に流れるので足元に注意が必要であった。1891mピークを越すと、苗場山からの県境尾根がすぐ脇に寄りそうようになったが、その合流点までは、もうひと登りする必要があった。
 県境縦走路はT字路となり、右は佐武流山への道。分岐には、和山と、白砂山、苗場山を示すステンレスのプレートが取り付けられていた。
 左手にも登山道が切り開かれており、「西赤沢源流」という標識が付けられていた。この道は水場への道のようである。水は、県境縦走路を苗場山方向に下って、鞍部から西赤沢源頭に下る必要がある。平成11年6月29日〜7月4日に苗場山から白砂山への縦走を行った峡彩ランタン会の小島さんの記録では、「沢が尾根に沿って上がってきている所を目指し、ザックを置いて右側斜面を下降、三十Mほどで沢音が聞こえ、前方に真夏でも枯れることはないと思われるほど豊富な水が流れ落ちていた。」とのことである。分岐からでは、往復50分程かかるというから日帰りには必要はないが、縦走路中では唯一の貴重な水場である。
 「佐武流山まで70分」の標識があり、いよいよ最後の登りになった。笹の密度も高く、刈り払いが無ければ、歩くのは大変な労力が必要になりそうであった。そうかと思うと、針葉樹の林の中に旧道と思われる古そうな踏み跡道が続いている所もあった。猿面峰へ通じる尾根を分ける2100mピークを越すと尾根が痩せて、左手には草付きの斜面が広がるようになった。緩やかに上っていく尾根の向こうに、ガスが流れているが、佐武流山の山頂がようやく姿を現した。刈り払いの笹を踏みながら登っていくと、最後は緩やかな登りで、佐武流山の頂上に到着した。
 幅5m程の広場に刈り払われ、中央には佐武流山と書かれた標柱が立てられていた。その背後には、この登山道の開通に力を費やした「前進倶楽部」の名前が彫り込まれていた。かたわらの木には、ワンゲルの縦走記念のプレートが付けられていたのが、これまでの薮山縦走の名残であった。この山頂には二等三角点が置かれているはずであったが、刈り払いの広場には見あたらなかった、見当をつけて笹薮の中を探したが、30分近くの探索は報われなかった。最近の三角点捜しで頼りにしているインターネットの三角点情報では、情報無しとなっており、今回の役には立たなかった。発見の時にと思ってナタを持ってきたが、出番は無かった。
 佐武流山の山頂から白砂山方面には、丈の低くなった針葉樹の木立の間をぬって、笹原の中にかすかな踏み跡が続いていた。ガスで展望は閉ざされていたが、周りの木立の様子からすると、眺めは期待できそうもない、地味な山頂のようであった。ひとつの心残りの山をようやく終えることができた。風は冷たく、腰を下ろしていると、体が冷えてきた。ゲートからは、結局、掲示にあったように5時間で登ってきて、コースタイムには充分すぎる余裕はあったが、天候が気になるので、下山にうつることにした。
 下山は、足元に充分注意しながら下る必要があった。登山道がまだ踏まれておらず、笹の切り口が飛び出しているため、スリップでもして手を突こうものなら、怪我は免れない。ワルサ峰手前には、小ピークの登り返しがあり、次第に足も重くなってきた。ワルサ峰で、ついに雨粒が落ちてきた。雨具を着ようかと迷っているうちに止んでくれたが、下りの足を早める必要があった。徒渉点も無事に通過。林道に向かっての急坂を最後の頑張り所にした。
 林道に上がるのと同時に雨が降り始めた。傘をさしながら、佐武流山登頂のお祝いとして、持っていたビールを開けた。山頂では寒かったのと、酔っぱらい状態では歩けない登山道のために、ここまで運ぶままになっていたビールである。後の林道はほろ酔いでも大丈夫。林道歩きの長さも、酔いを覚ますのには丁度良かった。途中でサルには会ったが、結局、誰にも会わない山であった。
 佐武流山は、健脚向きの日帰りの山として、これから利用者も増えると思う。これまで限られた者しか登ることができなかった山に登山道が付けられると、その山の価値が下がったようにいう者がいるが、私はそうは思わない。その山まで道が付けられたならば、その道を利用してさらにその先をめざせば良いだけのことである。和山から苗場山を経て佐武流山までという環状縦走が、実現可能な夢として浮かんできた。
 下山後の温泉として、切明温泉・雄川閣をめざした。冷えた体に温泉は心地よく、季節の移り変わりを感じた。
 秋山郷は、苗場山、鳥甲山、今回の佐武流山に加えて、笠法師山、烏帽子岳を経て岩菅山に至るもうひとつのコースの起点でもある。岩菅山の両登山口の間の車回しの確認も今回の目標のひとつであった。秋山郷から志賀高原に抜ける雑魚川林道は、ついこのあいだまで、これ以上は無い悪路で、昔車のオイルパンを割ったことがある。最近は、舗装道路に変わったというので、走って確かめることにした。鳥甲山の岩壁を見上げながらの林道は曲がりくねっているものの、道幅も充分な、舗装道路に変わっていた。野沢温泉への林道を右に分けて進んでいくと、焼額山の麓に出て、旧道に入ると岩菅山の登山口に出た。ここまでは切明から26.4km、50分程の距離であった。車回しの時間を考えても、1日で岩菅山から切明まで歩けるのではないだろうか。誰か、相棒は見つからないだろうか。
 夕食のために適当なレストランでもと思って蓮池まで行ってみたものの、志賀高原は冬以外は閉店状態のようであった。道を戻り、今晩の宿泊予定地のカヤノ平キャンプ場をめざした。野沢温泉への分岐からは未舗装の道に変わったが、そう長くはなく、牛の放牧場を過ぎると、キャンプ場に到着した。もとは牧草地と思われる草地の上に、4張り程のテントが並んでいた。オートキャンプというのか、草地の中にまで車が入り込んでいるのには、違和感を覚えた。雨は止んでいたので、テントを張ることにして、ロッジで受け付けをした。テント持ち込み料900円、キャンプ場使用料100円で、合計1000円かかった。そこらの空き地ならタダと思わないではなかったが、このようなキャンプ場を維持するのも大変であろうから、値段についてはそんなものかと思うことにした。食事をしてビールを飲んで、7時過ぎには、はやばやと眠りについた。夜中に再び本降りの雨になった。
 たまには調理のまねごとをしようかと思って準備をしていたが、めんどうになって適当な朝食を手早くすませ、雨の中でテントを撤収した。雨も小降りになり、雨具に傘で、とりあえず八剣山をめざすことにした。先に東コースを歩くつもりで、ロッジの発電小屋の先で右折し、すぐに用水路を渡った。ブナ林の中に、小砂利を敷いた遊歩道が続いていた。歩いていくと、大きなカーブを描いて、そのうち登りから下りに転じた。目の前に草原が現れ、これが北ドブ湿原かと思ったら、歩き始めのキャンプ場であった、結局、信州大学ブナ原生林教育園に迷い込み、遊歩道を一周してしまったことになる。
 東歩道は、教育園の入口にある看板の所から、山に向かって真っ直ぐ延びる道がそうであった。周囲には見事なブナ林が広がり、雨のにけぶる美しい風景を見せていた。各方面からの5本の登山道が合わさる広場に出た。北ドブ湿原は、まだ薄暗くて写真にはなりそうもなかったため、とりあえず、八剣山の山頂を踏むことにした。標識を見て、八剣山とある道に進んだ。ブナ林の広がる山の斜面を緩やかに登っていくと、再び分岐に出た。右は北ドブ湿原、直進は「八剣山歩道」とあった。なんの疑いもなく、「八剣山歩道」に進んだ。道は一旦下った後に、平坦な地形の中のブナの森を進むようになった。八剣山へは、地図では東に曲がってから登りに転じるようであったが、それらしい高みにはなかなか行き着かなかった。あいにくと軽装の装備に組み替えた時に、コンパスを忘れてきたために、どちらに進んでいるのか見当がつかなくなっていた。幅広い遊歩道で、遭難の心配はなかったものの、困った事態に陥ってしまった。周囲に広がる見事なブナの大木を見物できたのは、よかったのだが。ここまで歩いた時間を確かめて、この先には八剣山は無いということを確信してから引き返した。道がおかしいと思ってから、逆に足早になったためか、引き返すには結構時間がかかってしまった。
 確実なポイントは、北ドブ湿原の入り口であった。改めて標識を確かめると、「八剣山歩道」の標識は、確かに戻ってきた道をさしていた。途方にくれてしまったが、地面に古い標識が置かれており、北ドブ湿原の方向に、八剣山という文字が向いていた。もしやと思い、北ドブ湿原に向かって坂を下りていくと、鞍部に出て、八剣山を示す標識が現れた。「八剣山歩道」は八剣山に行かないということは、ちょっと気が付かないのではないのだろうか。ここからは、登りになってひとまず安心したものの、足が草臥れてきた。登りもそう長くはなく、傾斜が緩やかになると、三角点の置かれた小広場に出た。ここが八剣山の頂上のはずであったが、あたりには山名を書いた標識のようなものは無かった。キャンプ場からの遊歩道の延長の山としてはちょっと不親切ではないだろうか。
 山を下ってから北ドブ湿原に向かった。涸れ沢状の窪地を下っていくと、遊歩道は湿原の東側に付けられていた。湿原の草はキツネ色に染まり、誰もいない静かな湿原を楽しむことができた。八剣山は、そのピーク自体はそうたいしたことはないが、この北ドブ湿原やブナ林とが合わさって、魅力を形作っているようである。木道を伝って西側に渡り、尾根に登り返すと、登山道が合わさる小広場に出た。今度は西コースを歩くことにした。ブナ林を眺めながら下っていくと、直にキャンプ場に戻ることができた。
 遊歩道のある山で迷子になり、登山のつきが落ちているようであった。高標山にも登ろうと思っていたが、今回は無理をせず、これで山は終わりにすることにした。総合案内所をのぞくと、カヤの平高原ガイドというコピーが置いてあった。八剣山歩道は、キャンプ場に西から入ってくる清水平林道に出るようであった。八剣山歩道を歩いた時は、北に向かっていると思ったのだが、南西に向かっていたとは、方向感覚というものがいかに怪しいものか、良い体験をした。秘峰佐武流山への登頂を無事に済ませた後、遊歩道で迷子になるとは、我ながらあきれてしまう。なお、登山地図には、八剣山へは一本道の赤線しか記載されておらず、北ドブ湿原の東の道も書かれていないので、要注意である。
 帰りは、奥志賀林道を通って、はるばると平滝まで走ってみた。かつては、ダートにもかかわらず有料道路だった林道であるが、完全舗装されて無料の道に変わっていた。

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